青海国の魔術師

銀鱗の守人(後編)

 ひとつの名前が空間に吸い込まれて消えるや否や、ゆらりと空気が動いた。
 それまでなにもなかった空間に忽然と姿を現した青海国の王妃付き魔術師は疲れた顔をしていた。その顔を見ながら、青年と呼ばれる年齢帯に所属するはずだが、正確な年齢を聞いたことがないリーシャルは本当は結構な年寄りかもなどと失礼きわまりないことを考えた。
「ようやくお呼びですか、シャル王女」
 その口ぶりからすると、すでにリーシャルの行動をしばらく前から見守っていたらしい。南大陸に来るにあたって、他の魔術師から干渉を受けぬようにと「接点」と呼ばれる魔術的なしるしをリーシャルにつけていたので、探すのにさほど苦労はしなかっただろう。魔術師のやつれた原因が自分にあるとは思わずにリーシャルは軽口をたたいた。
「囚われの姫君の救出って気乗りしない仕事?」
「ひょっとしてご自分に救出しがいがあるつもりですか? こんなに生き生きとした囚われの姫君など他にいませんよ」
 生き生きつやつや、実にお元気そうだと感情のこもらぬ平坦な口調で魔術師は告げる。彼なりの嫌味であるが、嫌味を言われたところで反省するようなリーシャルではない。
 しおらしく涙にくれていればいいのだろうか。しかしながら、そういう姫君がさらわれるような事態に陥ることは難しいなどと思いながら、頼みごとを告げた。
「それじゃ、別の仕事をお願い。竜魚と話をしてほしいんだけど」
 竜魚ですか、とリウ・ソイレスは難しい顔つきになった。
「あれは他の生物と思念を交さなくなってから久しい生き物です。うまくいくかどうか、保証はできませんよ」
「この島には竜魚の声を感じ取る人間がいるって聞いたけど?」
「魔術師の能力とそうした人々との能力は異なるものです。ですが、やるだけはやってみましょう。それで何を話せばいいんですか?」
「どうして『人』を必要としているのか」
 いぶかしむ魔術師にリーシャルは説明をした。魔術師は、一応、見守ってはいたが、声まで聞いてはいなかったようだ。
「このところ竜魚が荒れているんだけど、その理由がわからないんだって。ただ『人』を必要としているらしいとはわかるみたい。そのせいで、私を生贄にしようということになってるの」
 リウ・ソイレスは眉を動かした。
「シャル王女を生贄に、ですか」
「……今、余計、竜魚を怒らせるんじゃないかとか思ったでしょ?」
 いえ、そんなことはと否定しつつ、リウは目を合わせようとしない。リーシャルはあえて追及せず、魔術師の本来の使命へと話題を振った。
「それで、花婿は見つかったの?」
「同じ種類の雄猿なら見つかりましたけれどね」
 ふっとリウは遠い目をした。
「理想の王子様が現れなければ生涯独り身でもいいらしいです」
「へぇ〜。姫の理想ってどんなのか分からないけど、えり好み激しいんだ」
 見つからなければそれまでと義母上も言っていたことだし、それはそれで構わないのだろう。どこかの誰かと似ているのではないですかという魔術師の呟きは無視した。
「それじゃ、よろしくね、リウ」
 リウの行動は素早かった。むやみに動かぬようにとリーシャルに釘をさすや否やすぐに姿を消した。ひょっとすると、また何か余計なことをリーシャルが思いつかぬうちにとでも思ったのかもしれない。
「……いつも、むやみに動いているつもりはないんだけどな」
 不満げな呟きが魔術師の去った空間にこぼれた。
 だからこそ、なおさらたちが悪いのだということにリーシャルは気づいていなかった。


 煙が薄ら白く立ち込め、香りが漂っている。なにやら眠くなるような、心地よいやわらかな香りだ。
 この香料、売れるかも。
 そんなことをリーシャルは祭壇の前に立ちながらぼんやりと考えていた。低い声での詠唱が続き、眠気を誘う。立ったままで眠れるかもしれない。
 数歩離れて前にいる巫女がくるりと振り向いた途端、詠唱が途絶えた。影になってリーシャルからその顔は見えないのだが、暗い闇色の目に見据えられているように感じた。
 しんとした空間に炎のなかで薪がはぜる音だけが響く。
 巫女が口を動かし、なにかを告げた。
 祭壇の周囲を囲んでいた巫女達が同じ言葉を数度繰り返した。音響のいい広間でそんなことされると、ひどく不気味である。
 おまけに、この祭壇に連れて来られる前に飲まされた茶のせいだろうか、ますます眠気が強くなってくる。
 このまま眠ったら悪夢を見るかもなどと思っているうちに、巫女に手をひかれた。手足の動きも鈍いと思えるのだが、意志とは関係なく足が動いて巫女についていく。どうやら感覚自体が鈍っているらしい。
 祭壇の裏にあった壁が左右に開き、そこに地下へと続く階段が現れた。先導する巫女がたいまつを持ち、足元を照らし出す。どこまで続いているのか、先は見えない。だが、リーシャルはその先に何があるかを知っていた。
 階段へ踏み込んだ途端に潮の匂いが微かに漂う。
 こんなところまで匂うのかと感心しながらリーシャルは階段をおりた。湿ってはいるが、くもの巣やなんらかの残骸など見当たらないところをみると、定期的に使用され、掃除もされているのだろう。
 下りるにつれて潮の匂いが強くなってきた。巫女長の長男、ウェスカというらしいが、彼の話では供物は舟にのせて海に流すのがしきたりだという。この階段は海に続く水路へおりるものなのだ。
 階段が終わり、そのまま多少の高低がある細い通路を進むと、広い空間に出た。岩をうがった人工の洞窟のようだ。ゆらゆらと動いている小舟が見えた。供物らしい、花や果物、鮮やかな鳥の羽などがのせられている。予想通り、そこへ一緒にのせられた。もやい綱が解かれ、そっと押し出される。舟はすぐに進まなくなったが、巫女達は小さなたいまつを床において去って行った。潮の加減で舟は自然と流されるようになっているのだろう。足音が遠ざかり、完全に聞こえなくなってから岩陰から青年が現れた。ウェスカだ。青年は無言のまま水の中に入ってくると小舟を岸に引き寄せた。
「これを飲め」
 ぼんやりとリーシャルが眺めていると、ウェスカがそう言って小瓶を手渡した。のろのろと手を伸ばし、受け取ると素直にリーシャルは中の液体を飲んだ。
「儀式の前に飲まされた薬と香のせいだ。ゆっくりと頭の働きを鈍らせ、体の動きを奪う作用がある。これはその解毒剤だ」
 その説明になるほどねとリーシャルは頷いた。そのような効果があるとなれば、さきほどの香の商品価値は上がるが、いくらなんでも王族がそんな胡散臭いものを扱うわけにはいかない。でも、個人的には確保しておこうかなと良からぬことを考えていると体の芯が熱くなって、汗が噴き出し始めた。それと同時に感覚もよみがえってくる。
「あっつーい」
 自由になった舌でリーシャルは早速不快を訴えた。
「我慢しろ。それで、この後、どうするんだ?」
「えーとね、問題の現場まで行って、しるしをつける」
「しるし?」
「魔術の起点にするんだってさ。よくわからないけど、これ」
 服の内側に隠し持っていた小袋を引っ張り出してリーシャルは見せた。中にはなんの変哲もない小石が入っている。ただ、それは魔術師以外が見た場合のことだ。
「では、行くか」
「もう通れるの? 引き潮の時でないと、水没して通りぬけられない場所があるんじゃ……泳げってこと?」
 昨日、泳げるかどうか確認されたことを思い出してリーシャルは聞いた。
「そうだ。この舟は残したほうがいいだろう」
「わかった。でも、その前に」
 言ってリーシャルは果物のなかから、水気の多いものを選んでかじりついた。
「供物だぞ?」
 ウェスカがなんとも呆れた声を出した。
「だって竜魚あてでしょ? 竜魚は食べないからいいでしょ」
 もはやなにも巫女長の息子は言わなかった。
 リーシャルが食べ終わるのを待って、そろって水へと入る。潮の流れを感じるが、まだそれほど強くないようだ。
「ここ暗いけど、大丈夫なの?」
 真っ暗闇の水中で身動きとれなくなるのは御免だ。
「その先を曲がれば、明るくなる」
 ここに入るときも泳いできた、とウェスカは言った。てっきり、例の階段から昨夜のうちに下りてきていたのだと思っていたからリーシャルは驚いた。
「竜魚がよく通るのを許したね?」
「ここにはもう一つ、途中に出入り口があるんだ。巣はそれよりも海側だから、竜魚と出くわすことはなかったし、一応、妹にも通ることを竜魚に伝えてもらった」
 そのくらいのことなら、彼の妹も竜魚と意志疎通ができるらしい。竜魚との会話は互いに片言ずつの共通語を使っているようなものだとリーシャルは説明されていた。
 薄暗い中、しばらくは無言のまま二人は泳いだ。水路は広く深く、どこかにぶつかるような心配はない。なにしろ竜魚が泳げるようなしろものだ。
「この左側に出入り口がある。縄梯子を使わないといけないようなものだが」
 言われて見れば、微かに光が通っているのが見えた。
「ふうん。それで竜魚の巣は」
 言いかけたときに波が不意に起きた。
「……竜魚だ」
 ウェスカが呟いた。
「例の、唯一出入りできる大きさだっていう?」
「そうでなければ、ここには来れない」
 前方に巨大な背鰭がほの白く浮かび上がる。巨大な、しかしそれでも竜魚にしてはまだかなり小さいという魚がゆっくりと近づいてきて、二人のすぐ横をかすめると反転して去っていった。
 ほぼ同時に二人は止めていた息を吐いた。水中で襲われたらひとたまりもないだろう。
「なんか、じろりと睨まれた気がする」
「おかしなことをしたら承知しないと脅しに来たんだろう。あの竜魚の行った方向に巣がある。近づかないほうがいい」
 もとより喧嘩を売るつもりはない。そこまでは無謀でないつもりだ。例え、竜魚一匹分で何人前の料理になるか、頭の隅で考えてはいても。
 海辺育ちの二人は目的地目指してまた泳ぎ始めた。


 夕暮れ時、銀砂島に凄まじい音が轟き渡った。
 音のした方向、すなわち海岸へ走り出た島人たちが見たのは竜魚の群れだった。怒っているのか、喜んでいるのか分からない。波間から銀の鱗をきらめかせて繰り返し跳ね上がる竜魚の姿に人々は見入った。
 やがて竜魚と心を通じるとされる一人の少女が連れて来られた。黒髪が腰まで流れている少女は竜魚達を眺めながら、にっこりと微笑んで告げた。
「銀の人間が問題を解決してくれたんですって」
 銀の人間。すなわち、彼らが生贄に捧げた少女のことに間違いない。
 生贄が受け取られたのだと口々に喜ぶ人々の前に、当の生贄がひょっこり岩陰から姿を現した。その場にいた人々がぴたりと動きを止める。
「竜魚は人間なんて食べないよ。先月の嵐の影響で崩れて、洞窟の出入り口を半分ふさいだ岩をどかしてもらいたかっただけ。そのために人間が、人間の手が必要だったの。昔、互いに助け合って暮らすという約定を交したのに、ちっとも助けてくれないと怒っていたんだよ」
 島の言葉で少女はつっかえながらも、そう伝えた。
「竜魚が求めるのは、この島の人間の助けのみ。他の人間を必要とすることはない。同様に竜魚が守るのはこの島の人間のみ」
 言い終えた途端、その姿がかき消えた。
 呆然と人々が立ち尽くすなか、長い黒髪の少女は竜魚の跳ねる海よりさらに沖合いに向かって微笑みながら頭をたれた。


 風を孕んだ帆が大きくふくらんでいた。星が輝きを増していく夕空のもと、舟は快調に波間を進んで行く。
 舟の上では疲労困憊した魔術師が伸びていた。うつぶせに倒れたまま、ぴくりとも動かない。一緒についてきた猫猿に背中にのられてせっせと毛繕いをされるがままだ。
 竜魚の存在ゆえに魔術的な力場が乱れている島周辺で、魔術を行使するのは困難らしい。おまけに大地の精霊に働きかけるのは苦手なのに岩を粉砕したりしたから、リウ・ソイレスはすっかり疲れているのだ。
「どうして正体を明かさなかったんだ?」
 帆を操りながらウェスカが尋ねた。
「だって、青海国っていう国自体、知ってるかどうかあやしいし、帝国がどうこう言ったところでピンと来る人間いそうになかったんだもん。それよりは、よく分かってる人間に、この島のあり方を変えてもらった方が手っ取り早いかと」
 遠く夕闇に沈み行く島影を見ながらリーシャルは答えた。
「それに、青海国の王女だって言ってしまったら、皇帝に島を占拠する口実を提供するようなものでしょ。ウェスカに正体がばれるくらいなんだから、あの通訳のおじいさんにばれないはずがないし」
 そう言った途端にまたウェスカは眉間にしわを寄せた。リーシャルに指摘されるまで、島に流れ着いた商人のはずの老人が帝国の間者だとは全く気づいていなかったのだ。それも無理は無く、リーシャルが気づいたのはごく僅かな発音の違いからだったのだ。同じ南大陸共通語でも、それぞれの出身によってある程度の訛りがある。だから、細かな違いはあっても当たり前なのだが、老人の訛りは特殊な訛り、すなわちルシアド帝国の「宮廷訛り」だったのだ。一介の商人が宮廷訛りの共通語を話すはずがない。南大陸に行くにあたって義母からこの宮廷訛りについても注意されていたからこそ、リーシャルも気づいたのだ。
「あのおじいさん、根っからの間者ってわけでもなさそうだったけど……老後の暇つぶしかな」
 帝国の宮廷には変な人がたくさんいるとリーシャルは義母から聞いている。
「暇つぶしで占領されてはかなわん」
「大丈夫、今ごろは占領するのを諦めろって連絡してるはず」
「どうして」
「諦めろって言っておいたから」
 先刻、浜辺にいた人々のなかにあの老人を見つけたリーシャルは、彼に目を据えて竜魚が必要なのは「この島の人間」の助けのみ、と言ってやったのだ。それだけで意図は伝わったはずだ。竜魚は島の人間以外とは取り引きをしないと。
 少なくとも、あれで老人は正体を見抜かれていることをまちがいなく悟っただろう。
「他にも複雑な父娘関係とからんで、皇帝は占領したってあまり有益じゃないと判断するはずだよ。だからといって安心してもらっても困るけど。ちゃんと約束通り、島を『開放』してよ。誰でも宣託を受けることができるように」
 それがリーシャルの要求した見返りだった。銀砂島の存在が広く知られ、自由に宣託を受けられるようになれば、どこか一国が占領しようにも他の国が妨害するはずだろう。青海国にとっては「独占」されなければ、それでよいのだ。
「勿論、努力はするが……」
 ウェスカは自信なさそうだ。
「島の人間は船賃で稼げるし、占領は免れるし、これで説得されないはずがない。そもそも、今回のことだって、自分達で魔術師を雇えば解決できたわけでしょ。まあ、魔術師がそのあたりにごろごろしてるわけじゃないけど」
「……魔術師なら、結構、いますよ」
 うつぶせたままリウ・ソイレスが口を挟んだ。どうやら狸寝入りだったらしい。
「迫害を受けて、西大陸に逃げた魔術師も少なくありませんが、本当に力のある魔術師は逃げるまでもないですからね。でも、煩わしいから山の中の小国に集まって、迫害の波をやり過ごし、今はその国の『特産物』になりつつありますよ」
「特産物って……」
「魔術師の才能は血筋によりますから」
 そのうち、組合のようなものをつくって以前のように南大陸中に散らばっていくはずですとリウは面倒そうに説明した。
「ふーん、じゃあ、今みたいに秘密のつてを使わなくても、どこでも魔術師を雇えるようになるってことか。そうなると、やっぱり今のうちに存在をおおやけにしておかないと、魔術によって送り込まれた軍隊に占拠されてしまう可能性もあるわけだね」
「そうあからさまに脅さなくてもいいだろう」
 むっすりとした顔でウェスカが文句をつける。
「あからさまだろうと、そうでなかろうと脅しに変わりはないでしょ」
「脅さないという選択肢はないのか」
「ない」
 当たり前だろうとばかりに答えるリーシャルに物言いたげな目を魔術師は向けたが、黙っていた。多分、銀砂島のような魔術的力場が不安定な島に外部から軍隊を送り込むような、大がかりな魔術を行使するのは極めて困難だという事実をリーシャルが知らぬふりしていることに形ばかりの非難を示してみせたのだろう。なにより、軍隊を送り込むことが可能な、力の強い魔術師が存在しないわけではないのだ。
 これで問題は片付いたとばかりに、ほっとしてリーシャルが欠伸をしていると、深い溜息が聞こえた。
「あんたも大変だな」
 ウェスカが同情をこめてリウに声をかける。
「そう思うのなら、嫁にもらってくれませんか?」
「……誰を」
「もちろん、こちらの青海国の姫君です」
「断る」
 即答だ。
「やっぱり。いいんです、言ってみただけですから」
「そうだと思った」
 極めて失礼な会話は男達のささやかな反撃だ。
 しかし、そんな反撃などささやかすぎて打撃を与えるどころではない。
 王位から逃れるには金がいる。リーシャルからしてみれば、そんな金を工面することもできない甲斐性なしに用はない。
「……甲斐性なし」
 甲斐性なしじゃない人間を紹介してくれとリーシャルは言いかけたのだが、それは口のなかでの呟きに終わった。
 二人の青年を一言で凍りつかせたまま、波に揺られてリーシャルは眠りの世界へ旅立っていった。

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