青海国の魔術師

沈黙の魔石

 それはとても大きな宝石だった。西大陸の西北部の山脈から採れる貴石の一種で、群青色の石のなかに光がきらめいて見える。それゆえに星光石と呼ばれ、その光が大きければ大きいほど高価だった。稀にその光が二つある石が採れるのだが、それは大国の王族くらいしか手にすることのできない最高級品であり、一般の市場に出回ることはなかった。
 そして今、貧乏国からやや脱出しつつある青海国の王女リーシャルの目の前にあるのは、三つの光を宿した幼児の拳ほどの大きさがある星光石だった。
「……本物?」
 王女の口から発せられた第一声に、宝石商人はがくりと肩を落とした。普通なら、綺麗だとか、素晴らしいなどという賞賛の言葉が出てくるだろうに、どこまでもリーシャルは「商人」だった。
「本物ですよ。間違い無く、本物なんです」
 なんだか泣きそうな顔で宝石商人は訴える。この商人と取り引きをはじめて二年近くになるが、確かに今までまがい物や傷物をつかまされたことはなかった。そんなことをすれば手ひどい報復があると分かっているからでもあろうが、日頃からごく常識的な範囲でしか上乗せをしない堅実な商売ぶりだった。
「本物の星光石を原価で買いとってほしいって言われてもねぇ」
 疑わざるを得ない。
「お願いです。頼れるのは王女だけなんです。これが売れないと、私は破産してしまうんですっ」
 もはや「泣きそう」ではなく、実際に涙ぐんでいる。しかしながら、中年男の泣き落としなんてものはリーシャルには通用しない。
「破産って……いくらでこれを買ったわけ?」
 尋ねると商人は指を三本立てた。
「……三万ザイル?」
 西大陸共通通貨で答えると、ふるふると商人は首を横に振った。
「ひょっとして三十万?」
 深々と頷く姿に、「はあ?」とリーシャルは呆れた声を上げた。この宝石商人の一年の売上に相当する額だろう。
「これは宝石としては最高級品なんです。普通の星光石なら、それでも十分、儲けが出るんですよ!」
「いや、それ、売れればでしょ?」
 冷静にリーシャルは指摘した。
「売れると見込んでいたんです、レーゲルス王家が新たな王冠を作ると聞きましたから」
 なるほどねとリーシャルは頷いた。南大陸でも羽振りがよい王国で、しかも王家の紋は星をかたどっている。これほどの星光石ならば、何をおいても手に入れたいと思うはずだ。
「誰につかまされたの?」
「それがお恥ずかしい話ですが……酒場で同席した貴族から買い取ったんです」
 しかも、その場で手形を渡したという。
「宝石の鑑定眼には自信あったからこそだろうけど、冒険したねぇ」
「宝石商人をやっていて一生に一度、拝めるかどうかという逸品だったんですよ! 金に困った貴族が家宝をこっそり売りに出すなんてことはよくあることですし、その場では特におかしな点はなかったんです」
 類い稀な宝石を目の前にして、ついつい慎重さも吹き飛んでしまったというわけだ。自分も儲け話には気をつけようとリーシャルは自戒した。
「で、普通じゃないってどんなふうに?」
「…………しゃべるんです」
 ごくごく小さな声で宝石商人は呟いた。
「なんて?」
 リーシャルが聞き返したのは、聞き取れなかったからというわけではない。あまりの突拍子のなさに聞き返さずにはいられなかったからだ。
「しゃべるんですよ、夜中に。何を言ってるのか、言葉はわからないんですけどね、ええ、もう、やかましく騒ぎ立てるんですよっ」
 やけになったのか、宝石商人は大きな声で言うと、果実酒を一気に飲み干した。
 しゃべる?
 リーシャルはまじまじとテーブルの上の星光石を見つめた。きらきらと石の中で光が輝いている。
 ……口も無いのにどうやって?
 なにか別のところで引っかかっているリーシャルだった。


 うまくいけば資金を倍増できる機会だが、失敗するとここ数年の努力を不意にする、極めて危険な賭けだ。
 だが、ついその危険な賭けにのってしまうあたり、やはり自分は王という地位には向かないに違いない。
 リーシャルは青い宝石を指でつまんで火にかざして見た。
 じっくり見ても傷はないし、澄んだ光を放つ様子にまがまがしさは何も感じられない。
 宝石商人から更に詳しく聞き出したところ、「おしゃべり」の声は直接頭の中に響くそうだ。そして、他の複数の使用人にも預けてみたところ、頭の中に声が響くのは共通していたが、中には人の姿も見た者がいるという。口調も激しい罵声からぶつぶつという呟きまで差があるらしい。
 単におしゃべりがしたいってわけでもなさそうだしなあ。
 宝石を袋にしまい、枕元へ置くとリーシャルは蝋燭の炎を吹き消し、毛布の下へもぐりこんだ。
 いくら眠りの深い性質でも頭の中で喚かれたら目がさめるだろう。
 しかし、その夜、リーシャルは眠りを妨げられることも無く、すがすがしい朝を迎えた。体調になんの変化もなく、いつもと全く変わりが無い。
 リーシャルが前金で半値を払って預かろうと申し出たときの宝石商人の晴れやかな顔を見た限りでは、かつがれたということはなさそうだ。使用人にも探りを入れてみたが、すっかり怯え切ったあの様子は芝居とは思えない。
 ……単に相性が悪いってこと?
 リーシャルが考えながら朝食をつついていると、もはや馴染みとなった低い声が聞こえてきた。
「よう、シャル、元気か?」
 赤毛の大男がずかずかと近づいて来る。父の従弟であり、北方諸島連合の海軍司令官でもあるウォルイだ。
「南大陸で何やら派手に稼いだらしいな」
 勝手に前の席に座り込みながら言う。
「稼ぎはたいしたことないよ。ルシアド帝国のじい様からちょっと商業権を融通してもらっただけで」
「融通だあ? 一体、どうやってごうつくばりの皇帝から強請りとったのかって皆不思議がっているぜ」
「かわいい義理の孫娘への贈り物ってことで納得してよ」
「できるか」
 それももっともだ。実際、リーシャルは皇帝のちょっとした秘密を偶然握り、それを彼の娘でリーシャルの義理の母である青海国王妃へばらされたくなければ商業権を寄越せと強請ったのである。ちなみにその秘密とは、青海国王妃以外にはなんの意味も持ちはしないのだから無害なものだとリーシャル自身は思っている。
「あ、そうだ、ウォルイ、出港はいつ?」
「早ければ明後日だが?」
「それならちょうどいい。これ預かってくれる?」
 リーシャルが件の宝石を取り出すと、ウォルイは眉を上げた。
「星三つとは、呪いの魔石じゃないか」
「魔石?」
「ああ。どこか南の方で仕入れた、酔っ払いの与太話だがな。持ち主に狂気をもたらす呪いの石なんだと。まさか本当にあるとは思わなかった」
「そんなおどろおどろしいものではなさそうだけど」
 だが、細い神経の持ち主ならば、夜中に宝石に騒がれたりしたら、おかしくなってしまうかもしれない。
「夜中にしゃべるらしいんだけどさ、私には何も言わなかったんだよね」
「しゃべる? そりゃ珍しいな、口もないのに」
 リーシャルと同じような反応をしてウォルイが宝石を眺めていると、すうっと細い青年が近づいてきた。青海国の魔術師、リウ・ソイレスである。彼が海を越えてリーシャルのもとへ姿を現すのは、たいてい王妃から急ぎの言伝があるときだった。
「なにかあった?」
 聞くと魔術師は首を横に振った。 「いえ……王妃様より、皇帝が王女に刺客を送り込む可能性があるから、護衛につけと申し付けられました」
「え〜。それほどの弱みを握ったつもりはないけど」
「油断していると、やられます。皇帝はそういう人です」
 元皇女である王妃とともに南大陸にいただけあって、リウもまた皇帝の人なりは把握している。
 そんなものだろうかとリーシャルが首を傾げていると魔術師は宝石に目をとめた。
「それは……?」
「ん? 魔石らしいぜ」
 ほいっとウォルイが魔術師に石を投げてよこした。受け止めた途端、魔術師は露骨にいやな顔をした。
「シャル王女。これは壊したらまずいものですか?」
「三十万ザイル払ってくれるなら好きにしていいけど?」
 なにやら魔術師は悩める顔になった。
「払っても壊す価値はありそうですが……やめておきます。これには精霊が封じられていますよ」
 その言葉にリーシャルは目を丸くし、ウォルイは軽く口笛を吹いた。

 精霊というのは別にきらきらしい存在でも、世俗離れした存在でもないらしい。
 魔術師の力を借りて、精霊の姿を見、声を聞こえるようになったリーシャルはそんなことを考えた。
 目の前にいるのは、人間ならば二十代半ばくらいの男で、不快げな表情といい、苦々しく吐き捨てる言葉といい、とてもでないが崇高な存在には見えない。リウ・ソイレスはうんざりした顔でそっぽを向き、精霊にしゃべらせている。

 ウォルイから「酒を飲む金がある間は仕事をしないから名はさほど売れてないが、腕は西大陸一」と紹介された宝石細工職人の師弟も、問題の魔石の細工を依頼すべく同席させているのだが、一様に呆れ顔だ。それもそのはずで、さっきから精霊は愚知をこぼし続けているのである。何やら悪戯が過ぎたために精霊王によって封じられたらしいが、醜い人間どもの手に落ちるとは不本意極まりないとしつこく繰り返していた。
 ちょっといいかなとリーシャルは精霊の言葉を遮った。
「要するに、持ち主が醜くなければいいわけ?」
そうだ。そなた程度ならば我慢できるが、そこのヒゲ男のような見苦しい男どもなど最悪だ
 そこのヒゲ男って俺のことかと親方があごひげをなでた。リウも弟子もヒゲをはやしていないから、彼以外に該当者はいない。ちなみにリーシャルは南大陸産極上蒸留酒を片手に交渉に挑み、彼に細工を依頼していた。
「女の人ならまだまし?」
 ふんっと精霊は人間くさく鼻をならした。
厚化粧も甚だしく、己の容姿を勘違いした女どもは男以上に醜悪だ
 そんなものか。リーシャルはちょっと考えてから再び口を開いた。
「南大陸の王って、たくさん愛妾をかかえている人が多いんだよね。私が見た限りでは、みなすっごい美人ぞろい。ちょっと考えてみない? 燦然と輝く王冠の中心に居座って美女眺めながら時を過ごすのはなかなかいいんじゃないかと思うけど。王冠となれば、粗略に扱われることはないし、間近にのぞきこむ人間もそうそういないから悪くないでしょ」
 ふむ、と精霊は興味をひかれた様子だった。
「でも、もし、あなたがこのまま好き放題にべらべら喋るつもりなら、私としては石を砕いて小分けにして売るしか手がないんだよね。このままじゃ買い手はいないし、精霊王じゃないと封印は解けないし、その精霊王は封印を解くつもりは無いってことだし。石を砕かれたらあなたも終わりなんでしょ?」
 淡々とリーシャルはたたみかける。
ふ、ふん、人間風情に砕けるものか
 精霊は動揺しているのを隠そうとしているが、隠し切れていない。
「うん、普通の人間には砕けないってね。でも、魔術師ならできるよ? 現にあなたにいきなり罵られたらしいリウ・ソイレスはその場で砕いてやろうかって思ったらしいし」
 そうそうと魔術師が頷いている。リウ・ソイレスいわく、あれほど理不尽な罵りを受けたのは生まれて初めてとのことだ。
 無口になった精霊にリーシャルはにっこり笑いかけた。
「リウ・ソイレスに頼めば、完全に『遮断』できるらしいけど、なにも見えない、なにも聞こえない、なにもないっていう状態はさすがにかわいそうな気がするわけ。だから、取り引きしない? あなたは王冠の持ち主、正当な王位継承者が手にしているときは沈黙を保つ。それ以外の人間が手に取った場合は、好きにしゃべってもいいし、姿を見せてもいい。取り引きに応じなくても私は構わないから、好きに選んでいいよ」
 嘘つくな。
 その場にいた精霊以外の全員がそう思ったのは顔を見れば明らかだった。
 しかし、いくら長いこと人間の手元にあったからといって限られた情報しか得ることのできなかった精霊にその嘘は見ぬけなかった。
 そして、リーシャルは望み通り自分に有利な取り引きを精霊とかわしたのだった。


 宝石は小さくなれば価格は下がる。全て売ったところで買い取り価格の半額にも達しないだろう。
 そして、魔術師のいうところの「遮断」の術をかけると、「星」もひとつ消える。高価は高価であるが、ほかにも存在する宝石に過ぎなくなる。
 しかし、そのままならば星三つを抱くたぐいまれな宝石である。さらに、リーシャルが誘導したように、正当な王位継承者以外が手にすると文句をつけるという付加価値までつけば、もはや二つと存在しない至高の宝石となる。その宝石は、現在、宝石細工師の手にゆだねられ、奥の工房で加工されつつあるのだが、追加条件で加工中はおとなしくすることを約束したため沈黙を保っている。
「どこに売りつけようかな〜? レーゲルス王家以外にも欲しいってところは出てくるだろうし、競売にかけようかな」
 リーシャルが鼻歌まじりに南大陸の地図を眺めていると、はあっとわざとらしい溜息が聞こえた。
「なにか、言いたいことがあるの、リウ?」
「いいえ。よくぞここまで成長されたと感無量なだけです」
 妙に平坦な口調で魔術師が応じる。これでは皇帝に暗殺される可能性も出てくるはずだとリウ・ソイレスは考えていたのであるが、リーシャルは気付かない。
「あんた、そんなに金を稼いでどうするんだよ」
 宝石職人の弟子、セアトが二人の前に茶を置きながら聞いた。リーシャルと同じ十六歳だという彼から見れば、おそろしい金額を自分一人の裁量でやりとりするリーシャルは信じられない存在だ。彼自身、高価な宝石を目にすることには慣れているが、それは決して彼の所有物ではない。
「どうするって、王位継承権の放棄権を買うの」
「は?」
「がめつい父親が王位を継ぎたくないなら、一定金額を国庫におさめろって条件出したわけ。王位継ぐ気は微塵も無いから、せっせと稼いでいるの」
 言ってリーシャルは受け取った茶を一口飲んだ。
「あ、おいしい。うまいね、お茶いれるの」
 反応がないので顔を上げて見やるとセアトは固まっていた。
「どうしたの」
 リーシャルが尋ねると、セアトはふーっと息を吐いた。なにやらものすごく消沈して見える。
「ウォルイが言っていたことは本当だったのか」
「なにか言ってた?」
「あんたが青海国の王女だって」
「信じてなかった?」
「年頃の娘なら、ちったあ気を使えと差し出口を叩きたくなるような格好の女が王女だなんて信じられないのが普通だ。王女様なんてのはもっときらきらしいものだと思っていたのに、がっかりだ」
 正直な人ですねぇとリウがしみじみした声で言う。
「確かにそんな適当な紐で髪をくくり、ぼさぼさになっても直さず、そのへんの町娘が着ていそうな、着古した服着てほっつき歩いている人を王女と言われても信じられるはずがありません」
「いいでしょ、好きで王女をやってるわけじゃないし、そのうち王女は廃業するんだから」
 そういう問題じゃないんですけどね、とリウはもはや諦めたらしく遠い目をしている。
「普通、王位ってのは金を積んでも欲しがるもんじゃないのか?」
「それは王になれば利益がある場合でしょ。青海国なんて小国で貧乏で、王になったら国益最優先で朝から晩まで働き詰めなんだから。そんなものになりたいわけがないじゃない」
 力強くリーシャルは言い切った。
「……俺は王ってのは、自分の利益最優先で遊び暮らしているもんだとばかり思ってた」
 セアトがぼそぼそと言う。
「それは余裕のある国の話。青海国では絶対無理」
 時を告げる鐘の音に気付いてリーシャルは立ちあがった。
「リウ、ちょっとウォルイのところへ行ってくるね。染物商を紹介してくれるって言ってたから」
 王でなくとも青海国の王族は忙しいのだ。はいはい、いってらっしゃいと力なく魔術師に送り出され、リーシャルは宝石細工師の家を後にした。残された魔術師に、細工師見習いが問いかける。
「あの王女様、売り物にはとてつもない付加価値つけられるのに、どうして自分には付加価値をつけられないんだ?」
「……お願いですから、それを私に聞かないで下さい」
 そんなやりとりなど聞こえるはずもなく、青海国の王女は資金のやりくりを考えながら元気よく港町を歩いていった。

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