青海国の魔術師

小話

試験期間が過ぎた学舎は、どこか気の抜けたような、まったりした雰囲気に包まれていた。五日ほど休講期間があり、その間は実家に帰ったり、都市外に出かけたりする生徒も多いので人影もまばらだ。
 そんな中、青海国の第二王子は地下書庫のさらに奥にある秘密の空間に入り浸っていた。魔術師たるジェナイスも二度ほど赴いて、南大陸の情報を見返りに魔術に関する質問をしたものの、それきりだった。なぜなら、あまりにも魔力の大きさと術形態に隔たりがあったために参考にもならなかったのだ。ルーヴァルのような知識欲の塊ならば、それでもなお通うだろうが、あいにくジェナイスはどちらかといえば実利を重んじる性格だった。ファリも一度は興味を引かれてついていったものの、「長話には付き合いきれない」と早々に引き上げた。魔力を感じ取りやすいファリには落ち着かない空間なのだろう。また、ジェナイスからヌシ殿の話を聞いたトルヴェ公女リエンナも同行したが、ファリ同様に落ち着かなかったらしく、以後は質問事項をルーヴァルに託して、ルーヴァルからその話を聞くことにしたのだ。直接話したいのはやまやまだが、それができないのが悔しいとリエンナは不服そうだ。
「魔術師と契約しているから、ルーヴァル王子はヌシ殿のところで、あんなに落ち着いていられるのかしら?」
 人気の少ない中庭の木陰に敷物を敷いてのんびりお茶を飲みながらリエンナが聞いた。傍らではファリが寝転がって書庫にあったという、百年ほど前の航海記録を読んでいる。
「個人の資質でしょう。ルーヴァ様の危機感知能力は恐ろしく低いですから」
 通常、あれだけ力ある存在を前にすれば、生物は本能的に怯えるものだ。居心地の悪さはそこにも根ざしている。しかしながら、ルーヴァルは生存本能に欠けている。加えて図太い性格なのだから怯えることもない。その点、ルーヴァルの三つ子の兄であるセーナルは図太さなら負けていないが、感覚の鋭さゆえに、彼女ら同様、長時間にわたって話をすることはできないだろう。同じく三つ子のフィーアルならば、ルーヴァル同様影響は受けにくいだろうが、彼女は兄弟と違って知識欲がそこまで旺盛ではない。過去の話を聞く暇があれば、市場調査でもするだろう。
 そんなことをリエンナ相手につらつらと語っていると、ファリが顔を上げた。
「そういえば、リエンナ様って、どういう経緯でセーナル様の本性を知ったの?」
 唐突な質問にリエンナは茶でむせかけた。
「ごめん」
「い、いいのよ。そうよね、疑問に思って当たり前よね。あんなに完璧な猫かぶっているんだもの」
 口元をハンカチで押さえながら、リエンナが言う。
「そーなの? わたしは猫かぶっているのを見たことないんだけど。礼儀正しくしてても、なんかにじみ出てるし」
 相変わらずファリは言いたい放題だ。
「それだけぽんぽん言えるあなたが羨ましいわ」
「本当のこと言われたからってセーナル様は怒らないよ」
 ファリの図太さはルーヴァル様と張り合える。うん、お似合いだ。さすがセーナル様はよく分かっていらっしゃると本気でジェナイスは感心した。
「ファリ、わたしは身内であるあなたほどにはセーナル様を信用できないのよ。情勢次第では、いつ敵に回るか分かったものではないし」
 ごくまじめにリエンナは告げた。
 セーナル王子の外面に騙されて、甘い夢を抱く少女たちとは実に対照的だ。
「そーゆーものなんだ。でも、それだけ警戒心があるのに、なんで関わっちゃったの?」
 ごろりと仰向けになってファリは不思議そうにリエンナを見上げている。
 うふふとリエンナは自棄気味に笑った。灰緑色の瞳はどこか遠くを見ている。
「わたしもまだまだ子供だったのよ」
 妙に大人びた目でリエンナはお茶を一口飲むと、思い出を語りはじめた。

 学びの都にやって来たばかりのリエンナは喜々として毎日のように図書館に入り浸っていた。実家にいるときと違い、興味の引かれるままに次から次へと書物をめくっても誰にも邪魔されない環境は彼女にとって夢のようだった。
 読書中のリエンナの集中力はかなりのもので、ちょっとやそっとの物音は耳に入ってこない。だが、それはあまりに不快な音であったためか、彼女の意識を現実に引き戻した。音の発生源に目を見やると、壁際の書棚の前に男子生徒が二人立っていた。正確に言えば一人の生徒がもう一人の肩を乱暴につかんで棚に押し付けていた。
 リエンナは眉をひそめ、一方的に何やら言い立てている内容に耳を傾けてみた。それから察するに、教官たちのお気に入りである優等生をやっかんで、からんでいるようだ。
 なぜ、素直に資質を認められないのだろう。
 書庫係を呼びに行こうと立ち上がろうとして、リエンナはその存在に気づいた……不幸にも気づいてしまった。
 そこだけ光が差し込んでいるのではないかと錯覚させる眩い美貌の持ち主は、二人の男子生徒の横にある書棚にかけられた梯子の上にいた。
 端正な横頬に輝く銀髪がさらりとかかっている。ふせられた瞳の色までは見えないが、海そのもののような青色に違いない。
 誰もが目を奪われるという銀髪の美少年、すなわち青海国の世継ぎの噂は学び舎に来て日の浅いリエンナの耳にも届いていた。
 視線の先で少年は棚に並んだ書物に指を走らせ、優雅な所作で分厚く固そうな装丁の本を抜き取った。
 噂以上に美しい人間というものが存在することもあるのだとリエンナはあっけにとられたまま、その存在から目をそらすことができなかった。
 少年は本の角を手のひらにトントンと軽く打ち付け、満足そうに微笑んだ。
 美しいが……それゆえに、とてもとても怖い笑みだった。
 ごくりとつばを飲み込んだリエンナの見ている前で、少年はその本を下にいる男子生徒の頭目掛けて振り落とした。固そうな本は狙い過たず頭を直撃し、男子生徒はぎゃっと悲鳴を上げてその場にうずくまった。からまれていた生徒は、放っておけばいいものの、大丈夫かと声をかけている。
 それを見届けて、梯子の上にリエンナが視線を戻したときには、そこに少年の姿はなかった。どこへと視線を巡らせ、リエンナは少年が器用に書棚を伝い、別の書棚の梯子へとひらりと移るのをなんとか確認した。
 少年はゆっくりと梯子を下り、二人に歩み寄った。
「大丈夫ですか。ああ、この本が落ちてきたんですね。不幸な事故もあるものです」
 床に落ちた本を拾い上げながら、痛ましそうに少年は言う。白々しさを一切感じさせないのが見事である。
 リエンナが呆然としているうちに、銀髪少年は頭部への衝撃の危険性について妙に具体的に語り、医務室へ行くよう促した。からまれていた生徒も、しばし魂を抜かれたように少年に見とれていたが、我に返るとうめく生徒に肩をかして図書館を出ていった。どこまでも面倒見の良い性格のようだ。
「さてと」
 二人を見送っていた少年がくるりとリエンナの方へ顔を向けた。
 その時、リエンナは自分が口を開けたままだったことに気づき、慌てて閉じた。
「トルヴェ公女、リエンナ嬢だね」
 少年はにこりと微笑みかけた。
 後々、激しく悔やむことになるのだが、リエンナはその時、とっさの対処方法を誤った。
 なぜ名前を知っているのかと恐怖のあまり、ひっと思わず息を飲んで、体を後ろへ引いてしまったのだ。
 その行動は、リエンナが何を目撃していたのかを証明していた。
 しなやかな肉食獣のごとく歩み寄る青海国の世継ぎの君を前に、リエンナは動くことも目をそらすことすらもできず、ただただ硬直していた。
 トルヴェ公女リエンナ、十二歳を迎えたばかりの初夏の出来事だった。

 まったくもって不運なめぐり合わせだ。
 リエンナの昔話を聞いてジェナイスは大いに同情した。
「あの時、うっとり見とれることができていればとどれほど後悔したことかっ」
 リエンナは拳を握り、力説する。
 うっとり見とれて、名前を知られていることに舞い上がり、頬を上気させて声をはずませることさえできていれば、こんなことにはならなかった、と。
「んー? それって、かなり難しくない? むしろ後悔すべきは、視線を上げてしまったことなんじゃないの」
 冷静にファリが突っ込むが、リエンナはふるふると首を横に振った。
「自分の意志ではどうにもならなかったことを後悔はしないわっ。あの時、適切な判断さえできていれば、乗り越えられたのよ」
 そうかなあとファリは首を傾げている。
「それにまだ機会はあったのに、それも逃してしまったのよ」
 リエンナいわく、誰にも信じてもらえないだろうと諦めたりせず、誰彼かまわず自分が目撃したことを言いふらせばよかったのだ、と。そうすれば口が軽い、黙っておくことができない人間として、放置されただろうというのが言い分だ。
 その目撃事件以降、坂道を転げ落ちるように、あれよあれよという間にセーナルの数々の企みに加担させられ、しばしば強烈極まりない憂さ晴らしに付き合わされたのだという。また、セーナルと妙な意味で親しい間柄だということがバレてしまわないように女子生徒たちと適度な距離を置きつつ、友好な関係を築くことに心を砕いたのだそうだ。
「人間関係なんか気にしないで、好きな事に熱中するつもりだったのにっ」
 嘆くリエンナを横目に、ファリとジェナイスは無言で視線を交わし合った。
 本人は気づいていないようだが、セーナルから逃れる機会は何度でもあったはずだ。すなわち、加担させられたときに失態を演じればよかったのだ。なにゆえ、自らの有能さを余すことなく発揮してしまったのだろう。セーナル王子は確かに人使いが荒いが、適材適所、それぞれの能力に見合った仕事しかさせない。それがどんなに上限ぎりぎりだとしてもだ。
 思った以上に使える協力者の存在にどれほどセーナルは喜んだだろう。そして、さらなる成長を促したに違いない。彼は人材育成にも余念が無い。望んでいないにもかかわらず、その期待にことごとく応えてしまった結果として、今のリエンナがある。
「もう手遅れですから、諦めるしかありませんね」
 慰めるようにジェナイスは言い、手元にあった焼き菓子をリエンナにすすめた。
「避けようのない嵐と一緒でさ、自然の成り行きってことだね」
 ファリもジェナイスと同じく打開策を教えてやろうとは思わないようだ。それこそ、余計な入れ知恵をしたとセーナルに睨まれてしまう。友情と保身を天秤にかけたら、今のところ、保身のほうが重みがある。
「……もう半分は諦めているわよ」
 素直にリエンナは焼き菓子を受け取り、もぐもぐと咀嚼している。
 この素直さが、育ちの良さが仇になったに違いない。セーナル王子は怖い、逆らってはいけないという最初の刷り込みが深く根付いたのもそのせいだろう。いくらセーナルでも、他国の貴族の子女に実害は加えない……たとえ、精神的圧迫は与えるにしろ。
「諦めも大切だよね」
「無駄な抵抗は体力気力を消耗するだけですしね」
 間違いなく、非常に諦めの悪い人間であるファリとジェナイスは口々に言い、再び顔を見合わせると後ろめたさを誤魔化すように、へらりと笑い合った。
 頭はよくても純粋な心根の公女に対し、二人がかりでセーナル王子から逃れることは不可能という刷り込みを行った青海国の魔術師と商船団長の娘はそろって、これがセーナル王子に与えられたここでの自分たちの任務だったりしてと頭の隅で考えていた。

おわり

第14話/(TOP)