昔日夢〜狭間にある者〜
6.公女


 ヴェアラッド公の屋敷に無事到着したアフェリールの一行を出迎えたのは小柄な中年の男だった。公という高位の貴族にしてはにこにこと愛想よく、丁寧な態度でアルフェリールを屋敷のなかへと案内する。アルフェリールも日頃の態度はどこへやら、貴公子然として振る舞うので、シャザは上官が噴き出さないように、何度もひじ鉄を食らわさなくてはならなかった。並の男なら、あばらを折られていたかもしれないが、ドゥイーは極めて丈夫な男であった。
「これが私の娘、リ−ティスでございます」
 これは、凄い。
 紹介された公家の姫君からシャザは目を離せなかった。それは他の衛士達も同様である。見とれているというよりは、驚異的な出来事に遭遇して目を離せないという状態だ。
 彼らの驚異の的は軽やかな身のこなしで挨拶した。
 柔らかに波打つ金髪、菫の瞳、薔薇の唇。どれをとっても、信じがたいほどに美しく、可憐だ。アルフェリールと並んで見劣りしないという存在をシャザは初めて目にした。
 王子らしく優美に礼をとるアルフェリールにほほ笑み返す姿はまさに春の女神のようだ。声も銀の鈴をふるわすようなと形容するにふさわしい美声である。
 いける。彼女ならば、王妃様の審美眼にもかなうだろう。
 ドレス姿の王子というものを二度と見ないですむために、この見合いがうまく進むことを、シャザはありとあらゆる神々に祈った。

 翌日、邪魔だから近くの街で遊んでおいでとアルフェリールによって第五衛士隊の衛士達はヴェアラッド公の屋敷から追い払われた。仲間と一緒に出掛けようとしたシャザの腕をがっしりとアルフェリールがつかむ。
「どこに行くんだい?」
「え?出掛けて来いとおっしゃったのは、リール様でしょう」
「君はここにいるんだよ。私の最愛の衛士なんだからね、片時も離れてはいけないよ」
 思い切り厭そうな顔をするシャザに向かってドゥイーがにやにや笑いながら、ひらひらと手を振った。
 くそったれ中年おやじめ。
 口のなかで毒づく。聞こえていたところで、気にするような神経は持たないだろう。
「べたべたしないで下さい」
 邪険にアルフェリールの手を振り払う。
「また、白い目で見られるじゃないですか」
「気にしない、気にしない。それとも、シャザ、君、女の子たちに熱のこもった目で見られたいわけ?」
 アルフェリールがちらりと斜めに視線を投げる。
「そういうのって、変態って言うんだよ?」
 あなたにだけは、言われたくない!
 どうにかシャザはその言葉を飲み込むことに成功したが、拳がおもいきりよく王子の鳩尾にはまるのを抑えることはできなかった…。


 明るい日差しのもと、庭園をそぞろ歩く美しい男女をシャザは遠くから見守っていた。気が合ったのか、演技がうまいのか、どちらも楽しそうに笑っている。
「お似合いだと思いませんこと?」
 公女づきの侍女の一人が声をかけた。
 先程から数人固まって、ちらちらとこちらを伺っていたのだが、ようやく話しかける気になったらしい。
「ええ、本当に」
「シャザ様はアルフェリール様とのお付き合いは長いんですの?」
「そうですね…武芸の練習相手としてお側に上がってから、もう十年になります」
 言ってから、シャザは釈然とせぬ思いに囚われた。自分の人生の半分以上の時間を王子のもとで過ごしてきたことに気づかされたからだ。
「アルフェリール様はシャザ様のことをとても大切に思っていらっしゃるとお聞きしましたわ」
 婉曲的な言い回しだが、言わんとするところはシャザにははっきりと伝わった。
「もしも、私とアルフェリール様との間に恋愛感情が存在するのかとお疑いでしたら、心配は御無用です。私はアルフェリール様に恋情を抱いたことなど一瞬たりとございませんし、アルフェリール様は誤解を招く言動を振り撒くことを心から楽しんでおいでですが、そこに他意は一切ございません」
 きっぱりしたシャザの応えに、やや恥ずかしそうに侍女達は顔を見合わせた。
「それをお聞きして安心いたしましたわ」
「…シャザ様にはもうお約束なさった方がおられますの?」
 これこそが、彼女達の本当に尋ねたかったことだったのだが、シャザは気付いていなかった。
「約束、とは?」
「その、結婚のお約束ですわ」
 結婚の約束、ね…。
 どうして、若い娘というのは、こういう話題が好きなのだろう。
 一応、自分も若い娘に分類されることを、シャザは完全に見落としていた。
「そのような約束を交わしたことなど、ありませんが…」
 言ってから、しまったと後悔したが、遅かった。
 妙な期待を抱かせてしまった…。
 熱っぽい視線を集めてしまったシャザは肩を落とした。
 今更、自分は女だと言うのも気が引ける。
 またリール様に厭味を言われるなと、ふっと溜息をこぼし、シャザは虚ろな目を澄み渡る青空に向けた。

 まさか昼間の自己嫌悪が原因ではなかろうが、その夜は寝苦かった。寝床に入っても、なかなかに眠りが訪れる気配がない。奇妙な息苦しさから逃げ出すために、シャザは部屋を出ると夜の庭園へと降りた。明るい月光に照らされた庭園は散策するにはもってこいの場所であった。
 どうも落ち着かない。なんとなく、魔物の気配を近くに感じている時とよく似ている。
 そんなことを思いながら、ゆっくり歩いていると、前方に何かの気配を感じ、ぎくりと足を止めた。
 淡い光をまとった少女の姿を認め、緊張を解く。少女はやんわりとシャザに向かってほほ笑んだ。
「あなたも眠れませんの?」
 アルフェリールという存在を見慣れていなければ、間違いなく心奪われただろうほほ笑みを公女リ−ティスは向けた。
「はい。お邪魔して申し訳ありません」
 ふふふと少女はいたずらっぽく笑った。するりと近付いて来て、シャザを見上げる。月光のせいか、昼間とは別人のように見えた。年齢には不釣合いな、匂いたつような色香を感じさせる。どことなくアルフェリールと似たものをシャザは感じた。
「あなたは、とても奇麗ね」
「は?」
 間抜けな声を上げたシャザを紫の瞳がとらえる。夜空のように、はかり知れない深みがそこにはあった。
「アルフェリール様も奇麗だけれど、あの方の輝きはあまりにも強すぎる…。あなたのように、奇麗でやわらかな光がわたくしは好きですわ」
 戸惑うシャザにまた一歩、少女は近付いた。瞳が妖しげな光を帯び、唇が誘うように開かれた。男ならば、ためらいもなく抱き寄せて口付けていたかもしれない。だが、シャザは女だった。そして、悲しいことに、同性に迫られるのにも慣れていた。
「あの…」
 尻込みするシャザに少女は眉を寄せた。
「あなた、不感症?」
 シャザはその言葉の意味を一瞬、理解できなかった。
「…その、私は女なんですが」
 なんとか言葉を絞り出すと、リ−ティスはかわいらしく小さく首を傾げた。
「そんなこと、知っていてよ?」
 シャザは頭の中が真っ白になるのを感じた。
「わたくしは奇麗な人が好き。男だろうと女だろうと、全然、かまいませんの」
 凶悪なまでに無邪気な口調で言ってのける。
 同性に迫られたことは多々あるが、自分を女と知ってなお、迫られたことはない。
 金縛りにあったシャザにリ−ティスはさらに体を寄せた。
「そこまでにしておけ」
 低い声が割って入った。その声に、ようやくシャザは思考力を取り戻した。
 助かった、とリアドに感謝の目を向ける。いくらなんでも、王子の見合い相手に迫られるなんて冗談にもならない。アルフェリールに知られたら何を言われることか。
「あら…無粋ですこと」
 不快そうに言って、少女はゆっくり振り向いた。リアドは足音ひとつ立てずに近付いて来る。
「それとも、あなたが代わりをしてくださるのかしら?」
 あからさまな誘いにリアドは薄く笑った。すっと体を屈めて、少女の首筋に唇を寄せたかに見えた。唇が動き何かをささやいた。少女の体がびくりと震えた。
「何故…」
 くっ、と喉の奥でリアドは笑って体を離した。
「丸呑みされたくなければ、おとなしくしていろ」
 実に凄みのある声が耳に響く。
 ま、丸呑み…?
 その声音に紛れもない本気を感じ、冷汗が背筋を伝う。
「行け。俺はこの女に話がある」
 リアドに言われ、シャザは弾かれたように踵を返すと、急ぎ足でその場から逃げ出した。私は何も見なかった、何も聞かなかった!と呪文のように心のなかで繰り返す。寝室にたどりついたシャザはそのまま頭から毛布を被って、意地と根性で眠りについた。
 翌朝、リアドが姿を消し、急な病で公女が倒れたと聞いても、シャザは少しも不思議に思わなかった。
可憐なる公女様
「可憐なる公女様」 by れいり様



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