青海国の魔術師/外伝

竜魚の宝−(2)−

 竜魚の卵、もとい青海国の王妃は間もなく十七歳になる少女だ。小柄な体と童顔のせいで、実年齢よりも幼く見えるため、最初に引き合わされた時、イセーは成人前の娘に手を出したのかとユーナルを締め上げかけたほどだ。
 知らせを受けて、出迎えに姿を現した王妃はイセーの姿を目にするなり駆け出した。
「おかえりなさい、イセー」
「ただいま、サーリェ」
 イセーは笑いながら飛び付いて来たきゃしゃな少女の体を軽く抱き締めた。身長差がかなりあるので、少女はイセーの首にぶらさがる形になる。しかし、イセーは重いとは感じなかった。もし、力いっぱい、この少女を抱き締めたりしたら、絶対に骨が折れるに違いないとイセーは信じている。そう言うと、そんなことないと少女は否定するが、確かめてみる気にはならない。
「はい、お土産」
 少女の細い手首にイセーは隠し持っていた腕輪をするりとはめた。
 腕をかざし、紺碧の宝石に彩られた繊細な金鎖を編んだ腕輪をじっくり眺めたサーリェはにこりと笑った。
「きれいね。ありがとう、イセー」
「どういたしまして」
 面白くなさそうな王の姿を目の端にとらえ、イセーはほくそ笑んだ。
「他にもいろいろあったんだけど、あんまり贈り物をするとユーナルが妬くからね」
「そんなに一杯いらないわ。イセーが無事に帰って来てくれることが何よりのお土産だもの」
 深い藍色の瞳に真剣な光をたたえ、少女は言う。イセーがいつ命を落とすか分からない生活を送っていることを、よく知っているからだ。
「かわいいこと言ってくれるじゃないか。あたしが男だったら、ユーナルから奪い取ってやるところだ」
「もし、男だったとしても、そんなこと言って、ユーナルをからかうだけでしょ」
 王妃はなかなかよくイセーという人間を分かっている。
「違いない。それはそうと、サーリェ、大海賊フォーンのことは知っているかい?」
 少女の長い黒髪を指先で弄びながら、イセーは聞いてみた。南大陸出身ながら、世間とは隔絶された生活を送っていたサーリェは有名な海賊のことも知らないかもしれないとイセーは危惧していたのだが、杞憂に終わった。
「知っているわ。ユーナルが話してくれたもの。悪い人達ばかり狙って襲っていた海賊なんでしょう?そして、捕まることなく、二十年くらい前に引退。主立った部下達はフォーンの引退とともに自分達も引退したけど、下っ端はフォーンの名の威を借りて海賊稼業を続けてあげくの果てに捕まったって」
 この王妃が一度聞いた話は忘れないというのは本当らしい。それなら、話は早い。
「そのフォーンが遺した宝ってのがあるらしいんだが、見てみたいかい?」
「もちろんよ」
 王妃は迷う事なく、その夫と同じ答えを返した。ただし、ユーナルの場合、そこに「サーリェが行くと言えばの話だ」と条件がついた。
「よかった。実はね、その宝ってのは、サーリェが一緒じゃないと、行けない場所にあるんだ」
「どこなの?」
「翠鈴島。竜魚の洞窟がある、西大陸の島だ」
 藍色の瞳が輝いた。やや離れて二人のやりとりを見守っていた夫を振り返り、王妃は言った。
「一緒に行ってくれるのでしょう?」
 政務から常に逃げたがっている王が、ましてや、彼女にべたぼれの男が否と言うはずがなかった。


 青海国の港を出て数日が過ぎた。うまく潮流と風をとらえた船は順調に西大陸に向かって航行を続けている。この調子ならば後十日程度で西大陸の玄関口とされる港に着くだろう。
 東の水平線にイセーは目を凝らしたが、まだ何も見えなかった。見張りの報告によると、商船らしいが、妙に船足の速い船が接近しつつあるとのことだった。商船でも、イセーの船のように積載量より速度を重視した船も存在するので、一概にあやしいと決め付けられるものではない。イセーは自分と同じように何やら期待した顔で横に立つ王に声をかけた。
「振り切ろうと思えば、振り切れるけど、どうする?」
「一応、用件を聞いてやるのが筋ってもんだろう」
 分かり切った答えに満足しながらイセーは頷いた。
「そうだよねぇ。うん、何か困っているのかもしれないし」
「コーレンの奴を置いて来て正解だったな」
 剣の柄を片手でさすりながら、少々物騒な笑みをユーナルは浮かべている。
 お目付け役の青年がこの場にいたら、無駄な労力を使うなと頭ごなしに反対したことだろう。
「そう言えば、あんた、あいつをどう説得したんだい?」
 コーレンは青海国に残って国王代理を務めることになっている。ちょっと西大陸まで夫婦揃って出掛けてくると言った王に向かって「何ふざけたことぬかしやがるんですか」と恐ろしく真面目な顔で言ったものだ。その後、何をどう説得したのか、彼は快く国王夫妻を送り出したのである。
 にやりと王は笑った。
「取引だ」
「取引?あんたが、あいつと取引できるものを持ってたのかい?」
「女。俺の持物じゃないけどな」
「女ぁ?そりゃあ、あの男の女好きは知っているけどね」
 有能だが、女にだらしがなくて、さんざん浮名を流してきた男である。幼い頃から、コーレンのことは知っているが、彼が本気で女に入れあげたのをイセーは見たことがなかった。
「また悪い癖が出たのかい?」
 イセーは呆れ声を上げた。
 コーレンは女につれない態度を取られると、本気でないくせに口説き落としてみたくなるという男だ。あまりにひどいのでイセーがぶん殴って以来、少しは身を慎むようになったいた。
 ユーナルはいいやと首を横に振った。
「今度は本気らしい。あいつも俺に付き合って、いつも忙しいからな。腰を据えて口説く時間が欲しかったってわけだ」
「はあん。あの仕事の片手間に女口説いてた男がねぇ」
「片手間じゃ口説けない女だからな。すぐに逃げてしまうし、相当、苦戦しているらしいぞ」
 銀髪の青年王はひどく嬉しそうだ。
「相手はあたしも知っている女かい?」
「ああ。オルゥーだ」
「は?……あいつの好みって、明るくて鼻っ柱のちょっと強い女じゃなかったかい?」
 オルゥーというのは、王妃に付き従って故郷を離れ、青海国にやって来た双子の兄妹の片割れだ。影のようにひっそりとした、人見知りする娘で、イセーはまともに会話したこともない。口達者で陽気なコーレンとは対極にあるような娘だ。
「それを言うなら、俺の好みは、情の深い色気たっぷりの女だったろう。だが、実際に嫁にした女はどうだ?」
 青海国の王妃は情の深さはともかく、色気があるとはとても言えない。
 そんなもんだとユーナルは笑う。
「お前だって、お前のもろ好みだっていう男とつき合ったが結局、別れただろうが」
「そりゃそうだけどさ。そんなもんかねぇ」
 イセーが首をひねっていると、ひょいと王妃が顔を出した。
「何のお話?」
「サーリェに聞かれちゃ困る話」
 からかってイセーがそう言うと、王妃は小さく首を傾げた。邪魔にならぬよう、一つに編まれた髪が揺れる。
「ユーナルの昔の女の話?」
 イセーは目を丸くした。
「あんた、どこでそんな言葉覚えたんだい?」
「ユーナルが私に聞かれたくないのは、昔の女の話にまず間違いないって、コーレンが言ってたの。でも、間違いよ。ユーナルは聞けば教えてくれるもの」
 イセーはにこにこしている王妃とにやにやしている王を交互に見た。
 昔の女と言ったところで、ユーナルにはコーレンほど派手な女遍歴はないが、そこそこに遊んでいたことは確かだ。
「あんたらって……変な夫婦だよ」
 あたしには分からないよとイセーは首を振った。
 そこにごく丁重に声をかけられ、イセーは振り返った。
「少しよろしいでしょうか、イセーさん」
 この船の乗員には決して真似できない礼儀正しさを女船長に示したのはセノルだった。商人相手に培われただろう、もの柔らな態度は荒っぽい船乗りにはひ弱な若造と侮られがちだ。
「なんだい?」
「まずは、謝らせて下さい。私は、実は雇い主がフォーンであったことを最初から知ってました」
 イセーは軽く眉を上げた。
「別に謝ることはないだろ?誰だって、元海賊と知ってて雇われてましたなんて言いづらいだろうし」
 それに薄々は感じていたことだ。話の節々から、この青年がフォーンの「昔話」を耳にしていたことはイセーにも分かっていた。
「それだけではありません。私がフォーンの会計士だったことは確かなのですが、彼が亡くなる際に、相続人に指名されました」
 わずかにイセーは眉をひそめた。
「まさか、あんた、海賊の頭とかいうんじゃないだろうね?」
「いいえ。ただ、その相続したものの中には、数隻の商船も含まれておりまして。それら商船の船長には、フォーンの元部下が含まれているんです。勿論、今では海賊稼業から足を洗っておりますが、雇い主である私がさらわれたのを黙って見過ごすことはしないと思うのです」
 イセーは東の海上に目を向けた。今度は豆粒ほどの船影が見えた。
「もしかして、あれが?」
「はい。そうかもしれない、と」
 イセーはユーナルと顔を見合わせ、肩を落とした。
「せっかく退屈しのぎが出来ると思ってたのにな」
「仕方ないねぇ」
「申し訳ありません」
 本当に分かっているのかいないのか、黒髪の青年は神妙な顔で謝った。


 こりゃあ、見事だねぇ。
 速度をゆるめ、接近してくる船を眺めながら、イセーは少々、場違いな感想を抱いていた。
 イセーが感嘆したのは、相手の操船技術にでも船の構造にでもない。
 甲板に立って、険しい表情をこちらに向けている男の、つるっつるにはげ上がった頭に感嘆したのだ。
 強面で、まだそれほど年はいってない様子だが、見事に一本も髪の毛がない。そりあげているのだろか。
 うちの副長とどっちがより光るだろう。
「立派な頭だな」
 何もはげ頭に気を取られたのはイセーだけではなかったらしい。緊張感もへったくれもない様子で青海国の王はあっちとこっち、二つのはげ頭を見比べている。
 先方のはげ頭が、こちらの甲板をぐるりと見渡し、一点に目をとめた。
「若っ!ご無事でしたかっ」
 飛び移らんばかりの勢いで手すりから身を乗り出し、はげ頭が叫ぶ。
「その若っていうのは、やめてもらいたいと何度も頼んだはずだけど」
 というセノルの抗議は耳に入ってない様子だ。
「若がルドにさらわれた後、あいつの船が王家の商船団に沈められたと聞いた時にはもう駄目かと」
 感きわまった様子ではげ頭は声を詰まらせた。
 随分、慕われているようだが、野郎に慕われてもうっとうしいだけである。
 イセーはばりばりと頭をかいた。向こうの甲板でも、またかとばかりに呆れ顔がいくつも見えた。速度と距離を一定に保って船を横に並べたところを見ると、腕利きの水夫ぞろいなのだろう。多分、はげ頭も優秀な船長に違いない。
 セノルがどうなだめたものか、気がつけば、はげ頭は落ち着きを取り戻していた。
「ここに、いるということは、南部への船はどうしたんだ?リドからの荷はどうなった?ヒロイの豆は値が下がる前にさばいたかい?」
 まるで別人のように矢継ぎ早にセノルが質問を繰り出している。さすがは商人というところだろうか。
「あー、思い出した」
 首の後ろを片手でもみながら、ユーナルが言った。その目はセノルに向けられている。
「どこかで聞いた名前だと思っていたんだよな、クイーダのセノル。トルン商会の元締めじゃないか」
「トルン商会の?」
 南大陸で繁盛している商会のひとつだ。今は西大陸を中心に活動しているイセーの耳にもその名は届いていた。
「ああ。最近、代替わりしたんだが、えらくやり手だって、南に派遣してる連中が頭抱えてた」
「参ったね。気付きもしなかったよ」
「無理もない。西にまでは、2代目の噂は届いていないだろう。確か先代が死んだのは三カ月くらい前の話だ」
 そうと知っていれば、礼金をふんだくるなり、身代金を要求するなりできたのにとつぶやくイセーにユーナルは笑った。
「お前にそんなことできるわけないだろう」
「なんだい、馬鹿にして」
「馬鹿にしてはいないだろうが」
 言い合いを始めかけた二人の前を、警戒態勢が解かれたので船室から上がって来たサーリェが横切った。ほてほてと歩いて甲板の端まで来ると、セノルと話しているはげ頭をじっと見た。それから、マストの近くで待機している副長に視線を移す。
「副長の勝ち」
 にこりと笑って王妃はのたまった。
 そして、何事もなかったかのように、副長の方へ歩いて行く。
「……今のは何だい?」
「何ってそりゃあ……」
 勝敗の決め手は何だったのだろう。
 二つの頭を見比べながら、女船長と王は言い合いを忘れて、そろって首をひねった。


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