青海国の魔術師

青海国の魔術師(第3話)

 青海国に宮廷魔術師が召し抱えられたのは実に三百年ぶりらしい。
 埃まみれになって書庫をあさっていた第二王子が三日ぶりに家族の前に姿を現して、そう告げた。家族といっても、そこに父王の姿はない。彼は今日も元気に息子の渋い顔も気にせず、海に出ていた。
「三百年前というと…ライアル王の活躍した時代だね」
 頭の中に歴史書が丸ごと入っていると言われている第一王子は言って、優雅にお茶をすすった。
「まさしく彼が召し抱えていたんだよ。あの時代は魔術師に対しする偏見が根強かったから、表向きには知られていなかったようだけど」
 言って古びた書物を兄に差し出す。
「…ああ、『魔王』が南大陸に現れて、その後、魔術師への迫害が始まったんだったわね」
 第一王女がようやく思い出したと頷く。
「伝説では『聖王』が剣で『魔王』を倒したことになっているけれど、実際に魔術師を剣で倒すことなんて可能なの?」
 従者達とともに相伴にあずかっていた魔術師は小さく首を傾げた。
「可能ですが、剣の主が魔力を持っているか、剣に魔力が込められているかに限ります」
「ふうん?『聖王』も実は魔術師だったのかしら?」
「違うだろうね。彼は女神から剣を授かったことになっているから」
 相も変わらず、のんびりとルーヴァルは言い、お茶を一口飲んでから続けた。
「その女神こそ、魔術師だったんじゃないかな」
「『悪』である魔術師から『聖王』が剣を授かったなんて言えはしないからね、『女神』ということに後世の人間が脚色したんだろうよ」
 書物をめくりながら、セーナルが皮肉げに言う。ジェナイスはその書物に書かれている言葉が今では祈祷書くらいにしか使われていない古語であることに気付いた。今話されている言葉よりも、ずっと「力ある言葉」に近いものだ。
「君も興味があるかい?あれはその魔術師の手記らしいんだ」
 ジェナイスはその言葉に驚いた。
「まさか」
 思わず、つぶやきが漏れる。ルーヴァルが首を傾げた。
「魔術師は文字を残さない。そこに魔力が宿り、後々まで作用するから、だろう?」
 ちらりとセーナルが書物から目を上げて言った。ジェナイスは頷いた。
「本人の直筆じゃないのだろうね。これは、どちらかと言えば西大陸の古語に近い。彼は南から来たようだし、この国の人間に代筆を頼んだのではないかな」
「相変わらず物知りだね、セーナルは」
「魔術師を雇った以上は、魔術師について調べるのは当然のことだと思うけどね。私は君と違って来る者拒まずの人間じゃないんだ」
「一応、調べたから、この本を見付けたんだけど」
 お、珍しく反論してる、と従者のウィレンがつぶやいた。
「自分の好奇心に従って、だろうに」
 それが悪いとは言わないけどねと第一王子は涼しい顔だ。
「…ちょっと、ルーヴァ、あなた、ひょっとして」
 何故か、フィーアルが怖い顔で弟に詰め寄った。
「魔術師との『契約』についても、全然、知らないんじゃないでしょうねっ!?」
「うん?『契約』を一方的に破棄すれば、契約の際に交わした誓言により、その身に破滅が訪れるというのはクレムグが説明してくれたけど?」
「それだけじゃないわよっ。あなたが魔術で攻撃されれば、それはあなたでなくジェスに降り懸かるのよ。それを知らないなんて許さないわよっ」
 そうなの?とばかりにルーヴァルに目で問いかけられ、フィーアルの見幕にあっけに取られていたジェナイスは慌てて頷いた。
「それは悪いことをしてしまったね」
「いえ、もともと、私の父が一方的に悪いんですから、お気になさらずに」
 娘を賭け金代わりに使った上に、ろくに「契約」について説明をしなかったとは、今度、会ったらただではおかないとジェナイスは心に誓った。
「ジェス、あなたも貧乏くじを引いたものね。よりによって、こんなすっとぼけた男と契約しなくちゃならなかったんだから」
 思いきり姉になじられているのにも関わらず、なんだか幸せそうな顔で第二王子はほほ笑んだ。
「何よ、その顔は?」
「見る目のない男が多いなと思って。フィーアルの美しさは外面ではなく内側にあるのに気付いていない」
 ジェナイスは我が耳を疑った。
 双子の従者兄弟があごを落とし、その従姉である侍女のお茶を注ぐ手が止まる。
 第一王子一人が超然と書物をめくっていた。
「あなたねぇ…」
 美辞麗句に慣れている王女は、さも呆れたとばかりに息を吐いた。
「実の姉に向かってそんな台詞が吐けるんなら、遠路はるばるやって来る姫君方の相手もしなさいっ!大体、貴方はね…」
 いつものごとく、第一王子は騒ぎを無視し、第二王子は身を縮ませ嵐が過ぎるのをじっと待った。


 月に一度の大市が開かれ、大通りは賑わっていた。他の島に住む人々も都へとやって来て買い物を楽しんでいる。しかし、中には楽しんで買い物をしているわけではない人間もいる。第二王子の従者は魔術師とともに従姉に引きずられ、買い出しに来ていた。魔術師とはいえ、年頃の娘であるジェナイスは買い物も楽しんでいたが、ウィレンは違う。彼は市場に連れられて行く羊よりも情けない顔をしていた。
「うっとうしい顔しないでよ、ウィレン」
「したくもなる。せっかく、カーリャと約束とりつけたのに」
「どうせ、一カ月ともたないんだからいいじゃないの」
「そーゆー問題じゃない」
「じゃあ、どういう問題よ?」
 従姉弟が遠慮なく言い合いをしているのを聞きながら、やっぱり王家の三つ子と似ているとジェナイスは思っていた。
 あら、とエスリンが声を上げた。
「ほら、見て、ジェス。あの人、あなたと同じような髪の色しているわ」
 自分と同じ髪の色の人間はめったにいないと知っているジェナイスは雑踏のなか背伸びをした。
 その人物を目にした途端、魔術師は呆れるほど素早く後ずさった。しかし、相手は更に素早い身のこなしで彼女に接近し抱き締めていた。
「会いたかったよ、ハニー」
 君に会えない日々は地獄のようだった、どれほど、君をこの腕に抱き締める日を待ち望んだことか君にわかるかい?わからないだろうね、と怒涛のごとく言葉を浴びせながら、更に雨あられと顔中にキスの雨を降らせるなど、ただ者にはできない。
「…止めるべきか?」
 第二王子の従者は選択権を頼りとする従姉に委ねた。
「…そうね」
 第一王女付き侍女が結論を下した時はすでに周囲に人だかりができていた。市の日の大通りで、人目も憚らず、こうした行為に及べば当然だろう。
 流れるよな弁舌が突如、途絶えた。
 ジェナイスがふるふると拳を握り締め、男があごを押えている。
「いい加減にしてよね、エウルク叔父さんっ!」
 しんっとした空気の中、少女の悲鳴に近い声が響き渡った。

 新しい種類の道化かい?と第一王子に言わせしめた男は、どこで息継ぎしているのか分からぬほど、蕩々と第一王女を賛美する言葉を未だに連ねていた。そんな彼を無視することに決め、ジェナイスは王子達に説明を始めた。
「彼は私の叔父で、父とは異父兄弟になります。そして…どこで、どう間違ったのか知りませんけど、今ではファローナ女王の夫です」
 兄弟は揃って、彼らが耳にする一年分くらいの称賛の言葉を吐き続ける男を見た。濃淡のある褐色の髪以外、姪と似たところはなく、甘い容姿はいかにも貴婦人に好まれそうだ。
「クレムグともあまり似ていないね」
「叔父は父親似だそうですから。性格は父親譲りというわけではないでしょうけど」
「ファローナと言えば、強国だけど、かなり内陸にある。一体、そんなところの女王の配偶者がどうして、青海国に?」
 わけがわからないといった様子でセーナルが問う。
「…女王の命令でなければ」
 そんな命令を女王が出すはずないと思いながら、ジェナイスは言葉を続けた。
「夫婦喧嘩して家出して来たんでしょう」
 こんな所まで来るかと思うが、そんなことをするのが、この叔父なのだ。
「彼も魔術師なのかい?」
「ええ。私よりも強力な魔術師の一人です」
「ふうん。まあ、ファローナは魔術の盛んなところだしね」
 魔術師が女王の配偶者でも納得できるとセーナルが頷く。
「女王様も大変だろうね。夫婦喧嘩でこんな遠くにまで逃げられるなんて」
 と、ルーヴァルが妙なところで、同情している。
「ここまで逃げて来る魔術の腕もだけど、何より語彙と肺活量に感心するよ」
 丸暗記した詩でも吟じているかのような男を見ながら、セーナルが言い、ジェナイスはそんな叔父を持つことを心底、恥ずかしく思っていた。
 やがて、エスリンが客室にご案内いたしますと、王女からファローナの魔術師を引きはがして連れ去った。そのエスリンに向かっても、賞賛を惜しみなく与え続けていた。
「彼って、いつもああなの?」
 はたはたと扇子であおぎながら、フィーアルが問いかけた。
「ええ、女性が視界にいる限り、常に、ああなんです」
「誰にでも?」
「女性にならば、誰にでも分け隔てなく」
「…夫婦喧嘩になるはずね」
「…女王様がうっとうしがって、喧嘩になるんですけど」
 あの調子で毎日のごとく飽きもせず、妻に向かって美辞麗句を浴びせるので、少しは黙っていろと女王が癇癪を起こすのだ。そうすると、君はもう私を愛していないのかと、さらにうっとうしく嘆き悲しんで見せるのである。後は追い出されるか、自分で出て行くか、どちらかである。なんでこんな男と結婚したんだろうと毎日のように自問する、と女王は溜息まじりに言ったものだった。
「あなたと私、意外なところで共通点があるわね」
 王女の言葉にジェナイスは首を傾げた。
「血縁者がろくでもない男だらけ」
 思わず頷いてしまい、慌てて主達に目を向けたが、幸い二人の王子の耳には届いていなかった。

 それは意外な展開だった。
 海から戻った国王はファローナ女王の夫に引き合わされたのだが、何故だか、いたく彼を気にいり、次の出航の際には彼を伴って行った。
 一部の女性達は残念がっていたが、顔を合わせたが最後、うんざりする程甘い言葉を浴びせられる王女やその侍女および宮廷魔術師は大喜びだった。
「…なんか厭な予感がするんだけどね」
 第一王子はそう言いながらも、敢えて止めようとはしなかった。理由はいい年した男(父親)にだだをこねられても恥ずかしいだけだからだそうだ。
「ジェナイス、この本、君も目を通しておいた方がいいよ。真偽はともかく、なかなか興味深いことが書かれている」
 セーナルが手渡したのは、三百年前の魔術師が残したという手記だった。

 青海国の地図というのはほとんど海図だ。島国だから仕方ないとは思うものの、もう少し陸地の情報を記してくれてもいいんじゃないだろうかとジェナイスは地図を前にぶつぶつ文句をつけていた。
「何やってんだ?」
 ひょいとウィレンがのぞきこむ。
「宝の隠し場所?」
 赤い印を見て子供のようなことを言う。
「貴重ではあるかもしれないけど、宝じゃないわね」
「何?」
「怪物を封印した場所」
「…こんなにあるわけ?」
「ほとんどは小物だから、三百年も封じられたら、魔力が尽きて死んでいるけど、これなんかだと、まだ生きている可能性もあるわね」
 小さな島を指しながら説明する。
「へえ。どんな怪物なんだ?」
「巨大な魚ってところ」
「あ、それなら、聞いたことがあるぜ。船を丸のみするってやつ。本当にいたんだなぁ。…封印が解けるってこともあるのか?」
「ええ。封印を施した魔術師以上の魔力のある魔術師なら術そのものを解けるし、そうでなくても、古い封印なら強い魔力に触れただけで解けることもあるわ。だから、この魔術師は『手記』を残したのよ」
 とんとんと指先で古い書物をたたく。
「へぇー。…これって」
 地図を見ていたウィレンの顔が不意に青ざめる。
「悪い、ちょっと借りる!」
 若者は地図をつかむなり、見事な走りっぷりで駆け去った。

 第一王子は息を切らしているのに顔色の悪い若者をちらりと見遣った。
「…御名答。まさに、父上が退治に出掛けた海賊の本拠地だよ。ルーヴァルとジェナイスを呼んでもらえるかな?」
「わかりました」
 すっ飛んで行く若者を見送って、セーナルは椅子に深く身を沈めた。
「やれやれ、せいぜい、海賊達を派手に魔術でふっとばして、諸国の魔術師の注意を集めるくらいかなと思っていたんだけどね」
「魔術を使うとは限らないのでは?」
 第一王子つき従者が言う。なにせ国王はいい年して白兵戦が大好きという血気盛んな人間だ。
「珍しもの好きの父上がせっかく魔術を目にできる機会を逃すと思うかい?」
 それを論破するような根拠となるものはどこにもないことを認め、ティレンは深く息を吐いた。

 第一王子に事態を説明され、今すぐ止めに行って来ますと術を使おうとしたジェナイスが息を飲んだ。
「ごめんよ、ハニー、愚かな私を許しておくれ」
 深刻さをみじんも感じさせない声が響く。
「許すかっ」
 声の主の腹に一撃をくわせた魔術師は主に向き直った。
「すみません、御同行願います」
 近い血縁者がいれば、その「血」が目印になって同じ血を持つ相手のもとに移動できるのだ。ちなみにそれが互いに魔術師であると、もっと移動は容易になる。
「いいよ」
 ルーヴァルがのんきな返事を返す。次の瞬間、第二王子と魔術師の姿は消えた。腹をかかえてうずくまっている魔術師に同情を向ける者はいない。
「あなたの方が魔力は強いのでしょう?」
 何故、お前も行かないんだとばかりに第一王子が言う。
「魔力には適性というものがあるんですよ、殿下」
 苦笑いしながら、魔術師は応じた。
「私の魔力は人間に対してより効果を発揮するんです。ジェナイスの魔力は精霊に対する働きかけが強い。私が精霊に働きかけても、ジェナイスの半分ほどしか効果はない」
 なんだ、普通にしゃべれるんじゃないかとティレンが言えば、女が視界にいなければ普通らしいって言ってただろとウィレンが応じる。
「いわゆる攻撃系の魔術は精霊を使役するもの。怪物相手にはジェナイスの方が適任なんです」
「それでも援護くらいはできるだろう?」
「必要ありません。今のジェナイスに対抗できるのはクレムグくらいのものですよ」
 なにしろ、と溜息をつく。
「本気で怒らせてしまいましたから」
 わざと怒らせたのではないのかとセーナルは思ったのだが、追及するのは止めて、この機会に南大陸の情報を仕入れておくかと魔術師に親切面してお茶をすすめたのだった。

 青空の下、甲板で青海国の王は息子に質問を発した。
「あれで何人前の料理ができると思う?」
「さあ?少なくとも本島の住民すべてに分けることができるんじゃないでしょうか?」
 魔術師の放った光に射抜かれて荒れ狂う化物魚を悠然と眺めながら、息子が応じる。
 魚の周囲は魔術師の張った結界によって、外界とは完全に隔離されていた。まるで巨大な金魚鉢に入れられたかのようだ。
「どんな味がするのだろうな」
「その前に、あれは食用になるんでしょうか?体の構造はどうなっているんでしょう?」 
海賊船を丸のみにし、結界内で津波のような大波を起こして暴れる巨大な魚を父子は妙な熱のこもった視線で見詰める。
 お願いだから、この状況で、そんな気が抜ける会話をしないでくれと、乗員達は心のなかで訴えた。彼らは突如、島が化物に変じて暴れ出した先刻の恐怖から解放されていなかった。
「干物になりかけていますから、たいしておいしくはないと思いますけど」
 魔術師の少女が術の合間に言った。
「干物ならおいしそうだが?」
「言い方を変えます。あれは石化しかけているんです」
 その言葉に、父子が残念そうな顔になる。
 ぐぐっと怪魚ごと海面が盛り上がった。釣り上げられた魚のようにというより、海から弾き出されたかのように怪魚が空中に浮かぶ。びちびちと球形の結界内ではねる姿は、桁外れに巨大で、目がいくつもあり、妙な器官がたくさんついているが、確かに魚だった。
 だが、これに食欲をそそられる人間はそういないだろう。
「どうせ封じるなら陸地に引き上げておけば、今頃、干物になりきってたのに。所詮、魚は魚なんだから」
 魔術師は不機嫌そうにつぶやいた。
 ぐんぐんと球が小さくなる。怪魚が動かなくなり、そのまま圧縮されてゆく。
「あ、肉団子」
 ぽんっと第二王子が手を打ち合わせるのを見て、この人が世継ぎでなくて良かったと乗員達は心から思った。


 夕方、帰港した国王直属艦の乗員は一様にげっそりと憔悴仕切っていた。対照的に国王は眠りこける魔術師を戦利品のように意気揚々と腕に抱いて帰城した。すぐに魔術師は部屋に運ばれ、快適な寝床に移された。
「ジェスの契約主はあなたでしょう」
 父親に運ばせたことを咎めるようにフィーアルが弟に言った。
「…フィーアル様、ジェスを危険な目に遭わせたくありませんよね?」
 ウィレンが真面目な顔で言った。
「危険?」
「慣れないことをしたら、絶対、ルーヴァ様はこけますよ」
 ひどい言葉だがルーヴァルはその通りと頷いた。
 なにしろお前に剣を教えるより、ウミウシに芸を仕込む方が希望が持てると実の父親に言われた不器用な人間なのだ。フィーアルはそうだったわねと溜息をついた。
「そう言えば、あのお騒がせな魔術師殿は?」
 その不在に気付いて、兄に尋ねる。
「彼なら、さっき、迎えが来て帰ったよ。別れの挨拶ができないことを非常に名残惜しんでいたけどね。でも、代わりに」
 セーナルは中庭を指さした。
「あれを置いて行った」
 いなくなった魔術師が若返ったのではないかという十六、七歳の少年が城仕えの娘相手に何やらせつせつと訴えていた。娘の方は恥ずかしそうな顔をしているが、まんざらでもなさそうだ。
「中身は一緒のようだよ。独身の分、一層、手に負えない気もするけどね。愛する従妹殿に挨拶するまでは帰らないと言っているよ」
 フィーアルは深く溜息をついた。
「私もジェスにならって、ずっと眠っておこうかしら」
 城の一室では、二度と目覚めるものかとばかりに魔術師が昏々と眠り続けていた。

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