青海国の魔術師

青海国の魔術師(第14話)

 同年代の人々との交流。
 青海国の世継ぎから、そのようなことを仮の目的に示唆されていたような気がするが、一応、それは達せられたようだ。
 西大陸南東部にある学びの都に集う少女たちのなかに紛れ込んだ青海国の魔術師はそんなことを考えていた。
 食堂での一件以来、世継ぎ狙いの一部の少女たちからはさらなる反感を買ったようだが、そうでない少女たちはファリに一目置いたのか、積極的に近づいて来るようになった。お茶会に誘われたり、買い物に誘われたりして、同年代の少女たちでは一般的と思われる行動にファリの連れとして加わったのだが、ジェナイスには初めてのことが多かった。今もまた、試験に備えた勉強会なるものに参加しているところだった。これまでの観察結果からすると、トルヴェ公女リエンナに教えを請う会と言ったほうが正確なようだ。入学年齢も早かったリエンナは同年代の少女たちよりもかなり上のクラスに進んでいるため、彼女にとっては利にならないのではないかとこっそり聞いてみたが、復習にもなるし、情報収集もできるのでかまわないのだそうだ。
 そんな少女たちと空間を共有しながらジェナイスは大陸史の暗記に励んでいた。宮廷付き魔術師の肩書きがあるからには地理と歴史くらいは学んでおいたほうがいいだろうという世継ぎの君のお言葉に従い、その二つを学んでいる。魔術師は文字を書くことを禁じられているため、試験を受けなくてもいいかと思っていたら特別に口頭での試験を実施してくれるらしい。好意を無駄にしたいのは山々だが、世継ぎの君にばれたら怖いことになりそうなので、せっせと勉強に励んでいる。ちなみにジェナイスは誰よりも初歩のクラスだから、誰からでも教えてもらえるという利点があった。

 皆で一息入れているときに、商家の出だというセリアがジェナイスに聞いた。
「ね、記憶をよくする魔術とか、丸暗記する魔術とかってないの?」
「丸暗記のような魔術ならあるけれど、魔術そのものに関することだけだから、あまり意味はないわね。それから、能力そのものを強化する魔術は危険だから禁じられているわ。成功する確率がとてつもなく低い上に、失敗すれば死んでしまうし……」
 ジェナイスが正直に答えると、うわーっとセリアは顔を引きつらせた。そんな魔術を使った魔術師には、魔術師協会によって死んだほうがマシというような苦しみをじわじわ与えられる処罰が下されるから大丈夫と言いそうになったが、もっと怯えるだけかもしれないと思いとどまった。
「じゃあ、やっぱり、ルーヴァル王子の記憶力の良さは生まれつきなのね」
 西の小国の貴族というカーラが小さく笑う。
「きっと魔術を使っているんだって、やっかんでいるお馬鹿さんたちがいたのよ」
「ルーヴァ様の記憶力ってそうよくないと思うけどなー」
 不思議そうにファリがつぶやく。興味のあることに対しては異常なまでの記憶力の良さを発揮するが、そうでもないことはすぐに忘れるのだ。ひょっとするとわざとではないかとジェナイスはひそかに考えている。
 リエンナが苦笑交じりに説明を加えた。
「先日行われた古語の試験で一位だったのよ。いきなり高等クラスに編入された上にそれだからかなり驚かれていたわ」
「ああ、それなら分かる。セーナル様とルーヴァ様の共通の趣味だもん、古書の解読は」
「趣味なんだ……」
 古語は苦手だというセリアが信じられないとつぶやいた。
「どこか頭の中身がおかしいからね、あの人たち」
 思ったにしてもなかなか口には出せないことをファリはためらいなく口にした。
「自国の王子様に遠慮ないのね」
 カーラは少しあきれた様子で言い、さらに続けた。
「ルーヴァル王子の従者殿もそうよね。よく書庫からルーヴァル王子を引きずり出していると聞いたわ」
 カーラは眉をひそめている。彼女の出身である大陸西部は身分制度が厳しいため、認めがたい行為なのだろう。
「引きずり出さないと空腹で倒れるまでこもっているからね、ルーヴァ様は。むしろ忠義な従者と褒めてやってほしいなあ」
 苦労しているんだからとファリは気にした様子もなく笑っている。
「書庫にこもるだなんて考えられないわ。あそこの地下、幽霊が出るってもっぱらの評判なのよ」
 近寄りたくもないとセリアが身を震わせる。
「うめく血まみれの男が書棚の間に立つというあれね。隠し扉があって、その先に地下牢があるという噂もあるわよ」

 リエンナが笑いながら言う。
「あら、私は入り口に置いている初代学院長の銅像が動くと聞いたけれど」
 言ってカーラはちょっと首を傾げた。さらにセリアが続ける。
「銅像が動くのは中央広場じゃないの?」
「ああ、それこそあそこの泉水に幽霊が出るって噂が」
 やめてーとセリアが耳を両手でふさぐ。それを面白がってカーラとリエンナは次々に幽霊話を披露してくれた。悲鳴を上げて怖がっているセリアには悪いが、なぜそんなに怖がる必要があるのかジェナイスには理解し難かった。
「死人より生きてるどこかの王子様の方が怖いよねえ」
 まるでジェナイスの心を代弁するかのようにファリがつぶやくのが聞こえた。

 幽霊より怖い世継ぎの不興を買ってはいけないとジェナイスは真面目に試験勉強に取り組んでいた。だが、地理はともかく、小国の乱立する時代が多かった西大陸の歴史は国名を覚えるだけで一苦労で、誰か西大陸を制覇しろとつい頭の隅で考えてしまったほどだ。南大陸の歴史はいくつかの大国による覇権争いが中心で、わかりやすい。息抜きに中庭に出てぼんやり座っているとウィレンが建物の角を曲がって姿を現した。周囲を見回し、誰かを探しているのは一目瞭然だったので、ジェナイスは手を振って注意を引いてみた。案の定、ウィレンはそれに気づくと早足で近づいてきた。何やら少し焦っている様子だ。
「ルーヴァ様が、朝からいつものように書庫にこもってたんだけど、急に姿が見えなくなったんだ」
 前置きもなくいきなりそう切り出した。
「いなくなった、とは言わないのね?」
 その微妙な言葉の使い分けに気づいてジェナイスは確認した。
「書庫内にいる、と思う。気配は確かにするんだ。ただ見えない」
 ウィレンは武術に通じているためか、人の気配に敏い。よく近づいてくる気配を察知しては本や書類で両手がふさがったルーヴァルやフィーアルのために扉を開けていた。
「直前まで一緒に調べ物をしていたんだ。地下書庫に本を取りに行くと席を立ってから戻らなかった。隠し扉かなにかあるのかと仕掛けを探しても、俺には見つからなかった」
「……なにかありそうな気配はしてたのよ。だから、地下書庫にはなるべく近づかなかったんだけど」
 図書館の地下から滲みでているのは古い力の気配だ。下手に近づいて、なにか術を作動させても困るから極力避けていたのだが、ルーヴァルが巻き込まれたとなると放っておく訳にはいかない。もし結果として何か起こったとしても、それを放置していた学院側に責任があるとゴリ押ししよう。
 保身に考えを巡らせつつジェナイスは立ち上がってウィレンとともに図書館へ向かった。
「そう言えば図書館の書庫って幽霊が出るとか、地下牢に続いているとか噂があるそうよ」
「火のないところに煙は立たないってことか? ルーヴァ様には幽霊くらいどうってことはないだろうけど、生身の人間がからんでたら困る」
 確かにルーヴァルは幽霊に遭遇してもじっくり興味津々に観察することだろう。中庭から図書館の奥へと足早に歩を進める。書庫係にはジェナイスがルーヴァルによって呼び出されたのだと適当な用件を告げていたらしく、すんなりと中へ入れた。特に書庫の利用に制限があるわけではないが、出入りはしっかりチェックしているらしい。
 地下書庫に近づくにつれ、古い力の気配が強まっていく。渦巻きながらゆらゆらと地中からにじみ出てくるその力から感じるのは魔術師にも精霊にも竜にも似ていて非なる存在だった。
 体の中を古い力が通り抜けてゆく感触にジェナイスは足を止めた。
「ジェス?」
 どうしたのかとウィレンが振り返る。
「ちょっと待って。なんというか気持ち悪い。船酔いみたいな感じがするの」
 ジェナイスは深呼吸すると地霊に呼びかけた。そろそろと周囲を地霊で固め、古い力を完全ではないものの遮断する。気づけば額に脂汗が滲んでいた。
「大丈夫か?」
 気遣わしげに覗きこんだウィレンに頷き返す。
「もう少し待って」
 せっせと地霊を増やして壁を強化すると、魔力のゆらぎはおさまった。
「……もう大丈夫。なににせよ害意は感じられないから、そんなにまずいことにはならないと思うわ」
 再び二人で歩き出し、書庫の入り口をくぐる。奥に進むにつれ、どんどん力は強くなっていくが、それは侵入を拒むものではなかった。この辺りだとウィレンが指し示した壁の前で足を止める。
「ああ、確かに……門があるわね」
 ジェナイスはそろそろと魔力を伸ばし、その形を探った。空間と空間をつなぐその門は精霊がつくるものに似てはいるが、同じではない。門の先は魔術師が一時的につくる異層と呼ばれるものに近い感じがする。慎重に調べていると、不意に引きこまれた。とっさにウィレンの腕をつかんだのは巻きぞえにしてやろうというわけではなく、よろめいて反射的に支えを必要としたからだ……と思いたい。そんなことを考えながら、ジェナイスはウィレンを道連れに未知の空間へと転げ落ちた。

 強い力だった。地霊をあっという間に剥ぎ取り、体に宿る魔力をかき乱し、揺らがせる。体の奥底から揺さぶられるような感覚にジェナイスは片手で口元を押さえた。
「吐きそう」
「勘弁してくれっ」
 ウィレンが悲痛な声を上げた。それもそのはずで、もう片手はウィレンの腕をつかんだままで、吐いたら間違いなくウィレンに被害が出る。
 けちけちするなと思いつつ、ジェナイスは手を放すとその場にしゃがみこんだ。
 どれほど拒絶しようと入り込んでくるその力は南大陸にある魔術師の祖先が残したという遺跡で感じたものに近いのだが、生々しさが違う。あれは残滓だったが、これはまだ息づいている。遺跡でもやはり少しばかり気分が悪くなったものだが、あのときはどうしたのだったか。
 ジェナイスは記憶を探って当時のことを思い出し……むかついた。そう、元凶は父親である。なにかの術の痕跡が参考になりそうだとか言ってまだ幼かったジェナイスを連れて、密林の奥にあるその遺跡へ赴いたのだ。猛獣は襲ってくるわ、不気味な虫がぞろぞろ出てくるわ、ひどい道行だった。思い出してふつふつと怒りがわいてくる。だが、今問題なのはそこではない。遺跡にたどりついたとき、古い力にたじろぐ自分に向かって、父親はなにか言った。おそらくは対処法。
「……食っちまえ?」
 そんなことを言われた気がする。
 ―いいか、これは根源の力だ。俺達魔術師はそれを受け継いでいる。時代が下るに連れ、この世界のいろんな力が加わり変質しているが元はこれだ。もともと混ざっているんだから拒絶せずに受け入れろ。食っちまって自分の力にすりゃあいいんだよ。
 父親の感じの悪い笑みまで思い出し、ジェナイスはきつく眉を寄せた。あの頃の自分は素直だった。言われたとおりに試みて、結果として卒倒したのだ。今、ここで倒れるわけにはいかない。何か続きがあったはずだ。父親が誰かに怒鳴られて、ざまーみろと思った記憶がある。思う存分に父親を罵ることができる存在は少ない。女性だった気がする……思い出した、当時の魔術師協会の長だ。かなり高齢の華奢な老女だったが、手にした杖でごんごん父親の頭を叩いていた。ひとしきり父親を絞った後、自分に柔和な顔で語りかけてきたので別人のようだと驚いたのだ。今なら分かる、あの父親相手では誰しも態度を豹変させるだろう。
 ―割合の問題なのよ。己の魔力を他の力に混ぜて薄くするの。少しずつよ、一気混ぜたら自分が崩壊してしまうわ。拒絶が起こらない範囲で混ぜるのよ。
 これだ。
 ジェナイスは今は亡き長に心のなかで礼を述べた。
 しゃがんだままの姿勢でしばしジェナイスはその作業に没頭した。魔力を少しずつ解きほぐしてわずかに広げる。細かな魔力の操作は苦手だが、そんなことは言っていられない。外側から少しずつ魔力をゆっくりと融合させ、芯の部分は残す。
 なんとか均衡を取り戻すとジェナイスは立ち上がった。ウィレンがほっとした顔を見せる。
「待たせたわね」
「復活できてよかった。こんなところで身動き取れなくなっても俺じゃどうしようもないから」
 白い霧に覆われたようになにも見えない空間だ。だが、魔力の流れがある。そこに微かな自分自身の魔力を感じる。ルーヴァルとの魔力による結びつきは断たれていないのだ。はぐれたら再び見つけ出す自信はないので、ウィレンの手を肩に置いてもらってから、か細い糸のような契約の魔力をたよりにジェナイスは幾重にも重なる層を魔力でかき分けた。
 しばらくしてからウィレンがためらいがちに口を開いた。
「気のせいだと思いたいんだけど、なんか見える」
 二人の周囲ではたくさんの人影がうごめいていた。ただいずれも体が透けているので実体を伴わないことは一目瞭然だった。
「気のせいではないわ。害はないから安心して」
 肩にかけられた手に力がこもった。
「えーと、幽霊?」
「違うわ。多分、誰かの記憶が漏れ出ているだけ。ただの幻影」
「よく分からないんだけど」
「頭の中で過去を回想するでしょ? それを魔力の強いものがすると、術を使わなくとも形をとることがあるの。記憶なんてあやふやなものだから、形もかなり曖昧になりがちなんだけど、この幻影の主はかなり記憶力がいいみたい」  近くに見える女性の幻影に目を向けながらジェナイスは答えた。首飾りや服のひだまで鮮明に再現されている。それを見て、また一つ嫌なことをジェナイスは思い出した。
「もちろん、魔術でも記憶を元に幻影をつくることはできるの。ただし、記憶が曖昧だとやはり出来は良くないわ。わたしの母親はどんな人だったのかと父親に聞いた時、父親が見せた幻影は人の形をかろうじて取っていたけれど、顔が次々変わっていったわね」
「それって要するに覚えてなかったってことか……?」
 ジェナイスは頷いた。
「多分、これのうちのどれか、なんて言いやがったわよ。ぼやけすぎててほとんど区別もつかなかったけど」
 乾いた笑い声が後ろから聞こえた。もうジェナイスの記憶に触れないほうがいいと判断したのだろう、ウィレンはそのまま黙り込んだので、ジェナイスは再び作業に没頭した。
 層をめくるたびに幻影が鮮やかになっていく。あまりの鮮明さに息苦しさを感じ始めた時、聞き慣れたのんきな声が耳に届いた。
「あれ、二人とも来たんだ」
「わしが門を開いたままだったからのう。やはり、自力でたどり着いたか」
 緊張感とは無縁のやり取りに安心すると同時に少しばかり腹が立った。そこにいると確信すると同時に幻影が消え、ジェナイスは契約主とその話し相手に目を向けた。
 椅子にルーヴァルはゆったりと腰掛けて微笑んでいた。その彼の前には巨大な頭がある。太く硬質な毛に覆われた顔は狼にも似ているが、より竜に近い。大きな金色の目が愉快そうにこちらを見、わずかに開いた口からは牙がのぞく。

 なんでこんなものと一緒にいて和んでいられるのだろう、この王子様は。
 ジェナイスは半眼になって契約主を見据えた。
「えーと、ルーヴァ様、そちらの方はどちら様ですか?」
 水竜や風竜を目にしたことのあるウィレンは大した動揺を見せずにルーヴァルに尋ねた。それらの竜よりも大きいのだが、そのあたりは気にならないらしい。
「自称、図書館のヌシ殿。図書館の設立当初からこちらにいらして蔵書の管理などをしていらっしゃるそうだよ」
「蔵書管理って、その巨体でどうやって」
 犬のように顎の下に揃えられた前足を見ながらウィレンがつぶやく。爪の先でも書物をつかめそうにない。
「なに人形を使えば造作もないこと。ほれ、これならおぬしらも見かけたことがあるのではないか?」
 前足の影から人が姿を現した。特徴のない、やや痩せ気味の中年男には見覚えがあるのだが、どこで見かけたのかすぐに思い出せない。
「あ、書庫係!」
 人間の顔を記憶することにかけては遥かにジェナイスの上をいくウィレンがすぐさま答えを出した。
「うむ、書庫に出入りする人間をここから眺めていてな。面白そうな人間がいたらこれを使ってここに招くようにしている。わしが動くと崩れてしまうでな」
「見込み通り、面白かったですか?」
 ウィレンの問いに笑い声が応えた。面白かったらしい。
「わしに向かって、真っ先に体長はどのくらいかと尋ねた人間は初めてだったの」
 実に彼らしい質問だ。後から聞いたところ、二人が到着するまでの間、ルーヴァルは青海国について後日話すことを条件に、ヌシ殿の種族の生態について延々と質問していたらしい。
「青海国の人間にこうして会うのは久しぶりよ。これと似たような顔をした奴は門に気づいたくせに、避けて通ったからの」
 ジェナイスは思わずウィレンと顔を見合わせた。間違いなくセーナル王子のことだろう。三つ子ながら、こういう存在に関する察知能力を生まれつき備えているのはセーナル王子ただ一人だ。厄介事には関わらないように回避したに違いない。魔術師と契約を結んでいるルーヴァルもまたある程度は感知できるはずなのだが、興味を引かれて自ら近づいたか、ぼんやりしてて気づかなかったかのどちらかだろう。
「魔術師に会うのは、はたして何百年ぶりか。もっとも昔は魔術師と名乗っていなかったがのう」
「……私もまさか、あなたのような存在がまだ実在するとは思ってもみませんでした」
 ジェナイスは迷いながらも口を開いた。
 この「図書館のヌシ殿」は、魔術師の間でも伝承でしか知られていない存在だ。ついでに、すでにこの世には存在しないものだと思っていた。まさか目の当たりにする日が来ようとは。
 本当に生きている存在だろうかと魔力の流れを確認してみるが、まちがいなく生体だった。
「生きた遺跡などと口悪い奴には言われておるよ」
 にんまりと笑うと鋭い歯が見えてさらに凶悪な形相になる。ひょっとするとジェナイスの疑いを見抜いているのやもしれない。
「魔術師よ、人の姿は不便でないか? 昔会った魔術師はよく器がもろいとこぼしておったものだが」
「特に不自由は感じません。昔は問題もよく起こったようですが、今はすっかり器とこの世界の魔力に馴染んで安定しているようです」
「ふむ。この大陸にいる連中もなんのかんのいって馴染んでおるからのう」
 ジェナイスたちの会話にルーヴァルとウィレンがそろって首を傾げているが、説明すべきだろうか。
「えーと……簡単に言うならば、こちらは私達魔術師の御先祖様です」
 非常に柔軟な思考の主であるルーヴァルはそうなんだとあっさり納得したが、ごく一般的な常識を備えたウィレンは納得してくれなかった。
「どう見ても、人間には見えないんだけど?」
「人間じゃないから」
「えっ、でも、ジェスは人間だろ?」
 ますます訳がわからないと眉根を寄せるウィレンに人外扱いされずによかったとジェナイスはほっとした。南大陸の一部の人々は魔術師は人間ではないと固く信じている。
「ええ。今生きている魔術師は人間で間違いないわ」
「……昔は違ったってことか?」
 おそるおそるウィレンが確認する。
「この世界に渡ってきたときは人の姿をしていなかったそうよ。私も話でしか聞いてないけれど、こちらのヌシ殿と同じだったのでしょうね」
 ほらとジェナイスは自分の髪を一房引っ張ってみせた。
「この髪が名残りらしいわ。ヌシ殿の毛も濃淡があるでしょう?」
 ジェナイスの髪は琥珀色から黒褐色までの濃淡が、ヌシ殿の毛は黒に近い紺から淡青までの濃淡がある。
「じゃ、姿を自由に変えられるってことなのか?」
「昔は可能だったらしいけど、今では無理よ」
「そうじゃな、世界の形も定まった今ではもはや姿は変えられぬ」
 しばらく黙ったままだったルーヴァルがようやく口をはさんだ。
「ヌシ殿の姿は竜とよく似ていると思うのですが、竜との関係は?」
 やはり聞かれたか。
 ジェナイスは不自然に契約主から目をそらした。自分の口からは言いたくない。
「言葉持つ竜もまた我らの末裔よ。姿をほぼ変えることなく、人と交わらずに暮らすことを選び、この大陸に居を定めた。昔はこの大陸に人はおらんかったからのう」
「竜魚なども?」
「あれらは違うな。同じ世界からやって来たものたちではあるが。……遠い遠い昔に滅びかけた世界がこの世界と接したことがあっての、そのとき我らはこちらへ逃れ、我らとともにいくらかの種族もまたこちらへやって来た。この世界で竜と広く呼ばれるものたちはすべてそれらの子孫となる。昔は他にも言葉持つ種族もいたが、次第に言葉を失っていったの」
「……ということは、魔術師と竜は親戚?」
 首を傾げつつウィレンがつぶやく。
「そんなに近い間柄じゃないわ。根源は同じでも、もはや遠くかけ離れているわよ」
 いっしょにするなと睨みつけると、ウィレンは肩をすくめた。
「どうしてそんなに仲が悪いんだよ」
「向こうが見下すからよ。下等生物に、『人間』になり下がったってね」
 図体がでかいだけのトカゲの親玉と思われているくせにと言いかけてジェナイスは慌ててその言葉を飲み込んだ。ヌシ殿もそれに近い姿であることを思い出したのだ。
「言葉持つ竜は形を変えることを拒み、この世界に同化することをよしとしなかったものの子孫。魔術師は形を変え、この世界に同化することを望んだものの子孫。互いに相容れぬのであろう」
 面白がっている口調でヌシ殿が告げた。そのヌシ殿にむかってルーヴァルが再び質問した。
「あなたはどうして姿を変えなかったのですか? 姿にこだわりを持たれているようには思えないのですが」
「んー、わしはこの世界に来た時、ほんの赤子でのう。成長後に身の振り方を決めるがいいと言われておったのだが、わしがおとなになる頃には世界の形も定まっておったために、姿どころか大きさをも変えることができなくなっておった。マヌケな話よのう」
 ふぉふぉっと笑いながら言うが、笑って済ませる話なのだろうか。
 竜よりもでかい体でうろうろすると迷惑がられるし、体を動かさずとも不便はないので、この地に居を定めてじっとしていたところ、体の上に集落ができ、ますます動けなくなったのだと実にのんびりした口調で語った。直接接していなくとも、これだけの魔力ある存在が動いたら、地形も変わるだろう。
「集落を興味深く観察しておったら、どんどん発展していってのう。人の暮らしぶりも変化があって、なかなかに面白い。動かずして楽しめるのだから、楽なものよ」
 気の長い観察態勢にウィレンが「ルーヴァ様に通じるものがある」ともらし、ジェナイスは深く頷いて同意した。一言で言うならば、かなりの呑気者だ。
「この世界に来たのは、どのくらい昔なのですか?」
 従者のつぶやきなど聞こえていないのか、全く気にしていないのか、のほほんとルーヴァルは質問を重ねる。
「さて? そなたら人間がろくな言葉を持たぬときだったからのう。長い間、そなたらの時の数え方も知らなかった」

「では、時の数え方を知ってからは?」
「三千と五百年は経ておる」
 遠い目をしながらウィレンがぽんとジェナイスの肩をたたいた。
「確かに、親戚なんて近い間柄じゃないな」
「分かってもらえてうれしいわ」
 竜と魔術師を親戚というならば、青海国の人間はすべて兄弟と言ってもいいだろう。
「いつ頃から書物を収集されていらっしゃるのでしょうか?」
 いつになくルーヴァルは目を輝かせている。
「収集を始めたのは、ここの管理を任されたのと同時期だから三百年ほど前か」
「どのくらい前からの書物があるのですか」
「最も古いもので千年ほど前のものか。その写本はあるが、原本はもはや読める状態ではない」
 原本を読めぬことに、ルーヴァルは少しがっかりしたようだ。写本があるならそれでいいじゃないかと思うのだが、それとこれは別らしい。
 契約主が気落ちしている隙にジェナイスはヌシ殿の言葉の中で、引っかかったことについて尋ねることにした。
「先程、ヌシ殿は管理を任されたとおっしゃいましたが、誰に依頼されたのですか? また、この都市は竜と契約して守護を得ていると言われておりますが、その竜とはヌシ殿のことなのですか?」
 うむとわずかにヌシ殿は頷いた。さすがに「人形」を操るだけあって、人間の仕草が板についている。
「勘のいい、精霊を見ることができる男がおっての。わしの存在に気づいているようなので招いてやったら、大喜びしてな。書物を集め、学問を修める場所をつくりたいから協力してくれと持ちかけてきたので、了承したのだ」
 懐かしそうに大きな目を細めている。なんでもその男が都首になり、中立を宣言し、学舎を開いたのだという。
「ヌシ殿の存在は……人に知られているのですか?」
 結構、気軽に人と交流していそうだと見当をつけて訪ねてみると、あっさりヌシ殿は頷いた。
「運営会員たちは代替わりのたびに挨拶にくるし、学院長を含め教授たちも茶飲みに来るな。都市外からも客人がやって来るぞ」
 相当数の人間が知っているらしい。その割に噂程度にしか情報が流れていないのはどうしてだろうと疑問に思ったのを察知したらしくヌシ殿は言葉を続けた。
「一応、運営会員たちも内部規定とやらで関係者以外には緘口令をしいておるよ。それに加えて、敷地外ではわしのことは口に出せぬように術を使っておる」
 騒がしすぎるのも困るからのうとヌシ殿はのんびり言っているが、大掛かりかつ繊細な魔術だ。竜にも魔術師にも真似できないだろう。
 この都市が中立でいられるはずだとジェナイスは得心した。いくら「竜の守護を得ている」と噂があっても、それを信じず攻め込もうとする人間はいるはずだが、この都市が戦を仕掛けられたことはこれまでない。そう歴史の教官が言っていた。竜よりも遥かに厄介なものが存在することはひそやかにだが広く知られているのだろう。敷地内では存分にその存在について語れるし、おそらく望めばこうして会うことも可能なのだから。噂の真偽を確かめたならば、決して攻め込もうとは思わないはずだ。
「ふむ、そろそろ戻ったほうがよかろう。夕食の時間のようだ」
 ヌシ殿がちょっと遠くに目を向けて言った。
 書庫へ下りたのは昼を過ぎていたが、たどり着くまでに思った以上の時間がかかっていたらしい。またおいでと書庫係を案内につけて送り出された。
 今後、間違いなくルーヴァル王子は入り浸るだろう。なにしろ生きた古文書だ。ウィレンとしても、人と接する場所にいられるよりはヌシ殿のもとにいてもらった方が気楽に違いない。人間の暮らしに精通しているヌシ殿はこうして食事の時間になると送り返してくれるのだから、書庫にこもられるよりも健康的だ。
 図書館を出ると、なるほど日が暮れかけていた。あ、とジェナイスは思わず声をもらした。
「どうかしたのかい?」
 ルーヴァルが夕日に目を細めながら聞いた。
「いえ……試験勉強ができなかったなと思いまして」
「それは悪いことをしたね。でも、ジェスならきっと大丈夫だよ」
 その自信はどこから来るんですかと問い詰めたくなったが、ジェナイスはそうだといいんですけれどと苦笑いするにとどめた。
「……いざというときは俺からも口添えする」
 ジェナイスが何を懸念しているのか正確に読み取ったらしいウィレンが小声で告げた。
「ウィレンは試験はないの?」
「俺、実技しか取ってないから」
 この学び舎では武芸全般も教えているのだそうだ。武芸の歴史にも触れるが、実技重視らしい。そしてウィレンの立場上、ルーヴァルが講義を受けている間だけ、それらの訓練に参加しているのだという。
 ……魔術の実技もあればいいのに。
 だが、現在、魔術を教える学舎は南大陸にすらない。ジェナイスが望んだ魔術の講義が開かれるようになるのは、まだまだ先のことだった。

 こんなに記憶力を酷使したのは生まれて初めてだ。
 口頭試験を終えたジェナイスは休憩室のテーブルに突っ伏していた。なんだか詰め込んだ知識が頭から転げ落ちて行くのが見える気がする。
 ひと通りの質問には答えられたから、不合格ということはないだろう……と信じたい。
「終わったようね。お疲れ様」
 リエンナが甘みのある香草茶を持ってきてくれた。こちらはまだいくつか試験があるはずだが、余裕を感じさせる。ふと思いついてジェナイスはリエンナに尋ねた。
「リエンナ様は地下書庫の噂の元をご存知ですか?」
「あら、その問題も出たの?」
 首を傾げて逆に尋ねられ、ジェナイスは目を見開いた。
「知っているんですか?」
「知っているもなにも、その試験問題は中級クラスで毎回、出されるのよ。初級クラスの大陸史では出されないはずだけど。問題文は『学舎の図書館にまつわる噂のもとになった事象について類推して述べよ』だったかしら? おまけみたいなもので、教授が面白いと思える答えだと追加点があるの」
 ひょっとしてこの試験問題はヌシ殿について噂がどのくらい広まっているかの調査のために出されているのだろうか。
「リエンナ様はどう回答したんですか?」
「銅像の噂について取り上げ、窓から差し込む光による錯覚で動いたように見えるのだろうとかなんとか。面白くないから追加点はもらえなかったわね」
 そう言えばとリエンナは香草茶を一口すすってから続けた。
「セーナル王子は歴代最高の追加点をもらったそうよ」
「……回答の中身をご存知ですか?」
「噂でしか知らないけれど、この都市の『竜との契約』の伝承にもからめたものだったとか。力ある存在が書庫の地下に潜み、その存在が発する力によって普段は感知できぬ存在が感知できるようになるため、数々の噂が生じるようになったというのが、基本の流れと聞いたわ。それだけなら物語のようだけど、ものすごく真面目な論文形式で書かれていたそうよ。本当に、わけのわからない方よね」
 やはり幽霊よりもセーナル王子のほうが怖い。
 香草茶をちびちびと飲みながら、ジェナイスは思った。
 何故、ヌシ殿に直接会って話をしたこともないのに、それだけ真相に近い推察ができるのだろう。それとも教授たちからその話を引き出したのだろうか。どちらであっても、怖いことに変わりはない。
「ジェスはどう答えたの?」
「いえ、問題に出たわけじゃないんです」
 リエンナはしばらく手元の香草茶を見つめていた。
「……一昨日の午後、姿を消していたことに関係ある?」
 ジェナイスが頷くと、リエンナはふうっと息を吐いた。
「また改めて聞かせてちょうだい。今はとりあえず残りの試験に集中するわ」
 妥当な判断だ。だが。
「本当に聞いてしまってもいいんですか?」
 思わず聞き返すとリエンナは黙ってしまった。なにやら葛藤しているようだ。
 多分、この公女様には、知らぬふりができれば、あるいは気づかなければ、しないで済む苦労がたくさんあるに違いない。損な性分だ。
 二人は他の知り合いが声をかけてくるまで、互いに黙ったまま香草茶をすすっていた。。

つづく

第13話】【もくじ】【第15話】