青海国の魔術師

銀鱗の守人(前編)

 南大陸に行商にいってきます。
 そう言い残して青海国の王女リーシャルは魔術師とともに南大陸に向けて旅立った。
 しかし、王女として彼女に与えられた使命は、行商ではなく外交だ。交易ルートを確立すべく布石を打つことが最大の目的である。だが、リーシャルはついでに自分が扱う商品を売り込もうと勢い込んでいるのだ。
 大丈夫かしらと義理の母である王妃は呟いた。
「みっちり護身術は仕込んだから、リウ・ソイレスがとんでくるまでの時間稼ぎはできるだろう」
 王妃の息子と自分の娘を遊ばせていた女騎士がそう応じる。
「そうではなくて、止める人間が近くにいないから騒ぎが大きくならないかと思ったのよ」
「ふむ。騒ぎが大きくなってもシャル王女が被害に遭うことはまずないから、いいんじゃないか」
 物憂げな王妃に向かって、その友人はいとも明快な答えを返した。少しの間、考えてから王妃は頷いた。
「それもそうね」
 他国に被害が及んだところでどうということはないし、義理とはいえルシアド皇帝の孫娘に喧嘩をふっかけようという人間も滅多にいないだろう。
 ぐんぐん成長する自分の息子と友人の娘のために、王妃は再びせっせと子供用の服を縫い始めた。


 故郷の海とはまた違う鮮やかな碧。
 この海の色を布に映すことができたならば、どれだけ売れることだろう。
 朝日に照らされる南の海を岩に腰掛けて眺めながら青海国の王女はひどく現実的なことを考えていた。
 この南部に豊富な染料でならどうにかなるかもしれない。問題は生地だ。これだけ濁りのない色を出すためには、糸自体がかなり白くなければ無理だ。漂白過程においてもう一工夫が必要になるだろう。
 青海国は島国であり、産出するものは限られてくる。よってリーシャルは加工という分野に注目して産業の発展を目指しているところだった。
 今も南大陸で売り込んでいるのは西大陸の細工物であり、売れ行きが良ければ職人の引き抜きをしようとひそかに企んでいた。金属細工の技術に関しては南大陸よりも西大陸の方が発達しているのだ。
 不意に石のかけらが音を立てて落ちてきて、リーシャルの思索は途切れた。
 見上げると、この辺りに住んでいる子供なのか、黒髪の男の子がすぐ上の岩に立っていた。
 男の子はひゅっと息を飲んだ。何か言ったようだが、リーシャルには聞き取れなかった。この南部周辺で使われる言葉は多様で、同じ南大陸に住んでいる人間でも個別に学ばない限りは通じないのだ。
「なんて言ったの?」
 リーシャルは商人達の使う南大陸共通語を使って尋ねてみた。返事がかえってくるとは余り期待していなかったが、やはり何も言わずに子供は慌てた様子で走り去った。
 この辺りに南大陸以外から人が来ることは少ない。そのため淡い髪の色はかなり珍しいらしく、銀髪をもつリーシャルは何度も指をさされて驚かれた。何故、若いのに白髪なのかとか、呪われているのかとか、いろいろと聞かれたものである。その通り、青海国は呪われているのだと、でっちあげたくなったが、今後を考えてその衝動を我慢したものだった。
 今の子供も自分の容姿に驚いたのだろうとリーシャルは結論付けた。
「……髪を染める染料も売れるかもなぁ」
 すぐにリーシャルの思考は商売へと向けられた。なにせ「王位」から逃げるためには金がいる。最低限これだけは必要と父親によって提示された金額を稼ぎ出すにはまだまだ儲けなくてはならない。弟が生まれた今となっては、大手を振って逃げ出せるというものだ。弟が王位の重さを理解する年齢に達する頃には「逃げ出して」いなくてはならない。
「よし、まだまだ頑張るぞー!」
 南国の海に向かい気勢をあげる自分を遠くから見つめる二対の目にリーシャルが気づくことはなかった。


 十五才という、縁談がちらほら舞い込んでくるお年頃の王女は色気よりも食い気だった。この南大陸においてでも風変わりと思えるだろう食材にも慣れぬ香辛料にも臆することなく、並べられた料理を次々とたいらげていく。現在、王女は著しく成長しているが、成長にのみ、これだけの栄養全てが消費されているわけではないだろう。王女の行動力は人一倍だった。
 南大陸育ちのくせに暑さに弱い魔術師が、どこかげんなりした顔で自分を見ていることにリーシャルは気づいて口と手を止めた。それから魔術師の前に置かれた料理が半分も減っていないことに気づく。
「リウって少食だよね」
「シャル王女に比べれば、大半の人間が少食かと」
 魔術師は奇怪な顔をした魚を気乗りしない様子でつついている。
「えー? 父上も義母上もよく食べるよ」
 そう、青海国の国王一家はよく食べた。そして、その分、おそろしく精力的に活動するのだ。
「あの方達は頭脳でほとんどの栄養が消費されているんでしょうねぇ」
 溜息まじりにリウは呟いた。国王夫妻は毎日政務を精力的にこなしている。
「多分ね。魔術師は魔術に栄養を消費しないの?」
「魔術を使用すること自体は栄養分を必要としませんね」
 だからあまり食べなくても平気なのかとリーシャルは納得した。義母の飼い猿とともに果物を口にするのはよく見かけるが、リウ・ソイレスは少食だった。その食事仲間といえる白い猫猿は今、魔術師の肩の上で果物をかじっていた。
「姫君はさあ、自分のこと、猿だと分かってるのかな?」
 猫猿は「姫君」という自分の名が呼ばれたことに反応して、尖った大きな耳を動かした。それから長い尻尾を伸ばして、リーシャルの皿に載っている果物を突ついた。よこせ、ということなのだろう。
「それは認識していると思いますよ、知能は高い方ですから」
「ふうん。義母上のお望み通り、いいお婿さんが見つかればいいけど」
 赤紫の果物を猫猿に渡しながらリーシャルは言った。
 魔術師にこのたび与えられた使命は、この猫猿の花婿をみつけることであった。南大陸で最も強大な国とされるルシアド帝国の皇女に献上されただけあって、この猿は極めて珍しい種類で、この南大陸南端の密林にしか生息していないという。それで北西部での外交ついでに、この南部まで足を伸ばしたのだ。
「シャル王女も探してみてはいかがです?」
「私に見つけられるのかな。猫猿捕まえるのって大変なんでしょ」
 高くで売れるなら、挑戦してもいいかもとちらりと考えながらリーシャルが応じると、魔術師は溜息をついた。
「猫猿ではなくて、人間、シャル王女の花婿です」
 南大陸は一夫多妻制の国が多いので王子もいっぱいいますよと魔術師は示唆した。
「手っ取り早く金づるを捕まえろってこと? それよりか自分で稼ぐほうが早いと思うからこうして頑張ってるんだけど」
 そもそも金持ちの王族というのは目も肥えているものだ。際立った美貌も才能も持たない貧乏国の王女なぞ歯牙にもかけないだろう。
「……そうですね、結婚相手を金づるというような方には無理な話でしたね」
 再び魔術師は溜息をついた。
 なんだかちょっと馬鹿にされたような気がしないでもないが、リーシャルは気にせず食事を続行した。
「五日ほどで戻る予定ですが、くれぐれも無茶はなさらないように。危険だと思ったら、様子見などせずにすぐに呼んでくださいね」
 明朝より猫猿探しに出かける魔術師は真剣な顔で釘をさした。この南部に足を伸ばすにあたっては、身分を隠して青海国の商人の娘と名乗っているのだが、身元がばれていないとも限らない。義理とはいえ、ルシアド帝国皇帝の外孫をなんらかの形で利用しようという輩が存在しないという保証はないのだ。
「はーい」
 元気よくリーシャルは返事したのだが、魔術師はまだ疑わしそうな目を向けていたのだった。


 物語のなかで、さらわれた姫君というのは、軟禁されても手足を縛られたり、猿轡をかまされたりするものではない。少なくとも地面に転がされたという話は聞かない。
 現実は違うということなのか、それとも姫君の種類によるということなのか。
 青海国の王女は手足を縛られ、芋虫のように転がったまま悩んでいた。
 朝目覚めたら、土の上に転がされていたのだから、夜のうちにさらわれたことは間違いないだろうが、目的が分からなかった。
 青海国に身代金を要求しても無駄だし、この周辺では人身売買を禁じているので、簡単に売ることもできない。ましてやこの髪と目の色は目立つので、足がつきやすい。
 また身代金目的でさらうのであれば、もう少し、まともな場所に幽閉するはずだ。リーシャルがいるのは、潮の匂いと波の音が聞こえることからして海辺にある漁師小屋と考えて間違い無かった。使われなくなって長い時が過ぎているのか、ぼろぼろになった網が狭い小屋の隅には押し込んである。
 うぞり、と何かが足に触れ、リーシャルがいやいやながら目を向けると、大きな虫がふくらはぎをはっていた。
 毒虫ではなさそうだが、気持ちの良いものではない。
 早くどこかに行けと念じながら歯を食いしばっていると、草の一種で編まれた垂れ布が捲り上げられて男が入って来た。この周辺では褐色の肌が多いが、その男はやや色白に見えた。
 リーシャルの知らぬ言葉で男がなにかを言った。その男の後ろから、少年のものと思われる声が聞こえた。なにやら男と言い合いをしているらしいが、さっぱり分からない。
 こんなもの売れるか、とか言ってたりして。
 ぼんやりとそんなことを考えているうちに、少年とおぼしき声が二人分聞こえることに気づいた。兄弟なのか、よく似た声である。
 話がついたのか、男が近づいてきて荷物のように無造作にリーシャルを担ぎ上げた。
 放置されることはないらしいが、さて、どうしよう。
 大またで歩き出した男は皮のサンダルを履いていた。衣服は比較的上等のもので、少なくとも貧乏人とは思えない。
 奴隷商人だろうか。
 それならば、もうしばらく様子を見たほうがいい。
 魔術師に釘をさされたことなど、リーシャルはすっかり忘れ果てていた。


 波に揺られながら青海国の王女リーシャルは二対の目にじっと見つめられていた。だから、リーシャルもじっと見つめ返していた。
 視線の持ち主達は双子とおぼしき少年達だった。黒髪に薄い褐色の肌、そして黒と見まごうばかりの藍色の瞳。この南大陸では極めて特殊な色合いだ。
 小ぶりな帆かけ舟に乗り、岸を離れてから縛めは解かれ、自由に手足を動かせるようになったが、リーシャルはおとなしくしていた。この少年達はともかく、舟を操っている男には勝てそうにないからだ。
 少年達はリーシャルよりも二、三歳は年下なのだろう。肩を寄せ合い、うり二つの顔をリーシャルに向け、時々、小声で言葉を交わしている。
 その表情には期待と不安、そして罪悪感のようなものが見え隠れする。
 顔立ちは、多分、きれいな方なのだろう。
 多分、というのは、リーシャルの基準はおかしいとたびたび周囲の人間から言われるので、いまひとつ、自分の感覚に自信が持てないからだ。
 やがて少年達の方が先に視線を外した。落ち着きなく身動きを始め、ついに反対側へ移動してしまった。
 勝った。
 わけもなく勝利感に浸りながら、リーシャルは視線を今度は帆を操っている男へ移した。
 親戚だろうかと思う程度には少年達と面差しが似ている男の操船は巧みだったが、漁師や船乗りではないとリーシャルは見ていた。船乗りだったにしても、かなり武術を得意とする人間だ。義母の親友である女騎士ほどではないにしろ、腕が立ちそうだった。
 眉間に縦じわが寄っているのは、なにかを憂えているためだろうか。
 まるで帳簿を前にした父のようだとリーシャルは考えた。
 幼い頃から見慣れた表情だが、それでも最近では随分と和らいできた。これも多大な持参金を持って来た義母のお陰である。少なくとも異母弟は、かつて自分がやったように、父親の膝の上にのって、その縦じわを指で左右に広げようとはしないだろう。あれを消すには帳簿の数字を変える必要があると気づくまでには、かなり時間を要したものだった。
 ふっと男がリーシャルを見た。
 すぐさま目はそらされた。なにか厭なものを目にしてしまったとばかりに。
 なんかむかつくんですけど。
 妙な闘志をかきたてられたリーシャルは、舟が島の浜に到着するまでの間、執拗に男を眺め続けたのだった。

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