青海国の魔術師

青海国の魔術師(第1話)

 青海国は南大陸と西大陸の中継地として栄え、都にある港は大陸からの交易船で常に賑わっていた。
 その波止場で、朝の眩しい光の中、船を見送る二つの人影があった。一人はこの国に多い銀髪の男、一人は黒褐色から琥珀色まで濃淡のある不思議な色合いの髪の少女であった。
「…腹を立てているようだね」
 深みのある落ち着いた声で男が言った。
 少女―ジェナイス・エーレスは大きく頷いた。これで腹を立てぬ方がどうにかしている。
「でも、貴方に対してではありません。あの、ろくでなしの父親に対してです」
 その父親は今や沖合を西に向かう船の上だ。
 父の名はクレムグ・エーレス、魔術の王とまで呼ばれる傑出した魔術師である。宮廷魔術師として君主に仕えることを拒み、安楽な生活に背を向け、放浪を続ける高潔な魔術師と巷では評判だ。だが、実際のところ、宮廷に仕えぬのは単に飽きっぽい性格だからである。無類の賭博好きで、常に刺激を求めている男が、途中で育児放棄をしなかったのが不思議なほどだと生まれて十五年、生活を共にしてきた娘は思う。しかし、そろそろ娘を育てることにも飽きたのだろう。よりによって、実の娘を金の代わりに賭けたのである。そして、負けた。ジェナイスは今、横に立つ男、ルーヴァル・シャーザ・ドリーンの生涯に渡る専属魔術師となった。
「最初に魔術師の奉仕が欲しいと言い出したのは僕だけど、まさか、魔術師そのものを賭けるとは思わなかったよ」
 一度、働いてもらえば済むことだったのだけどね、と苦笑する。実際、賭けに勝った後、そう言ったのであるが、魔術師の約束は絶対だとかで宣言通りクレムグは娘を差し出したのである。
「まあ、一人くらい魔術師がうちにいれば、なにかと便利だろう」
 西大陸に向かう船が見えなくなると、ルーヴァルは少女を促し、海に背を向け歩き始めた。
 横を歩く男をジェナイスは改めて観察した。顔を半分隠している伸び放題の銀髪、着古した灰色のローブ、のんびりした足取り。この男がルーヴァル・シャーザ・ドリーン、すなわち、この青海国の第二王子とは誰も思わないだろう。その三つ子の兄と姉とともに、青海国の三真珠と称されている美貌の主にはとても見えない。顔が髪で隠れているだけでなく、そのぼへぼへした雰囲気が全てをぶち壊していた。酒場に出没しても誰も気付かないのはそのせいだろう。
「あー、いた、いた、ルーヴァ様!」
 若々しく張りのある声が響く。見ると、身奇麗な恰好の若者がこちらへ駆けて来るところだった。
「ちゃんと待ち合わせの場所にいて下さいよ。探したんですからね」
 淡い茶色の髪に灰色の瞳、なかなかハンサムな若者だ。彼の方がルーヴァルよりも余程王子らしく見える。
「従者のウィレンだよ。こう見えても剣の腕は確かなんだ。ちなみにとても手が早いから、要注意だ」
「余計なことは言わないで下さい。ところで、こちらはどなたです?まさか、ルーヴァ様が引っかけたなんて言いませんよね?」
 そんなことはあり得ないと確信している口調である。
「魔術師のジェナイス・エーレス」
「エーレス?もしかして、クレムグ・エーレスの…」
「娘、だよ」
 ひゅうっとウィレンは口笛を吹いた。
「すごいですね、どうやって見付けたんです?」
「…その話は後にしよう。早く王宮に連れて帰らなくては、フィーアルの機嫌がさらに悪くなる」
 フィーアル、王女の名だ。
「そうですね。向こうに馬車を待たせてあります」
 ウィレンに案内されて馬車のもとへ行く。これまた王族が乗るものには見えないが、お忍びであるからには当然だ。がたがたと激しく揺られながら、王宮に向かう途中、ルーヴァルが魔術師を必要とする理由を聞いた。
 なんでも姉姫のフィーアルが半月程前、術をかけられたのだという。表沙汰になっては不都合なこともあり、内々にルーヴァルらが魔術師を探していたのだが、なにしろ島国なの、でただでさえ希少な魔術師がそうそう立ち寄ることもなく、なかなか見つからなかったらしい。ましてや魔術師が自分は魔術師だと宣伝して歩いているわけでもない。
「よくそれで、父を見付けましたね」
 感心して言うとルーヴァルは軽く肩を竦め、首に下げた鎖をひっぱってその先についた丸い石を取り出した。きらきらと虹色の光を放っている。
「青海国の王家には代々伝わる宝玉でね、魔力のある者に近付くと色を変えるんだ。本来は白いんだよ」
 虹玉石と呼ばれる魔石だ。ジェナイスは納得して頷いた。だが、納得できぬ事もある。
「でも、どうして、賭けなんかしたんですか?仕事の話をもちかけないで」
「仕事をしたくなさそうだったから」
 簡潔な答えである。そしてそれはまた適確な判断だった。
 実際、クレムグは無一文になって、食うに困るようにならなければ、仕事をしようとはしない。それを見抜くあたり、ただ者ではないかもしれない。
「それで、王女様にかけられた術とはどんなものなのですか?」
「うーん、説明するのは難しい。彼女に言わせると男が視界に入るとむかつき、近付くと鳥肌が立ち、触れると殺したくなるそうだ。ちなみに、その術がかかるまで男嫌いではなかった」
「はあ…」
 おそらくは、暗示の一種であろう。
「一体、誰が何の目的でそんな術をかけたのでしょうね」
 その美貌を妬んだ同性のいやがらせか、はたまた、身分違いの男がいっそ、誰のものにもならぬようにと思い詰めた結果か…。
「それならわかっているよ。現在、我国に滞在中のダーナンの王子が、彼女を妻にするために術をかけさせたらしい」
「はあ?」
 答えが返って来るとは思わなかった。
「どうして、わかったんです?」
「彼ただ一人にだけ、その反応が起こらないからだよ。もっとも、術とは別にフィーアルは彼を嫌っているけどね」
「なんて間抜けな…。それで、相手側に抗議はしたのですか?」
「言い掛かりだと言われればおしまいだよ。なにせ、物的な証拠がない。しかも、あの人柄から考えるとそれは自分に恋している印だとか言って、強引に縁談を進めそうだ」
 どういう性格だ…。
 ジェナイスはこめかみを押えた。

 その女性は窓から差し込む光のなかに静かにたたずんでいた。銀の髪を肩に流し、海のように深い青の瞳でこちらを見ている。数多くの佳人を目にしてきたが、これほど奇麗な人間を見たのは初めてだ。花びらのような唇が動いた。澄んだ声が響く。
「ルーヴァ、さっさと出て行って!」
 扇子を握る手がふるふる震えている。ルーヴァルは肩を竦め、よろしく頼むよとジェナイスに言うとすぐに部屋を出て行った。ほっとしたように、美姫は息を吐いた。
「ごめんなさいね、どうしても我慢できなくて」
「術のせいですから、仕方ありません。私はジェナイス・エーレス、この度、ルーヴァル殿下付き魔術師になりました」
 ジェナイスは一礼した。
「あら、専属契約を結んだの?」
「…色々、事情がありまして」
「そう。私はフィーアル・トゥーシャ・ドリーン、よろしくね」
 深く追及せず、にっこりほほ笑む姿はまさに女神のようだ。各国の王侯貴族がこぞって求婚しているという噂も事実だろう。
「早速ですが、術を解きましょう」
「そんなにすぐできるものなの?」
「術をかけた魔術師の魔力も技術もたいしたことはないようですから」
 侍女らしい娘がほっとした表情になる。
「気を楽にして、こちらをご覧になって下さい」
 指先に小さな青い炎を灯す。
「…前に見たような気がするわ」
「術をかけられる時に見られたはずです」
 炎がゆっくりと揺れる。小さな声でジェナイスは「力ある言葉」でささやきかけた。すうっとフィーアルの瞼が閉じる。
 …楽勝。
 「戒め」はすぐに取り去ることができた。ふっと炎を消す。
「済みました」
 王女は数回瞬きした。
「これだけ?」
「はい」
「ルーヴァル様をお呼びしましょうか?」
「そうして、エスリン」
 少女は軽い足取りで部屋を出て行った。
「ねぇ、ジェナイス。私のために術を行ってもらいたいのだけど、引き受けてもらえるかしら?」
 さらりと銀の髪をかきあげながらフィーアルが言う。
「ルーヴァル様の許可さえあれば。一体、何を?」
「復讐」
 にこやかに言い切られ、ジェナイスは絶句した。


 筋骨たくましい見るからに粗雑な男というのがダーナンの第三王子の印象であった。同じような男達がその供である。ダーナンは血気盛んな戦士の国なのだ。そんな中にひよろりとした顔色の悪い男が混じっている。それがダーナンの宮廷魔術師であった。
 …あんたに恨みはないけど。
 エスリンが手筈どおり、その宮廷魔術師に近付いて広間から連れ出した。広間には留学中の第一王子をのぞく青海国王の家族がそろっている。今日は王子と王女の一八才の誕生日を祝う宴なのだ。フィーアル王女が輝くばかりの笑顔でその弟と父に挟まれて座っているのをダーナンの第三王子、クレンド・イール・ガーラックは怪訝そうに見ていた。ジェナイスは侍女のふりをしてダーナンの一行に酒を配りながら術をかけた。効果が現れるのはこの国を出てからだ。現場は見たくないというのがフィーアルとジェナイスの一致した意見だった。
 魔術師が戻って来るのが見えた。彼はその現場に居合わせ、術を解かなくてはならない。彼の腕でもちゃんと解くことができるように、ジェナイスは敢えて簡単な術しか使わなかった。…もっとも、術だとわかるのには少々時間がかかるかもしれないが。
 魔術師が近付いて来て、クレンド王子にこっそり耳打ちする。
「なに?それで、まさか認めたのではなかろうな?」
「いいえ。ただ、二度目は容赦しないと」
「ふん。顔だけの男かと思っていれば、少しはできるようだな、第二王子のやつも」
 顔だけの男…確かに髪と身なりを整えたルーヴァル王子はフィーアル王女と並んでも見劣りはしなかった。物腰にも気品があり、普段の姿からは想像もつかない貴公子ぶりだ。クレンド王子が気にくわないのも理解できる。ジェナイスはそそくさとその場を離れた。柱の陰からウィレンが手招きした。
「言われた通り、ルーヴァ様の名で釘をさしておいた。…一体、どんな術をかけたんだ?」
「本当に聞きたい?」
「そりゃ、興味あるね。あの懲りることを知らない御仁が二度とちょっかい出したくなくなるような術なんて。エスリンは教えてくれなかったけど」
 エスリンの気持ちもわからないでもない。ゆっくりとジェナイスは口を開いた。
「…お供の方々が王子に熱烈に恋するように術をかけたの。船上で夜になれば、それこそ歯止めの効かない情熱が、あの人達の中に沸き起こることになってるわ」
「…歯止めの効かない情熱…」
 ものすごく厭そうにウィレンは顔を引きつらせている。
 その気持ちはよーくわかる。
「…俺、今、すごい想像してしまったんだが」
「多分、その想像、当たってる」
「うげぇ。俺だったら耐えられないっ」
 寒気がすると腕をさすりながら言う。
「王子の未来はいかに早く魔術師が事態に対処できるかにかかってるというわけ」
「けどさ、あの御仁に対して、実際、効果あるのかねぇ?」
 結構、実戦経験あるからなあ、とウィレンはがんがん酒を飲んでいるダーナンの客人達に目を向ける。
「どういうこと?」
「戦場って、男ばかりだろ?欲求不満の解消を男で間に合わせようっていう奴も結構いるって」
 後ろから近付いて来たエスリンに頭を殴られ、ウィレンの言葉が途絶えた。
「何、下世話な知識を披露しているのよ。彼が両刀かどうかぐらい、ちゃんと調べてあるわ。姫様がぬかるはずないでしょ」
 王女とは乳姉妹である娘はすっぱりと言った。一見、物静かな知的美人であるが、中身はフィーアル姫と同様、なかなか激しいものがある。
「それもそうだな。やるとなれば徹底的にやらなきゃ、気が済まない方だもんな」
 王子に仕えはじめて五年、その姉姫の性格は知り抜いているのだ。
「少々、気の毒だが、怒らせた相手が悪かったね」
「知らないって怖いことだわ」
 災難が迫りつつあることを知るよしもなく、ダーナンの王子は次々と杯を重ねていた…。

 それから約半月後、ダーナンに帰国した第三王子が、旅の疲れからか寝込んでいるとの知らせが入った。
「さすがの無神経馬鹿も今回の事には余程ショックを受けたようね」
 青海国の第一王女はその知らせに機嫌よく高笑いを響かせた。
「女って残酷…」
 ウィレンのもらしたつぶやきに、実行犯ながらも、一くくりにはされたくないと思う宮廷魔術師ジェナイスだった。

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