昔日夢〜狭間にある者〜
2.訪問者


 レンドール王国の支配者は武勇で名をはせており、若い頃、武者修行と称して諸国を巡り歩いていた。この時代、王族がそうして修行することは珍しくはない。むしろ、義務ですらある。ちなみに現王妃と知り合ったのも旅先のことであったという。王妃の出身は遥か北方に広がる樹海内に位置する小国だと言われているが、その存在を確かめるすべはない。北の樹海は迷い込めば生きては帰れぬ場所とされていた。そこに迷い込んで無事に帰って来ている例外が、レンドールの現王である。強力な王の庇護のもとで王国は繁栄をもたらされていた。

 呼び出しに応じてやって来た息子の姿を見て国王は深い溜息をついた。さすが一国の王だけあって、というより、もはや見慣れていたので、彼は息子のドレス姿にも動揺しなかった。それまで彼と向かい合って話をしていた人物に視線を戻す。
「紹介しよう。これが息子のアルフェリールだ。奇妙な恰好をしてあるが、冗談の一種と思ってくれ」
 女装の王子というものを紹介された人物もまた動揺した様子はない。軽く頷いただけで、その態度は不遜ですらある。
「アルフェリール、この男はリアド・ヴァーダルだ。名前くらいは知っているだろう?例の件にひょっとしたら一族の者が関わっているかもしれないと、わざわざ足を運んでくれた」
 王によって紹介された人物はアルフェリールに一瞥をくれた。黒い瞳にはとりたて驚きも侮りも浮かんではいない。強いて言うならば、好奇心が微かに感じられた。
「嬉しいですわ。こんなすてきな殿方と御一緒できるだなんて」
 手を合わせて喜んでみせると、
「やめろ。気色悪い」
 間髪入れず、国王が言い放った。
 ひどいっとアルフェリールは泣くふりをしたが、父王は取り合わない。
「せいぜい足手まといにならぬように務めることだ。ヴァーダル、邪魔になるようなら、見捨ててかまわんぞ」
 とても一人息子に向かって言う言葉ではない。そして、話をふられて頷く青年も国王と世継ぎに対する態度ではない。だが、それを不遜と思わぬ理由が彼らにはあった。その理由を知れば、大概の者が驚くだろう。
「とりあえず衛士達に紹介しておけ。私が雇った魔術師だとでもな」
「はい。ですが、その前に父上、ひとつ伺ってもよろしいですか?」
 真面目な顔で王子が問う。
「なんだ?」
「このドレス、どう思われますか?」
 国王は疲れたようにこめかみを押えた。どうして、これが息子に生まれたのだろうと思っているのかもしれない。
「…私にはなんとも言えぬな」
 さがれと国王は犬でも追い払うように手で合図した。

 王宮の東にある訓練場に王子が姿を現すと一斉に、皆が身を引いた。その場にいたのは今年配属された若手の衛士ばかりである。
「どうした?続けろ」
 にこやかに王子が告げる。
「…リール様」
 後輩に稽古をつけてやっていたシャザは額に手をあてながら進み出た。
「着替えて下さい。皆が脅えます」
「脅える?どうして?」
 わっかんな〜いとばかりに肩をすくめ、両手を広げてみせる。
「…お婿にいけない体にされるのではないかと心配しているんですよ。先月、花嫁衣装をつけて王宮にいた衛士に片っ端から迫ったでしょう?」
 衛士達を恐怖のどん底に突き落とした人物はくすりと笑った。
「別に押し倒したりはしなかったけど」
 はっきり言って、この王子が本気で押し倒したら、逃れられる男はまずいないだろう。優男風の容姿を裏切って馬鹿力なのだ。その馬鹿力にも勝ってしまうのがシャザであるのだが。
「士気に関わります。ダハ隊長からも抗議があったはずです」
 正確に言うならば、疲れて訓練ができなくなるから、からかって遊ぶのはやめてくれと第五衛士隊の隊長は申し出たのであったが。
 シャザの背に隠れるように様子を伺っている衛士達を横目でちらりと見遣る。
 ひょっとして、とシャザは思う。
 彼らが恐れているのは王子に襲われることよりも、男だとわかっていても、顔だけ見れば文句なしの美女である王子相手に思わずその気になってしまうことではないだろうか。もっとも、あの低い声を聞けば、夢も一瞬のうちに覚めるだろうが。
「はい、はい。ところで、シャザ、このドレスをどう思う?」
 目の前でくるりと回転してみせる。
「は?」
「母上の新作で、試着を頼まれた」
 王妃というのは非常に裁縫が好きな人物で自身のドレスを仕立てるのは勿論、気にいった人物に対してもドレスを仕立てて贈るのだ。自分の母も王妃から拝領したというドレスを何着か持っていた。
 だが、何故、その試着を息子に頼むのか。息子が着ることのできる寸法で作れば、布地が無駄になるというのに。
 この母子は何を考えているか、さっぱりわからない。
 しかし、何か言わねば着替えないだろう。深い緑色の光沢のある布地で仕立ててあるドレスをじっと見る。襟元と袖口にフリルがあるだけの装飾性の少ないものだが優美である。
「上品でよろしいのではないかと。王妃様には少々地味なように見えますが」
「ああ、それはいいんだ、母上が着るわけではない。リアド、こちらが私が一番頼りにしている衛士だ」
 シャザはようやく、王子の後について来たらしい青年に気付いた。ずばぬけて背が高い。自分より背の高い人間など父親以外にこの国では初めて見た。黒髪に浅黒い肌は南方人のようだが、顔立ちはそれらしくない。むしろ北方人に近い。一体、どういう人間だろうとシャザは首を傾げた。
「シャザ、彼はリアド・ヴァーダルだ」
「よろしく」
 王子に劣らぬ低い声であった。ヴァーダルという名には聞き覚えがあるのだが、誰だったかは思い出せない。
「一応、魔術師というところかな」
 衛士達は顔を見合わせた。どう見ても、青年は魔術師というより武人に見える。
「他の連中にも彼を紹介しておいてくれ。私は着替えて来る。新作を汚したら母上が泣くからね」
 皆がほっとした表情になる。王子がそそとした足取りで立ち去るとシャザは魔術師に向き直った。
「シャザ・エスルです」
 青年は軽く黒い眉を動かした。鋭い眼光が和らいだように感じられた。
「エスルというと、クザートの娘か?」
 ざわっと背後で動揺が起きた。すごい、女だってわかるなんてなどという声があちこちから聞こえる。シャザはその声の主を記憶に刻み込みながら頷いた。
「はい。父をご存じで?」
「ああ。…随分前に会ったきりだが。そうか、結局、この国にいついたわけだな」
 はて?この青年、外見通りの年齢ではないのだろうか。少なくとも父親がこの国に来てから二十年は経っている。まあ、魔術師は長命だというから、驚くほどのことではないのだが。
「どうぞこちらへ。質問があれば、遠慮なくおっしゃって下さい」
 先に立って歩き出すと、早速に青年は問いを発した。
「王子は、いつもあのような恰好をしているのか?」
 もっともな質問である。あまり触れて欲しくない話題だが、いたしかたあるまい。
「いつもではありませんが、時々…。悪ふざけの好きな方でして」
「昔から?」
「ええ、まあ…。色々と噂をお聞きしているかもしれませんが、ほとんどはデマですので、気になさらないで下さい」
 王子直属の衛士として、とりあえずは弁護しておかねばなるまい。
「あいにく、噂を耳にしたことはない」
「余程の僻地に住んでいらしたんですねっ」
 思わずシャザは驚きの声を発していた。
 国内のみならず国外まで、アルフェリールの名は轟いているはずだった…女装好きの変態王子として。彼は他国人の賓客を前にしても服装を改めることはまずなかった。
 噂を知らずに実物をいきなり目の当りにして、動揺を見せぬ青年に対する認識をシャザは改めた。魔術師と呼ばれるようになるには相当の精神鍛練を必要とするという。それらしくなくとも、この男は魔術師に違いない。
「僻地と言えば、あれほどの僻地はなかろうな」
 微かに笑ってリアドは言い、話題を変えた。
「クザートは元気か?」
「そのはずです。この一年ほど会ってはおりませんが」
 小領地に引っ込んで、のんびり夫婦仲睦まじく暮らしているはずだ。一人娘すら邪魔物扱いする父である。両親に手紙を書いても、父から返事が来たことなど一度もない。
「まあ、あれに一族の慣習など通用するはずもないか」
「はい?」
「クザートから、生まれ故郷のことを聞いたことは?」
「え?いえ、あまり…。王妃様のお供をして、この国に来るまでのことは、母にもほとんど話していないとか」
 王妃の出身は遥か北方、幻の国とされる樹海の中の小国だ。父親は、はじめ王妃と兄妹に間違われたというほど、顔立ちが似ているので同じ国の出身であることはまず間違いないだろう。
「そうか。では、私も余計なことは話さぬように心がけよう」
 やっぱり…見た目よりは年がいってるな。
 その口調と態度に「年齢」を感じ、シャザは一人頷いていた。



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