青海国の魔術師

青海国の魔術師(第6話)

 めでたく第一王女の婚約が成立した青海国の王城ではさっそくに嫁入り支度が侍女頭の指揮の下、城下の娘達から構成される侍女達の手によって整えられつつあった。
「ジェスもやってみる?」
 白絹に銀糸で繊細な刺繍をほどこしている侍女のエスリンに声をかけられ、魔術師の少女は恐ろしげにぶるぶると首を横に振った。
 自慢じゃないが無頼の魔術師に男手ひとつで育てられたため、そうした「家庭を営む上で必要な技術」をジェナイスは身につけてはいない。
 一応、習ったこともあるのだが、あまりの不器用さにさじを投げられたという苦い思い出がある。
 とりあえず、手伝えることはなさそうだとジェナイスは侍女達が寄り集まっておしゃべりしながら縫物をしている部屋を出た。
「おーい、ジェス!」
 階段の前で第二王子付き従者の若者が声をかけた。
「フィーアル様、中にいるか?」
「さっき、執務室に行かれたはずだけど」
「おかしいなぁ。執務室においでにならなかったから、呼んでこいってセーナル様に言われたんだけどさ。陛下でもあるまいし、フィーアル様が政務をさぼるってことはないはずだし」
 フィーアル王女は責任感が強い。どんなに忙しくとも、手を抜いたりはしない。
「ちょっと探してみるわね」
 宮廷魔術師としてジェナイスは国王とその三人の子供達を守るために、彼らの居場所がすぐにわかるよう、本人達の同意を得た上で、魔術的な「しるし」をつけているのだ。
 ジェナイスは瞼を閉じて意識を集中させた。
 フィーアル王女が城内にいるのであれば、すぐに反応があるはずだった。
「おかしいわね…」
 呟きながら、捜索範囲を広げたが、やはり、なんの反応もなかった。
 どういうことなのだろう。
 魔術師が何か仕掛けたのならば、「しるし」の存在ゆえに、自分が感知できないはずがないのだ。
 ジェナイスは目を開けた。
 その視界内で妙な動きがあった。
 常に周囲をうろうろしている風霊達がまるで視線を逃れるかのように、さっと散ったのだ。何か精霊達を脅かすものがあったわけではない。地霊や水霊達は好奇心にあふれた様子でこちらを伺っている。
「…そういうこと」
 魔術師の使役を受けていない力の強い精霊ならば、自分に気づかれずにフィーアル王女を自分の結界内から連れ出すことができる。そして気まぐれな風霊ならば、いかにもやりそうなことだ…自分をからかうという目的のために。
「どういうことか、俺にはさっぱり分からないんですけど?」
 一人で納得している魔術師にウィレンは説明を求めたが、無視されてしまった。
 私に喧嘩を売る度胸があるというわけね、などと何やら不穏な呟きが魔術師の口からもれている。ウィレンは内心冷や冷やしながら、再度、魔術師に話しかけた。
「何か事件が起きたってことなのかな〜?」
「まだ確証はないけれど、フィーアル様はこの島内にはいないようだから、心当たりを探してみるとセーナル様にはお伝えしてちょうだい」
 王家の人間の安全を確保するためには、契約主であるルーヴァルの許可を得なくても魔術を行使できるよう、ルーヴァルと取り決めてある。
「城の東の岬まで行ってくるわ」
 周辺に人家がなく、人通りの少ない岬でならば、多少、精霊が暴れたところで被害は出ない。
「了解」
 ウィレンはそれ以上質問することなく、セーナルのもとへ報告に戻った。
 魔術師の専門分野は魔術師に任せておけばいい。
 ジェナイスは大きく息を吐くと、目的地に向けて出発した。


 岬の先端部は風が強い。
 風に煽られる濃淡のある髪を押さえながら、青海国の魔術師は岬の上に立った。
 本来ならば、風霊がいくらでも集まっている場所であるが、不自然なことに全く姿が見かけられない。
 目撃していたはずの地霊や水霊が沈黙を保ち、風霊に至っては逃げ出すとなれば、他の属性の精霊にまで沈黙を命じることができるほど高位の風霊が関与していることは間違いなかった。
 心当たりなら、数多くある。気まぐれな風霊の性質は父親と波長が合うらしく、多くの風霊が父親のもとを訪れていた。精霊というのは人間に関心を持たない者が多いのだが、中には妙に人間くさい者もいて、そうした連中は概して悪戯好きだった。
 …最小の魔力で、最大の効果を引き出すべし。
 魔術の基本理念を心のなかで復唱すると、ジェナイスは一つの呼び名を口にした。
「南風公」
 音が空間に吸い込まれるや否や、ごうっと暖かな風が吹き抜けた。
「ようやく呼んでくれたね、ジェス」
 現れたのは、人の目に映るとすれば、二十代半ばほどの青年に見える精霊だった。黒い髪に褐色の肌、朱金の目をした、人にはあり得ぬ色彩を宿した青年だ。彼は精霊の中では青年に間違いなかったが、年齢はゆうに三百歳は越していた。加えて、髪や肌の色彩もその時の気分次第で変化するものだった。
「クレムグからも呼び出しがないし、このところ、退屈で仕方なかったんだ」
 呼び出されない限りは姿を現さないという、精霊にしては良心的な精霊である。更に、精霊界を統べる王に次ぐ「公」という地位にありながら、呼べば気軽に応じてくれる親切者だ。
「南風公をお呼びするほどの『敵』に遭遇しなかったものですから」
「ということは、今回はその『敵』がいるということかな」
 嬉しげな声である。風霊は火霊に次いで好戦的なのだ。とはいえ、個体差というものがあるにはあるのだが。
「厳密には敵というわけではないんですが」
 ジェナイスは事の経緯を簡潔に説明した。
「ああ、それなら西風公子だろう。彼の気配が残っている」
 実にあっさりと風霊は答えを出してくれた。
「西風公子ですか?…彼が、こういう悪戯をするような性格だとは聞いていませんが」
 何しろ、話題に上がった精霊とは面識がない。すなわち、父のクレムグと組んで悪戯をしたことはない、ということである。
「そうだね。彼はどちらかといえば出不精だし、第一、ここは海に囲まれているから、彼が理由も無しに訪れることはないだろう」
 彼は東海公姫が大の苦手なんだと人の悪い笑顔で風霊は言った。東海公姫はその呼び名の通り、海を統べる水霊公の姫君だ。
「では、何故…」
「それは本人に聞けばいい。行くよ」
 風が魔術師の身体を包み込み、彼女が所属する世界から彼女を運び去った。


空がどこまでも続いているような青い空間だった。
 力ある精霊が生み出した、一種の結界の中にある、独立した空間だ。
 宮殿の内部のように見えるが、床や壁は半透明で、色を微妙に変え続けている。
 その空間にあっても違和感を感じさせない銀髪の美姫はすっと背筋をのばして瀟洒な造りの椅子に腰掛けていた。
 深青の瞳は冷然と目の前にいる青年を見据えている。
 淡い青金の髪を持つ青年は明らかに人間ではない。
「確かに、そなたは私と約定を交わしているのだ」
「知りません。自慢じゃないですけれど、私は五歳以降の事ならば、はっきりと記憶しておりますの。貴方の話によると、貴方に出会ったのは七歳になる直前の春になりますわね?その頃のことなら、はっきり思い出せますけれど、私の記憶の中に、貴方はかけらも存在しておりませんわ」
 静かだが、怒りを抑えていることが、ありありと伺える口調だ。
「私が嘘を申しているというのか」
「精霊は嘘を言えないよ」
 ひょいと二人の間に入って、黒髪の青年が言う。
「…南風公、何用ですか?」
 不快を露わに青金の髪の青年が突然の闖入者を睨め付けた。
「西風公子、君、私の庇護を受けている魔術師の結界内から、こちらの女性を連れ去っただろう?君がどういうつもりなのか、確かめようと思ってね」
 喧嘩を売るのなら、喜んで買うよとにこやかに言われて、西風公子は明らかにたじろいでいた。
「南風公にたてつくつもりなど、毛頭ございません」
「そう?」
 それならいいのだけどねと微笑する風霊を見ながら、ジェナイスは彼と青海国の世継ぎの君がよく似ていることに気づいた。上に立つ者は、精霊でも人間でも、何か共通するものを持つようになるのかもしれない。
「あら、ジェス、迎えに来てくれたの?」
 魔術師の存在に気づいて、フィーアルが声をかけた。
 精霊に浚われるという異常事態にも取り乱した様子はない。
「はい。それで、原因は何なのですか?」
「それが私にもさっぱり分からないのよ。こちらの方が、私と結婚の約束をしたとおっしゃるのだけど、私にはそんな覚えはないの」
「…それが、七歳の頃、というわけですか」
 先刻の会話を思い出して、ジェナイスはこめかみを押さえた。
「精霊はね、これはって思う人間の子供を見つけたら、すぐに恋人になる約束を取り付けるんだよ。精霊にとって十年や二十年なんてあっという間だからねぇ。まあ、私には、年端もいかぬ幼子に約束なんかさせる趣味はないけれどね」
 どこまでも嫌みたらしく南風公が言う。仮に彼の力が西風公子に劣っていたら、即座に攻撃を受けていたことだろう。
「その場で浚って、自分の手で理想的な恋人に育て上げるなんて真似をしなかっただけでも、よしとしよう」
「精霊って、そんなことするんですの?」
 銀の眉を寄せて、フィーアルが問う。
「暇な精霊達はするんだよ。まあ、その場合、本人の了承を得なくては、君たちの世界から連れ出すことはできないけれどね。もっとも、意味の分からないでいる幼い子供を口先三寸で丸め込むくらい、簡単だから、そういうきまりがあってもなくても、あまりかわらないけど。寿命が長いと、退屈でろくでもないことをしたがるようになるんだよ」
 自分のことは棚に上げて、というジェナイスの呟きを南風公は聞こえぬふりをした。
「さて、本題に戻そう。君は確かに彼女と約束をしたんだね、西風公子?」
「はい」
「そして、君は彼のことなど記憶に無い、と」
「そうですわ」
 南風公はジェナイスに目を向けた。続きはどうぞ、と言っているのだ。
「…精霊との約束はいついかなる時になされたものであろうと、拘束力を持ちます。西風公子のおっしゃるように、フィーアル様が彼との結婚の約束をなさっていたならば、フィーアル様がオーリス殿下と婚約をすることは不可能だったはずです」
「それは、魔術師たるお前が何か細工したのだろう!」
 憤慨した様子で西風公子が決めつける。
 ジェナイスは一呼吸置いてから、口を開いた。
「私は精霊との契約により力を使う魔術師です。いかなるものであれ、精霊との約束を違えるような真似はいたしませんし、また他者にそれをさせようとも思いません」
「はっ。所詮、人間だ。口先だけで何とでも言えよう」
 本来、短気なジェナイスの中で、何かが切れる寸前に、小気味よい音が響いた。
「見下げ果てた精霊ですこと!」
 精霊に平手打ちを加えた王女は青い目を爛々と輝かせていた。
「無礼にも程があります」
 西風公子は度肝を抜かれたらしく、反論もない。
 それはそうだろう、普段のフィーアルを知らぬ者には彼女の怒りの凄まじさはあまりに強烈だ。
 繊細でたおやかな外見からは予想もつかぬ気迫に呑まれて、手も足も出ないでいる西風公子の姿に、南風公が笑い出す。
「…では、続けさせていただきます」
 毒気を抜かれて、ジェナイスは事務的な口調で言った。
「推論に過ぎませんが、西風公子が約束されたのは、フィーアル王女ではなく、そのご兄弟の一人だったのではないでしょうか?」
「まさか」
「西風公子、人間の子供の男女の区別がつきますか?特に青海国では、ちょうど七歳まで子供の服装に男女差はないのですが」
 風霊は黙り込んでしまった。何やら思い当たることがあったようだ。
「ねぇ…精霊との約束は拘束力があると言ったわね?どちらかは分からないけど、あの二人が未だに婚約もしていないのは…」
 フィーアル王女はふるふると頭を振った。
「厭よ、いくら精霊でも、兄か弟の結婚相手が男なんてっ!」
「私だって、男を嫁にする気はないっ!」
 西風公子も負けじとばかりに言い返す。
 この様子に南風公子は笑い通しだ。
「…両者の合意のもとに、解消すればいいだけのことです」
 男の精霊と結婚の約束をしてしまうような迂闊なことをしでかすのは、やはり、我が契約主殿だろうかとジェナイスは考えながら、各自が落ち着きを取り戻すのを待っていた。


 風と共に現れた訪問客達を青海国の世継ぎはにこやかに出迎えた。
 しかし、にこやかなのは表面だけで、実は風で書類が散らばったのに腹を立てていることをジェナイスは確信していた。彼は、仕事を邪魔されるのが何より嫌いなのだ。
 彼の従者が訪問者達の様子を横目で伺いながら、手早く書類をかき集めている。
「ルーヴァルは?」
 開口一番、フィーアル王女が兄に問いかけた。
「書庫にいる。何か用事があるのかい?」
「昔、精霊に求婚された記憶があるかどうか、聞きたいのよ」
「ふうん。ああ、どこかで見覚えがあると思ったら、彼はあの時の精霊か」
 さりげなく言われた世継ぎの君の言葉に、フィーアルの動きが凍り付き、ジェナイスの思考も停止した。
「嘘でしょ、セーナル、あなたがっ!精霊と婚約するなんて、絶対、ルーヴァルだと思ったのにっ」
「していないよ。勘違いしてもらっては困るな」
 悠然とした態度で応え、青海国の世継ぎは真っ直ぐに青金の髪を持つ精霊に目を向けた。視線を受けた精霊はそれだけで気圧されている。
「あの時、私はこう言ったはず。『私がおとなの女性になったならば、望み通り貴方と結婚しましょう』と」
 わずかにセーナルは唇の端をつり上げた。
「私は女性になり得ないけれどね」
 南風公が吹き出すとほぼ同時に西風公子を中心として風が巻き起こった。
「謀ったのだな!」
「人聞きの悪いことをおっしゃらないでいただきたい。私は無力な子供で、貴方は力ある精霊だった。約束するまで家には帰さないと言われて、仕方なくこの手段を用いただけのこと。更に、自分の性別は男だと言えば、どうなるかわかりませんでしたからね。あなた方精霊は人間の命など、なんとも思っていないでしょう?直接、手を下すことはなくとも、海の上に放り出すくらいのことはやりかねない。私は私にできるやり方で我が身を守っただけのことです」
 ぱちぱちと拍手が起きた。南風公である。
「お見事。西風公子、彼は嘘を一言も言っていない。何より、君の勘違いが事の発端だ。非があるとすれば、君にある。ここはおとなしく引き下がるんだね」
「しかし、人間ごときに愚弄されて、このまま…」
 他者には聞き取れぬ低い声でジェナイスは囁いた。ぎくりとした顔で青金の髪の精霊が魔術師を見やる。
「人間ごときでも、貴方の真名を読みとることはできるんです。貴方と契約する気はありませんけれども、今後、貴方が私に関係する人間に何らかの手出しをなされば、実力行使に移させていただきます」
 淡々と告げる魔術師の内面で怒りが頂点に達していることを知っているのは、昔なじみの南風公と、直接脅威にさらされている西風公子だけである。精霊にとって、真名を知られるというのは、人間が心臓を他人の手に握られるのに等しい。
「…すまなかった」
 風霊が素直に謝罪する。
 精霊界では実力がものを言う。一度、自分よりも上と認めた相手には、おとなしく従うものなのだ。
 世継ぎの君の従者が我関せずの顔のまま、書類を揃えて世継ぎの君に差し出した。ティレンは自分のなすべきことを心得ている。
「ジェナイス、ご苦労だったね」
 問題は片づいたとばかりに笑顔でセーナルが言う。つまりは、早く邪魔者を追い出せと要求しているのだ。
「…では、失礼します」
 ジェナイスは風霊達を引き連れて、執務室を出た。視界の隅に、フィーアルがやれやれと言わんばかりの表情で自分の執務机に向かうのが見えた。
「ジェス、彼らに庇護を与えてもいいかな?」
 青海国の王子達がかなりお気に召したらしく、南風公が尋ねた。
「ご随意に」
 西風公子は厭そうな顔をしたが、ジェナイスは気にしなかった。南風公が庇護してくれれば、守りの手間が省けるというものだ。
「西風公子、先ほどの件はお忘れなく。どうぞ、お引き取り下さいませ」
 ジェナイスに促されると、西風公子はものも言わずに姿を消した。おそらく、今後百年ばかりの間は青海国に姿を現すことはないだろう。
「さて、私も、そろそろお暇しようかな」
 黒い髪を次第に黒銀に変えながら、南風公がのんびりした口調で言った。面白い事件が解決した今、彼にとどまる理由はない。
「ありがとうございました、南風公」
「どういたしまして。これから東海公姫のとこに顔を出すけれど、伝言はあるかい?」
「いいえ、特には何も」
「そう。東海公姫も退屈しているから、今回のことはいい土産話になるよ。西風公子をからかうネタも出来たしね」
 南風公はご機嫌のようだ。
 西風公子も気の毒にとは思ったが、かばってやる気にはなれない。傲慢な精霊など、たまには痛い目に遭えばいいのだ。
「では、また」
 風霊はすうっとかき消えた。
 くすくすと笑いながら、姿を消したせいか、余波で空間がゆらゆらと揺らめいている。
「終わったわね」
 ジェナイスはうんとのびをした。
 今日は魔力の消費もほとんどなく、魔術師としての職務を果たせたので、経過はともかく、結果としては満足だ。
 気がつけば、夕日が射し込み始めている。この騒ぎなど知らずに地下書庫に潜っているであろうルーヴァル王子も地上に出て来る頃だ。
 …念のため、ルーヴァ様も、精霊と関わり合いになったことがないか、確かめておかなくちゃね。
 いくら速やかに解決したとはいえ、こんな騒ぎは二度とごめんだ。
 青海国の魔術師は職務を遂行すべく、元気よく階段を駆け下りていった。

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