Last Jusdgemennt(後編)

 朝だ。
 眩しい光が窓から差し込んでいる。
 この惑星の太陽は見慣れたそれよりも白っぽい。
 目をこすりながらリビングに入るとパパがいた。
「パパ!」
 駆け寄って抱き着く。
「早かったのね」
「思ったより早く片付いてね。次の仕事につかまらないうちに大急ぎで飛んで来たんだ。よく眠れたかい?」
「ええ、とても」
 イルクルが朝食をテーブルに運んで来た。パパのための珈琲と紅茶の両方が用意されている。用意の整ったテーブルについて何か物足りないもをの感じた。
 そう、ママだ。
 色鮮やかな花を挿した花瓶や珍しい果物の皿に喜ぶママがいない。
 それなのに、自分は笑っておしゃべりしながら食べている。
 慣れてしまった奇妙な感覚。
 二つの「顔」。
 どちらも本物の「自分」。

 透き通る海。
 白い砂。
 新しい水着。
 はしゃいで海に飛び込む自分を笑顔で見守るパパ。
 以前と変わらぬ光景。
 変わったのはママがいないこと。
 そして、私。
 波に揺られながらふと考える。
 このまま海に溶け込んでしまえたら。
 「私」は「私」を感じることなく、「私」は消えてしまえるのだろうか。
 海面に光が反射する。
「…どうして?」
 つぶやきが唇からこぼれる。
 自分が生きていることへの疑問。
 ママが死んだことへの疑問。
 答えがどこにあるだろう。


 夕日が見えるテラスにパパが呼んだ。
「…お前には本当のことを言っておこう」
 夕日に染まるパパの横顔を見詰める。
 赤い光。
「ママが死んだ理由を」
 とくんっと心臓が脈打った。
「パパの本当の仕事は…『企業経営』ではない。勿論、経営もしているけれどね。ユナは宙軍の特殊部隊というものを知っているかい?」
「宙賊の取り締まりのために設置された独立した部隊、でしょ?」
 宙賊は密輸、強盗、誘拐その他、あらゆる犯罪に関わるために、彼らを取り締まる特殊部隊も行動の自由が大きいと聞いている。
「そうだ。だが、ただ単に宙賊を取り締まるだけではない。時には情報を得るために組織に潜入することもある」
 ゆっくりとパパがこちらを向いた。逆光で表情はよく見えない。
「私はその特殊部隊に所属している。そして、宙賊の組織にも所属している…潜入しているということだ」
 波の音が大きくなった。
「…ママは知ってたの?」
「いや…。ママは知らなかった。だから…私が『宙賊』であることを知って、お前を連れて逃げようとした。それを私の『部下』に気付かれて…殺された」
 がたんと音を立てて立ち上がる。
「パパのせいだわ!」
 気がついたら叫んでいた。
「パパがママを殺したんだっ!」
 くるりと背を向けて駆け出す。
 ママ!ママ!ママ!
 父親がうつむいて頭を抱えるのも、青年がゆっくりとテラスに姿を現したのもユナには見えなかった。
「…いいのですか?本当のことを話さないで」
 静かな声が問いかける。
「いいんだ。…母親が私と同じ立場にありながら…敵側に寝返ったなどという話をあの子が聞きたがると思うかね?」
「…お嬢さんは聡明な方ですよ」
 二つの影は光が失われるとともに闇に沈んでいった。

 月はまだ出ていなかった。
 かわりに無数の星が空を飾っていた。
 砂を踏む音がした。
「…パパは嘘をついているわ」
「…ユナ」
 ほんの少し困ったような声。
 ユナは青年を見上げた。
「本当のことを教えて。真実を私は知りたいの」
「…万人に共通する真実などありません」
 そう言いながらも青年はやや離れた位置に腰を下ろした。
「人それぞれに真実はあり、ある人にとっての真実が、またある人にとって真実であるとは限りません。…あるのは、何が起こったかという事実だけです」
 その言葉は彼が全てを知っていることを示していた。
「それなら、事実でいいわ」
「何を知りたいのです?」
「私、考えたの。何故、宙賊は一度に船を爆破せずに、わざわざママを探したのか。それはパパが宙賊だという証拠、彼らが軍に知られては困る何らかの重大な情報をママが持っていたからだと考えられる。でも、その情報だって、船を爆破すれば、一緒に消してしまえるわ。よほど、特殊な技術で作られた『入れ物』に入っていなければね。…パパが言ったように、ママが普通の何も知らない一般人であれば、私が知っている通りのママならば、そんな『入れ物』を持っているはずがないし、それに、特殊部隊に所属するような人間から情報を盗み出せるとは思えない。パパが情報を盗まれるような油断をする人間なら、とっくの昔に正体がばれて殺されている筈だわ」
 ユナは一息ついた。
「…ママは何者だったの?」
「あなたは知恵の実を食べて楽園を追放されることを望むのですね」
 青年の声は哀しみと喜びの響きを帯びているように感じられた。
「どういう意味?」
「知らない幸福よりも知る不幸を求める、ということです。…私は事実のみを伝えましょう。真実を見いだすのはあなたです」
 寄せては返す波の向こうにひっそりと双の月が昇り始めていた。


 島の北側は断崖になっていた。波が岩にあたって砕け散るのが遥か下に見える。
 大昔、ここから見えたのは雲海だったに違いない。
「ねぇ、パパ」
 見晴らし台の上で足を止めて後ろからゆっくりと歩いてくるパパを振り返った。
「ママはどこにいるの?」
「…ユナ」
「隠さないで。ママは生きているのでしょう?宙軍を裏切って、宙賊側に寝返って。私、すべて聞いたの」
 パパは沈鬱な表情になった。
「ママは死んだと思わせたかった。だから、私が生きていると知って、私を殺そうとした。ひょっとしたら、私がママは死んでいないという証拠を持っているかもしれないから。そうなんでしょう?」
「もう、お前のママじゃない」
 吐き捨てるようにパパは言った。
「でも、生きているのでしょう、私のママだった人は?」
「ああ、多分、生きている…」
 涙が溢れそうになった。
 これは真実を知るための代償だ。
 これが私が望んだ結果だ。
「ママは死んだわ」
「…そう思う方が楽だな」
「違う。本当に死んだの」
 こちらを向いたパパの顔は涙で歪んではっきり見えなかった。
「私は覚えているの」
 赤く染まった床の上に投げ出された手。
 小指の爪だけ、薄紫のマニキュアを塗った奇麗な手。
 私が塗った小指の爪。
「ママだった。間違いなくママだったわ」
「ユナ」
 困ったようなパパの声。
「…パパ」
 どうにか声を喉の奥から絞り出す。
「どうしてママを殺したの?」
「何を言い出すんだ、ユナ」
 一呼吸をおいて、のろのろと言葉を紡ぐ。
「思い出したの、すべてを」
 パパの手が優しく肩の上に置かれた。
「何を?」
「私が見たものを、すべて」
 ゆっくりとパパが息を吐いた。
「そうか。…ユナもパパから逃げるかい?ママと同じように」
 顔を上げると見知らぬ男の顔があった。
 こんな表情をするパパは知らない。
「逃げない」
 感情の欠落した青味がかった灰色の目が見詰める。
 きっと、自分も今同じ目をして見詰め返している。
「私は逃げない」
「それでこそパパの娘だ」
 唇だけが笑みを形作る。
 ポケットに入れた右手をゆっくりと動かす。
「勘違いしないで、パパ」
 灰金色の眉が上がる。
「私は逃げないけれど、パパにはついていかない」
 手の平にすっぽり収まる小型のレーザー銃を突き付ける。
「それで、どうするつもりだい?」
「パパはママを殺したのでしょう?」
「お前はパパを殺すのかい?」
「だって、パパの娘だもの」
 パパは声をたてて笑った。
 冷たく凍てついた響き。
 一瞬にしてレーザー銃は手から落ちて、易々と動きを封じられた。
「残念だよ、ユナ。お前は私のよい後継者になっただろうに」
 ぐいっとフェンスに押し付けられた。
 砕ける波。海面に時々、顔を覗かせる岩。
 深く青い海が自分を招いている。
「…何故、裏切ったの?宙軍を…ママを」
「裏切る?裏切ってなどいないよ。ただ、信じるものが変わっただけだ」
 うっすらと笑う気配がした。
「これからパパはどうするの?いくら私が自殺したって言っても、宙軍は疑いを持つはずよ」
「安心おし。『パパ』もお前の後を追って死ぬから」
 妙に優しい声で言う。
「…そうやって、宙軍にいる自分を殺して、いよいよ正真正銘の宙賊として生き始めるというわけね」
「そうだ、第二の人生、いや第三の人生の始まりかな?」
「…ごめんね、パパ」
 一瞬、つかむ力が緩んだ。
 ぐっと顔を上げて振り向く。
「私、見ていないわ」
 灰青色の目が見詰め合う。
 ユナはどうにか笑みを浮かべた。
 それがちゃんと笑顔になったのかどうかはわからない。
「本当はね、パパ。私は何も見ていないの」
 パパの表情が凍り付いた。
「娘さんから手を放してください」
 第一ボタンから声が流れる。
「レーザー照準があなたの頭に定められています」
 だらりとパパの両腕が垂れた。
 ユナはその場にずるずると座り込んだ。
「いつ、気付いた?」
「最初から、貴方は疑われていたのですよ。ただ、決定的証拠がなかった。娘さんは何も見ていなかった。貴方の顔も、何も。証拠になりうるとすれば、貴方の奥方が確かに死亡していたという記憶だけです」
 淡々と青年の声が告げる。
 島の裏側のコテージで監視衛星を通して自分とパパを見ているだろう青年。
「…はめられたのか、私は」
 自嘲する男の声。
「貴方が勘違いしただけですよ。何を見たか、貴方の娘さんは一言も言っていません」
 低い笑い声が起きた。
 知らない男の人が笑っている。
 繰り返される波の音。
 影が動いた。
 自分につかみかかった腕が硬直する。
 ユナは自分の腕を強くつかんでいる指をはぎとると立ち上がった。
 動かない男の体を見下ろす。
 いつから、パパは私のパパではなくなったのだろう。
 パパは死んだ。
 さよなら、パパだった人。


 宇宙ステーションの出発ロビーでユナは青い惑星を眺めていた。
 衛星は見えない。
 それらの軌道よりもステーションが内側に位置するからだ。
「後悔していますか?」
 ゆっくりした足取りで隣に立った青年が尋ねた。
 …後悔?
 うっすらと笑みが浮かぶ。
「してないわ。いつか後悔する時が来るかもしれないけれど、今は、してない」
 青年は黙ったままカードを差し出した。
「宙軍士官学校入学許可証です」
「ありがとう。何もかも、あなたにしてもらって」
「私はまだ『社長』の第二秘書ですから」
 ユナは灰青色の目を青年に向けた。
「また会えるかしら?」
 青年はさあと首を傾げた。
「会えたとしても、次に会う時の私は今の『私』ではないですから」
 ユナはじっと青年を見据えた。
 目の前にいるのは幾つもの顔を持つだろう人物。
「家族の話も嘘?」
「いいえ」
「それなら、私は『あなた』を見付けることができるわ」
 宙軍特殊部隊に所属する青年は小さく笑った。
「楽しみにしていますよ」
 搭乗時間を告げるブザーが鳴った。
「またね」
 ユナは出発ゲートに向かって歩き始めた。
 もう宇宙を恐れることはない。
 強化ガラスに映った自分の姿の向こうにパパの姿が見えた。
「…私は私をなくさないわ、パパ」
 これから、幾つもの顔を持つようになるだろうけれども。
 私は私の真実をなくしたりはしない。
 パパの姿が消え、続いて自分の姿が消えた。
 その先には果てしなく無数の光と闇に満ちた空間だけが広がっていた。


おわり


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