青海国の魔術師

謀の心得

 頻繁に絞め殺したくなる人間。
 それが南大陸随一の権勢を誇るルシアド帝国の皇帝の人なりについて、義母に尋ねたときの返答だった。
 義母はルシアド帝国の第五皇女だった。実の父親だからこその評価だろうとその時は話半分に聞いていた。
 しかし、今、確かに絞め殺したくなるかもと玉座に悠然と座る男の顔を眺めながらリーシャルは納得していた。黒褐色の髪に白いものがまじる初老の男は中肉中背で取り立てて立派な容姿をしているわけではないが、瞳は鋭い眼光を放ち、支配者としての風格を感じさせる。とはいえ、父親譲りの図太い精神をもつリーシャルがそれに圧倒されることはない。感じるのは腹立たしさだけだ。
 なにせ、青海国の王女として在位三十周年を祝う宴に参列し皇帝に祝いの言葉を述べたリーシャルに向かって、「嫁ぎ先がなくて持参金稼ぎに自ら駆けまわっているとはあまりに不憫。ここはひとつ、義理の祖父であるわしがそなたの持参金を出してやろう」などと大きなお世話をこの男は焼いてくれたのだ。
 むろん、言葉通り、せっせと働くリーシャルを不憫に思ったからではない。その証拠に皇帝はしてやったりとばかりに人の悪い笑みを浮かべ、さらに言葉を続けた。
「そなたの夫になる者にはドウ鉱山からの収入と先日失脚したエレソ伯の領地を与えることにしよう。むろん、相手は帝国民に限るがな」
 大盤振る舞いである。皇帝が一向に言葉を取り消す気配もないので、色鮮やかな衣装をまとった貴族たちの間に起きたざわめきが次第に大きくなっていく。
 さて、どうしたものか。
 心の中でぎゅうぎゅうと皇帝の首を絞める様を想像しながら、愛らしくリーシャルは扇子の陰で小首を傾げた。
 欲に駆られた貴族の子弟が求婚に群がることは間違いない。そして、あの手この手で、他国に嫁がせてなるかと持参金稼ぎが目的と思われているリーシャルの商売の邪魔をしてくるだろう。ついでに領地を狙っていた貴族の恨みも買うはずだ。
 そこそこ友好的に接してきたのに、こんな嫌がらせをされるとは心外だ。やはり商業権をおねだりしたのがまずかったか。
 もう一年以上前になるが、リーシャルは義母の弟である第三皇子の婚礼の宴に参加し、新郎である義理の叔父からちょっとした情報を得た。すなわち、かつて義母が青海国に嫁ぐのを彼は邪魔しようと画策したのであるが、それには皇帝の後押しもあったのだという打ち明け話をされたのである。義理の叔父はあっけらかんと告げたので、リーシャル自身も重大なこととは受け止めていなかった。だが、その後、皇帝に挨拶したときにその話に触れたならば、よほど動揺したらしく、皇帝が顔をひきつらせて「口止め料はなんだ」と自分から言い出したのである。リーシャルはそれならばと帝国内及びその勢力圏内における商業権をくれと試しにふっかけてみたら、あっさりともらえたのだ。さすが、皇帝ともなると太っ腹だな〜と思っていたが、本当にそのくらい娘に知られたくない情報だったらしいことにリーシャルは後から気づいた。
 すなわち、義母を怒らせたら、皇帝といえどもただではすまないほどの影響力を義母が南大陸において未だにもっていることを認識したのだ。
 結果的に皇帝をゆすったことになったのだが、悪気があったわけじゃないし〜と軽く考えていた。しかも義母には約束通り何も言っていない。嫌がらせをされるとは心外なのだが、よくよく考えてみると、それだけではなく、以前にも皇帝が密かに進めていた計画を潰してしまったことがある。
 ……あれ? ひょっとして、私の方こそ絞め殺したくなる人間だった?
 ようやくリーシャルはそのことに思い当たった。そりゃあ嫌がらせもしたくなるだろうと納得はしたものの、悪いことをしたとは思わない。皇帝も老いたとはいえ、権力はがっちり掌握しているし、このところ帝国領内の内政も安定している。暇だからこそ、ろくでもないことを考えるのだ。
「ありがたいお言葉、感謝いたします」
 とりあえず、当たり障りなく礼を述べてみる。
「なんならわしが直々に候補者を指名してやってもよいぞ」
 ご機嫌な様子で皇帝が言う。
 さては、互いに貴族同士を争わせ、勢力をそぐつもりなのか。
「お祖父様のおめがねにかなう方ならさぞかし素晴らしい御方なのでしょうね」
 リーシャルはにっこりと微笑んだ。
 利用されるのはかまわないが、そのかわり、こちらも利用させてもらってもいいだろう。
「でも、わたくしの伴侶はわたくしの意志で選びますわ。たとえ、皇帝陛下の選ばれた方々をわたくしが選ばなくともよろしゅうございますわね。わたくしも候補者の方々も後々とがめられては困りますもの」
 南大陸髄一の権力者だろうが、自分は青海国の王女だ。計画にのってやっただけでも、ありがたく思ってもらわなくては。
 言外にそんな思いをにじませてみたが、ちゃんと通じたらしい。
「むろんだとも」
 鷹揚に頷いてみせたものの、皇帝の目は笑っていない。
 小娘が生意気な、という声が聞こえてきそうだ。
 年をとったからといって性格は丸くなるものでもないようだ。
「では、お祖父様に選ばれる魅力的な方々はどなたたちなのか、楽しみにお待ちしますわ」
 まったくもって気にくわない人間だと互いに火花を散らしつつ、義理の祖父と孫は空々しい笑い声をともに響かせた。

 宮殿の一室で何かの表を片手に広げた帝国領内の地図をにらみ、うんうん唸る青海国の王女を魔術師のリウ・ソイレスはうさんくさげな目で眺めていた。帝国では魔術師を排斥する傾向が強く残っているため、彼はリーシャルの「お目付け役の秘書官」の名目で同行している。しかし、表立ってついてまわるわけにはいかないので、宴には出席していなかった。
「いったい、今度は何をしでかしたんですか」
 リーシャルが唸るのをやめて、なにやら書き付け始めたのを見計らって魔術師が尋ねた。
「何もしてないってば。やんごとなきおじいさまがはかりごとをしているだけ」
 その答えに、リウ・ソイレスは血相を変えた。
「やんごとなき皇帝陛下のはかりごととやらはなんですか!」
 そんなに知りたいことだろうかと思いつつ、リーシャルが祝宴の席であったことを事実そのままに伝えると、魔術師はこめかみのあたりを手でもみ始めた。
「対処方法は?」
「ん〜、どうせなら青海国の利益になる方向で利用させてもらおうかと」
「利用するんですか…」
「え? なにか問題がある? はかりごとをする以上、相手からもはかりごとをされることは心得ておくものでしょ」
 魔術師は薄い肩をすくめた。
「どうぞお気のすむままに。皇帝陛下の精神状態がどうなろうと私の知ったことではありませんから」
「精神的苦痛を与えられたのは、わたしなんだけど?」
 リーシャルの抗議を、魔術師は聞こえぬふりをしている。
 まあいいやとリーシャルは作業に戻り、しばらく書類作成に没頭した。ざくざく仕事を終えて顔をあげると、魔術師は遠い目をして窓辺にたたずんでいた。
「リウ、そろそろ一度、義母上のところに定期報告に戻るでしょ? これの返事をもらって、義母上に頼んである荷物も運んでね。リウが戻ってくるころには、義理の叔父上の別荘にいる予定だから、義母上からの手紙もあればもらってきて」
 束になった書類を渡すとリウはふっとため息をついた。
「シャル王女は十分、国王としてやっていけると思うのですが、なぜわざわざ苦労して王位から逃げ出そうとなさるんですか」
「今の苦労は期間限定だけど、王になったら一生涯続くから」
 何をいまさら聞くのだろう。祖父と父親の姿を間近に見て育ったのだ。青海国王というものほど、割に合わない仕事はない。
「王にならずとも苦労はしますよ」
「苦労するだけならまだしも、王が失敗すると国を巻き込むでしょ。国一つ分の心労はいらない」
「そういうものですか」
「ほかに後継者がいないっていうならともかく、弟も妹も生まれてくれたんだから何も問題はないじゃない」
 しかも義母はまたみごもってくれている。三人もいれば、一人くらいはおとなしく王位につくだろう。
 あ、そうだとリーシャルは衣装箱をあさって、弟妹用に買っていた土産物を引っ張り出した。
「これも持っていって。帰りがいつになるか分からないし」
「かわいい弟妹に苦労させるのはいいんですか」
 土産物を受け取りながら、ぼそりとリウがつぶやく。
「ん、先に生まれたものの特権」
「……それでは、いってきます」
 魔術を発動させ、逃げるように去っていく魔術師をリーシャルは笑顔で見送った。

 魔術師リウ・ソイレスが、青海国王妃からの返書を携えてルシアド帝国内に戻ったとき、青海国の姫君は予定通り帝都より東の高原にある第三皇子の別荘にいた。この近くには皇帝の離宮があり、帝都で暑さがしのぎにくくなる乾季の最盛期には宮廷自体がこの地へ移動することになっている。そのころには離宮のある湖の周辺は涼を求める貴族であふれ返るものの、まだ乾季にさしかかったばかりのこの時期は常ならば閑散としているはずだった。しかし今、湖には船が浮かび、湖岸には色とりどりの日除けの天幕が並んで賑わっていた。
「……一体、何をなさったんですか」
 湖に張り出した露台から満足そうにその光景を眺めているリーシャルに向かって魔術師は尋ねた。近くに求婚者らしき人影は一切ない。
「結婚相手を選ぶとなれば、人なりもよく知らなくちゃいけないでしょ? 叔父さま夫婦に手伝ってもらって候補者を一同に招いて懇親会を開いただけ」
「候補者だけでこの数にはならないでしょう」
「よく知らない人たちばかりだと気詰まりだから、日ごろから親交のある令嬢たちを中心に招いたのよ。ついでに、その令嬢たちに人気の、奢侈品を扱っている商家の方々もね」
 悪気も何もなさそうな、無邪気な笑顔でリーシャルは言ってのける。リウは経験上、こんなときのリーシャルが一番始末に負えないことを知っていた。
「その顔を私に向けないでください。背筋が寒くなります」
「失礼な。愛想よくしているだけなのに」
 それはすなわち、愛想よくして取り繕わなければならないことを腹の中で考えているということだ。
 リウは黙ったまま王妃からの返書をリーシャルに渡した。早速、その場で封を切り、リーシャルは時折ふんふんと頷きながら書面に目を通した。
「よし、これなら計画通りに斡旋して大丈夫」
「斡旋?」
 リーシャルはにんまりと笑った。
「せっかく皇帝陛下が有力者の『独身』の子弟を送り込んでくれたんだから活用しない手はないでしょ。お近づきになりたいと思っている人はわんさかいるのよ、妙齢の娘を持っていればなおのこと」
 あ、とリウは小さく声を上げた。「他人のことより自分のことはどうなのかしらね」と青海国王妃が苦笑していたのを思い出したのだ。
「……激烈な争奪戦になりませんか?」
「事前に調査して、家格や財産の釣り合い、好みまで配慮してお膳立てしているの。女性側には本人もしくは親に過剰な争いは慎むよう通達しているし、守れない場合は帰ってもらう」  リーシャルのいう「配慮」には、青海国への見返りと将来への布石も含まれているのだろう。言うまでもないから省いただけで。
「……順調ですか」
「とっても」
「皇帝陛下への仕返しも考えていますよね、もちろん」
「まさか」
 湖を渡って来た風に銀髪をなびかせ、青海国の姫君はさわやかに微笑んだ。
 そう、「まさか」考えないはずがないのだ。
 そもそも皇帝はこの青海国の王女を侮りすぎだ。実の娘である青海国王妃の怒りを招くことは避けながら、その義理の娘のリーシャルの怒りを招くことを平気でしている。今までも手痛い目にあっていながらも、それは偶然や義母の手引きによるものとでも思っているのかもしれない。
「悩み事が少しくらいないと人生もつまらないでしょ?」
 そう言うリーシャルはどこまでも嘘くさい清々しさを漂わせている。
「きっと新たな生きがいができて喜んでくれると思うな」
 もし近々ルシアド皇帝が急逝するとすれば、間違いなく憤死だ。
 魔術師はそう確信した。

 絞め殺してやりたい。
 まさにそう思っていそうな目でルシアド帝国の最高権力者は青海国の王女をにらみつけていた。
「いずれ劣らぬ魅力的な男性方をご紹介いただき、ありがとうございました」
 側近を除いてほかに同席するものがいない皇帝の執務室に呼び出されたのをいいことに、遠慮なくリーシャルはへらへらと笑いながら礼を述べた。毎度あり〜とでも付け足しかねない、物売りめいた調子のよい声音である。
「あいにく、わたくしと気が合う方がいらっしゃらなくて。心苦しゅうございましたので、せっかくの縁でございますし、わたくしのお友達を紹介させていただきましたのよ」
 結びついたら皇帝にとって目障りな勢力を持つことになる組み合わせを含め、青海国の商業に有利になるよう恩を売りつつ縁談をまとめていったのである。しばらくは帝国内での勢力図は変わり続け、皇帝も油断することができないだろう。
「……この小娘が」
 皇帝が低く唸る。
 聞こえなかったふりをして、リーシャルは先を続けた。
「いくつもの婚礼の宴に招かれて、しばらくは忙しくなりそうですわ。衣装を用意するのも一苦労ですのよ」
 ほほほほとわざとらしい笑い声を響かせると、ついにぶち切れたのか、ペンが飛んできた。ひょいと避けたリーシャルに今度は罵声が飛ぶ。側近の中年男二人が天井を仰ぐのが視界の端に見えた。
「この貧乏国の田舎娘がっ」
「田舎娘は否定しませんけど、最近、景気がいいんですよ、青海国は。こちらでがっぽり稼がせてもらっていますから」
 続けて投げられたインク壺をさっと避けると黒いインクが床に飛び散った。
「ああ、もったいない、高級品の敷物にっ。あまり怒ると健康に悪いですよ、おじいさま?」
 大きく息を吸い込んでさらに何か怒鳴ろうとした義理の祖父にリーシャルは書状をつきつけた。
「三十年間、しぶとく帝位に座り続けた根性悪の皇帝陛下へ、わたしと義母上からの贈り物です。婿候補の身辺調査を名目にいろいろとかぎまわってみました」
 法の目をかいくぐり、こそこそと私腹を肥やしていたり、他国と通じていたりする有力者に関する報告書だ。もちろん、不正を暴くための証拠も添えてある。至れり尽くせりなのは、在位三十周年の「祝いの品」だからだ。
「ついでに義母上からの伝言、『もうろくされたんじゃございませんこと?』とのことです」
 また怒鳴るかと思いきや、皇帝は息を吐いただけだった。気のせいか、体も縮んだように見える。
「……男に生まれていればよかったものを」
 報告書に目を通しながら皇帝の口からこぼれた言葉をリーシャルは聞き逃さなかった。
 リーシャルにしてみれば、義母が女に生まれてくれたことは感謝してもしたりない。万が一、男に生まれていれば、父親はいまだやもめで、自分には弟妹がいなかったはずだ。
 だが、皇帝の気持ちもわからぬではない。リーシャルの知る限り、皇子たちはぼんくらとは言わないが、取り立てて才気があるわけでもない。いずれはできのいい娘に婿を取らせて後を継がせるつもりでいたのではないだろうか。それがさっさと嫁に行ってしまったのだから、あてがはずれたのだろう。とはいえ、娘に向かって素直にそう言わずにいかず後家だのなんだのと嫌味しか言わなかったのだから自業自得ではある。
「これはありがたくもらっておこう。だが…」
 半眼で皇帝はリーシャルを睨みつけた。
「お前は今後わが宮廷への出入りを禁じる」
 リーシャルはにっこり笑って深々と礼をした。

「すべてシャル王女の思惑通りですか」
 リーシャルが宮廷から引き上げる荷造りを手伝いながらリウ・ソイレスが呟いた。
「皇帝陛下もなかなか粋な計らいをしてくれるよねぇ」
 鼻歌交じりにリーシャルは応じる。「皇帝の不興を買った」以上、リーシャルは南大陸での商業活動から手を引かねばならない。しかし、「青海国」に付与された特権はそのままなので、誰かにそれを引き継げばいいだけのことだ。いわば皇帝はリーシャルが世継ぎの地位を手放す後押しをしてくれたのだ。それが後妻として青海国王妃になった娘への礼なのか嫌がらせなのかはわからない。
「リウ、今、急ぎの仕事ないよね? 青海国のお祖父様の依頼でちょっと寄り道しようと思っているんだけど、付き合ってくれる?」
「悪だくみなら遠慮します」
 にべもなく魔術師は答えた。
「失礼な。親戚を訪ねようと思っているだけだよ」
「一体、どちらへ?」
「死の砂漠」
 しばらく魔術師は沈黙した。南大陸中央部に広がる砂漠の中で、その名の通り、足を踏み入れた者は生きては戻れないと言われている地域のことだ。
 はあとリウはため息をついた。
「……ライアル王に提示された金額は稼ぎ出したのでしょう? さっさと王位継承権を放棄してください」
 もはやお守りは御免だと言わんばかりだ。
「ん〜、今後の資金稼ぎにあと一年くらいかな?」
 義母が身辺警護に魔術師をつけてくれているのをいいことに、リーシャルはとことん利用するつもりだ。ついでにこっそり魔術師を脅迫するネタになるだろう情報も入手していたりするのだが、それは最終手段として取っておきたい。
「……なにか、ほかに言いたいことがあるのでは?」
 用心深い目付きになってリウが尋ねたが、リーシャルはしらばっくれた。
「さて、もう一頑張りしますか」
 鼻歌と荷造りを再開させたリーシャルを胡散臭そうに魔術師は眺めているが、追求はしなかった。聞きたくないことを聞いてしまうはめになりそうだと悟ったのかもしれない。あと一年とつぶやく声が聞こえ、リーシャルはちょっと首を傾げた。
 一息つけるのはほんの数年だと思うけどなあ。
 なにしろ異母弟は幼いながら行動力だけはかなりあって、すでに城から姿をくらますなど騒ぎを起こしているのだ。だが、言わないでおくのが親切というものだろう。やる気をなくされても困る。
 青海国の王女は機嫌よく鼻歌を続けた。


もくじへ