青海国の魔術師

銀鱗の守人(中編)

 開け放たれた窓から、薄暗くなった空をコウモリかなにかが飛んでいるのが見えた。下を覗けば、いかつい体つきの男達がこちらに背を向けて一定間隔で並んでいる。見張りであることは間違いないが、リーシャル一人を見張っているというわけではなく、建物全体の警備をしているようだ。
 リーシャルは、舟が着いた島の浜からこの石造りの建物へまっすぐに連れて来られた。おそらくは神殿に類したものだろうと思われる建物の建築様式は南大陸で見慣れたものより、むしろ西大陸で見た古い時代のものに近かった。明らかに位が高いと思われる女達にリーシャルは引き合わされたが、リーシャルを見て驚いたあとに、ひそひそと小声で話し合っていた。
 やがて女達は結論を出したらしく青年と少年達に何か言い、三人は立ち去った。そのまま取り残されたリーシャルは今のところ丁重な扱いを受けている。水浴びもさせてもらったし、着替えも用意してくれた。食べ物も十分に食べさせてくれる。賓客扱いと言ってもいいだろう。ここに連れて来られるまでの道中とは大違いだ。
 しかしながら、相変わらず目的は不明だった。身の回りの世話をしてくれる女達は親切だったが、言葉は全く通じない。おかげで、おしゃべりもできず、暇で仕方ない。
 屋根にのぼって、周囲の様子でも見てみるかと思いつき、窓から身を乗り出して足がかりになるものを探していると、人が近づいて来る足音が聞こえた。
 慌ててリーシャルが体を引っ込めたのとほぼ同時に戸口に老人が姿を現した。この島の人間ではないが、明らかに南大陸の人間だと思われる老人だ。なにやら顔に刺青をほどこしている。
「なにか不自由はしていないかね?」
 流暢な南大陸共通語で老人は話しかけた。
「しゃべるのに不自由はしてるかな。とりあえず、ここはどこで、あなたは誰で、私は何のために連れて来られたのか、教えてもらえると嬉しいんだけど」
 どこまで教えてくれるかは分からないが、一番聞きたかったことをリーシャルは並べてみた。老人は面白がっている様子で灰色になった眉を動かした。
「ここは銀砂島と呼ばれている島だよ」
 その答えにリーシャルは顔をしかめた。
「……私の聞き間違いかもしれないんだけど、銀砂島って島に近づいた船は全て海底に引き込まれる呪われた島じゃないの?」
 船乗り達がそう噂するのを聞いたことがあった。幻の島だとか、化け物の棲む島だとか、いろいろと説はあったが、共通しているのは島に近づくことはできないという点だった。
「そう、その銀砂島だ。呪いの部分は正しくはないが」
「それじゃ、潮流の影響で船が近づけないとか、そういうの?」
「いや。お嬢さんは竜魚というのを知っているかな?」
「竜の魚……え、竜魚? 西大陸にいる、あの巨大な魚だよね。ひょっとして、ここにもいるの? それで船が近づけないの?」
 知っているのなら話が早いと老人は頷いた。
「その通り。この島では竜魚と人間が一緒に暮らしている。なんでも古からの取り決めで、竜魚は島の人間は襲わず、よそから来る者を拒むんだそうだ」
「驚いた……竜魚が南大陸にもいるなんて」
 西大陸の、一部の海域にのみ生息するものだとばかり思っていた。だが、もしそうだとすれば、船が近づけないというのも頷ける。竜魚に群れで体当たりされて沈まない船などまずないのだから。
「次にわたしが何者かというと、その昔、この島に流れ着いた商人のなれの果てというところだな。乗っていた船が難破して、船と一緒に全財産を失った。大陸に帰る気にもなれず、こうして島で暮らしている。時々、わたしのように流れつく人間もいるから、通訳としてそれなりに重宝されているよ」
「ふうん、商人だったんだ」
 それで商業語とも言える南部大陸共通語を喋れるというわけだ。少々ひっかかるものを感じたが、それを口にするほどリーシャルは正直ではない。
「それで、お嬢さんが何のためにここに連れて来られたかというと……実は、さっぱりわからない。ただ、お嬢さんの目と髪の色から考えて、今度の儀式に関係することだとは思うが」
「儀式って?」
「竜魚に関するものらしいが、わたしも詳しいことは知らない。巫女長が託宣によって決めたことだ」
「巫女長って実権をもっているの?」
 矢継ぎ早に発せられる質問に老人は苦笑めいた笑みを浮かべた。
「実際的に島を治めているのは島長だが、この島の巫女は失せもの探しや予知の力を持つから、巫女長の方が位は上だ」
「予知……なるほどね」
 リーシャルは頷いた。
「お嬢さん、名前は?」
「シャル。おじいさんは?」
「わたしは名無しだよ。キアハと呼ばれもするが」
 穏やかに老人は応じたが、その根底には名を明かすまいとする意志が感じられた。
「それってどういう意味?」
「よそ者、だ。この島の人間以外はそう呼ばれる」
「私も? それとは別の単語で呼ばれた気がするんだけど?」
「ふむ……ヴィ・エラではなかったか?」
 少し考えてから老人は言った。
「そんな感じだったかも」
「竜魚のことだよ。お嬢さんは竜魚と同じ色をしている。この島の竜魚は銀の鱗と青い目を持っているのだ」
「へぇ、西大陸の竜魚とは違うんだ」
 西大陸の竜魚の鱗は青銀だ。リーシャルは父の従弟の船に乗って、わざわざ近くまで見物に出かけたことがあるのだ。
 それにしても、竜魚に関する儀式とは何をするのだろう。
「わたしはお嬢さんに不自由のないよう、取り計らうために遣わされたわけだが、なにか必要なものはないかね?」
「島から出してくれってのはなしなんでしょ? それなら、この島について知ってる限りのことを教えて。私は情報に不自由してるんだから」
 老人は自分の言葉を後悔したかもしれないが、それでもリーシャルの要求に応じるべく、知っている限りのことをリーシャルに話して聞かせたのであった。


 耳慣れぬ音楽が聞こえてくる。何か鐘の音のようなものと、複数の人間による詠唱。
 老人の説明によると、託宣を得るために三日おきに繰り返される儀式の音楽だという。占われるのは専ら天候や島で起きた問題などについてである。
 占いなどに頼ってうまくいくのかと思うが、うまくいかなくても予知が外れたことにすればいいのだから、それはそれでいいのかもしれない。
 リーシャルをさらってきたのは、今儀式を執り行っているであろう巫女長の息子達だった。青年と双子は異父兄弟で、青年もまた双子の姉をもつそうだ。この島の巫女の家系では双子、三つ子が当たり前であるという。彼らは、というより青年は外部との交渉役のひとりで、大陸沿岸の村との取り引きに出かけたところだったそうだ。人攫いの主犯はそれにくっついてきた少年達の方で人を雇ってリーシャルをさらったらしい。竜魚と同じ目と鱗もとい髪の色だからというのが標的にされた理由らしいが、何を目的にしているのかは老人にも分からないそうだ。ただ竜魚に関する儀式をする予定であることは確かだという。
 竜魚がらみ、ねぇ。
 つる性の植物でつくられた寝椅子に転がりながらリーシャルはほおをかいた。
 なんでもこの一月ほど前から竜魚の様子がおかしいのだという。島民のもの以外、島に近づく船を沈め始めたのだという。以前は警告を与えて、そのまま船が離れたら何もしなかったというが、今は彼らの「領域」に入り込んだ船を警告なしに沈めるという。幸い、今のところ死人は出ていないものの、これから先もそうであるとは限らない。さらに、島の人間の操る船にも危険なまでに接近してくるのだという。小舟ならば、竜魚が泳ぐときに起きる「うねり」だけでも転覆しかねない。
 その竜魚達を鎮めるための儀式だそうだが、よそ者である老人には儀式の内容まではわからないらしい。
「……なにが目的なのかなぁ」
 天井に向かってリーシャルはぼそりと呟いた。
 いくら「色」が一緒だからって、まさか竜魚と話をつけろってことはないだろうし。
 そう考えてリーシャルは眉根を寄せた。
 ひょっとすると魔術師なら、竜魚とも話せるのだろうか。
 人の気配にリーシャルが戸口に目をやると、あの青年が滑り込んできた。周囲の様子をうかがっている様子だ。なにをしているのだろうとリーシャルが見ていると、青年が口を開いた。
「ついて来い。このままここにいると危ないぞ」
 リーシャルは眉を上げた。驚いた。随分と流暢に共通語を話すではないか。
「危ないって、どういうこと?」
 ゆっくりと起き上がりながら尋ねる。
「竜魚への供物にされる」
 しばし、その言葉の意味を考え、リーシャルはさすがに少しばかり慌てた。
「供物って生贄ってこと? ちょっと待ってよ、竜魚って人間なんか食べないでしょ? それともこの島の竜魚は食べるわけ?」
 少なくとも西大陸では竜魚が船を襲うのは飽くまで船の破壊が目的であり、海に落ちた人間などには巣に近づかない限り、見向きもしないとされている。
「食べない。だが、魂を捧げることになる。今、お前を供物にすれば、竜魚の『荒れ』がおさまるとの託宣が下された」
 ぽかんと開きそうになった口を慌てて一度閉じて唾を飲み込んでから改めてリーシャルは声を発した。
「冗談。そんなわけないでしょ」
「託宣が下りた以上、なにを言っても無駄だ」
 いいから早くしろと青年は苛立たしげに急かす。
「人攫いの言葉を信じろと言われても難しいんだけど?」
 リーシャルが言ってやると青年は顔をしかめた。
「そもそも生贄にするつもりでさらってきたんじゃないわけ?」
 青年は大きく息を吸って、吐いた。
「……弟達はそのつもりだったようだがな。竜魚が人間を欲しているという意思を感じ取ったのは、あれらの三つ子の妹だ。そして、巫女達の託宣にもとづいて生贄に選ばれたのが私の双子の姉だ。それで妹は自分を責めている。弟達はお前の姿を見て、お前のほうがより生贄にふさわしいのではないかと考えたらしい。人を雇ってお前を宿屋からさらわせた。あいつらは諦めが悪いから、お前をすぐに解放させたところで、また別の人間をさらおうとするだろう。だから、おまえには悪いが島まで来てもらった。生贄にふさわしくないとの判断が下されれば、すぐにも帰すはずだったが……」
 苦々しげな顔で一気に説明をした青年は一旦口を閉ざした。そうした表情をが、ますます父王を彷彿させる。若くして責任ある地位につくと皆こうした顔つきになるのだろうか。
 だが、それにしても双子に三つ子とは羨ましい。義母上もそのくらいぽこぽこ産んでくれたらいいのに。
 肝心な生贄うんぬんより、そちらの方がリーシャルには気になった。
「あれ? 弟達は双子って、通訳のおじいさんに聞いたんだけど?」
「妹は人前にめったに出ないからな。知らない者も多い。……まだ死にたくはないのなら、早くしろ」
 再び急かされてリーシャルは肩をすくめた。
「それはそうなんだけど、その善意を信じろと言われてもね。あなたにしてみれば、赤の他人の私を生贄にした方が姉さんは助かるし、妹は良心の呵責に苛まされずに済むわけでしょ? 加えて、いくら巫女長の息子とはいえ、私を逃がしたと知れたら罰せられるのは間違いない。なんでわざわざ助けたいのか、教えてもらいたいんだけど」
 ぐだぐだ口うるさい小娘だと思っているのだろう、青年はますます苦い表情になり、おそらくは怒鳴りたいのを堪えている。だが、納得しない限りはリーシャルが動かないと判断したらしく、すぐにまた口を開いた。
「……その髪と目。青海国の人間だろう? ルシアド帝国の皇女が青海国に嫁いだと聞いている。今、帝国とことをかまえるわけにはいかない」
「結構、情報通なんだ」
 本気でリーシャルは感心した。この閉鎖的な島で生まれ育っても、外部との接触を取るうちに情報収集の大切さに気づいたのだろうか。
「……それから、おまえの連れは魔術師だったらしいと今朝知らせが入った。魔術師を連れた青海国の娘となると、王女ということになるだろう」
 忌々しいことこの上ないとばかりに青年は言い捨てた。
「あれ? ……噂になってた?」
「商人達の間では大評判だ。さすが義理とは言え、皇女の娘だと」
「それってほめ言葉?」
「商人としては」
 世間知らずの王女とみてなめてかかった商人を、これ幸いと油断させて足元をすくうような真似をした覚えならある。義母も同じようなことをしたと聞いているから、似た者親子と言われてるのかもしれない。
 結構どころか、かなりの情報通だとリーシャルは認識を改めた。
「帝国とことをかまえるわけにはいかないって、属国化しようと帝国に狙われているから?」
「……どうして、それを」
「いや、あのじーさんなら、巫女の能力使ってぼろ儲けしようとか考えてもおかしくないなと思って。農産物なんかの出来にしろ、戦にしろ天候に左右されるでしょ。前もってわかるに越したことはないし、あのじーさんならそれを独り占めしたがりそうだもん」
 義理の孫娘の救出とくれば、大義名分となる上に青海国王妃である娘に恩を売りつけることもできる。皇帝とその娘は少々ゆがんだ親子関係にあるのだ。それからもう一つ、帝国の動きを裏づけるだろう推測もあったのだが、リーシャルはそれについては黙っていた。
「私としては、皇帝に侵略する好機を与えてやって、恩を売るってこともできるんだけど」
 青年の顔が強張った。証拠隠滅に海にでも放りこんでやりたいが、魔術師がついている以上、それもできないと内心の葛藤が目に見えるようだ。
「どうせ恩を売るなら、この島の人間に売りたいなあと思ったりするんだよね」
 恩着せがましいと言われようと、利益のないことをする気はない。
 精一杯かわいらしく笑ってみせたリーシャルに、青年は毒虫でも見るかのような目を向けていた。

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