青海国の魔術師

青海国の魔術師(第8話)

 影が落ちた。
 青海国の魔術師は影を落とした人物を見上げた。
 背が高い。
 視線がその顔まで達した時、ジェナイスは眉を微かによせた。
 剣の柄頭に彫り込まれた飛竜の紋は確かにアザール王国のものだし、服装も以前、青海国を訪れた騎士がまとっていたのと同じに見える。言葉の抑揚にも聞き覚えがあった。ましてや、青海国の世継ぎとアザール王国の世継ぎ連名の書状を手にしているとあっては、この人物が青海国の一行を出迎えに来たことは間違いない。
 だが、彼は黒髪だった。アザ―ル王国の貴族は全て銀髪あるいはそれに近い淡い色の髪だと聞いていた。
 彼に対して疑念を抱いたのはジェナイスだけでなく、第二王子付き従者のウィレンも同じだった。表情は平静だが、腰に帯びた剣に手が添えられている。
「アザール王国第一飛竜団所属、イズァル・レソーと申します」
 騎士とおぼしき青年がルーヴァルに向かって名乗るとウィレンが安堵したように剣の柄から手を放した。
「……有名な人なんですか?」
 こっそりとジェナイスは共に昼食を取っていた女船長に聞いた。値踏みするように青年を眺め回していたイセーが頷く。
「漆黒の旋風とか言われてる凄腕の竜騎士で、世継ぎの君の側近中の側近。アザ―ルで黒髪の竜騎士はただ一人だというから、疑いようはないね。こら、ファリ、どこ行くんだい?」
 横をすり抜けようとした娘の首根っこをイセーがつかむ。
「だって、竜が来たんでしょ。見に行かなくちゃ」
「それは止めた方がいいぜ、お嬢ちゃん」
 言ったのは黒髪の騎士の後ろから現れた銀髪紫眼の青年だった。
「翼竜ってのは気が荒くてな、知らない人間が近づいたら暴れるんだ。そのかわいい顔に傷でもついたら困るだろ」
 青海国の三真珠を見慣れていなければ、思わず見とれてしまうだろう容貌の主である。ただ、典型的なアザ―ル貴族の容姿を備えているものの騎士には見えない。
「うわ、師匠、見境ないの。まだ成人前の女の子までたらすつもりかよ」
 最低な男だねと青年に言ってのけたのは、赤毛の痩せた少年だった。ファリと同じくらいの年齢だろうか。その頭の上に拳骨が振り下ろされ、ごんっと音を立てた。
「お前は黙ってろ、リノル」
「本当のことを言ったからって、腕力で黙らせるなんて最低男以外のなんでもねーぜ」
「黙れと言ったろーが」
 銀髪青年はぐいぐいと少年の頬を引っ張った。
「人は本当のことを言われると怒るものだ」
 真面目な顔で黒髪の騎士が言う。
「こら、イズ、さりげなーく失礼なことを言ってんじゃねーぞ」
「本当のことだろう」
「なにを」
「そら見ろ、イズァルさんだって師匠は女に見境ないって思ってるんじゃないか」
 素早く銀髪青年の手を振りほどき、黒髪の騎士の背中に隠れて少年が舌を出す。
「このクソガキが」
 少年に手を伸ばしかけた青年の前に腕を突き出し、イセーが止めた。
「ちょいとあんたらいつまで続ける気だい? さっさと話を進めておくれよ、あたしは暇じゃないんだ」
 もっともな言い分に青年達は素直に従った。ひょっとしたら青海国のイセーの名を彼らも知っているかもしれない。
「申し訳ありません。こちらはリュード。護衛に雇った飛竜運送組合の者です。そして、その弟子のリノルです」
「飛竜運送組合?」
 聞きなれぬ単語にルーヴァルが首を傾げた。
「最近できた運搬専門の組合だよ。飛竜を使って書簡を運ぶのが主な仕事だ。組合員には飛竜もいるってのは本当かい?」
 説明のついでとばかりにイセーが尋ねる。さすがに情報通のようだ。
「今のところ小型飛竜の方が多いくらいだよ。あいつら頭いいし、魔法使えるし。なにより組合長が竜だからね。竜から奪おうなんて誰も考えないから、重要書簡だって安心して任せられるんだ」
 ここぞとばかりに少年が売り込む。
 竜が人間に積極的に関わるなんて珍しいとは思ったがジェナイスは黙っていた。
「なるほどね。それで人間の運搬には飛竜乗りを使うってわけかい」
「そう」
「面白い。商売の話をしたいとこだが、今はそれどころじゃないね。そうそう、港に何匹かネズミがもぐりこんでいたから、始末させてもらったよ」
 イセーの言葉に黒髪の騎士はお手数をかけまして申し訳ありませんと頭を下げた。
「あんたが謝ることじゃないさ。ルーヴァル王子を無事にアザールまで届けるのがあんたの役目だ。よろしく頼むよ」
 女船長に勢いよく肩を叩かれてもイズァルはよろめかなかった。さすがは騎士である。
 これならフィーアル様とも渡り合えるかもしれないと人と異なる観点から考える魔術師だった。


 赤い髪が風にあおられ、絶え間無く揺れ動いていた。まるで炎のようだ。
 飛竜乗り見習いのリノルは岬に立って風を読んでいた。風の流れが変わったら出発するというのである。風に乗って一気に山脈を越えて距離を稼ぐらしい。
 風呼びであるファリとリノルは話が合うらしく、先ほどから二人で盛んにおしゃべりをしている。ジェナイスが眺めていると、二人はゆっくり歩きながらこちらに戻って来た。
「今日はもう風が変わりそうにないって意見が一致したよ」
 ジェナイスのすぐ近くで生えている植物を調べていたルーヴァルにファリが報告した。
「明日か明後日あたりには流れが変わると思うけど。ルーヴァ様、それなに?」
 ルーヴァルが手にしている赤紫の実に気づいてファリが尋ねる。
「これは解毒薬になるんだよ。これから必要になるかもしれないから、とっておこうかと」
 いつもののんびりした調子でルーヴァルが答えている。一応、危機意識も持ってはいるらしいとジェナイスは少しだけ安心した。
「あー、アザールの王妃なら毒殺くらいやりかねないもんなぁ」
 リノルが渋い顔で言う。
「あのおばさんさぁ、俺やイズァルさんのこと、ものすごく嫌そうな顔で見やがるんだぜ。むかついたから、わざとらしくオーリス王子にくっついてやったけど」
「王子とも知り合いなの?」
「うん、師匠が友達に会いに行くっていうからついてったら、王城で、その友達ってのが王子とイズァルさんのことでさ。王妃にものすごい目で睨まれた」
 あそこはすっげー居心地悪いんだと顔にしわを寄せてリノルは説明する。
「俺なんか、白い壁にくっついた染みみたいな目で見られるんだ」
「へぇ。そんなところで、イズァルさん、よく王子の側近なんかしてられるね」
「凄腕だからな。そんでもって、自分を『色』だけで見下している連中の上に立つのが楽しくて仕方ないんだって言ってる」
 師匠の友達ってだけあって、いい性格してるんだとリノルは説明する。ジェナイスはそれを聞いて少し安心した。
 黒髪の騎士は、ますますフィーアル王女と気が合いそうだ。
 彼女がアザールに嫁いだら、侍女のエスリンも加えて、なかなか恐ろしい協力関係ができるのではなかろうか。
「そういう人がいるなら、安心だね」
 ルーヴァルもジェナイスと同じようなことを考えたのだろう、にこやかな顔で言った。
「安心するところじゃないような気がするけど。そーいえばさ、竜と魔術師って仲が悪いって本当?」
 リノルが不意にジェナイスに向かって尋ねた。なんでそれをこの少年が知っているのだろうと思いつつも、ジェナイスは素直に肯定した。
「仲がよくないことは確かね」
「どうして?」
「竜から見れば、下等生物が魔術を使うというのが気に食わないらしいわ」
「下等生物って……人間?」
 驚いたように少年が目を見開いた。
「そうよ。全ての竜がそう思っているかどうかは知らないけれど、私が会ったことのある竜は下等生物扱いしてくれたわね」
 むかっ腹が立ったので、その竜には「下等生物」に敗北するというこの上ない屈辱を味合わせてやったのではあるが。多分、エーレスの血を引く者はなんのかんのいって矜持が高いのだろう。
「そうなんだ。……竜と魔術師って、アザール人とイズァルさんみたいなものかなあ。自分より劣っているべき人間が、優れた才能を持っているのが気に食わないっていうような」
「そんな感じかもしれないわね」
 肩を竦めたジェナイスの袖をファリが引っ張った。
「噂をすれば影ってやつ?」
 ファリの視線を追って、ジェナイスはそれの存在に気づいた。
 いやなものを見つけてしまった。
 東の空の上にまだ点にしか見えないが、竜がいた。びしばしと敵意を飛ばしてくるのが感じられる。
「あ、本当だ。この辺りには風竜は住んでいないはずなんだけどな」
 リノルにもそれが認識できたらしい。船乗りも飛竜乗りも視力がいいのだ。
 ただの通りすがりの竜かと思いきや、その竜はぐんぐんとこちらに近づいてくる。
「ルーヴァ様、なんか先方はやる気みたいなんですが」
 一応、ジェナイスは契約主に確認をとってみた。
「仕方ないね。ジェナイスの好きにしていいよ」
「……竜を好きにするわけ?」
 リノルが呆れたような声を出す。
「だって、クレムグ・エーレスの娘だもん」
 それで説明がつくとばかりにファリは言った。
「うわ、どっかで聞いた名前と思ってたら、あのクレムグ・エーレスの娘かぁ」
 西大陸にまで確実にクレムグの名は広まっているようだ。
 話している間に竜は近づいてきた。深青の鱗に青銀の羽根をもつ、なかなか立派な風竜だ。
《古の誓約により、お前達をアザール王国に入らせるわけにはいかぬ》
 岬の上空まで来た風竜はジェナイスに思念を送りこんで来た。
「古の誓約ってなによ?」
《アザール王家の者の願いをひとつだけかなえると、かつてのアザール王と約束したのだ》
 律儀に竜は答えた。頭は固そうだが、悪い竜ではなさそうだ。
 しかし、それは問題ではない。
「そう。それで、その願いを言ったのは王妃かしら?」
《そうだ》
 くそばばあ。
 ジェナイスはそう心の中で毒づいた。
 本当に、余計な仕事を増やしてくれるものだ。
「そんなに落ち着いてて大丈夫なの?竜って魔法が効かないんじゃないの?」
 ファリがしげしげと竜を眺めながら聞いた。怖いよりも物珍しくて仕方ないらしい。ルーヴァルは竜の大きさを目測しているようで、ぶつぶつと数字を口にしている。リノルはそんな二人を呆れたように見てはいるが、これまた脅えてはいないようだ。
「魔法が全く効かないわけではなく、効きにくいってだけよ。魔法への耐性が高いのね。だけど、それにはそれで戦い方というものがあるのよ」
 ジェナイスは不敵な笑みを浮かべた。知る人が見れば、その父親そっくりと言ったことだろう。娘というのは実はクレムグ・エーレス本人という説が出てくるはずである。
《では、参るぞ、魔術師!》
「どうぞ」
 涼しい顔でジェナイスが応じた途端、黒っぽいものが竜の上に現れた。そして、なにやら鈍い音がしたかと思うと、竜はそのまま凄まじい勢いで落下していった。派手な水飛沫が上がる。
「い、今のなに?」
 リノルが目をこぼれんばかりに見開いて尋ねる。
「岩」
 一言でジェナイスは答えた。
「岩?」
「そうよ。この付近にはちょうど手ごろな岩がごろごろしてたから、ちょっと背中に乗せてやったのよ」
 むうっとリノルは眉を寄せた。
「竜って魔法に耐性があるって言ったよね?」
 ファリが首を傾げる。その傍らでルーヴァルは風竜は泳げるのかななどと呟いている。
「ええ。だから、直接魔法攻撃はしてないでしょ。地霊と風霊に協力してもらって、岩を竜の上に移動させただけ。その時点で手を離してもらったから、魔力は関係無し。いかに竜でもとっさに魔法は使えないものよ。おまけに数度に分けて同じことやってもらったから、今ごろは海底に埋もれているかも」
 いわば人為的落石というところだろうか。
 ジェナイスの説明にリノルは感嘆の声を上げた。
「すっげー。ジェナイスさんって顔に似合わず喧嘩慣れしてんだ」
 喧嘩。まさに、それに他ならない。勝負に卑怯もへったくれもあるか、というのがジェナイスの父、クレムグ・エーレスの考え方だ。手加減はしても手段は選ばない。
「魔術は無駄なく効率よく、よ」
 多少、引きつった笑顔でジェナイスは応えた。
 違う、自分はあんな父親とは違う。
 そうジェナイスは自分に言い聞かせていたのだった。


 夕食の席において、すっかり打ち解けた様子で赤毛の少年と銀髪の少女と魔術師は互いにあれこれと質問し合っていた。時折、ルーヴァルも会話に加わり、なかなか賑やかだ。
「思うんだけどよ、俺なんか要らなかったんじゃないか?」
 酒杯を揺らしながらリュ―ドがややふて腐れ気味に言う。
「あんなあっけなく竜をハエみたいに叩き落す魔術師がいるんなら、俺やあんたみたいな護衛はいらねぇんじゃないの?」
 リュ―ドはやや離れた場所で竜と魔術師の「喧嘩」を見守っていたのである。あわてて駆け付けようとしたリュ―ドとイズァルを、その必要はないと止めたのは王子付き従者のウィレンだった。
 ウィレンは食いちぎった肉を飲みこんでから、それに答えた。
「そんなことはない。ジェスは魔術師と人外担当だ。ルーヴァ様の方針で普通の人間には怪我させないようにしている」
 まあ、怪我させなければなんでもできるけどさと人の悪い笑みをウィレンは浮かべた。
「ついでに言えば、俺はもっぱら悪い女や男にルーヴァ様が引っかからないようにするための護衛なんだ」
 それに、と言いながら、肉がなくなった骨をウィレンは投げた。
「あんなごろつき相手に魔術を使うのはもったいないだろ」
 骨はルーヴァルに向かって何やらまくし立てている男の頭を直撃していた。
「自分の顔が不細工だからって僻むんじゃねぇよ」
 険悪な表情で振りかえった男にウィレンはふふんと鼻で笑って見せる。そして、いそいそと喧嘩を買いに立ち上がった。後はよろしく、と二人の青年に言い残して。
「……そういや、青海国の人間は国王からして喧嘩好きだって言うな」
 従者が暴れるのを微笑を浮かべたまま青海国の王子は見守っている。魔術師の方は迷惑そうに眉をひそめただけで食事を続け、飛竜乗り見習いと風呼びは、やんやと声援を送っている。まさか、誰もこれが王族とその護衛一行とは思わないことだろう。
「ああ。オーリス王子がおっしゃるには、フィーアル王女も売られた喧嘩は買ってやると求婚を受けたらしい。無論、喧嘩を売ったのは王妃だが」
「あー、そりゃなんとも楽しいことになりそうで」
 青年たちはそろって人の悪い笑みを浮かべた。
 その視線に、なにかを感じたのか魔術師が顔を上げる。不思議そうな顔をして彼らを見ていたが、軽く会釈をして食事を再開した。
 彼らによって、自分までも「喧嘩好き」に分類されたことに全く気づいていない魔術師だった。

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