青海国の魔術師

青海国の魔術師(第11話)

 視線が痛くないのだろうか。
 青海国の魔術師、ジェナイス・エーレスは自国の王と王妃を眺めながら本気で疑問に思った。
 夫妻の様子は全くもって普段と変わりない。
 魔術師のおかげで簡単に行き来ができるのだから、娘の嫁ぎ先へ挨拶にいかぬわけにはいくまいと青海国王夫妻は海山越えたアザール王国宮廷をそろって訪問していた。
 さすがに宮廷を訪問するとあって、珍しくきっちり正装をした青海国王は威風堂々としている。はっきり言って、ジェナイスが宮廷付き魔術師となって初めて見る姿だ。一方、「青海国王妃」として国外に出るのは初めてという王妃は、好奇心に満ちた目を異国の宮廷に向けており、萎縮した様子は全くない。
 つまりは、どちらも精神的に図太いということだ。なにせ青海国王夫妻へ向けられるアザール貴族達の視線は激しい敵意に満ちていた。特に黒髪の王妃に向けられる視線には嫌悪の念すら感じられる。アザール王妃に至っては、体調不良を理由に部屋に引きこもって挨拶にも出てこない非礼ぶりだ。もっともそれを気にするような青海国王族ではない。お見舞いにいきましょうかなどと青海国王妃は無邪気に言っていたが、見舞ったらそれこそアザール王妃は「熱」を出しますよと息子に止められていた。その際にアザール貴族たちの偏見について王妃は説明を受けたのだが、変な人達なのねと気に留めた様子は無かった。
「さすがはルーヴァ様たちの御両親というところかしら」
 ジェナイスが呟くと、隣にいた第二王子付き従者が苦笑をこぼした。
「たくましさは子供達以上だと思うけどな」
 ふとジェナイスは隣を見やって、ウィレンがいつでも剣を抜けるよう柄に手を添えていることに気付いた。
「……暗殺者でも紛れ込んでいそうなの?」
 小声でジェナイスが尋ねるとウィレンは小さく首を横に振った。
「俺が警戒しているのは、陛下の動き」
 アザール国王とにこやかに談笑している青海国王へジェナイスは目を向けた。これといって変わりないように見える。
「……どうして?」
「いつぶち切れてもおかしくないんだ。陛下は耳も良いし、こちらの言葉にも通じているから」
 憂うつそうにウィレンは続ける。青海国の王は竜魚に例えられるほどの人間だ。怒れるさまを目の当たりにしたことはないジェナイスにもその凄まじさというものは推測できる。国王は丸腰なのだが、彼にとっては近くにいる警護の騎士から剣を奪うくらいたやすいことなのだろう。
「……そんなにひどいこと言っているの?」
 西大陸の言葉にさほど馴染んでいないジェナイスには、ひそひそ小声で交される会話を聞き取ることはできなかった。
「特に王妃様に対してね。さすがにこれだけの人数相手にしたら陛下と俺でもやばいし、もしものときはルーヴァ様と王妃様をよろしく」
 国王を制止するという考えはさらさらないらしい。
 それじゃあとジェナイスは術を用意し始めた。
 ウィレンと同じく国王の動きを抑えるのではなく、この場にいる人々の動きを抑えるための術である。それが契約主を守る一番確実な方法だ、というのがジェナイスの解釈である。
 だが、アザール王国貴族達には幸いなことに、青海国王はいつにない忍耐力を発揮し、夫妻によるアザール宮廷訪問は、剣を抜くことも術を使うこともなく、つつがなく終わったのだった。


 アザール王城を出たその足で、青海国王親子は城下の市場見物なぞをしていた。おそらくは気分直しのためだろう。お忍びなどという感覚は彼らにはなく、ひょっとしなくても、道行く人々に正体はばれている。
 銀髪青眼の父子はもちろん、黒髪の王妃は人目をひく。商人たちは彼らを目にすると、ぎょっとした顔になり、さらに声をかけられたりするとしどろもどろになり、ろくな答えを返せない。この国では、というよりもほとんどの国においては貴族が市場に来ることなどない上、気軽に声をかけたりしない。市場の買い物客らも彼らの姿を認めると、さっと道をあけて遠巻きにしている。商人たちにはいい迷惑だろう。
「ユーナル! おまえ、ユーナルじゃないか!」
 国王の名を呼ぶ男の声が聞こえ、一行は足をとめた。見やると、小柄な黒髪の人物が手を振って近づいて来る。青海国王が破顔した。
「ゼンナか」
「ああ、十年ぶりか? ふけたな、おまえ」
「お互いさまだ。その腹はなんだ、ああ?」
 とてもでないが王とは思えぬくだけたやりとりに、声の聞こえる場所にいた人々はぽかんとした顔をしている。
 どなたなのと王妃がおっとりと口をはさむ。
「この男はゼンナエル。アザール王国山岳地帯に住む一族の者だが、昔、船乗りをしていたんだ」
 国王の説明に、アザール王国にも黒髪の人間がいたのかとジェナイスは軽く目を見張った。
「お、そちらが、おまえの自慢の奥方か。……なるほど、俺達と似た顔だ」
 小柄な男は王妃に目を向け頷いている。確かに小柄な体躯といい、髪の色といい、共通するものを感じさせた。
「そう、サーリェだ。こっちは息子の一人のルーヴァル。ついでに従者のウィレンと魔術師のジェナイス」
 魔術師、とゼンナエルは呟いた。
「俺は運がいい。ちょうど魔術師を探していたんだ。王都に魔術師が現れたと噂が届いてな」
 噂というと、やはり例のあの件だろうか。
 城壁を地面に沈めるという大技をやってのけたジェナイスは少々決まり悪かった。
「ユーナル、ちょっと魔術師を貸してもらえんか? ただとは言わん」
「あいにく、契約主は俺じゃなくて息子だ。ルーヴァと本人と交渉してくれ」
 ゼンナエルはルーヴァルに向き直った。
「たいしたことではないんだがな、魔術師の手を借りたい。協力してはもらえんだろうか」
「ジェナイスさえよければ、僕はかまいませんが」
 言ってルーヴァルはジェナイスを見る。三つ子の兄のセーナルと違って、ルーヴァルは取り引きとか見返りなどというものを考慮しない人間だ。
「……私に手助けできることでしたら、お引き受けいたします」
 慎重に、いくらでも逃げ道をつくれるようにジェナイスは答えたが、ゼンナエルは気にしなかったようだ。
「そうと決まれば、早速、山に来てくれ。飛竜を手配しよう。まあ、飛竜で行けるのは途中までで、あとは半日ばかり歩いてもらうけどな」
 国王家族はそれじゃあ行くかとゼンナエルについて歩き出した。
 一応、アザール宮廷に挨拶したほうがいいのではとジェナイスは思ったのだが、家族の足取りに迷いは無い。
「使いは送っておく」
 ジェナイスの懸念を察してかウィレンが小声で伝えた。
「いずれにせよ、はじめから陛下にはあの城に戻るつもりはないさ」
 それは妙に説得力のある言葉だった。


 一般的に「山人」と呼ばれているというゼンナエルの一族はアザール王国の領土をぐるりと囲む山々の間に暮らしていた。彼らの集落は飛竜でも入り込めない狭い峡谷が入り組んだ場所にあり、遥か昔に結ばれた取り決めによって王家にいくらかの税を納めるだけでほぼ独立を保っているという。王国特産となっているジベル鉱石のほか数種類の貴石を採掘して主たる収入源としているらしく、決して貧しくはない。
 そうしたことを説明したのは、ゼンナエルではなく、青海国王だった。岩肌をくりぬいて造られたゼンナエルの家の中へと通され、家の主が秘蔵の酒とやらを取りに行っている間に話して聞かせたのである。
「飛竜さえ入り込めるのなら、とっくに武力で征圧して王家の直轄地に組み込んでいるだろうよ」
 そう青海国の王が言うと、酒壷を手に現れたゼンナエルがにやりと笑って続けた。
「俺たちはアザール貴族の連中にとっちゃ、喉に刺さった魚の骨のようなもんさ。だから、俺たちに似た黒髪の王妃さんも嫌われるし、俺たちと同じ血を引くイズァルぼうやも嫌われる」
 ゼンナエルがぼうや呼ばわりしたのは他国にまでその名を知られる、世継ぎ直属の飛竜騎士だ。ルーヴァル王子一行をアザール王国へ案内した人物でもある。その容姿をあらためて思い返してジェナイスは納得した。確かに、体格は一般的なアザール貴族のそれだが、顔立ちはこのゼンナエルやほかの「山人」と共通するものがある。
「問題の場所ってのは坑道の奥だ。ちょっと何やら妙な気配がするんでな、知り合いの竜に頼んで探ってもらったら、魔術師に頼めといわれたんだ」
 ゼンナエルは一行に秘蔵の酒とやらをふるまいながら言った。
「なんでも竜の魔法では、問題を片付けると同時に坑道すべて潰しかねないそうだ。不器用で大雑把だからだと言っていたが」
 竜が自身でそれを認めるとは珍しい。もしかしてとジェナイスが考えた可能性にルーヴァルも思い当たったようで、丁寧な口調でゼンナエルに尋ねた。
「その竜とは、飛竜運送組合というものを組織している竜のことですか?」
「ほう、知り合いか?」
「会ったことはありませんが、飛竜乗りからうかがいました」
「確かに王子様を『運ぶ』となれば、そこらの飛竜騎士の腕では無理だな。リュードあたりを使ったな」
 こちらも知り合いのようだ。
「なるほど、それで都に魔術師がいるとあいつが知っていたわけか。もう一人、使える魔術師が西大陸にいるが、関わらないほうがいいともいわれたんだが、理由はわかるか?」
「ろくでなしだからでしょう」
 賢明な判断だと思いつつ、ジェナイスは即答した。
「そして路銀に困らぬ限り、決して仕事をしませんから」
 おやおやという顔をゼンナエルはしたが、それこそ賢明にも追及しなかった。なにやら険悪な匂いをかぎつけたのかもしれない。
「ま、簡単に言えば、地中を流れている水のようなものの流れが悪くなっていて、洪水が起きそうになっているってことらしい」
 その言葉にジェナイスは考え込んだ。「地中」を流れている水のようなものとは、今もジェナイスがひしひしと感じている存在のことではなかろうか。
「それは、『気脈』の流れのことですか?」
 ジェナイスが尋ねるとゼンナエルは首を傾げた。そこでジェナイスは説明を加えた。竜たちとは使う言葉が違うことに思い当たったからだ。
「気脈とは、世界を循環する魔力の流れの総称なのですが」
「ああ、確か、そんな感じのことを言ってたな。竜たちは、地中ではなく、空を流れているのをよく利用するってことだったが」
 間違い無い。それならばなんとかなるだろうとジェナイスが考えていると、気になることをゼンナエルが告げた。
「川と同じで次第に流れをかえるせいで、時々、流れが悪くなることもあるらしいんだが、今回は大雨が降った後のように急に移動したそうだ。いうなれば『水路』がきちんとできる前に流れが変わったせいで、せき止められたようになっているらしい。その塞がった部分が、この付近なんだと」
 なにか引っかかる。
 ジェナイスは目を閉じ、息を吸った。
 引っかかるというより、正直なところ、心当たりがある。
「それで、せき止められてあふれたらどうなるの?」
 酒をちびちびと味わいながら青海国王妃が尋ねた。ほんのりと顔が赤くなっているが、それもそのはずで相当に強い酒である。それでもおかまいなしに青海国王はぐいぐい飲んでいる。
「王国全体、地盤沈下や隆起が起きて大変なことになるらしいな。この『縁』の辺りじゃそうでもないらしいが」
 王の青い目がきらりと光った。物凄く楽しそうだ。
「いつ頃から起きているのですか」
 なにげないルーヴァルの問いにジェナイスは内心ぎくりとした。
「俺たちが気付いたのは半月前くらいだが、竜の話だと流れが変わって一月くらいは経っているってことだったな」
 ついジェナイスは目を泳がせた。その目がウィレンと合う。やばいという思いが伝わったのだろう、数瞬後、理解の光がその目に浮かび、やはりジェナイスと同じように視線を泳がせた。
「それじゃ今すぐ何か起きるというわけではないんですね」
 ほっとしたようにルーヴァルが言う。もしかするとルーヴァルは「可能性」に気付いているのかもしれないと思いつつ、ジェナイスはそしらぬ顔で成り行きを見守った。
「まあ、三月内にはどこかで異変が起きるだろうってことだったけどな」
「それじゃ、下手すれば、それをフィーアルのせいにされちゃうかもしれないわね」
 難しげな顔つきで王妃が言う。フィーアル王女がアザールに嫁ぐのはもう半月後だ。ぼんやりしているようで、ちゃんと物事をよく見ているあたり、王妃とルーヴァル王子はよく似ていた。
「十分あり得る。都合の悪いことは人のせいにするのは連中の得意技だからな」
 困った連中だよとゼンナエルは笑っているが、ジェナイスは笑えなかった。それが、間接的には事実だからだ。
 直接的な原因の半分は、ジェナイスにある。
 およそ一月前、ジェナイスは大地に働きかけ、大がかりな術を行使した。あの時、易々と術を操れたのは近くに「気脈」があったからだし、呼びかければ魔力をくみ上げるだけでなく気脈ごと引き寄せることのできる魔術師が二人も揃って術を行使したのだから、その気はなくとも流れを大幅に変えてしまった可能性は極めて高い。
「ジェス」
 しばらく黙って何か考えていた国王に声をかけられ、ジェナイスは反射的に背筋を伸ばした。
「は、はい?」
 声が裏返ってしまったが、誰も気にしなかったようだ。
「これは、大仕事になりそうか?」
「え、それほどのことではないと思います」
 流れを多少修正し、「水路」をつくるだけなら半日もあればできるだろう。
「宮廷付き魔術師としての契約範囲内でできることか?」
 契約範囲内どころか魔術師としての義務だったのだが、そこまで説明する必要もないだろうとジェナイスは肯定するにとどめた。決して嘘は言っていない。
「よし」
 王はなんとも人の悪い笑みを浮かべた。
「それなら、ルーヴァル、こんな取り引きはどうだ?」
 青海国王の提案した取引内容は、そんなことでいいのかとゼンナエルには不思議がられ、王妃と王子には良い考えだと喜ばれ、魔術師と従者にはやはり相当怒っていたのだなと納得された。
 そして青海国の魔術師は自分に原因があると口にすることなく、速やかに気脈の流れを変え、訪れるはずだった危機からアザール王国を救ったのだった。


 アザール王国宮廷を息子とともに再訪問した青海国の王は前回とは違い、上機嫌でアザール国王家族と歓談していた。黒髪の王妃が同行しなかったせいか、今度はアザール王妃も同席している。青海国王は実に楽しげに、今回の魔術師の働きについて、多少の脚色を加えながら語って聞かせていた。
「このままでは国土が崩壊するというからな、結婚祝いも兼ねて魔術師に頑張ってもらったというわけだ」
 その青海国王の言葉にありがたいことだとアザール国王は素直に感謝を表明する。しかし、何か別のものをかぎつけたらしい世継ぎの君と王妃は、前者はなにやら期待を込めて、後者は顔を強張らせて続きを待った。
「青海国王家の血がアザール王家に流れる限り、二度と同じようなことは起きない。ちょうどフィーアルと最も血の近いルーヴァルが一緒にいたからな、その気脈とやらの流れを固定するために血をもとにした術を使ってもらった」
 血より真っ赤な嘘である。だが、ゼンナエルら山人は「取り引き」として口裏を合わせることを約束しているので、その嘘がばれる可能性は低い。実際、そうした術も存在するにはするので、嘘がばれるのはずっと後年になってからのことだろう。
「なるほど、末永くこの婚姻を記念するものですな」
 人のよいアザール国王は、そこに含まれた牽制に気付いていない。一方、王妃ははっきりとそれを理解し、顔を歪めた。
「……子供が生まれるとよいですけれど。子供をなさずに離縁される人も多いですから」
 それがアザール王妃にできる精一杯の反撃だっただろう。なにせ子供が生まれず困るのはアザール王国である。
「なに、青海国王家も妻の家系も多産の血筋だから心配はいらんだろう」
 問題があるとすればお前の息子にあるといわんばかりに青海国王は薄い笑みを浮かべる。事実、アザール王妃は一人しか子供を生んでいない。冷ややかな空気が流れて、ジェナイスは首をすくめた。
 ……やっぱり、セーナル様の父親だ。
 青海国王とその世継ぎには表向き似たところはあまりないが、相手の弱みを握り徹底して痛めつけるところに血のつながりを実感した。敵に回したらいけない人間がいることをアザール王妃は学ぶべきだろう。
「実に嬉しい結婚祝いですね」
 王妃の神経をさかなでするように、オーリス王子が朗らかに言う。アザール貴族の排他性を改めたい彼にしてみれば、排他的な貴族の頂点たる母親の動きを大幅に抑制できることになったのだから、大歓迎だろう。
「未来の義理の息子に気に入ってもらえてなによりだ。ああ、そうだ、フィーアルには居心地が悪ければ、いつでも帰って来いと言ってあるからな。逃げられないように気をつけることだ」
「努力しますよ」
 苦笑まじりに未来の舅に向かってオーリス王子は答えている。忌々しげなアザール王妃の表情など、青海国王はつゆほども気にしていない。
「……これでも、陛下、かなり譲歩してるんだろうなあ」
 ぼそりとウィレンがつぶやき、とっさにジェナイスは聞き返した。
「どこが?」
「陛下のことだから、ゼンナエルさん達にほとんど影響がないと知った時点でジェスに何もさせないんじゃないかと思ったんだ。で、『洪水』が起こるまで婚姻をのらりくらりと延期、災害が起きたことを理由に婚約解消、アザール王国が没落するに任せる、と」
 そんなことはしないだろうとはジェナイスには言えなかった。オーリス王子が息子の友人だからという点を考慮して、ウィレンの言うように「譲歩」したのだろう。
 ……どうやら自分は魔術師としては真っ当な人生を送れそうだ。
 青海国王家の人達には、穏やかな人生を送ってもらいたいと呟くウィレンの横で、ジェナイスはほっと胸をなでおろしていた。
 彼女の父親の口癖は「魔術師は退屈するとろくなことをしない」だった。実際、退屈しては、ろくでもないことばかりする父親を目にしてきたジェナイスにとって、それは事実として認識されている。
 青海国の宮廷に身を置く限り、退屈することだけはないだろう。
 そのきっかけをつくった父親に、ジェナイスはほんの少しだけ感謝した。


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