青海国の魔術師

青海国の花嫁(5)

 夕暮れ時の港町をリーシャルは速足で歩いていた。通りは家路を急ぐ人々でいくらか混雑しているが、人にぶつかるほどではない。
 隊長は船内にいなかった。
 三人娘が料理に失敗したため、夕食をとりに出掛けたのだという。小さな男の子が案内していたというから、行き先はリーシャルのよく知っている料理屋に違いなかった。
 案の定、港で一番おいしい料理屋と知られている店の一角で隊長をはじめとする船上で見かけた人々がテーブルを囲んでいた。
 隊長、船長、料理長、皇女付き医師に侍女三人娘だ。
 明らかに島の人間ではないと思われる彼らに好奇のこもった視線を他の客達は向けているが、話しかけようとしないのは隊長が帯剣しているからだろう。何より、現在、寄港しているのはルシアド帝国の軍艦だけだということを港の人間なら誰でも知っているはずだ。
「お、どうした?」
 また何か用かといち早くリーシャルの姿を認めた船長が声をかける。船乗りだから目がいいのだろうかと考えつつ、リーシャルはテーブルに近づいた。
「隊長さんに確認したいことがあって」
 私に?と隊長が酒を飲むのを止め、隣の船長を席から追い出し、代わりにリーシャルを座らせた。扱いは邪険だが、いつも一緒にいるあたり、この二人、仲がよいのだろう。
「えーと、私、一応、ここの王女なんだけど」
 まずは言っておかねばならないだろうとリーシャルはことわりを入れた。
「やはり、そうか」
「あれ?わかってた?」
 あれが、と料理長の隣に席を移した船長を女騎士はあごをしゃくって示した。
「そうではないかと言うのでな。勘だけはいいんだ」
「そうなんだ。…で、用件なんだけど」
 リーシャルはまっすぐに女騎士を見据えた。女騎士は黒い瞳でまっすぐに見返した。
「あのね、うちの城の人達には猫猿っていう生き物が皇女様だって紹介されたの」
 うぐっと三人娘の一人がスープでむせたが、女騎士は眉を上げただけで先を促した。
「それで本物の皇女様を捜したんだけど、該当する人間がいないの。そして、魔術師もいないの」
 ふと気付けば、同じテーブルを囲んでいた人々が押し黙って、リーシャルを見詰めていた。明らかに、皆、驚いている様子だ。ただナジュだけは表情がほとんど変わらないので定かではない。
「それから、皇女様のことを『姉上』って呼ぶ騎士と父上の調べで公女様だってことが分かってる侍女が破談を画策しているみたいなんだけど、隊長さんはこのこと全部知ってるの?」
 わずかな変化も見逃すまいとリーシャルは隊長の顔を見つめた。
 答える代わりに、女騎士は逆に質問した。
「…魔術師が城にいないというのはどうやって調べた?」
「虹玉石っていう石を知ってる?それを使ったんだけど」
 なるほどと女騎士は頷いた。
「それならば、まず間違いはない。…どう思う?」
 彼女が意見を求めたのは料理長だった。
「皇女は指示しちゃいないと思うが。何か急用があったにしろ、猫猿を身代わりに立てるなんて、破談されるようなことはしないだろう」
 どうせ身代わりを立てるなら侍女の一人にやらせるはずだと首を傾げる。
「念入りな下調べの結果、まとめた縁談ですからね」
 医師が同調した。
「え?下調べなんかしたの?」
 手当り次第に選んだわけじゃなかったのかとリーシャルには意外だった。
 てっきり、手近に転がっていた縁談を拾ったものと思っていたのだが。
「はい。皇女様が皇帝を含め帝国のじじい共の相手をするのも厭になったので、他国に嫁ぐと決めた時から、相手捜しに奔走したんですよ」
 ほっそりした指を組んで医師が言う。
「それなりの身分があり、跡継ぎになる子供がいて、人並み以上の頭をもち、皇女という身分の利用価値を認めることができる人間だなんて、そうそういるはずないでしょう?それはそれは苦労したんですよ。こちらのお世継ぎの話を聞いた時は、涙が出るくらい嬉しかったです。年齢差も程よいですしね」
 リーシャルは言葉をなくした。
 普通なら、子持ちやもめは敬遠するものではないだろうか?
「そうだ。ここまで条件の揃った縁組を破談にするなど、皇女の望むところではない」
 隊長がきっぱりした口調で言う。
「もっとも皇女の望むところではないが、あの幾つになっても姉離れのできぬ弟君の望むところではある」
 やっぱ、あの連中は連れてくるべきじゃなかったなと料理長が苦笑する。
「セアトの奴も、一枚かんでいるな。あれも今回の縁談には反対だった」
「騎士ならば、主の命令に従うべきだというのに…」
 すっと隊長が目を細めた。
 途端に三人娘に緊張が走る。
「切りますか?」
 静かな口調でナジュが物騒な問いを発する。
「場合によっては」
 迷いなど全くない口調で隊長が応じた。
「うちの城で流血ざた起こすのは止めてもらいたいんだけど」
 慌ててリーシャルは反対した。交易が衰退したことにより、海賊の襲撃も他国とのいざこざも少なくなった青海国で血なまぐさい騒動を起こしてもらっては困る。
「では、マストに吊すか、海に突き落とすか」
 そういう手段の問題ではない。
「行くぞ」
「はっ」
 隊長の呼びかけに応じて立ち上がったのは三人娘だった。
「…え?」
 あっけにとられてリーシャルは、隊長を先頭に三人娘が歩き去るのを見送った。
 侍女にしては変わっていると思ったけど…。
「ねぇ、船長さん。あの三人も女騎士なの?」
「ああ。三悪鬼って呼ばれている凄腕だ。騎士をぞろぞろ連れ歩くのもなんだから、侍女ってことにしてるんだがな」
 なるほど…嫁の貰い手がいないはずだ。
 納得してリーシャルは何度も頷き、我に返った。
 いきなり切って捨てられても、城から引きずり出されても困る!
 できれば穏便に、否、秘密理に済ませてもらいたい。
 慌ててリーシャルは女騎士達の後を追った。
 戸口で人にぶつかりかけ、詫びを言って外に飛び出す。
 何か心に引っ掛かったが、それを分析している暇はない。
 女騎士達の姿はすでに見えなくなっていた。
「足はやすぎっ!」
 すっかり暗くなった道を、リーシャルは城目がけて駆け出した。
 一体、今日は何度この道を通ったことか。
 心のなかで文句をつけながら走り去る少女を戸口でぶつかりかけた人物が不思議そうに見送り、首を傾げた。
「どうしましたの?」
 連れの女が声をかける。
「今の子供、ここの王女に似ていたんですけれど…気のせいですね」
 王女がこんな時間にこんな場所にいるはずないですねと若者は広くはない肩を竦めた。
「それはどうか、わからなくてよ。現に皇女がここにいるのですから」
 フードの陰で女はやんわりとほほ笑んだ。

 騎士ってのはどうしてこんなに足が速いんだろう。
 ようやく女騎士達に追い付いたリーシャルは息を切らしていた。
「だから、表向きは魔法が解けてめでたしめでたしってことにすれば問題ないの。城の人達は、実際はどうであれ、それで一応、納得してくれるから」
 根性の曲がった世継ぎのお陰で、皆、王族のすることは実害を及ぼさぬ限り、見て見ぬふりをするのだ。下手に口出しするととんでもないことに巻き込まれる。
「こんなことが表沙汰になるのは皇女様だって不本意でしょ」
 なにしろ自分の不在をいいことに、弟と配下の連中が勝手な行動を取ったのだ。不祥事は外部に知られてはならない。自分の父親ならまず間違いなく身内の不始末は外に知られぬようにする。
「…気づかれぬように始末するのであればよいのだな?」
「うん」
 あっさりとリーシャルは頷いた。親しくもない人間に情けをかけてやるほど、リーシャルの心は広くない。
「やるんだったら、特にお祖父様にはばれないようにね。お祖父様、優しいから処分を和らげるように言うだろうし」
「承知。連中のいる場所へ人目につかぬよう案内してもらえるだろうか?」
「私と一緒にいる限り、城への出入り自由だし、私が誰を連れてどこに行こうと皆気にしないから大丈夫だよ。まあ、父上には一応、ことわっておいた方がいいと思うけど」
 言っておけば、皇女付き侍女や騎士が姿を消しても適当な理由をでっち上げて誤魔化してくれるはずだ。
 不意に隊長が剣の柄に手をかけた。
 一瞬の後に、忽然と若い男が姿を現した。
「ああ、よかった。まだ城には入ってなかったんですね」
 ひょろりとした若者が胸をなで下ろして言う。赤褐色から金色まで、濃淡のある髪の持ち主は二十歳になるかどうかくらいに見えた。
「リウ・ソイレス、戻ったのか」
「はい、つい先刻。皇女様より、ファレン・スール様をお止めするよう言いつかって参りました」
「そうか」
 セアトを始末するには良い機会だったんだがと隊長は何やら物騒なことをぼやいている。
「魔術師?」
 ちょうど隣にいたファーに聞く。やや童顔で小柄な少女はそうだと頷いた。
 ああ、そうか、とリーシャルは一人頷いた。料理屋の戸口でぶつかりそうになったのは、この若者だったのだろう。あの時、彼は南大陸の言葉で「失礼」と言ったのだ。
 すぐに気づくべきだったなぁとリーシャルが反省していると、若者の目がこちらに向けられた。
「リーシャル王女殿下ですね」
「え、あー、はい」
 リーシャルは頭をかいた。「王女殿下」などと呼ばれると、どこの誰かという気がする。やはり見間違いではなかったんですねと魔術師が複雑そうな表情で呟いた。
「……あれ?」
 王女が一緒だと聞いて来たのならば、見間違いではなかったなどとこの魔術師が言うはずはない。
「私のこと、見たことあるの?」
「ええ、その、調査をさせていただきましたので」
 私が直接、こちらに伺ったわけではなく、精霊を介して行ったんですけれどと言い訳めいた言葉を連ねる。
 リーシャルは何か誤魔化したいことがあるに違いないと直感した。
「何のための調査だったの?」
 あーとか、うーとか意味のない声を発して魔術師はすがるように隊長を見た。
 言いにくいことをすっぱり言うことにかけて、隊長の右に出る者はいない。
「馬鹿はいやだと皇女がおっしゃったんだ」
 じーっとリーシャルは隊長を見つめた。
 しごく簡潔な理由を述べた女騎士は、しばしの沈黙の後、筋道立てて説明する必要性に気づいたようだ。
「まず、結婚相手と性格が合わぬ場合、無理に顔をつきあわせて子供を産む必要がないように子持ちやもめに皇女の縁談対象を絞ったというのは知っているな?」
 理由までは聞いちゃいなかったが、こぶつきをわざわざ選んだことは知っているので、リーシャルはとりあえず頷いた。
「その場合、肝心の子供が新たに世継ぎを立てねばならぬほど無能では、いても意味がない。再教育するにも下地というのは重要だからな。よって、義理の子供はなるべく賢い方がよいというわけで調査されたのだ」
 それに合格したのだから、よかったなと隊長はぽんぽんと軽くリーシャルの頭をたたいた。
「……よくないぃ〜っ!」
 いっそ、馬鹿だと見なされた方がよかった。
「私は王位なんか継ぎたくないんだからっ!皇女様には弟や妹を産んでもらわなきゃ困るのっ」
 そうかと隊長は頷いた。
「気に病むことはない。二人がうまくいくよう画策すれば、よいことだ」
「うん、うん、愛がなくても子供はできるんだし」
 問題ないよとファーが言えば、
「そうだ。おまけに世の中には催淫効果があるとされる品物が多く出回っている」
 真面目な顔でナジュが相づちを打つ。
 あんた達は、と絶句してシオナがこめかみを押さえ、魔術師は引きつった顔で自分で隊長に話を振ったことを後悔していた。
「そっかぁ、そうだよね、現に愛が無くても私が生まれているわけだし。ところで、さいなんとかって何?」
 また知らぬ単語があったと思ってリーシャルが問えば、隊長が答える前に、シオナと魔術師が口を揃えて「知らなくてよいことです!」と言い切った。
 だが、しかし、その単語は自分の計画を実行するにあたっては重要な意味を持つに違いないと判断したリーシャルは後でこっそり隊長に聞こうと心に留め置くことにした。父親には計画がばれては困るので、多分、聞かない方が良いだろう。
「ひとまずは、料理屋に戻るか」
「王女殿下は城に戻られた方がよいのでは?」
 魔術師が心配そうに尋ねる。
「大丈夫、門番に今日は遅くなるって言っておいたから」
 それに、今から戻っても夕食はない。いずれにせよ食べて帰らねば、厨房に忍び込む羽目になる。城の料理長はつまみ食いには厳しい。危険を冒すべきではない。
 魔術師は何やら青海国の王族の在り方に疑問を抱いたようだったが、何も言わなかった。こういう国だって、早くわかってもらわなくちゃねとリーシャルは心のなかで呟いた。
 他国の人間に王族のくせにどうのこうのといちゃもんつけられたら、島国なので独自の文化が発達してるのだとでも言えと父親には言われている。
 なんだか今日はよく運動したからお腹がすいたなぁ。
 何を注文しよかなと考えながら、リーシャルは女騎士達と料理屋へ引き返した。
 
 ルシアド帝国第五皇女、エシュール・ミルファ・ネイ・ルシアドールは思ったより普通に見えるというのが、リーシャルの感想だった。
 ゆるく結い上げられた柔らかそうな黒髪に縁取られた顔は人目を引くものではない。穏やかな印象を与える地味な造りである。小柄でリーシャルとさほど変わらぬ程の背丈だ。目が合うとやわらかく微笑んだ。
「会えて嬉しいわ、リーシャル王女」
「こちらこそ」
 この上品そうな女性が皇帝を罠にはめたり、罵倒したりしたのかと思うと実に不思議だ。だが、人は見かけによらないという教訓をリーシャルは実の父から得ている。
「大筋は彼らから聞きました。まずは、私の不肖の弟がとんだ迷惑をかけたことをお詫びいたします」
「いえ」
 きまりが悪くてリーシャルは目を伏せた。
 弟か妹を産んでくれたら文句はないですと心のなかで呟く。
 駄目だろうか。この女性は父親の嫌いなタイプではないはずだ。しかし、問題は父親が皇女の好みかどうかだ。
「幾つになっても考えなしのお馬鹿さんなので、早いところしっかり者の嫁をもらわせようと思っているんですのよ」
 何やら含むところがありそうだとリーシャルは顔を上げた。
「あら、勘がよろしいこと」
 楽しげに皇女はころころと笑った。
「今回の始末の付け方ですわ。王女も異論があればおっしゃってくださいな」
 まずはと皇女は状況説明を開始した。
 一、首謀者は皇子、公女、騎士(金髪の方で、良家の次男らしい)。
 一、計画を立てたのは公女と騎士(弟皇子にはそんな頭はないということだ)。
 一、弟皇子の動機は単に姉が嫁ぐのが厭だからというもの。
 一、公女と騎士の動機は彼らの実力を認め、活用できる人間がいなくなっては困るというもの。
 なんとなく、皇女様の始末の付け方とやらが分かったような気がする。
 要点は皇子以外の二人にとって「皇女」は取り替えの効く存在であることだ。
 権力者であれば誰でもいいというわけではないが、彼らに理解を示してくれる人間ならば彼らは主と仰ぐだろう。例え、能力的には皇女に劣ったとしても。
「彼らの失敗の原因は、私の帰りが予想以上に早かったことと、ライアル殿下が予想以上に図太かったことにありますわね。何にせよ、急いでいたとはいえ、身代わりを立てることを彼らに任せたのは私の不手際でしたわ」
 口惜しそうな様子の皇女に向かって、ミルファ様は身内を信じすぎるからなと料理長が苦笑している。
「皇女様は何をなさっていらっしゃったんですか?」
 急ぎの用とは何だったのだろうとリーシャルは好奇心に駆られて尋ねた。
「私の商業権を脅かす問題が発生しましたの。これから大陸間交易を発展させるためには、どうしても見過ごすことができなかったんですわ」
 何故、皇女が商業権を持つのか、リーシャルはすでに疑問に思わなくなっていた。
「大陸間交易?」
「ええ。もう政争にはうんざりいたしましたの。これからは商業に身を入れようかと思いまして。そして、どうせやるならば規模の大きな商売を手がけたいのですわ」
 熱のこもった口調で皇女は語った。
 ひょっとしなくても、皇女様には青海国は立地的にもとても恵まれた国なのかもしれない。
「……使えるかも」
 ぼそりとリーシャルは呟いた。
「え?」
「今回の件を処理するにあたって、父上のことだから、嫌味の一つや二つ言うついでに何か見返りを要求すると思うんですけど、そういう理由があったのなら、うまく取引できると思って」
 西大陸とのつながりは、今の所、十分だ。祖父の姉妹のほとんどは西大陸に嫁いでいるし、細々とではあるが交易経路も完全には断たれてはいない。南大陸の産物が手に入ると知れれば、幾らでも船はやって来るだろう。南大陸に商業拠点を持ち、恒常的に商品を供給することができれば、儲けは一手に握ることができる。こんなうまい儲け話を父親が見逃すはずがない。皇女が破談すると言い出しても、決して聞き入れないだろう。
 皇女にとっても、大陸間交易の中継地である青海国は魅力的であるに違いない。父親の性格の悪さも帳消しできるだろう、多分。
「ライアル殿下は相当な切れ者のようですし、相互不干渉の姿勢を保つよりは協力した方が得策というものでしょうな」
 料理長が口を挟んだ。きっと、多分、この人は本当のところ皇女の参謀か何かなのだろう。医師もそうだ。その証拠と言ってはなんだが、女騎士達も船長も会話に耳を傾けてはいるものの、一切、口を挟んでこない。
「何より、あの頭の固い因業じじいに一泡吹かせるには手段を選んでいる場合ではないですわね」
 真面目な顔でさらりと言った皇女をリーシャルはまじまじと見た。
 因業じじいって……。
「破談に持ち込もうと何やら画策しているようですし、ここはさっさと結婚して、色ぼけ皇帝が提示する以上の見返りを青海国にもたらさなくてはなりませんわね」
 やっぱり、皇帝のことだったんだ。
 そして、皇女が皇帝と罵り合いをしたというのも事実に違いない。
「えっと、どうして皇帝陛下は破談にしようとしているんですか?」
 嫁に行けと言ったのは皇帝だったはずだ。
「この私を出戻り女呼ばわりするためですわ」
 今までも、さんざん、行かず後家だの、とうが立ちすぎだの、言ってくださいましたのよと穏やかな笑顔で言う皇女は今まで見たどの人間よりも怖いとリーシャルは感じた。
「耄碌じじいが邪魔をするというのであれば、何が何でも私はこの国の花嫁になって見せますわ!」
 どうやら皇女様は邪魔されればされるほど燃え上がるタイプのようだ。リーシャルは見たことのない未来の義理の祖父に感謝した。
「リーシャル王女、ライアル殿下と交渉を始めたいのですけれど、仲介していただけるかしら?」
 皇女に微笑みかけられ、否もなくリーシャルはこっくり頷いた。


 ゆさゆさと体を揺すられて、リーシャルは目を覚ました。
「交渉成立だ」
 目の前に立った父に告げられ、リーシャルはゆっくり瞬きした。
 ああ、そうか。
 皇女様を父親のところに案内した後、心配で「交渉」の行方を見守っていたのだが、いつのまにか眠っていたらしい。
「皇女様達は?」
 秘密の抜け道を使ってリーシャルが城に案内したのは皇女と料理長と魔術師の三人だが、彼らの姿は見えなかった。誰も相手にしてくれないのでリーシャルの髪の毛繕いをしていた猫猿も姿を消している。
「さっき、船に戻った。魔術師というのは便利だな」
「あの公女達の始末は結局どうするって?」
「予定通り、皇子と公女を結婚させて、あの騎士ともども帝国に送り返す」
 明日にでも皇女が話をつける予定だとライアルは意地の悪い笑みを浮かべて言った。
「帰るまでに、少し、いたぶってやらなければな。人のことを女房に逃げられたこぶつきやもめだのなんだのと言った礼はしてやる」
 実は気にしていたらしい。今まで、散々、自分も父親にそう言っていたのだが、悪いことをしてしまった。傷つくほど繊細な神経はしていないことは間違いないが、多少は気に障っていたことだろう。
「黒髪の方、えっと、リジュ・クランだったっけ?あの騎士は?」
「あれは皇子達に騙されていただけだからな。あっさり騙されるのもどうかと思うが、皇女への忠義は厚いってことで城に置いてやることにした。どっちにしろ、交易が増えればいざこざも増えるし、守備隊強化のための指南役が必要だからな」
 確かに腕は立ちそうだったし、礼儀もわきまえているから、指南役にはうってつけかもしれない。
「ついでだが、侍女は送り返すことになった。働き先も嫁ぎ先もいくらでもあるらしいから、身の振り方で困ることはないらしい」
「えっ!?でも、あの三人は……」
「三人?……ああ、例の女騎士達か。とりあえず、船に乗せておけばいいだろうということになった。いずれは海賊船の取り締まりの必要も出てくるだろうからな」
 船長は船長のまま、隊長は隊長のまま船に残るという。医師は本人の希望により港で開業する予定、料理長は皇女の代理人として商売を始めるらしい。
「ふーん。皇女様とはうまくやっていけそう?」
 上目遣いにリーシャルは父親を見上げた。
 自分の方は、うまくやっていく自信がある。皇女様は面白い人だ。
「やり手だからな。相手にとって不足はない」
 満足そうな様子の父親にリーシャルは眉根を寄せた。
 何かが違う気がする。
 ここで交わされたのは縁談であって商談ではなかったはず。
 いや、でも、結婚も契約みたいなもんだし、実際の所、あまり違いはないのかもしれない。
 そう納得してしまうあたり、リーシャルは間違いなくライアルの娘だった。実はリーシャルはライアルの血を引かない、母親が不義を働いて生まれた子ではないかという噂もあるのだが、青海国ではそれを信じる者は一人もいなかった。
 うーんとリーシャルは腕組みした。
 二人の取引の間に、跡継ぎをもうけるという条項は間違いなく存在していなかっただろう。
 同じように自分も「取引」を持ちかけることは不可能ではない。
 ただ問題はこの二人相手に、弟妹をよこせと要求をしても、それに対する見返りとなるものを自分は持っていないことにある。
 やっぱり、隊長に相談するのが一番かなぁ。
 父親一人にも太刀打ちできない自分が、二人一緒に相手にできるはずがない。
「もう遅い」
 その言葉にリーシャルはぎょっとした。
 父親に心を読まれたのかと、一瞬、本気であせった。
 二人が手を組んだ以上、立ち向かうことはできないと言われたかと思ったのだ。
「早く眠れ」
 なんだ、そのことかとリーシャルは胸をなで下ろして長椅子から立ち上がった。
「おやすみなさい、父上」
「おやすみ、よい夢を」
 父上達に、「よい夢」を見せてもらいたいんだけどなぁと思いながらリーシャルは自分の部屋に向かった。
 今は義母上ができただけでもよしとしよう。
 リーシャルの足取りは軽かった。
 誰にも言ったことはないが、リーシャルは弟妹だけでなく「母親」も欲しかったのだ。
 時間はあるし、取引材料をなんとか作り出せばいいんだよね。最終手段として、隊長達の助けを借りればいいわけだし。
 寝床に潜り込んだリーシャルはすぐさま心地よい眠りに落ちた。

 それから半月あまり後、青海国の世継ぎは即位と同時に花嫁を迎えた。一説によると、即位式と結婚式を同時に開催することで経費を省いたようだ。ちなみに、皇女が猿の姿に変えられた呪いは「真の愛」とやらが通じて、解けたということになっている。だが、誰もそのことに触れたくないらしく、その噂が人の口に上ることはなかった。「動物に対して『真の愛』を抱く人間が国王ってのは厭だからじゃない?」とは、女騎士達にそれに関して疑問をぶつけられた王女の返答だ。
 ライアル王の治世下、大陸間交易がゆっくりとであったが確実に復活し、青海国は中継地として確固たる地位を築いた。その発展に王妃と王女が力を尽くしたことは広く知られている。しかしながら、王女の願いが、海神に届いたかどうかは海の波だけが知るところだ。


おわり

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