昔日夢〜狭間にある者〜
7.魔物の谷


 ヴェアラッド公がその話を持ち出したのは遅い朝食の席だった。彼の領地にどうも魔物が巣くっているらしい場所があるという。そこで一度口をつぐみ、気の弱そうな人物はおどおどとアルフェリールの顔色を伺った。言わんとするところは、これ以上ないくらいに、はっきりしている。
「では、私が赴いて調べて来ましょう」
 アルフェリールがにこりとほほ笑む。公はほっとした様子で丁重に礼を述べた。
 ひょっとして、とシャザは眉根を寄せた。
 毒をもって毒を制す。
 見合いというのは方便で、本当は化物退治に呼んだのではないだろうか。
 朝食を終えると、同行しようという公の申し出を断り、早々とアルフェリールは二日酔の男達を引き連れて館を出た。

 鬱蒼と茂った森のおどろおどろしい雰囲気もアルフェリールに精神的圧迫感を与えることはできず、彼は鼻歌まじりに馬を進めていた。二日酔で頭痛を抱える衛士達には厭味なまでの機嫌のよさだ。
「もてもてじゃん、王子」
「あれじゃないのか、ほら、白が好きってやつ」
「最近の流行かねぇ?」
 先刻からアルフェリールただ一人を目指して襲い来る魔物をアルフェリールが何げなくたたきのめして行くのを彼らは助けようともせず見物していた。
「羨ましいかい、シャザ?」
 鼠を前にした猫のように、うずうずしている状態のシャザをちらりと振り返ってアルフェリールが目を細める。
「たまには独り占めさせてもらわなくちゃね。これで、一人でもてる君を見ている私の気持ちが少しはわかっただろう?」
 魔物と女を同列に置くなよと衛士達がつぶやきをもらす。
「あなたは女性にもてて嬉しいかもしれませんけどね、私は少しも嬉しくありません」
 思い切り不機嫌な声でシャザが応じる。
「おや、そうなのかい?君は女性に優しいから、てっきり、嬉しいものだと思っていたんだけど」
 ぐっとシャザは鉄杖を握り締めた。みぞおちに拳を食らったくらいでは懲りないと言うのならば…。
「やめとけ、シャザ」
 シャザの心を見抜いてドゥイーが止めに入る。
「打ち所が悪くて、今以上に変になったらどーする?お前が責任とってお婿にもらわなくちゃならなくなるぜ」
 ずるっと手が滑った。危ういところで、鉄杖を握り直す。
「そんな恐ろしいこと、冗談でも言わないでくださいっ!大体、あれ以上、変になる余地がどこにあるって言うんです!」
 その言葉にドゥイーは盛大に噴き出した。
 幸い、アルフェリールは魔物に気を取られて、このやり取りを聞いていなかった。
 彼らの背後で衛士達はちらちらと互いの顔を盗み見た。
「…今の所、シャザを嫁にしようって度胸のある男もいねぇみたいだし」
「案外、いいんじゃないか?」
「被害を最小限に止めるために、ここはひとつ、シャザに犠牲になってもらうと」
「王子を腕力で抑えられるのはシャザくらいだしな」
 シャザの耳に届いたら、八つ裂きにされかねないことを彼らは、ぼそぼそとささやき合っていた。

 よく晴れた日だというのに、その谷には霧が立ち込めていた。岩だらけの荒涼とした枯れ谷である。いかにも何か出る、出なければおかしい、というような雰囲気である。
「すてきな場所ですこと」
 嬉しそうにアルフェリールがつぶやく。
 主の女言葉以外の理由で背筋がぞわぞわする感覚に強い魔物が近くにいることをシャザは確信していた。
「私のために、これほどの演出を用意してくださるのですもの、直接お会いしてお礼を申し上げなくては」
 ふとシャザは主人に目を向けた。
「…ひょっとして、魔物が狙っているのは、『白』ではなくて、リール様の『銀髪』なんですか?」
「そうらしいよ」
 げ〜っと衛士達が声を上げる。
「魔物に恨みを買いまくってるとは思ってたけどよ〜」
「とうとう魔物達の賞金首にでもなったんですかね?」
 くすりとアルフェリールは笑った。
「君達もあの河の魔物を見ただろう?あれは合成物、人の手が加わったものだ。そして、これらも」
 と、先ほど切り捨てた羽根の生えた猿のような魔物を剣先で示す。
「今まで見たことないだろう?同じような合成物だ」
「それじゃ、ヴェアラッド公が黒幕なんですか?」
「いや。彼は娘を餌に私をおびき出すように強要されただけだよ。彼は悪い人間じゃないけど、気が弱い。よほど、娘の方が骨がある」
 ほほ笑んだまま、剣を振るい、また一匹、蛇のような魔物を切った。
 はっきり言って、一方的な殺戮に近い。
 厭な予感を覚えながら、シャザは推測を口にした。
「公に強要できる人物となると…王、ですか?」
「そうだけど、本当の黒幕は別にいる。王を思うように操っている奴がね。シャザ、君は覚えているかい?二年前、君に粉かけた闇の妖魔がいたろう?」
 シャザは考え込んだ。妖魔になら女性と同じくらい頻繁に迫られるので、どの妖魔か思い出すのに時間をしばし要した。気を食らう妖魔には、自分の生気が非常においしそうに見えるらしいのだ。おいしい生気を長く恒常的に摂取するために連中は恋人という座を得ようとするのである。普通に暮らしている分は魔物よりは害のないが、魔物と違って知能が高く魔法を使えるので、一度、人に害をなそうと決めたら、その被害の大きさは体力勝負の魔物とは比ぶべくもない。それが理由というわけでもないだろうが、そうした連中が近づくことをアルフェリールはシャザ以上に嫌っていた。
「…あ、ああ、リール様が暗くてうっとおしいと、ふっとばした妖魔ですね」
 アルフェリールはその妖魔に、かびが生えるから近づくなとか、お前には視界に入る価値もないとか、魔法による暴力だけでなく、いやというほどの言葉の暴力を浴びせていた。さすがにシャザも可哀想に思って、勘弁してやるように取りなしたのだが、それが逆にアルフェリールの気に障ったらしく、アルフェリールは肉体的暴力まで加えて、ようやく、どこかに放り出したのだ。
「そう、それ。どうも、私を逆恨みしているらしくってね。シャザを餌にしようだなんて、ふざけた了見の妖魔など、ぶち殺されても当然のところを見逃してやったというのに」
「逆恨みじゃあないと思いますがね」
 しごくもっともな意見をドゥイーが述べたがアルフェリールは無視した。
「兵士の代わりになる魔物を造り出して、領土を拡大しようと王にもちかけたらしい。で、魔物退治で有名な私が一番の障害になるだろうから、真っ先に始末しようと王が思うように仕向けたわけだ」
 なんてことだとシャザは額に手を当てた。魔物を狩るべき立場にある者が魔物を飼うなんて何を考えているのか。それとも、完全に魔物を支配下におけるとでも思ったのだろうか。魔物が魔物たる所以は随わぬものであるからだというのに。
「いつ、わかったんです、そんなことが?」
「ゆうべ。リアドが公女から聞き出してくれた」
 …あのリアドに威されれば、誰でも素直に知ってることを教えただろう。それほどに凶暴で強大な気配をリアドはまとっていた。公女がただ者でないことはわかっているが、それでもシャザは同情を覚えざるを得なかった。
 空気が揺れた。
 地面から震動が伝わり、霧の向こうから、びしばしと殺気が伝わって来る。
 シャザは溜息をついた。
「リール様ただ一人のために随分とつぎ込んだものですね」
「千載一遇の機会に全力投入する決断力は誉めてあげるけどね」
 実に底意地悪そうな笑顔だ。あの妖魔が恨みたくなるのも、よくわかる。
「判断力には欠けている、ですかね?」
 ドゥイーが面白がっている表情で言葉を継ぐ。
「よくわかっているじゃないか」
 にっこり笑うと、アルフェリールは呪文を紡ぎ始めた。その横顔は真剣そのものであるが、シャザはだまされなかった。非常識な魔力を誇るアルフェリールが全力を尽くして相手しなければならないほどの魔物は近づく気配の中にはない。巨大な火球が霧の中を突進した。
 霧が晴れると同時に、すさまじい咆吼が響く。
 あらわになった魔物の集団に衛士達が口笛を吹いた。大小様々の魔物が群れなして突撃してくる様は、なかなか壮観である。おまけに、今の火球に焼かれて怒り猛った様子だ。
「おや、熱かったかな?では、冷してあげよう」
 凶悪に優しい声でアルフェリールは呪文を紡ぎ続ける。ざくざくと氷の槍が天から降り注ぎ、魔物達を串刺しにしていく。
 きっと、あの魔物達は人でなし!と心のなかで叫んでいるに違いない。
「数で押そうたって、雑魚ばかりじゃ無駄なんだよ」
 ふふふんとアルフェリールは鼻で笑って、銀髪をかきあげた。
 一般的見地からして、雑魚には分類されない魔物が多々含まれていたことをシャザは知っている。
「さてと…」
 笑顔のままアルフェリールが衛士達を振り返った。
「残った雑魚の始末は任せるよ。一匹でも逃したら、押しおきだからね」
 短く呪文を紡いだ途端、シャザとドゥイー以外の衛士達の髪が白銀に変化した。
「げぇ〜っ!俺の自慢の黒髪がぁっ」
 などという悲鳴を上げている部下達に背を向けると、王子はフードを目深に被った。
「行くよ、シャザ、ドゥイー」
「え、私もですか?」
「へ?なんで俺まで?」
「シャザは助手。ドゥイーは…ついで」
 言って、馬を走らせる。このまま見送りたいのは山々だが、後でしつこく、文句を言われるのはたまらない。シャザは仕方なくアルフェリールの後を追った。
 面白いまでに髪を隠したアルフェリールには目もくれず、「白い」集団に向かって行く魔物達と擦れ違いながら、谷の奥を目指す。
「どうせ合成するんなら、もうちょい知性のある連中使えばいいのによ」
「質より量ってことなんじゃないですか?」
 ついでだからと、手に届く範囲の魔物達を薙ぎ倒しながら、会話をかわす衛士達をちらりとアルフェリールが振り返る。
「多分、この奥にいるのは知性もあれば魔力も強いものだよ。油断はしなように」
「了解。それにしても、あの魔術師の旦那はどこに行ったんですかね?」
「彼なら、この辺りに住んでいる妖魔達におとしまえをつけて回っているはずだ。彼の言い分によると、今から会いに行く奴に協力したという理由でね」
「一体、どうしてですか?」
 ちらりとアルフェリールはシャザを見て笑った。
「すぐにわかるよ」
 教えるつもりはないということだ。
 いいけどね、とシャザは軽く肩を竦めた。



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