女王と騎士

第一部 闘技大会編 (8)

 朝もやの晴れぬ王宮の庭を騎士見習い達はあくびをしながら見回っていた。
「あれ、まただ」
 池のほとりにたたずんでいる銀髪の青年を発見してフィルは首を傾げた。
 ここ数日、毎朝のように同じ場所で見かける。
「何してるんだろうな」
「カエルの数でも数えているんじゃない?」
 友人の言葉にフィルは肩を落とした。
「…なんでそんな真似をしなくちゃならないんだよ」
「だって、陛下はいつもなさってるじゃないか」
 その答えにフィルはつまづきかけた。
「…陛下が?」
「見かけるカエルの数と天候に関連はあるかどうか、調査中なんだってさ」
 とりたて、それをおかしいと思っている様子は少女にはない。
 …陛下なら、確かにそんなことをするのもわかる。
 だが…。
 つい、怖々と氷晶王国の王弟に目を向ける。
 女王の夫になるかもしれない人物にまで、そんなことをされては南陽王国の行く末が不安になる。
 幸い銀髪の青年にはカエルの存在など目に入ってもいなかったのだが、フィルがそれを知るよしもなかった。

 来月の勤務表を提出しに近衛騎士隊長のもとを訪れたイェナはふと涌いた疑問をそのまま口にした。
「隊長は此度の陛下の縁組に賛成ですの?」
 シェイドは書類から目を離さずに応じた。
「一度、目標を定められた陛下の進路をそらすことがいかに困難かはイェナもよく知っていると思うが」
「つまり止める気はない、と」
 確かに氷晶王国の王弟ならば、身分的にも釣り合いが取れているし、政略的にも悪くない縁組だ。ついでに容姿の点でも合格である。あの方ならば、陛下と並んでも見劣りしないなどと若い女官達が喜んでいるのも耳にしている。
「止めようもあるまい?なにせ陛下が一目惚なさったのだからな」
「…それは騎士としての技量に、ということですわよね?」
今までに、幾度も技量に惚れたと言って、何人もの放浪騎士を王国の騎士に取り立てて来た女王である。
 意外そうにシェイドは眉を上げた。
「それだけではないが。…気付いておらなんだか」
「…それだけではないとおっしゃると?」
「顔であろう」
 イェナは額を押えた。
 近衛騎士隊長は「表情」のことを言ったのだが、イェナには伝わっていなかった。
「王族に生まれながら、あれだけ自己顕示欲のない御仁も珍しい。分を弁えた人物でなければ『女王』の夫は勤まらぬという点においても申し分ない」
「…おとなしく尻にしかれてくれるということですわね」
「平たく言えば、そういうことだ。少なくとも人前で女王に対立することはあるまい」
 それだけの頭もある人物だ。
「買っていらっしゃいますのね」
「めったにない拾いものであろう」
 とてもでないが王族とは思えぬ女王の言動は絶対にこの近衛騎士隊長の影響を多大に受けている。
 イェナはそう確信していた。


 明るい月だ。
 アシュリーズは足を止めて上空を見上げた。
 まだ半月だというのに、歩くには十分の月明かりがあった。
 まったく、王族というのは不便だ。
 小さく溜息をこぼす。
 たかが骨折くらいで寝室に閉じ込められるだなんて。闘いで負傷したことは過去に幾多もあるが、必要最低限にしか休養を取ったことはない。傷付いても休んでいる暇などなかった。おそらくウェイも煩わしい思いを感じているだろう。彼もまた医師によって外出禁止を言い渡されていた。
 ひそやかな気配が近付く。
「だいぶ具合はよろしいようですね」
「…近くに他人がいない時くらい敬語はやめてくれ。気持ち悪い」
 そう言うとヴェルシュは小さく笑った。
 おそらく、騎士見習いの「勤務状況」を見回っている途中なのだろう。
「仰せのままに。…ウェイと話はしたのか?」
 しばしアシュリーズは考え込んだ。
 話、と言えなくもない。
「少しは。言うだけ言うと、さっさと眠ってしまったけどな」
 そう言うと、ヴェルシュは苦笑をもらした。
「ウェイだからな」
 即ち、聞く耳をもたないということだ。
「…明後日、クルス・アディン殿が帰国するそうだ」
 アシュリーズは軽く目を見張った。
「逃げられたのか?」
 あの姉の様子では逃がすつもりは毛頭ないように見えたのだが。
「今、陛下がそれを確かめに行っている」
 思わず口に手を当てる。
 …まさか、本当に「ものにする」つもりじゃないだろうな?
 いくらなんでも、まさかと思うものの、完全に否定はできない。
 ヴェルシュは落ち着いているが、今更、女王が何をしでかそうと、自分自身に害が及ばぬ限り気にも留めないだろう。
「そろそろ部屋に戻った方がいいぞ。御殿医殿は職務熱心だからな」
 医師が就寝前の見回りをする時間が近付いている。
「…そうする」
 部屋に戻ったところで、眠れそうにはないのだが。
 ヴェルシュと別れるとアシュリーズは自室に向かった。


 月明かりを魔法によって増幅させた室内でクルスは少ない荷物をまとめていた。
 ふと中空をわたる半月を見上げて手をとめる。
 気のせいか、この国の月は故国で見る月よりも暖かく感じられる。
 せわしなく扉がたたかれ、クルスは立ち上がった。扉を開けると女王が滑り込んで来た。予想ずみであったクルスは今度は驚かなかった。
「帰国するとはまことか、クルス・アディン殿?」
 前置きもなしに女王は単刀直入に尋ねた。
「はい」
「南陽王国の女王の夫という安全な地位を蹴ってまで、ろくでもない兄王のもとに帰るとは、そんなに私が厭か?」
 争い事を避け続けてきた自分がこの縁談を断るのは、それしか原因はないとばかりの口調だ。
「違います、陛下」
「では、何故だ?納得のいく説明をしてくれねば、王宮から一歩も出さぬぞ」
 嘘は許さぬとばかりの厳しい視線を向けて来る。
 落ち着き払ってクルスは口を開いた。
「陛下、私は確かに帰国するとは申し上げましたが、縁談を断ったわけではありません。ただ兄と話し合うために帰国するだけです」
「何度も刺客を送り付けては失敗している馬鹿者と話し合いなどできるのか?」
 心底、不思議そうな顔で首を傾げる。
 それでも、とクルスは苦笑をこぼした。
「一度でいいから、正面から向かい合ってみたいのです」
 自分が逃げ続けて来た事にようやく向かい合ってみる気になったのは、この女王達のお陰だろう。
「そんなことを言って逃げるつもりではなかろうな?」
「戻って参ります。…もっとも、氷晶王国の王弟との縁談はなかったことになるかもしれませんが」
「結局、断るのか」
 むっとした顔で言う。
「違います。兄との話し合いがうまくいかなかった時は国を捨てます。王弟という身分も。その時は一騎士として陛下の元に戻って参りますから…」
 一度、言葉を切って女王を見据える。
「私の持つ能力はすべて陛下と南陽王国のために使わせていただきます。ですから、陛下は婚姻によって、私をつなぎとめる必要はありません」
 女王はゆっくりと瞬きした。金の耳飾りが小さく揺れる。
「つまり、私の臣に、我国の民になると?」
 黙って肯定する。
「私は結婚せずに他国出身の騎士を得られるというわけだな」
「そうです」
 女王は小さく息を吐いて視線を落とした。
「…女王としては、当然、また別の婿候補を探すべきだな」
 それが国のためになる。
 ぐいっと女王は面を上げた。
 琥珀の目が強い輝きを帯びている。
「だが、『私』は厭だからな。せっかく女王の立場を利用してでも、ものにしようと決めたのだ。貴公がどうしても絶対に私など死んでも御免だと言うのでなければ諦めないぞ」
「…陛下…」
「なんだ?」
 文句があるなら言ってみろと言わんばかりの態度にクルスは苦笑をこぼした。
「陛下はまだ十六歳であらせられる。急ぐ必要はないでしょう」
 女王の夫の条件に合う人物に、これからいくらでも出会うことになるだろう。
「大いにある。他の女に取られては手遅れだろうが」
「そうそう取られたりはしませんよ。陛下以上に魅力のある女性はめったにいないでしょう」
「からかっておるのならば許さぬぞ?」
 思い切り疑わしげな目を向けてくる。
「そんなに信じられませんか?」
 思わず笑みがこぼれる。
「あらゆる神々の名にかけて必ず戻って来ると約束いたしますから」
 女王はクルスの目をひたと見据えたまま、しばらく黙っていた。
「もうひとつ、約束してもらおうか」
 ゆっくりと、口を開く。
「他の女の前で、今みたいな顔を絶対にするな!」
「…は?」
「今のは女殺しの笑顔だぞ。悪い虫にくっつかれては困る。追い払うのも一苦労だ」
 あまりに真剣な顔で言うのでクルスは声をたてて笑ってしまった。
「笑い事じゃない!」
 むきになって女王は詰め寄った。
「本気だぞっ」
 …確かに。
 この国にいれば退屈しないで済みそうだ。
 そんなことを思いながら、クルスは肩を震わせて笑っていた。


 人の気配、正確に言うならば、騎士達の気配にアシュリーズは首を傾げた。ほんの微かな気配で、気のせいかと思う程度のものだが、それを無視することはアシュリーズには不可能だった。なにせ、ひとつはよく知っているものだ。そして、残る二つは恐らく…。
「一体、何をしてるんだ?」
 生け垣を曲がったところで思った通りの三人の人物の姿を見付け、アシュリーズは尋ねた。
「しーっ」
 オルトが唇に指をあてて振り返る。
 何だろうと肩越しにのぞきこみ、呆れた。
 暁王国の将軍、宵闇公国の公子、南陽王国の近衛騎士がのぞいているのは、氷晶王国の王弟が滞在している客室だった。中には姉と銀髪の青年の姿が見える。青年は何やら楽しそうに笑っていた。
「…でばがめ」
 つぶやきをもらす。
「なーに、友情だ」
「彼が押し倒されぬように見張っているだけですよ」
「あ、俺は、陛下が押し倒さないように、監視中」
 口々に勝手な言葉を返す。
 アシュリーズは息を吸い込んだ。
「ラーナ!ここに無作法者が三人いるぞ!」
 女王の反応は素早かった。声が届くや否や、窓に駆け寄り、がっとばかりに窓を開け放つ。
「オルトーっ!」
 姿を見られる前に、現場から逃走した騎士の名を過たずに女王は呼ばわった。
「減俸だっ」
「暴君だな。クルス、やっぱり、やめておけ」
「僭越ながら、陛下、男に迫るならば、もう少し視覚に訴える服装を選ばれた方がよろしいかと思いますが」
 二人の騎士はぬけぬけとそれぞれに言う。
「リーズ、あの道化者をとっつかまえて、地下牢にぶち込めっ!」
「…この二人も同罪だと思うが」
「戦神は国外追放、公子は有益な助言をもたらしたことにより減罪」
 大いに偏りのある判決である。
「…それなら、オルトは減俸だけで十分だろう。それに、地下牢にぶち込んだところで、すぐに脱獄するぞ。無駄なことはやりたくない」
 彼の特技の一つに錠開けがあるが、それは喧嘩好き故のことだ。過去に喧嘩騒ぎで何度も投獄された経験によって、その腕は磨かれていた。
 女王は双子の妹の言葉に近衛騎士の投獄を諦めたようだった。くるりと踵を返し、苦笑を浮かべている銀髪の青年に向き直る。
「邪魔が入った。続きは持ち越すことにしよう。約束は絶対に守るのだぞ?無論、両方ともに」
「はい、陛下」
 邪魔が入らなかったら何をするつもりだったか、アシュリーズは敢えて考えないことにした。
「クルス、何を約束したのだ?」
 野次馬根性丸出しに尋ねたジラッドの鼻先で、女王はぴしゃりと窓を閉めた。そのまま扉へと向かう。
「二人とも、故国でもこの調子なのか?」
 できれば否定してもらいたかった問いに二人の騎士はあっさり頷いた。
「…臣下達に文句は言われないのか?」
「言われんな」
「同じく」
 疑いの目を向けると、ジラッドは肩を竦めた。
「皆、諦めているのですよ」
 その通りとデュリルも同意する。
「自慢できることか」
 窓を開いて、氷晶王国の王弟が言った。
「身分がどうのという前に、人間性の問題だぞ」
「よく言われるが、そんなものを私に求めないで欲しいものだ」
 すまし顔で言ってのけるあたり、この公子も並の神経の持主ではない。
 「戦神」と友人になるはずである。
「お前もだらしないぞ、クルス。据膳食わねば男の恥と言うだろうが」
「貴公らのように、恥を恥とも思わぬよりはましだろう」
 青年が冷やかな青い目を向けて言い放つ。
 …こちらも、実は結構な性格をしているかもしれない。
「そっちは、どうなんだ、王妹殿下?」
 冷たい視線などものともせずに、暁王国の将軍は今度は矛先をアシュリーズに向けた。
「どう、とは?」
「あの騎士との仲は進展したのか?」
 アシュリーズは思わず後ずさった。血が顔に一気にかけ上るのを感じる。
 何故、この連中が知っているんだっ!?
「女王を見習って、寝込みを襲ってもいいんじゃないか?おっ、もしや、今から行く途中か?」
「それは悪いことをいたしました。我々のことなど打ち捨てて、目的を遂行なさるとよろしい」
「デュリル、ジラッド、からかうな」
 クルスが止めに入ったが、耳を貸す二人ではない。そして、クルスもまた半分諦め顔だ。
「そのままでも魅力的だと思うが、やはり、ジラッドの言うところの視覚に訴える服装にした方がよかろうな」
「いや、案外、禁欲的なところがかえって…」
 何を言っているんだ、この男達はっ。
 頭に血が上って、何も言うことができずにいると、思わぬところから助けが入った。
「…余計なお世話という言葉をご存じですか、お二方」
 相変わらず淡々とした女顔の近衛騎士が、これほど頼もしく見えたことはなかった。
「アシュリーズ様、御殿医殿がお探しです。すぐに部屋にお戻り下さい」
「わかった」
 喜々として、アシュリーズはその言葉に従った。この場でからかわれ続けるよりは、医師に叱られる方が遥かにましである。
 その背後で、
「わざわざアシュリーズ様が行動を起こすまでもなく、先方から行動を起こすでしょう」
 と、表情を変えずにルーダルが言ってのけ、客人達を絶句させたのだが、それをアシュリーズが知ることはなかった。


 別れの挨拶を述べ、女王の前を辞する客人達を見送りながら、緑の目の近衛騎士がぼそりとつぶやいた。
「…逃した魚は大きい」
 次の瞬間、女王の靴の踵が彼の足先にのめりこんでいたのだが、それに気付いたのは近衛騎士達だけであった。
「八つ当りはいけませんわよ、陛下」
「はて?なんのことだ、とんとわからぬが?」
 空とぼける女王の言葉に信憑性というものはみじんもない。
「おお、そうだ、オルトの俸給だが、昨夜、減俸処分が追加されたぞ、イェナ」
 女騎士は眉を軽く上げた。
「今月分の俸給はもう残っていませんけれど?」
 連続減俸処分を受けているのだ。
「なんだってーっ!?」
 大声を上げた青年を近衛騎士隊長がじろりとねめつけた。
「声が大きい」
「そんなこと言ったって、隊長、これはあんまりですよっ」
「一ヶ月分の俸給がなくなったところで、不自由はせぬだろう。衣食住、すべて支給されておるのだからな」
 隊長に見放されてはもうおしまいである。
 女王は上機嫌で護衛を連れて執務室へと引き上げた。
「…賭けの件が陛下の耳に入ったら、来月も無給だろうな」
 ヴェルシュの言葉に、オルトが目を吊り上げた。
「なんだよ、脅す気か、ヴェルシュ!」
「いいや。気をつけろということだ」
「お前達が黙っていりゃ、ばれんさ」
 ヴェルシュとイェナは顔を見合わせた。
「あなたね、騎士見習い達にも話を持ちかけたでしょう?」
「口止めの必要があるのは、あちらだろう」
 オルトは勢い良く駆け出して行った。


 勤務に復帰した双子の妹に女王は金貨を差し出した。
 通常の金貨ではない。王都でのみ使用可能の高額金貨だ。王国内で流通している金貨の十枚分に相当する。
「何するんだ?」
「賭け。私の代わりに、これを賭けておいてくれ」
 アシュリーズはゆっくり瞬きした。
「もう賭けた後なのか?」
「いや…。もう耳に入ったのか?」
 金貨を受け取りながら問い返す。
「ふふん、私の情報網を甘く見るな」
 甘く見るも何も、おそらくは騎士見習いを買収したのだろう。あるいは、騎士見習いから、情報を売りに来たかのどちらかだ。
「それで、どちらに賭けるんだ?」
「わかっておろうが?」
 女王はつんと胸を反らして言った。
 やはりなとアシュリーズは承諾のしるしに頷いた。
「この私に、女王としての立場をとるか、一人の女としての立場をとるか、決断を迫りおったのだぞ?そう簡単に逃がすものか」
 オルトの主催する賭けは、クルス・アディンが女王の元に戻ってくるか否かというものだった。
「結果は決まっておるも同然よ」
 女王はにんまりと笑って言い放つ。
 そう、自分の意志であろうがなかろうが、戻って来さえすればよいのだ。戻らぬのであれば、連れ戻すのみである。
 自分以上に姉との付き合いが長いはずの近衛騎士が、何故、女王の行動を予測し得ないのかがアシュリーズには不思議でならない。
「これで世継ぎを生む義務を果す手筈は整った。リーズも早いところ、世継ぎのための近衛騎士の準備をしておいてくれ」
「近衛騎士の準備?」
「双子や三つ子を産めば、手間が省けるぞ。私も協力はするがな、騎士を生む確率はそちらの方が高い。ウェイにも勅命を出しておくか」
「ラーナっ!」
 まったく、この姉は何を言い出すのか。
 結局のところ、暁王国の将軍達と人間性において大差ない。
「長期的国家政策だ。さあて、会議が始まるな」
 楽しげに女王は立ち上がった。
 お願いだから、今のことを議案に提出するような真似だけはしないでくれ。
 そう思ったが、下手に口にすれば実際にやりかねないので、アシュリーズは沈黙したまま、女王の後に従った。
 南陽王国の王宮はいつものごとく喧噪に満ちた午後を迎えようとしていた。


第一部終了

  

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