女王と騎士

第一部 闘技大会編 (4)

 魔法の光が踊り、様々な抑揚で大陸共通語が語られる中を美しく着飾った貴夫人達が滑るように歩く。
 その光景は南の海を色鮮やかな魚達が泳ぐ様に似ており、北国に生まれ育った彼には眩しいばかりだった。
 大広間の隅に立ち、ぼんやりと眺めている彼に宵闇公国の騎士にして第二公子のジラッド・リオス・ガイラールが酒杯を傾けながら言った。
「君の敗因はその弱腰だな」
 クルスは言葉に詰まった。
 反論の余地はどこにもない。
「私以上に恵まれた素質を持ちながら、生かしていない。血が苦手ということもあるかもしれんが、血を流さず、たたき伏せるぐらいやってのけずにどうする?」
 微かな非難の響きに軽く肩を竦める。
 それができれば苦労はしない。
 自分は手加減ができるほどの「訓練」を積んではいない。
 銀のまつげの下で青い瞳が暗く変化する。
「それだから、兄王の言うがままに、故国を追い立てられ、はるばるこの国まで来るはめになったのだぞ?」
 どうやら、この人物もまた他国の事情に通じているらしい。
 クルスは苦笑をこぼした。
「所詮、厄介物の末弟だからな。立場が弱い」
「だが、騎士であろう?」
 騎士の戦闘能力を持つ者は多くの国において厚遇される。それが王族ともなれば、言うまでもない。
「いや…。私の『地位』は神官だ」
 まじまじと紫の目でしばらくの間クルスを見詰め、ようやく驚いた、と、ジラッドは言葉をもらした。
「君のような者が神殿にこもっているのか。余程、氷晶王国は騎士に恵まれているのだな。我国では許されないぞ」
 本気なのか、からかっているのか感心したように言う。
「…逆だ。騎士に恵まれないから、私が手抜きをしていてもばれない」
「…どういうことだ?」
「我国では魔法士が重視され、騎士は軽んじられる傾向がある。我が王家も魔法士の家系だ。よって、騎士は勿論、魔法騎士もそう育たない。そして私は魔法士として中級程度の力がある。…つまり、私は魔法騎士ではなく魔法士の端くれで通っているわけだ。今まで見破られたことはない」
 包み隠さず、ざっくばらんにクルスは説明した。
 ジラッドはその説明に眉を寄せた。
「それなのに、何故、今回の大会に送り込まれたのだ?」
「まあ、他に適当な王族がいなかったし、兄上も厄介ばらいしたかったのかもしれない。本選に残らねば、帰郷することは許さぬと言われたしな」
 自分に備わった能力を知らぬ兄王にとっては追放を命じたも同じことだった。
 思惑が外れた兄はどう反応するだろうか。
「…その割に本選に残ってからもよく戦っていたな?」
「手抜きしたらばれるだろう?それは騎士に対しては侮辱にほかならない」
 黒髪の騎士はふと笑った。
「…それにしても誰が君に騎士としての手ほどきをしたのだ?」
「放浪の騎士だ。…しばらく、家出をしたことがあって、その時に知り合った」
「家出?」
「正確に言うと、兄の一人に山の中に連れ出されて置き去りにされた。家出するような根性は今も昔も私にはない。私は父のお気にいりだったので兄達には嫌われていたんだ」
 不思議とクルスは隠そうと思う気持ちを持たなかった。
 もはや国を捨てる覚悟ができていたからかもしれない。
 その時、ざわめきが広がった。女王が登場したのだ。
 女王は若いながらも侮りを寄せ付けぬ威厳と華やぎを備えていた。その妹とはまた違う凛々しさがある。そして何より豪奢な装いを上回る内面からの輝きがあった。
 まさに南陽の名にふさわしい女王だ。
 女王が真っ先に声をかけたのは大会優勝者であるデュリルだった。
「ただ者ではないと思ったが、暁王国の『戦神』であったとはな」
 二人の姿を目で追いながら、ジラッドが言った。
「全く。氷晶王国が暁王国の近隣に位置してなくて助かった。戦場で出くわしたら一目散に逃げ出しているところだ」
 ジラッドはくつくつと笑った。
「君の身の上を話してみろ。きっと、暁王国に来いと勧誘するぞ」
 少々、人の悪い笑みを浮かべて言う。
「冗談ではない。私は平和主義者だ、あの国には合わない」
 この二十年、領地を拡大し続けている東部随一の強国だ。そして、その領土拡大に最も貢献している男が今、視線の先にいる人物だ。
 いずれ暁王国は東部すべてを支配下におさめるだろうとクルスは見ていた。
 暁王国が勢力を強める分はかまわない。問題は大陸の均衡をどう保つかだ。
 そんなことを考えている自分に気付いてクルスは苦笑をこぼした。

 ぼそりと女王が低い声でつぶやいたのをイェナは聞き逃さなかった。
「…ったく、どいつもこいつも度し難い、どあほう揃いだ」
 その意見にイェナは全面的に同意を示した。王族でも第二子以降になると、教育も長子程熱心に受けさせられることはないし、ましてや騎士の能力を持つとあっては自然と政治から離される傾向がある。女王を満足させる頭脳の持主はなかなかいるものではない。
「…暁王国の御仁は見た目の割に、切れ者でしたわね」
 短いやり取りの中で、それははっきりと伝わっていた。
 豪放磊落な戦士そのものだが、あれは器が違う。
「ああ。まったくもって、気に食わん。あんな奴に王になられては、ますます暁王国の勢力が強まるではないか」
「その国と手を結ぶことは悪くありませんわよ?」
「わかっている」
 顔には笑みを浮かべたまま、女王は不機嫌な声で応じた。

 女王がこちらへやって来るのが見え、二人は騎士の礼を取った。
 近くで見ると女王は思っていたよりも背が低く華奢だった。
「傷は大丈夫か、ジラッド殿?」
 決勝でデュリルと戦い、負傷したジラッドにまず声をかけた。
「ほんのかすり傷でございますれば」
 黒髪の騎士は鮮やかな笑顔で応じる。
「そうか。我が妹など寝台の上で唸っておるのだがな」
「妹君のお加減は?」
「大事ない。宴の席に出るより、寝台で唸っている方がましだと思っているだろうよ」
 なにせ、長衣を着たことなど数える程しかないからなと笑う。
「貴公らの戦いぶりも見事であったな。時にクルス・アディン殿、貴公、あら事は好まぬのか?」
 面白がっている様子で尋ねる。
 自分は、よほど厭そうな顔をしていたらしい。
「さようでございます」
 素直にクルスは認めた。隠すつもりはもとよりない。
「ふむ、珍しい騎士だな。それにしても氷晶王国には名高い騎士はおらぬと聞き及んでいたが、嘘だったのだな。貴公のような騎士を隠しておくとは氷晶王国の国王も意地が悪い」
 自分以外の人間は皆、他国の事情に通じているようだ。
 それとも、これが国の中枢にいる人間というものなのだろうか。
 クルスは苦笑をこぼした。
「ところで、陛下、お聞きしたいことがあるのですが」
 ジラッドが口を開いた。
「なんなりと」
「紫の目の近衛騎士殿ですが」
 先刻、彼らの近くを通り過ぎた若い近衛騎士をジラッドが熱心に目で追っていたことにクルスもまた気付いていた。
「男だぞ」
 間髪入れずに女王は言った。
 クルスはどうにか笑いを堪えることに成功した。
「いえ、そうではなくて」
 苦笑しながら、ジラッドは続けた。
「宵闇公国の出身でしょうか?」
「いや、生まれはこの国だ。…たとえ、宵闇公国の生まれでも、やらんぞ?」
 ありありと警戒の目を向ける。
「いえ、ちょっと気になっただけですので。顔立ちが我国の民に近いものがあると」
「ふむ?言われてみれば、貴公とも似ておるな。宵闇公国には美形が多いのか?」
 ジラッドは笑った。
「御自身の目でお確かめになるのが一番かと」
「アルク・デュリル殿を見習ってか?」
「ええ。もっとも、今の情勢では陛下が軽々しく動くことはできないでしょうが」
 ちらりと女王は公子に琥珀の目を向け、口の端を吊り上げた。
「確かに、北の方では何かと画策されておるからな。西のあたりでは、公国の宗主国も揺らいでいると聞く。何かと騒々しい時代になったものだ」
 成程。
 ジラッドが派遣された理由がようやく読めた。宗主国の支配を断ち切るにあたって、背後を固めるために南陽王国と協約を結ぼうというのだろう。宵闇公国の東に隣接する国々に対して南陽王国は睨みが効く。また軍備強化を進める北の緑森王国に警戒せざるを得ない南陽王国にとっても、西の国境の安定のために宵闇公国と結んでおくことは悪くはない選択だ。
 そもそも、この闘技大会が開かれたのも、足固めをする目的があったのではなかろうか。女王の夫候補を送り込んだ国々は少なくとも協定を結ぶ余地があると見てよいだろう。
 もっとも、自分の兄のように厄介者を片付ける心積もりでいた王も他にいないとは言い切れないが。
「クルス・アディン殿はどう思う?」
 クルスは数度、瞬きした。
「失礼、聞いておりませんでした」
「『戦神』殿が各国をうろついているのは侵攻の下調べのためだという噂のことだ」
「そんな噂があるのですか?」
 馬鹿らしいと苦笑をかみ殺す。
「まだ早すぎると思いますが」
 外に拡大するだけでは、ひとつの国としてまとまりを維持できない。いずれは動くにしても今は内政に力を入れるべき時であり、実際、暁王国の王はそうしているはずだ。
「うむ、私はただの暇潰しだと思う」
「同感です」
 ジラッドとクルスは異口同音に応じた。
 くつくつと女王は笑い、さて、と二人を交互に見た。
「本題に入ろう。貴公ら、南陽王国の女王の夫になる気はないか?」
 空白が頭を支配した。
 クルスは何も言えなかったが、ジラッドは即座に返答した。
「大変魅力的なお申し出でございますが、私は祖国に許婚がおりますゆえ、辞退させていただきます」
 実に落ち着いた返答ぶりだ。
「なんと。宵闇公国が大公は息子を見せびらかしたいがためだけに貴公を送り込んできたのだな」
「お気を悪くされたのであれば、何卒、御容赦下さいませ」
 女王は軽く笑った。
「いや、私も楽しませてもらった。だが、父君にはどうせならば許婚のおらぬ公子を送り込んで欲しかったと私が言っていたと伝えてくれ」
 つっと琥珀の目がクルスに向けられた。
「貴公はどうだ?」
「…私の一存ではなんとも…」
 それ以外にどう答えればいいというのだろう。
「そうか。氷晶王国には王弟も王子も大勢おるのだから、一人ぐらい、うちにくれてもいいと思うのだがな」
 真面目な顔で言うが、冗談なのだろう…多分。
「『戦神』殿の申し出を聞いて、この手があったかと感心したのだが。騎士が主を違えるのは、何かと大変なようだが、結婚となれば、それとは別であるからな。結婚すれば、夫と優れた騎士が手に入る」
 まあ、一度だけしか使えぬことが残念ではあるがと女王は飽くまで真面目な顔だ。
「…陛下」
 それまで黙って後ろに控えていた女騎士が小声で声をかける。騎士と言っても、艶やかなドレス姿である。見知らぬ人間にはたおやかな貴婦人としか思えぬだろう。
「そんな身も蓋もない申し出をされて、受ける殿方はおりませんわ」
 もっともな意見だ。
「そうか?気を悪くしたのなら、忘れてくれ。本当は貴公らは腕も容姿も私の好みなので、忘れて欲しくはないのだが。ではこれで失礼する」
 女王は明るく言い、また別の客に挨拶に向かった。
「…なんとも豪快な女王だ」
 楽しげにジラッドは言った。
「南陽王国には大胆な女性が多いようだな…。冗談でも我国では女性から求婚なぞしない」
「氷晶王国の女性はしとやかなことで有名だからな」
 ひょいとデュリルが口を挟んだ。
「これはこれは『戦神』殿」
 ジラッドが改まった口調で迎えた。
「その呼び名はやめてくれ」
 きっちりとした礼服の襟をくつろげながらデュリルは苦笑をこぼした。
「一体、女王に何を申し出たのだ?」
 すぐに元の口調に戻ってジラッドが尋ねた。
「女王に妹をくれと言ったんだ。いわゆる縁談というやつだな」
 これまた前と変わらぬ砕けた口調であっさり答える。
「多少、思うところがある」
 思うところもなにも、次期国王になるかもしれぬ身で軽々しく求婚などするものではない。それとも、既に故国で打ち合わせ済みのことだったのか。自分の見る限りでは、そうとは思えないのだが。
「思うところ?簡単に優れた騎士が手に入ると?」
 ジラッドがにやにや笑いながら言う。
「それも聞いたのか」
「女王が同じ手を使おうと我々にも声をかけてきたぞ」
 朱金の髪の男はからからと笑った。この男とあの女王、どこか似たところがあるなとクルスは考えた。
「俺が女なら、同じことをしたな。まあ、あの女王より成功率は低かっただろうが」
「それはそうだ。『戦女神』を妻にしようなどという度胸のある男はそういないぞ」
「私ならば、求婚された途端に大急ぎで逃げ出すな」
 三人は陽気に声をたてて笑った。


 広間からこぼれる音楽にまじって鳴いていた虫達の声が止んだ。
 まったく、と王宮の庭の暗がりに潜む暗殺者に情け容赦ない一撃を加えた近衛騎士は溜息をついていた。
 招待客を狙って、暗殺者が何名も送り込まれて来ているのだ。
「殺るなら、南陽王国の外で殺りやがれ」
 顔に恐ろしくそぐわぬ言葉を吐いて、紫の目の近衛騎士は踵を返した。
 彼はいつになく不機嫌だった。機嫌のよいところを見た人間はいるのかという疑問はあるが、普段は無愛想であっても機嫌は悪くないのだ。
 何故、自分が王宮で警護などせねばならぬのか。王都を走り回る方が数十倍はましというものだ。少なくとも王都の人間は自分の「性別」を知っている。
 数度にわたって男達に馴れ馴れしく声をかけられたルーダルは刻々と限界に近付きつつあった。


 王宮で華麗なる宴が繰り広げられる間も王都では騒ぎが続いていた。誰が闘技大会で優勝するか賭けが方々で行われていたことも理由のひとつである。やけ酒を煽る男達の姿があちこちで見られ、それに伴い必然的に騒ぎも増加していた。
 騎士だけでは手が足りぬと動員された騎士見習いの一人が警備隊の詰所に息せききって駆け込んで来た。騒ぎを収拾する側である騎士見習い達が流れの騎士達相手に喧嘩を始めたというのである。
「…それで、誰が騒ぎに加わっているんだ?」
 聞きたくはないが、立場上、知らねばならないことをヴェルシュは報告に現れた騎士見習いに尋ねた。近衛騎士として騒ぎを収めねばならないという以前にヴェルシュは騎士見習いの指南役の一人であり、現在は彼らを指揮する立場にあった。
「エセル、ユリク、フィルの三人です」
 ヴェルシュは軽くこめかみを押えた。
 最初の一名は予測していたが、残る二名は予測外だった。
 常ならば、この二名が血気盛んな仲間のひきとめ役になる。
 しかし、フィルはイェナの息子だ。時と場合によっては、即座に実力行使に出る。
「どうしましょう?」
「…何もしないでいい」
「は?」
「あの三人だ、放っておいても騒ぎはおさまる」
 騎士見習いとはいえ、騎士級の技量を持つ。報告を聞いた限り、ろくに訓練を受けた様子のない流れの騎士達では相手にならない。たたきのめされるのは時間の問題だ。
 ヴェルシュは他の騒ぎをおさめるべく指示を与え、騎士見習いの不祥事は忘れることに決めた。


 宴の翌日、常ならば執務室にいるはずの時間に女王は妹の部屋を訪れていた。
 昨夜の「成果」の報告に来たにしては、様子が変だとアシュリーズが首を傾げていると、ようやく女王は口を開いた。
「…昨夜、アルク・デュリル・ゼノファがある申し出をしたんだが…」
 この姉にしては妙に歯切れが悪い。
「いや、まあ、すべてはそなた次第だと先方も申しておるのだが。大臣どもが乗り気でな、なにせ暁王国は言わずと知れた強国だし」
「何の話だ?」
「うむ…そなたさえ良ければ、そなたを妻に迎え入れたい、と申してな」
「はあっ?」
 驚いて体を動かした拍子に全身に痛みが走る。
「つまりは求婚だな。こんな状況でそなたに言うのもなんだとは思ったがな、とにかく大臣どもがうるさくて…。無論、断ってもよいのだぞ?まあ、しばらく寝台から離れられないわけだし、考えておいてくれ」
 後ろめたい様子で言うと、女王は出て行った。
 アシュリーズは脱力して天井を見上げた。
 …何を考えているのだ、あの男は。
 それが求婚された王妹の正直な感想であった。