青海国の魔術師

青海国の魔術師(第9話)

 すぐ近くを雲が流れていた。
 大地は遠く、精霊の種類は少ないが、数だけはやたら多い。
 魔術を行使する際に精霊が多いのは都合がいいが、用もないのに精霊密度が高いと鬱陶しいものである。
 上下左右を風の精霊に囲まれながら、そんなことをジェナイスは考えていた。
 この大陸では魔術師が少ないから、もともと好奇心の強い風の精霊がやたらと集まって来るのだ。もっとも飽きっぽいので、入れ替わり立ち替わり見に来ては去って行く。
 青海国の魔術師、ジェナイス・エーレスは飛竜の背に乗っていた。西大陸まで第二王子一行を送り届けた王家の船団長母娘とは港で別れ、迎えに来た竜騎士らとともにアザール王国目指して飛び立ったのは三日前のことだ。この三日は人里を離れた、かつ気流が乱れるために高い操竜技術を持たねば飛ぶことの出来ない山地沿いに移動し、妨害らしい妨害に遭っていないが、今日は町へ降りるという。
 気を引き締めなくてはならないわね、と思うものの、ジェナイスが乗っている飛竜を操る少年は赤い髪を風に滅茶苦茶にかき乱されながら、気持ちよさそうに鼻歌を歌っている。
 飛び立ってすぐにリノルは寒くないかとジェナイスに聞いたが、同じことをそのままジェナイスは聞き返した。魔術師である自分と違って風の精霊による「壁」を作ることもなく、少年は強風に吹きさらされているのだから。飛竜乗りは風を通さないように加工した特殊な革製の外衣や胴着、靴などを身につけているとはいえ、完全に空気を遮ることはできないし、顔はほとんどむき出しだ。
 リノルは笑って慣れているから平気だと答えた。海岸部を離れた今は飛び立った直後よりもさらに気温は低くなっている。それでも少年に変わった様子はないから、本人が言ったように平気なのだろう。
 遠くの山頂部には雪が見えた。おそらく一年中雪が解けることはないのだろう。その山並みを見ながら疑問に思ったことをジェナイスは口にした。
「ねえ、リノル。あなた達は冬でも飛ぶの?」
 リノルは肩越しに振りかえった。
「仕事なら飛ぶよ。でも、さすがにきついから酒飲んだりしてるけどね。一度に飛ぶ距離も短くしてるし、温石を仕込んだりもする」
「大変ね」
「竜騎士ほどじゃないよ。連中、防具もつけるだろ? 金属の鎧に霜がついて凍ったりするんだよね、これが」
 それからリノルは笑い話だといって、冬に戦をしかけようとした竜騎士団の話を教えてくれた。吹雪の合間を縫って奇襲をしかけようとしたはいいが、防具は凍り付いて身動きとれず、槍は手から離れず、剣は鞘から抜けず、あたふたしているうちに弓矢によって射落とされ、全滅してしまったという。
「ま、冬に戦をするような馬鹿が本当にいたとは思えないけど」
「そうね、かなり間抜けだわ」
「そういや、師匠が言ってたけど、アザールの飛竜騎士団じゃ一番寒い時期、新人をわざと使いに出して、帰って来たとき飛竜から転がり落ちる姿を笑いものにする習慣があるんだって」
 ジェナイスはその話を聞きながら、先導する銀髪の飛竜乗りを見やった。
「彼は騎士だったの?」
「そうだよ。名家の生まれで地位も財産も容姿もなに不自由なく育ち、群がる女は山ほどいたって話。でもって、性格には恵まれなかったため、上官をぶん殴ってそのまま退団、国を出たところで、飛竜組合に誘われ今に至る」
 師匠への敬意など微塵も感じさせぬ口調ですらすらとリノルは説明した。
「……確かに騎士向きの性格ではなさそうね」
 出発当初、リュードは男を乗せるのはいやだとかさんざん騒いでいた。その乗せられる側の男、青海国第二王子付き従者ウィレンも同様にいやがってはいたのだが。
「うん。やっぱ、向き不向きってものがあるものだよね。あ、見えてきた、谷の町」
 ジェナイスはリノルの肩越しに首をのばして遠くの谷間にある町を確認した。
「早いのね」
「風がよかったからね。多分、ジェスがいたお陰だと思うけど。時々、突風に飛ばされてる飛竜が見えたけど、あれもジェスの仕業?」
 見えていたのかと改めて飛竜乗りの視力に感心しながら、ジェナイスは答えた。
「直接はなにもしてないわ。いたずら好きな精霊が勝手にやってくれるのよ」
 飽くまでもジェナイスの意思をくみ取ってのことなのだが、それは敢えて口にしない。おそらくはアザール王妃の命を受けたであろう騎士を乗せた飛竜達は今ごろはるか遠くへと吹き飛ばされていることだろう。
「へぇ。いいね。あ、そろそろ高度下げるから、しっかりつかまってて」
 前を飛ぶ飛竜が降下し始めたのを見てリノルが言った。
 飛び立つときよりも、降りるときの方が操竜は難しいのだという。
 ゆっくりと螺旋を描きながら、飛竜は町を目指し下降していった。


 町なかにある飛竜乗降場で一行を銀髪の小集団が待ち構えていた。
 揃いの制服を身につけた、見るからにアザール王国の騎士である。
 一瞬、緊張したが、一行の責任者である黒髪の騎士イズァルに向かって膝を折るのを見て安心した。
 聞けば、イズァルと同じ第一飛竜団所属の騎士で、彼の部下だという。要するに、彼らは髪や目の色などで差別をする愚者達とは一線を画しているというわけだ。
 そのうちの一人がジェナイスは気になって仕方なかった。それはジェナイスに限ったことでなく、青海国の第二王子もその従者も彼に目が釘付けになっていた。
 何故なら彼は頭に小型の飛竜を乗せていたからだ。
 薄緑の鱗の竜はくるくると目を動かし、二股に分かれた尻尾を揺らしながらジェナイス達を見ている。
 体こそ小さいが、魔力も知性も高い竜である。羽根を広げたかと思うと赤毛の少年の頭に飛び移り、その顔を上から覗き込みながら「思念」を発した。どうやら知り合いらしく、リノルは驚いていない。
《あのね、伝言を預かってるの》
「ふうん、誰から誰に?」
《魔術師から魔術師に》
 その言葉にジェナイスは眉を寄せた。魔術師なんてそうそういないから自分宛てではあろうが、誰から伝言がくるというのだろうか。
「ルーヴァル様」
 部下と話を終えたイズァルがルーヴァルに声をかけた。
「飛竜運送組合長が先日、我らの妨害を図った竜と話をつけたそうです。今後、竜族による妨害は一切なくなったと考えてよいかと思われます」
 ルーヴァルは首を傾げた。
「あの竜の襲撃は誓約に基づいたものではなかったのかい?」
 彼らの行く手を阻もうとした竜の言葉によると、アザール王家の人間の望みをかなえるという誓約をアザール王家の先祖とその竜あるいはその先祖が交わしていたらしい。それで王妃はその誓約をもとに竜を呼び出し、一行のアザール王国入りを阻止すべく要請したのである。その場合、両者の同意無しには誓約を取り消すことは不可能だ。そして王妃が要請を取り下げるとも思えない。
「誓約に基づき要請したのは王妃ですが、王妃はアザール王家の直系ではないため、直系である王子が取り消しを要請すれば無効になるとのことです」
「なるほどね」
 ルーヴァルとともにジェナイスも頷いた。
 飛竜運送組合長が竜なればこそのすばやい処置だ。組合長が竜であることはリノルから聞いて知っていたが、予想以上に商売熱心なようで、おまけに人間の間で商売に励むだけあって柔軟性に富んでいる。誓約の「抜け道」を使うのは魔術師ならよくやるが、竜がそのような手口を使うとは聞いたことがなかった。
「さすが組合長、ずる賢いよな」
「仕事の邪魔するやつには容赦ないもんね。あの竜、組合長からも焼き入れられ
たんじゃない?」
 口々に言うのは飛竜運送組合所属の飛竜乗り師弟である。
 彼らの上司が同族愛よりも商売を優先することは確からしい。
 これで復讐に燃えた竜が襲ってくることはないだろうとジェナイスは安心した。
「ただ問題がひとつ」
 そう言って黒髪の竜騎士はジェナイスに向き直った。
「王妃は要請が無効となったことを知るや否や魔術師を雇い入れたそうです。魔術師の名はクレムグ・エーレス」
 あのクソ親父ー!!
 危うく叫びかけたジェナイスは理性を総動員してその衝動をこらえた。
 奥歯をかみ締め、ぎりぎりと拳を握り締める。視界の隅で第二王子付き従者が一歩後ずさるのが見えた。
「つきましては、その飛竜がジェナイス・エーレス嬢に伝言を預かっているそうです」
 半分据わった目でジェナイスが先ほどの小型飛竜を見ると、飛竜は少年の頭の上でぶるっと羽根を震わせた。それから甲高い音声で人の言葉を紡いだ。
「クレムグ・エーレス様より、ジェナイス・エーレス様への伝言をお伝えします。『アザール王城を囲み、空間を隔てている城壁の内側に青海国に所属する人間を一歩も踏み込ませないというのが契約の内容だ。せいぜい頑張ることだな』以上です」
 ひくりとジェナイスは唇の端がひきつるのを感じた。
「……私から、その魔術師への伝言も引きうけてくれるかしら?」
「金貨一枚になりますが、よろしいでしょうか」
 いいわ、と言ってジェナイスは財布から滅多に使うことのない金貨を取り出した。小型飛竜は首に下げた小さな袋を差し出し、中へ入れるように促した。術がかけられているその袋は、術をかけた者以外には中身が取り出せないようになっているらしい。おそらく術をかけたのは組合長であろう。
「はい、それでは、ご伝言をどうぞ」
 しっかり金貨をおさめた飛竜が告げる。
「ろくでなし」
 冷ややかな笑みを浮かべて告げたジェナイスの一言に、ルーヴァルを除き、その場にいた人々全てが凍りついていた。


 アザール王城へ直接飛竜を乗り入れることが許されているのは王族だけだという。
 よって竜騎士はもちろん大貴族であっても城近くの飛竜乗降場にて飛竜から降り、城へ向かわねばならない。客人である青海国王子でもそれは同じことで、世継ぎの王子直属の竜騎士達に守られた一行は険悪な視線を浴びながらアザール王城前の乗降場に降り立った。
「うわー、視線が痛い。前よりもずっと尖ってるね」
 穴があいちゃうかもーと平坦な口調で言いながらリノルがぐるりと周囲を見まわした。しかし、臆した様子は微塵もなく、むしろ面白がっている様子だ。乗降場にはアザール貴族とおぼしき姿がいくつも見うけられた。そろいもそろって銀髪紫眼で濃い血縁を感じさせる顔立ちだ。
「私が世継ぎの君によって直々に任ぜられた大役を無事に果たした上に、世継ぎの君を『たらしこんだ』青海国王女の弟王子、加えてわが国の竜騎士を蹂躙した魔術師殿が同行しているとあれば当然だろう」
 敵意剥き出しで遠巻きにこちらを眺めている竜騎士達に馬鹿にしきった視線を返しながら、イズァルが応じる。
 たらしこんだのはどちらかと言えばアザール王国の世継ぎの側だが、もっと正確に言えば、ジェナイスの知る限り、たらしこむなどという言葉に相当する行為は一切なかった。思い込みというのは恐ろしいものである。
「こういう馬鹿な連中と同じ血が流れてると思うと恥ずかしいぜ」
 うんざり顔でリュードが言って溜息をついた。
「不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません」
 律儀にイズァルがルーヴァルに向かって謝ったが、ルーヴァルに気を悪くした様子はなかった。
「大丈夫、このくらいの目つきなら、セーナルどころかフィーアルにも勝てないから」
 どうやらルーヴァルは、その兄姉の冷たい視線も効かない自分の性格については棚にあげているらしい。
「同感だ。セーナルに睨まれたら生きた心地もしないからな」
 笑いを含んだ声にイズァルをはじめ途中から護衛に加わった騎士達がさっと膝を付き、近づいて来る彼らの主へ礼を取った。
「遠路はるばるようこそおいでくださいました、ルーヴァル王子」
 未来の義弟に向けて愛想よくアザール王国世継ぎは挨拶をした。わざわざのお出迎えありがとうございますなどとルーヴァルももっともらしい口上を返している。
 空々しいと思いつつ、ぐるりとジェナイスが周囲を見渡すと、それまで好戦的な目を向けていた貴族達が何故かびくっとしてこそこそ逃げていった。
 目が合ったら、石にされるとでも思っているのかしら。
 魔術師によってアザール王国の騎士達に数多くの行方不明者が出ている、との情報が出まわっているのであるが、ジェナイスの知るところではない。
「魔術師殿」
 アザール王国の世継ぎに呼ばれてジェナイスは振り返った。
「城内に案内したいのだが、準備はよろしいだろうか」
 オーリス王子はどこか面白がっている表情だ。ジェナイスはそっけなく頷いた。
「少々、派手な術を使うことになりますが、かまいませんか?」
「民に被害が及ばぬ限りは存分に」
 母親である王妃の「被害」は黙認すると言わんばかりである。
「わかりました。それでは、まず……」
 ジェナイスの出した条件にオーリスは快く頷いた。


 アザール王城の城門付近は息の詰まる張り詰めた空気に覆われていた。
 城門の上には痩せた男の魔術師。そして、城門の前には若い女の魔術師。
 対峙する魔術師達はどちらも褐色から金色まで濃淡のある髪をしていた。
「悪いがこちらも仕事でな、城壁内にお前達を入らせるわけにはいかんのだ」
 胸壁にひじをついてだらしなくもたれかかりながら、魔術の王の異名を持つ魔術師はいかにもやる気なさそうに言った。
「気にしないで、こちらも仕事だから」
 にっこりと笑顔で返してジェナイス・エーレスは城門に歩み寄った。そして、その外側の壁に手を触れた。
 近くに人がいれば、くそじじいが手間かけさせやがってとジェナイスが南大陸の言葉でぶつぶつ呟くのが聞こえただろうが、声が届く範囲には人っ子一人いなかった。
 しばらくすると、ずんっと地鳴りが響いた。
 恐らく、その瞬間、何が起きたか分かったものはいなかっただろう。だが、城門近くにいた人々はすぐに異常に気づいた。
 ゆっくりと、ゆっくりと、城壁が地中に沈み始めたのだ。城壁の上に歩哨に立っていた兵士達があわてふためき、持ち場を離れて逃げ出す。今日に限って、なにかあった場合はすぐさま避難するよう世継ぎの君から通達があったばかりなのだ。兵士達はその通達を受けたときには戸惑っていたが、今、その意味を瞬時にして悟ったのだった。
 塔も、城門も、城壁を形成する構造物は全て地中にめり込んで行く。泥のなかに沈むように静かに音も無く。
「なにをしてるのです、クレムグ・エーレス!」
 高い女の声が半分ほど沈んだ城門の上から響いた。
「なーんも」
 わざとらしく耳の穴に指を突っ込んで回しながら魔術師が応じる。
「契約したではないですか!」
「んー、青海国の人間をアザール王城の城壁の中には一歩も入れないって契約ならしたけどな。城壁を守るなんて契約は結んでいない」
「な、なんですって!」
 声の主は王妃なのだろう。ちゃんと魔術師が契約を果たすか、近くで見張っていたのかもしれない。
 かわいそうに、とジェナイスは口の中で呟いた。
 南大陸の人間と違って西大陸の人間は魔術師というものを知らない。よって契約の結び方も知らない。南大陸においては口八丁手八丁な魔術師への対処法など書物が出まわっているほどなのだ。
 やがて、魔術師父娘と王妃とその取り巻きの女達は同じ高さの地面に立つことになった。
 父親は無理にしても王妃達はそのまま地中に埋めてやろうかともジェナイスは思ったのだが、人目があるので控えたのである。
「城壁は無くなっちまったな。立派な契約違反だぜ、これは」
 あーあと大げさな溜息をクレムグ・エーレスはついてみせる。
 娘が抜け道を見つけやすいようにとわざわざ「空間を隔てている城壁」との文言を契約に組み込んだくせに素知らぬ顔だ。
 王妃は恐怖と怒りとないまぜになった表情で立ち尽くしていたが、その言葉にきゅっと眉を上げた。
「存在しないものの中に踏み込ませないように要求されてもな。いわば詐欺ってやつだ」
「契約を結んだ時点では存在していたではないですか」
 その言葉にまるきり馬鹿ではないらしいとジェナイスは少しだけ王妃を見直した。
「だな。だが、これでは契約履行は無理というのは分かるな?」
「また城壁を元に戻せばよいことです」
 つんとして王妃が応じる。
「新しい契約を結べってことか? あいにく、俺はもう働きたい気分じゃないし、それに大地の精霊とは俺より娘の方が相性がいいんでね。まず、無理」
 ひらひらと手を振ってクレムグ・エーレスがいかにもやる気なさそうに説明する。ぎりっと王妃が唇を噛んだ。
 さすがにオーリス王子の母親というだけあって、若かりし頃はさぞかし美人だったと思わせる、今でも十分に美しい貴婦人に睨み殺さんばかりの目を向けられてもクレムグは態度を変えない。その様に契約主と通じるものを感じてジェナイスはなんとなく嫌な気分になった。
「とりあえず契約は解消ってことでいいな?」
「……わかりました」
 しぶしぶと王妃が承諾するとクレムグはにやりと笑った。
「前金は違約金として貰っていく。言っておくが、俺の知る限り、この西大陸において城壁を元に戻すことができるのは俺の娘だけだからな。せいぜいよく頼むことだ」
 じゃあなとクレムグはちらりと娘を見て片手を上げると姿を消した。
 王妃は忌々しげに何か呟くと、すっと背筋を伸ばして堂々とジェナイスに歩み寄って来た。
「ようこそ、アザール王国へ。歓迎いたしますわ、青海国の魔術師殿」
 晴れやかな、しかし空恐ろしいものを感じさせる表情にジェナイスは一瞬息を止めた。王妃の言葉には見事に逆の意味が込められている。
 実は似た者同士かもしれない。
 いざと言う時の腹の据え方、立ち直りの早さ。青海国の王女と通じるものがある。
 思っていた以上に熾烈な嫁姑の争いが繰り広げられるかもしれないと思いながら、ジェナイスは礼を失しないよう、ぎこちなく王妃にお辞儀を返すのであった。


 城壁を地中に沈め、また元に戻すという大技をやってのけた青海国の魔術師はアザール王城の一室で昏々と眠り続けていた。
 「敵地」において眠っても大丈夫かなと契約主のルーヴァルは心配していたが、絶対大丈夫ですよと断言した従者の言葉通り、青海国の魔術師にちょっかいを出そうという命知らずはいなかった。さらには魔術師と契約を結んでいるルーヴァルに手出ししようという者もいなくなった。
 王妃をはじめとするアザール王国民が魔術師とはどういうものか我が目で確かめたおかげである。
「あの王妃、これで諦めたんでしょうかね?」
 自分達を怖々と見ている歩哨の兵士をちらりと見やってウィレンは隣を歩く主に尋ねた。この主従、暇つぶしにのんびりと城内散策をしているところである。
「婚姻を阻止すること自体は諦めたんじゃないかな? それにフィーアルに危害を加えるのも。歓迎の宴のときに、フィーアルは風の精霊王の一人から守護を受けているから、もし何かあったら局地的に嵐の一つや二つ起きるだろうって説明しておいたから」
 この王子のことだから、世間話をするような調子で、そして多分、悪気もなく、これ以上無いくらい太い釘をさしたに違いないとウィレンは確信した。
「彼女、頭の切り替えは早そうだったから、今度は子供が生まれないように邪魔するんじゃないかな?」
「なるほど。アザール貴族の娘を妾妃に押しつけたりして、外に子供つくらせて、その子供を正当な後継ぎに立てよう、とか」
「そんなところだろうね。怒るだろうな、フィーアル」
 今のところ例えオーリス王子に愛情のかけらも抱いてなくても、フィーアルならば浮気を絶対に許さないだろう。何故なら、彼女にとって結婚は契約であり、よその女に子供を生ませることは契約違反となるのだ。また、これはフィーアルに限らず青海国王家共通の認識である。
「まあ、フィーアル様が怒ったところで、この先、俺にとばっちりが来ることはないからいいんですけどね。目下の問題はジェスでしょう」
「ジェスがなにか?」
 よく眠っているし、邪魔は無いし、問題ないのではと首を傾げるルーヴァルにウィレンは説明した。
「噂が流れてるでしょう、青海国の魔術師はクレムグ・エーレスに打ち勝ったって」
 実際に戦ったわけではないが、噂というのは尾ひれがつくものだ。
 今や青海国の魔術師は、「魔術の王」と呼ばれるクレムグ・エーレスを超えた魔術師となったのである。
「思うんですけどね、クレムグ・エーレスはそんな噂が流れることを見越して、わざわざ今回、王妃と契約を結んでみせたのではないかと」
「うーん、否定はできないね」
 単に娘をからかうのに国を巻き込んでもなんとも思わない。クレムグ・エーレスとはそういう人物だ。
 目覚めて、その噂を耳にしたとき、ジェナイスがどんな反応を示すか。
「とりあえず、果し合いをするのはフィーアルの結婚式が済んでからにしてくれと先に言っておくよ」
「そうですね。それだけ時間をおけば怒りも多少は和らぐでしょうし……」
 特にそれ以後に行事は予定されていないので、魔術師が寝込んでも支障は出なくなるはずだ。
「いっそのこと、八つ当たりしてもいいように、刺客でもまた送り込んできてくれませんかね」
 しかしながらウィレンの願いが叶えられることはなく、数日後、アザール王城の上空では雲ひとつないのに、空をも引き裂かんばかりの雷鳴が轟いたのだった。


第8話】【もくじ】【第10話