青海国の魔術師

青海国の魔術師(第7話)

 青海国の世継ぎの君は、第二王子とその従者並び魔術師が揃うとおもむろに口を開いた。
「ちょっと遠くてすまないが、アザール王国に行ってもらえるかい?」
 言葉では、一応、彼らの意志を尊重してているようだが、否という答えを拒絶しているのは明白だ。
 そもそも「ちょっと遠く」などと言っているが、アザール王国は大海を越えた西大陸の、そのまた半分を横断した中央部にある。
 だが、三人とも世継ぎに逆らおうとは思わなかった。逆らっても無駄なことだと分かっていたし、逆らう理由もない。ただ、疑問はある。
「どうして、我々が?嫁ぐのはフィーアル様ですよ?」
 まさか、ルーヴァ様を身代わりに立てるんですかと従者のウィレンが眉を寄せている。
「ああ、それも面白いかもしれないね。やってみるかい、ルーヴァル?」
 少々、意地悪な笑みを口もとに浮かべてセーナルが三つ子の弟を見遣った。
「とんでもない。何か問題でもあるのかい?」
 怒るでもなく、おっとりした口調で第二王子は兄に問い返した。
「大ありだ。知っての通り、先方の王妃は、フィーアルを嫁に迎えることを快く思っていない。あらゆる手段を講じて、『花嫁一行』の邪魔をするだろう」
 十分に予想されることだと魔術師は頷いた。婚約が整って以来、刺客は度々送り込まれて来た。その連中は捕らえられた後、「更正のため」と称して、港の補修工事など労働に従事させている。中にはアザール王国の「由緒正しき騎士の家柄」の人間もいるのであるが、そんなことは免除の理由にならなかった。
 それゆえ、当然ながらフィーアルは諦めの悪い未来の姑に腹を立てており、嫁姑の直接対決が見物だ、とジェナイスはひそかにその時を楽しみにしていた。怖いもの見たさというものである。
 世継ぎの君はゆっくりと続けた。
「そこで、君達に布石を打ってもらいたい。魔術師の邪魔をできる人間はそうそういないからね」
「なるほど。私とウィレンがいれば、フィーアルを向こうに連れて行くことは簡単にできるわけだね」
 すぐに転移の魔術に思い当たったらしく、ルーヴァルが言う。ぼんやりして見えるが、頭の回転は決して鈍くない。
「そう。おまけに、帰りは一気に戻って来られる。よろしく頼むよ、ジェナイス」
「わかりました」
 ジェナイスは即応した。
 三つ子や双子という極めて近しい間柄の人間がいれば、転移の魔術も楽にできる。まず、ウィレンを連れて双子の片割れのもとに戻り、次にフィーアル王女を連れて、ルーヴァル王子のもとに行く。そして、最後にルーヴァル王子を連れて、セーナル王子のもとへ戻れば、終わりだ。
「一応、オーリスには君が挨拶に出向くと伝えてある。ロウの港で迎えが待っているはずだ」
 ロウは西大陸南東部にある。地理的に内陸のアザール王国に最も近い港だ。
「ロウまでの船は手配しているのかい?」
「イセ−に頼んだよ」
「それなら安心だ。出発はいつ?」
「十日後。向こうへの挨拶の品の手配はしてある。旅支度だけ頼むよ」
 やはり、世継ぎの君の頭のなかでは彼らがアザール王国に行くことは決定済みだったのだ。しかも、アザール王国の世継ぎと連絡済みである以上、何カ月も前から決まっていたに違いない。
 青海国に来て一年以上経った今、彼の意向にそむくことができるのは、敢えてその危険を冒すのは、王くらいのものであることを魔術師は知っていた。

 主に従って港に向かいながら、ウィレンはジェナイスに彼らを船に乗せてくれる人物について説明した。
 イセーというのは「王家の商船団」の船団長だという。この船団は、東大島に拠点を持つ一族を中心に組織されており、国王の代理として交易を行い、有事の際には海軍ともなる。
「まあ、陛下の幼なじみの女傑と言えば、一番わかりやすいかな」
「え、女性なの?」
「一応。豪快で腕っぷしも強くて、そんじょそこらの男じゃ太刀打ちできない」
 きっとジェスとも気が合うと思うけどなとウィレンは笑う。
「どういう意味よ」
「さあね。強いぜ、あそこの一族の女は。俺達のおやじとエスリンの母親はそこの出身なんだ」
 それなら、確かに強いのかもしれない。王女付き侍女の顔を思い出しながら、ジェナイスは心のなかでつぶやいた。
「王家ともつながりはあるの?」
「遠い親戚ってくらいは。もともと青海国じゃ、さかのぼれば王家の血筋って連中はごろごろしてるからな」
 貴族のいない青海国では、王族は世継ぎ以外の者は結婚すれば、王位継承権を失い、「ただの人」となるのだ。よって、「身分違い」という観念はあまりないらしい。
「あ、それから、船団には魔術師とは呼べないけど、魔力がある人間が何人かいる。風の精霊を呼びよせたりするくらいの」
「ああ、風呼びと言われる人達ね」
 大陸間を航海する船には、必ず「風呼び」が乗っている。昔は「風呼び」と呼ばれたのは魔術師が風寄せの術を行う媒介に使用された珠であったが、いつしか、風霊を呼び寄せる能力を持つ人間がそう呼ばれるようになった。それというのも、魔物がほとんどいなくなってから後、魔術師を乗せる船が少なくなったからだ。何より、魔術師の数自体が少ないので、魔術師を雇おうにも、そうそう雇えるものではない。
「本物の魔術師だって言ったら、みな驚くだろうなぁ」
 のんきな口調でウィレンは言い、軽く笑った。

 ……陛下が女性だったら、こういう感じじゃないだろうか。
 乗船して来たルーヴァルの背をばしばしたたいて、からからと笑っている逞しい女性を眺めながら、ジェナイスはそう考えていた。
「相変わらず細いねぇ、ルーヴァ様は。まあ、顔は奇麗だから、女どもが放っておかないだろうけど」
 太陽と風にさらされ艶のない銀髪を無造作にひとつに束ねた女性は大柄で、男物のシャツとズボン姿なのだが、それがしっくり似合っている。腰に帯びた曲刀は決して飾りでないだろう。
「ウィレン、あんたも女の尻ばかり追いかけてないで、ちったあ腕も磨いているんだろうね?」
 せきこんだルーヴァルを解放して、女船長は矛先を今度はその従者に向ける。
「もちろん、忙しくて女を追っかけている暇もないさ」
「すぐばれる嘘を言うんじゃないよ。あんたみたいな男はさっさと身を固めた方がいいんだがねぇ。おや、もしかして、そっちの娘はあんたの今の女かい?」
 さっと値踏みするような目で見られ、ジェナイスは首をすくめた。
「とんでもない。彼女はジェナイス・エーレス、ルーヴァ様の魔術師だよ」
「魔術師!しかも、エーレスだって?またすごいのを捕まえたじゃないか。ルーヴァ様も隅に置けないねぇ」
 その言い方だと、だいぶ語弊があるんですけどと、ジェナイスは心のなかでつぶやく。
「やっぱ、エーレスって有名なんだ」
 改めてウィレンが感心する。
「当たり前だろ。魔術の王、クレムグ・エーレスはもちろん、ファローナ女王の夫にその世継ぎ、皆、エーレスの血筋じゃないか。この間も、世継ぎに喧嘩ふっかけた馬鹿魔術師がいて、派手にやられたそうだよ」
 喧嘩っぱやいのは、これも血筋だろうかとジェナイスはこめかみを押えた。
「あー、ルーヴァ様だっ!」
 一際よく通る声が響いたかと思うと、一人の少女がルーヴァルに向かって突進して来た。十五歳にはなっていないだろう、よく日焼けした、いかにも快活そうな少女だ。勢いよくそのまま子犬のように飛び付くかに見えたが、急に動きを止め、ジェナイスをぱっと振り返った。南の海のような、奇麗な青緑の目をしている。
「すごい!あなた、風呼びじゃないよね?もしかして魔術師?」
 少女から感じる、わずかな魔力から、ジェナイスは彼女がこの船の風呼びだろうと見当をつけた。
「ええ」
「だからなんだ。風霊も水霊もわんさか集まってる。やっぱ、魔術師はこうじゃなくちゃね」
 勢いよくまくしたてる少女の首ねっこを女船長が捕まえた。
「ごめんよ、魔術師さん、どうも礼儀知らずでねぇ。あたしはイセー、これは娘のファリ。よろしく頼むよ」
「こちらこそ、よろしくお願いします。ジェナイス・エーレスです」
「エーレス?エーレスって、あのエーレス?すごい」
 ファリというらしい少女は大きな目をきらきら目を輝かせた。
 …やっぱり、子犬。
 ジェナイスのなかで、少女の第一印象が一段と強まった。
 黙っていれば、そこそこに美少女なのだろうが、いかんせん、元気が良すぎる。休む間もなく走り回っている子犬のようだ。
「話は後でゆっくりできるんだから、うるさくするのはおやめ。ほら、みんな、出港の用意しな!」
 女船長の掛声ひとつで、見物に集まっていた乗組員達がそれぞれの持場に散って行く。ファリもあっという間にマストに上っていった。風呼びである彼女の持場といえば、最も帆に近い場所ということなのだろうか。
「昔なじみの俺達のことは、すっかり忘れてましたね」
「ファリだからね」
 その少女の姿を見上げながら、ウィレンとルーヴァルが苦笑している。
「昔なじみなんですか?」
「青海国の人間である以上、船と海について学ぶ必要があるって父上に言われて、しばらく船に乗せられていたことがあってね」
「ひょとして、セーナル様もですか?」
「勿論。万が一、私達を乗せた船が沈んでも、フィーアルがいれば大丈夫だからね」
 やはり、この国の王は風変わりだとジェナイスは再認識した。それとも、青海国の王家は代々、こんなものなのだろうか。
「私はセーナル達と違って、計算以外、使いものにならなかったから、よくファリのお守りをしてたんだよ。ファリに言わせると、彼女の方こそ、お守りをしてやってたんだってことになるけれど」
 なにかを思い出したのか、ルーヴァルはくすくす笑った。
 ルーヴァルは人当りがよく、誰にでも同じように接するが、家族以外にも特別扱いの人間がいたらしい、とジェナイスはその笑顔を見ながら考えた。
 ひょっとしたら、セーナル様はあの少女に白羽の矢を立てているかもしれない。
 青海国の世継ぎの君が、妹を片付けたら、次は弟を片付ける腹づもりでいることを、ジェナイスは見抜いていた。


 航海は順調だった。
 少なくとも西大陸まで後二日というところまでは。
 晴れ渡った空の下、女船長は腕組みして、海原に浮かぶ点を見据えていた。
 見張りの報告によると、点はしかるべき旗も掲げていない極めて不審な船らしい。
 それがまっすぐにこちらの船に向かって進んで来るのだ。
「おかしいねぇ、青海国の船に喧嘩ふっかけてくるような馬鹿はもういないはずなんだけどね」
 うーんとイセーが首を傾げる。
 ジェナイスとウィレンは思わず顔を見合わせた。
「『馬鹿』なら心当たりあるよな?」
「ええ。産地は山奥だから、海の上まで出て来るかは分からないけど」
 山国育ちの、しかも他国との交流を厭うような人間達に操船技術があるはずないし、海戦など仕掛けようがあるまい。
「母さ−ん!」
 見張り台から、ファリが母親に呼びかけた。
「ゾームの奴だよ。あの酒樽体型、間違いないよ−」
「なんだってぇ」
 思い切り、イセーが眉間に皺をよせた。
「知り合い?」
「知り合いっていうか、どうしようもない小悪党でね。汚い商売ばっかしやがるんで、何度かとっちめたことがあるんだよ。よし、決めた」
「決めたって何を?」
「あいつをあの世に送ってやんのさ。いちいち、とっちめてやるのも、面倒になっちまった」
 あっけらかんとした口調で、恐ろしいことを言う。さすがは陛下の幼なじみとジェナイスは妙な所で感心した。
「それにしても、あの小心物が真っ向から挑んでくるたぁ、どういう風の吹回しだろうね」
「……魔術師を乗せているからではないかしら」
 先方に気付かれるより前に、自分の気配を周囲に散らしてから、ジェナイスは進言した。
「魔力もそこそこ強いから、普通の船ならば粉砕するくらいはできるかも」
「なるほどね、あいつらしいよ。あんた、勝てるんだろ、ジェス?」
「少なくとも負けはしないわ」
「よっしゃ、上等」
 にんまりとイセーは笑い、獲物が近付くのを待ち構えた。


 本当に酒樽じゃんとぎりぎりまで近付いて来た船の甲板でふんぞり返っている男を目にしたウィレンがにやにや笑った。
 男は、でっぷりと腹が出ており、そのせいか手足が妙に小さく見える。まさに酒樽だ。
 さらにこっけいなことに、似合いもせぬきらびやかな衣服をまとい、薄くなった髪を丁寧にとかしつけ、手入れの行き届いた口髭なんか生やしていたりする。相変わらず趣味が悪いなぁとファリがつぶやくのが聞こえた。
「よう、ゾーム、久しぶりじゃないか、今日は何の用だい?」
 陽気にイセーが声をかける。
「イセー、生意気な口をきいていられるのも今だけだ。積年の恨み、今日こそ晴らしてくれるぞ」
 顔を引きつらせながらも、余裕を見せたいのか、樽男は重々しく告げた。
「ちょいと、あたしは恩なら売った覚えはあるけど、恨みを買った覚えはないよ。今まで、さんざん見逃してやったってのに忘れたのかい?」
「やかましいっ」
 どうも気が短いようだ。酒樽男が合図をすると、いかにも魔術師らしいずるずるした上衣を羽織った男が前に進み出た。
「気は進まぬが、これも仕事。悪く思わないでいただきたい」
 妙に芝居がかった男だ。ジェナイスは思い切り顔をしかめた。これも、はったりをきかせようとしているのだろうか。
「質問!」
 頓着せずにファリが元気よく手を挙げた。
「あなたの雇い主って、アザール王国のおばさん?」
 少女はフィーアルの縁談にまつわる話をルーヴァル達から事細かに聞き出していた。おばさんとは間違いなくアザール王妃のことだろう。
 ルーヴァルがそんなことを言ってはいけないよとたしなめているが、聞く耳はない。
「ふっ、死にゆく者が聞いても無駄だ」
 恰好付けて言い放った魔術師は右手を天にかざし、雷を呼んだ。
 あら、口だけではなかったのねと思いながらも、ジェナイスは素早く風霊を呼び集めた。相手の魔術師の精霊に対する支配を撃ち破ってもいいのだが、それは少々、面倒だった。
 うかつにも、自分の術に集中している魔術師は風霊の動きに気付かなかった。
「海神のもとに行くがいい!」
 魔術師の手が振り降ろされるや、イセーの船を雷が直撃したかに見えたが、それは小さな火花を上げて消えた。
「なにぃっ」
 目を剥いた魔術師の視線がファリの隣にいた人物、すなわち、ジェナイスの姿をとらえた。かくんとあごが落ちる。
「今頃、こちらにも魔術師がいることに気づくなんて、呑気だね」
「ルーヴァ様、呑気なんじゃなくて、気づけない程度の力しかないんだよ」
 ルーヴァルとファリは悪気もなしに交互に相手の魔術師を侮辱していた。緊張感が無いのはジェナイスを信用しているからというより、もともと図太い性格だからだろう。
「そ、その髪は、エーレス……」
 かすれた声で魔術師がつぶやいた言葉はジェナイスの耳にまでは届かなかった。
「すまんっ、許してくれ!エーレスを敵に回すつもりはないっ。この仕事、俺は降りるっ」
「な、今頃、なにを言い出すんだっ」
 樽男が慌てた様子で魔術師の腕をつかむ。魔術師は邪険に振り払おうとしたが、腕力負けしたらしく、果たせなかった。
「俺は命が惜しいんだっ。あれはエーレスだぞ」
「ここで降りたら、きさま、契約違反だぞ」
「契約条件にはエーレスを相手にするなぞなかった!青海国の魔術師は小娘だなんて騙したのはそっちだろう、あれはエーレスだ」
 魔術師は自由な方の腕を使ってジェナイスを指さしながら喚いた。
「どこからどう見ても小娘じゃないかっ」
「クレムグ・エーレスの娘だぞっ」
「それがなんだってんだ。アザールの貴族を裏切ったら、虫けらのように殺されるぞ」
「馬鹿、エーレスを敵に回したら、虫けらどころか、塵のように吹き飛ばされる」
 話がかみ合っていないのは、樽男が魔術師ではないからだ。
「大体、クレムグの娘は実はクレムグの分身だって南大陸では昔から評判なんだぞ!」
 ばしいっと火花が走ったかと思うと、二人の足元に大きな亀裂が走り、ぷすぷすとその縁が焼け焦げた。
「勝手にあんな男の分身にするんじゃないわよ」
 ぼそりとつぶやくジェナイスの声は二人の耳に届かなかったが、二人とも恐怖の目を彼女に向けた。
「と、ともかく、俺はおりるっ」
 言うや否や、硬直している樽男の腕を振り払い、転移の術を使って魔術師は姿を消した。ジェナイスは止めなかった。本音を言えば、クレムグの分身だなどとふざけたことを二度と言う気にならぬように締め上げてやりたい所だったが、今は人目があった。
「魔術師は退散したわ。この後はどうするの?」
 内心の葛藤を表に出さずジェナイスはイセーの意見を聞いた。
「そうだねぇ…。あんたらはどうしたい?」
 イセーに意見を聞かれた樽男とその配下達は次々に武器をほうり出し、降参の意志を示した。


 久しぶりに新鮮な食材で作られた料理を堪能していた青海国の魔術師は危うくスープをふき出しそうになった。
 彼女の向かい側に並んで座っているルーヴァルとファリも目を丸くしている。
 隣のテーブルにいるウィレンに声をかけられた給仕の娘がとんでもないことを言ってくれたのだ。
「青海国の魔術師がクレムグ・エーレスだっていう噂、本当?」
 間違いなく、娘はそう尋ねたのだ。
 ジェナイスの驚きもよそに、空とぼけてウィレンは応じる。
「いや、違うんじゃないかな」
「隠さなくてもいいのよ、もう港中の噂になってるんだから」
 入港したばかりの一行には初耳だ。
「おかしいな。クレムグ・エーレスは西大陸に渡ったって、俺は聞いたけど」
「嘘。こっちじゃ、少しも噂になってないわよ」
「ふうん?噂の出所は?」
「魔術師だって聞いたわ。この港に住んでいたんだけど、三日前、急に引っ越しちゃったそうよ。クレムグ・エーレスを怒らせたから、ここにはいられないとか言って、ものすごい勢いで逃げて行っちゃったって」
 そんなわけないでしょうが。
 ジェナイスは心のなかで呟いた。
 クレムグ・エーレスを怒らせた魔術師が五体満足で帰ってくるはずがない。
「へぇ。でも、間違いだな、それは。そいつは青海国の魔術師に負けたのが悔しくて、そんなことを言ったのさ。クレムグ・エーレスに負けたことにしとけば、自分の評判は落ちないだろ?」
 うまいことを言う。ひそかにジェナイスはウィレンを見直した。口がうまいのは女性を口説く時だけではなかったらしい。
「あら……」
 そうかもしれないわねと娘は納得したようだった。
 興味津々に聞き耳を立てていた周囲の客達もなにやら頷きあっている。
 さっきから、視線を感じていた理由はこれだったのだろう。
「今さぁ、あの魔術師を見逃してやるんじゃなかったとか考えてる?」
 エビの殻をせっせと剥きながら、ファリが小さな声できいた。
「そうね。……でも、それをしたら、それこそ父と同じになってしまうから、できないのよ」
「セーナル様と同じなんだね」
「どういう意味?」
 青海国の世継ぎは「同じ」と言われて、嬉しい相手ではない。
 少なくとも、あそこまで徹底した性格ではない、とジェナイスはひそかに思っている。
「前ねぇ、どうしてふっかけられた喧嘩をその場で買わないのかってきいたら、ジェスと同じこと言ったんだよ」
 どうやら、世継ぎの君も父親に似ているとは言われたくないらしい。
「でね、セーナル様の場合、後で人目のないところで、二度と自分の前に出てこられないような目に遭わせてるんだって」
「……」
「ジェスはそんなことしないよ」
 のんびりとルーヴァルが言った。
「え?べつに私、ジェスがセーナル様みたいなことするだなんて言ってないよ。そんなこと言ったら、失礼でしょ」
 世継ぎの君に対しては随分、失礼なことを言っているのだが、ルーヴァルもファリも気にしていない。
 ……この二人。
 ジェナイスはスープの残りを飲み干しながら、こっそりと二人の様子を伺った。二人ともエビの殻剥きに熱中している。
 実は私に釘をさしているのかしら?
 まさしく、青海国の世継ぎと同じ行動をとろうとした魔術師はひそかに頭を悩ましていた。

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