第一部 闘技大会編 (3)
大会最終日、女王の背後にその妹を除く近衛騎士が勢揃いしていた。揃いの青いマントに白い軍服を纏った騎士達が一列に並ぶ光景はなかなか壮観である。
「この様子だとあの噂、本当かもしれん」
準決勝に残った青年が特別席を眺めながらそんなことをつぶやいた。
「噂?」
クルスが尋ねると、青年は振り向いた。黒髪に深紫の瞳―おそらく宵闇公国の魔法騎士だ。
「この国の女王はものすごい面食いだという噂だ」
「面食い…」
「それなら、俺も聞いたぞ。顔が気に食わないというだけで即位早々、近衛騎士隊を解散させて新たに編成したって話だ」
同じく勝ち残っているデュリルが言う。
それが本当なら、なかなかの権力の持主だ。女王は傀儡だという噂もあるのだが。
クルスは出入り口から特別席を見た。最終日とあって、その特別席は試合場の真ん前に設けられており、女王の顔立ちまではっきり見える。確かに先日の女騎士とよく似た面立ちで、美人だった。年齢より大人びて見えるのはやはり女王という重責を担っているからだろう。後ろに控える近衛騎士六人に目を移し、なるほどと頷く。
「見事なものだな。タイプは違えど、確かに美形ぞろいだ」
他はともかく審美眼は確からしい。
「おまけに、血筋は問わず、顔と腕を基準に集めたという話だ」
ますますもって興味深い。クルスの故国では血筋の良さは何の役目につくのであれ、重視されている。
「あの騎士とは手合せしてみたかったが…」
黒髪の騎士の目が見ていたのは、ウェイというあの騎士だった。その目が次にクルスに向けられた。
「私は宵闇公国のジラッドだ。よろしく、氷晶王国のクルス殿」
すでに自分の名前を知っていたらしい。
「こちらこそ…」
気取らぬ青年の態度は好感が持てた。だが、クルスの表情は冴えない。
この男とやるのか…。できるなら、ここまで来る前に負けたかった…。がくりと肩を落とす。
「強いくせに、それほど弱腰なのはどうしてだ?」
デュリルが面白そうに尋ねる。
「…そ、それは…」
「私も是非聞きたい。今まで君の戦いぶりを見て来たが、いつも嫌々ながら戦っていたな。魔法力も剣技もずば抜けているのに、その闘志のなさは何なのだ?」
心底不思議そうな顔で二人の男はクルスを見た。
「…が苦手なんだ」
小さな声でぼそぼそとつぶやく。デュリルとジラッドが揃って怪訝な顔をする。
「本当か?」
「本当だとも」
「ただそれだけの理由で?」
「それだけとは何だ、それだけとは。私には切実な問題なんだぞっ」
どうせ他人にはわかるまいと思いつつ、クルスは訴えた。
「そりゃ、まあ、な…」
デュリルが口元を押える。
「我慢しないで笑ってくれて結構だ!誰がなんと言おうと私は血が苦手なんだ。魚一匹さばくところだって直視できないんだっ」
どわっはははと遠慮なくデュリルが笑い転げた。ジラッドも笑ったら悪いと思いつつ、我慢できないという様子で声を声を殺して笑っている。
「それじゃ何か?あんたに勝とうと思えば、目の前で血を流せばいいってことか?」
「そうとも。コップ一杯分も流してみせれば、確実に目眩を起こすぞ」
開き直ってクルスは言った。
「…君が控室で壁を見ていたのは負傷者を見ないようにするためか」
「当たりだ」
珍しい男だとジラッドはあきれを通り越して感心している。
「できるだけ、怪我はせぬよう努力するが、君相手ではそうもいくまいな」
「怪我する前に倒してもらいたいんだが」
真面目にクルスは言った。
「難しい注文だ」
これまた真面目にジラッドが応じる。
呼び出しの声が聞こえた。クルスは渋々ながら立ち上がった。どちらも頑張れよとデュリルが笑って二人を送り出した。
「おお、これは見ごたえがあるぞ!」
女王が喜びの声を上げた。
理由はこれから試合を始めようという二人が技量だけでなく、容姿にも優れているからだ。
「宵闇公国の第二公子に、氷晶王国の王弟ですな」
共に独身です、と落ち着いた口調で近衛騎士隊長が言う。
事前に調べあげているのは、さすが長年女王に仕えているだけあると言うべきか。
「それはもってこいではないか。…大臣どもの企みによる八百長ではあるまいな?」
予選においては、婿候補たる王族が勝ち残れるように多少の細工を命じたが、本選においては、そのような命令は一切出していない。
しかし、この王国の重臣達ときたら、国のためならば女王だろうと策にはめることを厭わない連中である。もっとも、そんな連中を任用したのは当の女王自身なのだが。
「試合をご覧になればわかることです」
微かに笑みを浮かべてシェイドは告げた。
彼らは女王の目を騙せると考えるほど愚かではない。
せっかく女王が形だけでも婿取りに乗り出したのだ。ここで女王にへそを曲げてもらっては困る。
鋭い金属音が響き始めていた。
軽くひじで隣の同僚の脇腹をつつき、オルトが小声でささやいた。
「どちらが勝つか、賭けてみるか?」
ちらりと面白くもなさそうにウェイは灰銀の目を向けた。
「賭けにならんだろう」
「やっぱり」
「ウェイと同じタイプだからな、彼は」
反対側にいたヴェルシュが口を挟んだ。
「今度の相手には勝てない」
その会話を聞いていた少年が驚いたように彼らを見た。
「どうしてですか?…ほぼ互角のように見えるんですけれど」
「それは…」
わあっと歓声が上がる。
黒衣の騎士が剣先を対戦相手の喉元に突き付けていた。
「彼には勝つ気がないからだよ。ウェイと同じで、どうやって相手を傷つけないですむか考えている」
あからさまな皮肉にも表情を全く変えない幼なじみにやれやれとヴェルシュは心のなかで苦笑をこぼしていた。
珍しい男だなと、くつくつ笑いながら朱金の髪の男は言った。
「負けて嬉しそうな顔をする奴なんて、めったにいないぞ」
「実際、嬉しいんだから仕方ないだろう」
ようやく解放されたと安堵感に満ちているクルスは晴れ晴れとした顔で言い返した。
これでようやく、終わったのだ。
いや、しかし…。
ふと、思い出したくないことを思い出し、クルスは溜息をついた。
…もう二度と故国の土は踏めないだろうな。
その事自体は諦めもついているが、問題はそれに関連して起こるであろう事態だ。
再び、クルスは暗く沈んで行ったが、控室にいる二人の男は女王のいる特別観戦席の「見物」に夢中で彼の様子に気付いてはいなかった。
女王が観戦席に運ばせた果物を見て、オルトは、うっと小さく呻いた。
深紅の果実には見覚えがある。女王からの見舞いと称して彼の枕元に置かれていたものだ。
オルトは身を縮めた。決勝戦を見たいがために、怪我をおして、この場に意地と根性で列席しているのだ。今、なんらかの打撃を与えられては困る。
ルーダルも気付いたようだ。用心深い目付きになる。
だが、女王は彼らにではなく、女騎士に果物をすすめた。
「碧海王国の大使からの頂き物だ。美容と健康に良いとか。イェナもひとつ、どうだ」
美容と健康の言葉が効いたのか、イェナは果実を手に取った。
深紅の果実を一口かじった女騎士はほほ笑んだ。
「どうだ?」
「とてもおいしゅうございますわ、陛下もどうぞ」
「そうか」
安心して女王は果実を口にした。
女騎士の黒い瞳がきらりと光る。
次の瞬間、女王は歯型のついた果実を取り落としていた。異国製の絨毯の上を果物がてんてんと転がる。
高らかな笑い声が響いた。
「まだまだ甘いですわね、陛下」
「イェナ、どうして、これを食って、平気な顔をしていられるっ!?」
それは鼻に突き抜ける酸味と喉を焼く甘み、そして、舌に残る渋みが共存している強烈なシロモノであった。
「修行の賜物でしてよ」
必要とあらば、完璧な淑女を演じる女騎士である。感情を偽って表情をつくることなど造作ない。
「フィル!水!」
「少々、お待ちを」
少年は急いで飛び出して行った。急がねば休憩時間が終わって、次の試合が始まってしまうからである。
あの大使許さぬぞっと息巻く女王に
「やはり、聞いていらっしゃらなかったんですね」
しみじみと青年がつぶやく。
「何のことだ、ヴェルシュ?」
女王が険しい琥珀の目を向けた。
「碧海王国の大使殿の説明です。あの果物は酒に漬け込んで、半年間は冷暗所でねかせておかなければならないと、懇切丁寧に説明なさっておりました。ちなみに、陛下はその時、目を開けたまま、居眠りなさっていたご様子で…」
「何故、それを先に言わん!」
「陛下のことですから、御承知の上でイェナ殿にすすめていらっしゃるのかと思いまして.余計な口だしをしたと咎められては、私も立場がないですから」
ヴェルシュは軽く肩を竦めてみせた。
「日頃の行いがものを言いますわねぇ、陛下」
おほほほと楽しげにイェナは笑った。果物による打撃など一切、感じさせない。
「減俸だ、減俸っ!」
「…大切な外交の席で居眠りなさっていたことが大臣の方々の耳に入ったらどうなるでしょうねぇ?」
あさっての方向を見遣りながらヴェルシュが言う。
うっと女王は言葉に詰まった。そして、八つ当りの先を怪我人に向けた。
「オルト!お前が素直に食べておかぬせいだぞっ!…おや?」
危険を事前に察知した近衛騎士はすでにその場から姿を消していた。どこに行ったかと目で探すと、激励するふりをして試合開始を待つ女王の妹の横にいた。これ以上ない対女王用避難所である。
「ちっ、姑息な真似を」
「学習能力というものが彼にもありますから」
さらりとルーダルが言った。誉めているのか、けなしているのかよくわからないのは、いつものことだ。
女王も近衛騎士達も「実に楽しそうだ」などと、出場者控室にいる男達に見物されていることなど気付いていなかった。
試合開始の合図とともに朱金の髪が燃える炎のように動いた。その一撃を受け止めた足が地面を滑る。男はにやりと笑った。
「よく受け止めた」
アシュリーズは飛びのき、風刃を放った。それを男は軽く剣で弾いた。魔法力を使うまでもなく、気を込めただけでやってのけたのだ。ぎりりと奥歯を噛む。
「風は速さはあるが、威力がない」
落ち着き払って男は剣をかざした。
「だが、それも使い方次第だ」
振り降ろされた剣から風が放たれた。防御魔法を発したが、その勢いをそぐことはできず、そのまま試合場を囲む壁にたたき付けられた。痛みにひるむ暇はない。壁を蹴って第二弾を回避する。その壁が背後で崩れた。
なんて力だ。
余波で切れた一房の髪が舞う。
この男、化物か。
速度も腕力も魔法力も桁外れだ。
そして数え切れぬほどの実戦をくぐり抜けてきたであろう男には「試合用」の戦い方では通用しない。
剣に集めた光を、男の目を目がけて放つ。続く攻撃を男は受け止めた。
目は眩んでいても気配で動けるというわけか。
「実戦経験があるようだな」
男は不敵な笑みを浮かべた。
騎士としての本能が最大級の警鐘を鳴らした。
「ならば手加減無用でよかろう」
地面がつき上がった。風魔法と大地魔法の両方を操るとはと驚いている暇はない。バランスを崩したところに男の剣が唸りを上げて振り降ろされる。
誰かの悲鳴が聞こえた。
とっさに篭手のついた左腕で受けて体をひねると、地面に転がった。篭手が割れて落ちた。激しい痛みを堪えながら素早く立ち上がる。
左手はもう使えない。
「驚いた。俺の力を逆に利用して逃げるとはな。降参するか?」
「まだ戦える!」
はじけるようにアシュリーズは言い返した。
男はにやりと笑った。
「そう来なくてはな」
剣はだめだ。魔法しかない。一撃で倒さねば、この男は倒せない。攻撃を交わしながら魔法力を集める。手加減などしない。この男には手加減などいらない。
光と風が渦になって男に突進した。
渦が消えると、男の姿が現れた。地面に片ひざをつきながらも、その場から動いてすらいなかった。
この男に自分は適わない。
「降参だ」
剣を下げるとアシュリーズは意識を手放した。
女王は思い切り不機嫌だった。
「許せん、あの程度の顔で私の妹を倒すとは。実に気に食わない」
「…参考までにお聞きしますが、陛下」
なんだとオルトに目を向ける。
「相手の顔が良ければ、アシュリーズ様をぼろぼろにしても、許すんですか?」
「当然だ」
うっと若い騎士は言葉に詰まった様子だった。イェナとシェイドは苦笑している。
「今更、何を言う。倒れるまで戦うのはアシュリーズが望んだことだ。それをとやかく言う気はない。気に食わないのは顔だ。だから、あの時、ウェイが手加減せずに勝っておけば良かったんだ」
減俸してやろうかと女王はぶつぶつとこの場にはいない騎士に文句をつけていた。
人の気配にふと目覚めると全身を強烈な痛みが駆け巡った。
「痛っ」
「痛くて当然だ」
冷たく突き放すその声の主が誰かは顔を見ずとも分かっていた。
「左腕骨折に全身打撲だ、痛くないはずがない」
アシュリーズは枕元の青年を見上げた。いつもと変わらぬ無表情ぶりだが、誰にわからなくとも自分には分かる。
これは怒っている。相当、怒っている。
「…決勝戦はどっちが勝った?」
無駄と知りつつ、話題をそらそうと努力はしてみる。
「お前と対戦した男だ。宵闇公国の公子は軽い切傷だけで済んだぞ」
台詞の後半は聞こえなかったことにしてアシュリーズは言った。
「やっぱりな。あんな化物、めったにいない」
「何故、もっと早く降参しなかった。分かっていたはずだぞ、勝てないと」
やはりごまかせるものではない。
「…それでは聞くが、ウェイは勝てないからと言って降参するのか?」
「あの場合は当然だ」
灰銀色の目が向けられる。
「女王の近衛騎士が、女王を守るためでなく動けなくなるような怪我してどうする?」
近衛騎士としての心構えが足りないと言外に告げた。
唇を引き結び、目をそらす。
ウェイの言葉が正しいことは分かっていた。
「…痛み止めの薬だ。飲んでおけ」
ことんと枕元の小卓に何かが置かれる音がした。気配が遠ざかり扉が開かれ、また閉ざされる音がした。
「…畜生」
わかっている、そんなこと。だが、あの男は女王の妹だからと手加減しなかった。同じ戦士として扱ってくれた。だから、最後まで戦いたかった。
「…私は騎士なんだぞ」
アシュリーズは顔の上右腕をおいて目を閉じた。
息苦しい。
「こら、アシュリ−ズ」
鼻をつままれ目開くと、双子の姉が顔をのぞきこんでいた。
「苦いからって薬を飲まないなんて、子供みたいだぞ」
「…痛み止め飲むのに、痛い思いをしたくなかったんだ」
薬の入ったカップはちょうど手の届かぬところに置いてあった。
「む?ウェイも気が利かない。飲ませてやればいいものを」
女王はカップを手に取った。そしてふむと考え込んだ。
「どちらにせよ、飲むには少々痛い思いをせねばならないか。一つだけ痛くない方法があるが、試してみるか?」
「何?」
「口移し」
何も言わずアシュリーズは痛みを堪えて起き上がった。
「ほら」
双子の姉がその肩を支え、カップを口元に運んだ。
「まずい」
「仕方あるまい。痛み止めと鎮静効果があるとの話だが。飲んだな?」
ほれと飴玉を口にほうり込んだ。昔、薬を飲まされた時、よくシェイドにねだったのだとアシャラーナは言った。
「ウェイに叱られたようだな?」
どうやら、お見通しのようだ。アシュリーズは頷いた。
「あの男が腹を立てているのは、そなたにではなく、自分自身にだ」
その言葉に眉をよせる。
何故?
「妹」への指導が足りなかったとでも思っているのだろうか。
今まで最も身近にいたというのに、最も理解できない。
アシャラーナは妹のそんな表情を見ながら話題を変えた。
「そう言えば、暁王国のあの男、実は王族だったぞ」
「…あの戦士が?」
軽く目を見張る。
「うむ。しかも次期国王と目されておる王の甥だ」
戦神とか呼ばれる凄腕の将軍でもあるらしいと説明した。それならば、自分も噂を耳にしている。決して戦場で刃を交えたくないと思ったものだ。
「そんな男がどうして闘技大会などに?」
「近ごろ、戦もなく、暇なので身分を隠して諸国を放浪していたと言っていた」
「…まるでラーナの言いそうなことだな」
「うむ。私もそう思った」
「しかし、どうして、身分を明かしたんだ?」
女王の夫候補に名乗りをあげるつもりならば、最初から身分を明かしていただろう。
「いや、本人は黙っていた。だが、追いかけて来た部下達があの男を捕まえてくれと泣きついてきてな。闘技大会があると聞いてもしやと駆け付けてみて、あの男を発見したらしい」
「一人でうろついていたのか」
呆れたとアシュリーズはつぶやいた。
もっとも、あの男程の腕前なら護衛などは必要ないだろうが。
「うむ。私もかなり王族らしからぬと言われるが、上には上がいると安心したぞ」
安心するようなことだろうかと甚だ疑問ではあったが、アシュリーズは黙っていた。
今、姉と言い合いをする気力はない。
その時、せわしなく扉がたたかれた。
「陛下、こちらにおいでですか?」
女王付女官の声である。
「ミューカか。どうした?」
面食いの女王がそばに置くにしては、凡庸な容姿の娘が顔を出す。
「どうした、ではありません!お支度の時間です」
「もう始めるのか?」
「遅すぎるくらいです。今夜はとりわけ念入りに装わねばならないとおっしゃったのは陛下でございましょう?さあ、すぐに取り掛かりますよ」
有無を言わせぬ態度である。
「わかった、悪かった。それでは、リーズ、またな。今夜の成果を期待して待っておくがいい」
女王は女官にせきたてられて部屋を出て行った。
今夜の成果…?
確か、闘技大会上位入賞者と各国王族を招待しての宴が開かれる予定だ。本来ならば、アシュリーズも王妹として列席しなければならなかったのだが…。
ふと、アシュリーズは大会の「主旨」を思い出した。
…一体、何をするつもりなんだ?
おそろしく不安になった瞬間であった
