昔日夢〜狭間にある者〜
10.ひとつの結末


 アルフェリールが五体満足で帰還したのを目にしたヴェアラッド公はか弱い淑女のようにぱたりと倒れてしまった。王に命じられるがままにアルフェリールを招待しておびき出したのも、確実にアルフェリールが命を落とすと思っていたからだろう。一般的な見地に立てば人が竜に勝てるはずがないと思うのが当然だ。ところが、アルフェリールは意気揚々と凱旋して、魔物を掃討したと告げたのである。ヴェアラッド公の神経はあまりの衝撃に耐えられなかったようだ。
「きっと、感激のあまり気を失ってしまったんだね。私が魔物を一掃したことを、こんなに喜んで貰えるなんて、私も嬉しいよ」
 凶悪なまでの朗らかさで言うアルフェリールに衛士達は思い切り白い目を向けたが、無論、当人は気にしなかった。
「約束を守っていただいて、わたくし嬉しいですわ」
 これまた無邪気な顔で父に代わって挨拶に出向いた公女が言う。彼女はリアドとの間で近隣にいる妖魔の居所を全て教える代わりに、後腐れないよう始末するという取引を交わしたのだ。今朝方、床に伏していたというのは、事後処理のために色々手回しする時間が必要だったからという。彼女は父親と違ってアルフェリールの帰還を信じて疑わなかったにちがいない。
 リアドは孫の居場所を聞き出すために妖魔を探す必要があったのだが、半分以上は食欲を満たすためだと考えられた。何故なら、公女との約束があったとはいえ、孫の居場所を聞き出したであろう後も孫の救出を後回しにして妖魔を捜し出して食らっていたからだ。本人としては、同じ妖魔が竜族に手出しするのを黙認したということで連帯責任を取らせたつもりでいるのだが、食われた妖魔達は納得していないことだろう。妖魔というものには仲間意識などない。
「ああ、そう言えば」
 今、思い出したとばかりにアルフェリールが手を打ち合わせた。そのわざとらしい仕草に衛士達の警戒心がむくむくとわき起こる。
「妖魔を建物ごと吹き飛ばした時、一緒に何人かの人間がいたみたいなんだよね。ちらっと見ただけなんだけど、この国の王子に似ていたような…。でも、まさか、王子が世間を騒がす魔物を操る妖魔と付き合いがあるはずないし、きっと、気のせいだね」
 さあーっと衛士達の顔から血の気が引いていく。絶対に分かっていてやったのだ。いかにアルフェリールの破天荒ぶりに慣れ親しんでいても、さすがに、これは許容範囲を超えていた。そして、このことが、いかなる事態を引き起こすかも、容易に想像できた。と、そこへ公女がさらなる爆弾発言を放り込んだ。
「あら、それは残念ですわ。ぼんくらな王子でなく国王を始末してくださったのなら、わたくし、アルフェリール様に臣従の誓いをいたしましたのに」
 すなわち、この国を見限って、アルフェリール側につくということだ。彼女は完全にこの国の王を見限ったらしい。
「わたくしがお願いすれば、一緒にアルフェリール様にお仕えして下さるお友達もおりますわ。もしも、今回のことで、わたくしの父が国王に責を問われたら、アルフェリール様は弁護してくださるかしら?」
 すがるように大きな瞳を潤ませる。アルフェリールは公女の小さな手をとって、にっこりと微笑みかけた。
「もちろんですよ」
「嬉しいですわ」
 そこだけ異世界を創り出し、にこやかに微笑み合う美男美女の姿に周囲の人間達は恐慌を来していた。例え、自らが招いた結果だとはいえ、息子を失った王がおとなしく引き下がるとは思えない。しかし、変態ではあっても並外れた強さを誇るアルフェリールに真っ向から戦いを挑む程の度胸はまずないだろう。人並みの理性と知能さえ持っていれば、それがいかに愚かな行為かわかろうというものだ。アルフェリールに弱点でもあれば良いのだが、今現在、そんなものは見つかっていない。となれば、また、魔物を操ってアルフェリールを襲わせる可能性が出て来る。アルフェリールに限定しなくとも、魔物を操って戦をしかけてくるだろう。直接、魔物を操っていた妖魔がいなくなっても、魔物を操ることができる存在は他にもいるのだ。結果、当然ながら、その始末には彼らが差し向けられる。
「…私、今度こそ衛士を辞めさせていただきますから」
 シャザは上官に向かって決意を表明した。
「そう簡単に行くとは思えねぇがなぁ」
 ドゥイーはのんびりと応じる。
「竜族の女ってのは男どもと違って、身内の情が厚いんだ。その血を引いているお前が本気で王子を見捨てることができるのかどうか、怪しいもんだぜ」
 実際、今回、とらわれた竜に関しても、息子を助けてくれと懇願したのは母親だけで、父親の方はもう子供ではないのだから放って置けとひどく冷淡だったという。リアドは竜族の中でもまれな情の深さを持つらしい。
「もう、付き合い切れません」
 こめかみを押えたまま、シャザは溜息をつく。
「いくら人外の血を引いていても、人として育てられた、人を守る指導者となるべき者がその力で人の命を奪うなど、許されることではありません」
 ドゥイーはひょいと肩をすくめた。
「お前はどうして、そう堅いかねぇ?考えてもみろよ、先に道を踏み外したのは、相手の方だぜ?魔物を狩るべき立場の者が魔物を使って民を傷つけたんだ。すでに、そいつは人ではない、狩られるべきものだ」
 人と魔物の境は危うい。人としての道を踏み外せば、それ即ち魔物となる。
 なんだか珍しくまともなことを言っている気がするとシャザが上官に目を向ける。ドゥイーは少々気味の悪い笑みを浮かべた。
「それにな、お前がいなくなると、あれを抑えられる人はいなくなるんだぜ?王も確実にあいつよりは先に逝っちまうからな。それでも構わないってんなら、俺も止めはしねぇ。さぞかし楽しい世界になるだろうさ」
 にたにた、にたにた笑う。世界がどうなろうと気にもしないという顔だ。むしろ、いい見せ物になると歓迎するようなそぶりがある。彼は時として人でも魔物でもない、傍観者の顔を見せる。
 シャザは唇をかんだ。
 本来、アルフェリールは人に対して魔力をふるうことにためらいを持たない。持っているものを使って何が悪いと思っているのだ。それをしないでいるのは、単に父親に止められているからである。その父親という枷がなくなった時、アルフェリールはどう行動するか…。
「…私に一生を棒に振れと?」
 低い声でつぶやく。
「ま、選ぶのはお前の自由だぜ?」
 無責任に言って、ドゥイーはアルフェリールに視線を向けた。
「俺は面白けりゃあ、どうなったってかまわないんだ」
 銀髪の王子は金髪の公女とにこやかに談笑している。どう見てもお似合いの二人であり、気も合っている様子だ。この調子では本気で縁談も進めかねないし、アルフェリールが口走った計画も進めかねない。
 シャザはふっ、と遠くに視線を向けた。
 視線の先で太陽が一条の光を投げ、地平線の彼方に沈んだ。残照のなかで、細い銀の月が輝きを増してゆく。それと対照的に闇は深まる。
 はたと我に返った時には周囲は夕闇に閉ざされ、アルフェリールらの姿も消えていた。屋敷の中に入ったか、酒を飲みに出かけたに違いない。
 自分のことなどお構いなしに時は進んでいくものだ。
 シャザは深く息を吐いた。
 どうあがこうと時の進みを変えることはできないが、人の行動を変えることならできる。
「…どうせ、私の人生など、父の娘に生まれた時点で躓いているんだし、今更、これ以上悪くなりはしないんだ」
 よしと、シャザは腹をくくった。
 天命というものがあるのだとすれば、これが自分の天命なのだろう。
「残った生涯、棒に振ってやる!」
「長い人生、まだ始まったばかりなんだぜ?そう悲観しなさんなって」
 闇のなかから響いた声にシャザはうわっと飛び上がった。夜目のきくシャザはかろうじて近くに座り込んで自分を見上げているドゥイーの姿を認識した。
「た、隊長、いたんですか?」
「お前も飲みに誘ってやろうと思ってな。今夜は好きなだけ飲ませてやるぞ」
 ドゥイーがよいしょと立ち上がる。
「本当ですか?」
 シャザは喜びの声を上げた。もう一年以上もの間、満足行くまで飲んだことなどない。そもそもシャザは浸かるほど飲まねば酔うこともない。
「ああ。請求書は王子に回してやりゃあいい。王子が自分でおごりだと言ったんだからな」
「…リール様も酒場に行ったんですか?」
「いーや。美人と仲睦まじく、将来について語り明かしたいんだとさ」
 若いもんはいいねぇと親父臭いことを言う。もっとも、本当に親父なので仕方のないことだろう。
「おごりとは珍しいですね」
「さすがの王子も、たまには太っ腹なとこ見せておかないと、逃げられっちまうと思ったんだろうよ」
 二人は先に繰り出した衛士達の後を追って歩き出した。
 後日、莫大な額の請求書がアルフェリール宛に送付され、衛士達は彼から山ほど嫌味を言われることになったが、彼らの今後の人生を考えると誰一人後悔する者はいなかったのであった。


 アルフェリール王の治世下、レンドール王国は著しい発展を遂げたという。王は幾多もの魔物を屠り、民の生活を守った。時として王は人同士の争う戦場に身を置いたが、そこにおいても無敵であった。そのあまりの強さに他国の王は彼を魔王と呼び恐れたが、彼がその魔力を人に向けることはなかった。人々は彼を夜を照らす月に例えて、銀月の王と呼び敬った。その輝かしい栄光ゆえ、幾年もの月日が過ぎ、人外のものが姿を消して伝説の存在になった後も彼の名は残った。だが、その栄光の陰に涙ぐましい衛士達の努力があったことは、知られていない。






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