女王と騎士

第二部 北風と太陽-虜囚編- (1)

 まばらに雪の残る閑散とした耕地を横切って道が伸びていた。気候のよい初夏から秋にかけては国境を越えてやって来る交易商人の隊商で賑わう主要街道だが、ようやく冬の終わろうとするこの時期に旅人が通ることはめったにない。その街道を一台の荷馬車がゆっくりと進んでいた。近くの神殿に酒樽を届けに行く途中である。道端の木の下で旅人とおぼしき二人連れが馬を休ませているのを見て、御者台にいる農夫は首を傾げた。
 この季節、余程の用事がない限り旅をするものなどいない。
「おーい、おやじさん」
 背の高い方の男が声をかけた。この国では珍しい黒っぽい髪がフードからはみ出している。
「この先に宿屋はあるかい?」
「ああ。このまま北に向かって進めば、日暮れ前にはダルの村に着くさね」
 この国境地帯では比較的大きな村だ。南の国境を越えて来た旅人が必ずと言っていいほど利用する宿である。何故なら、近郊に宿屋はそこだけにしかないからだ。
「ありがとよ」
 異国の青年は人懐こい笑顔で礼を言った。隣にいるのは、まだ子供のようだった。
 横を通り過ぎる時になって、青年が剣を帯びていることに気付いた。
 どうやら傭兵の類いだったらしい。
 もしや、この辺りを騒がせている野盗の一味じゃなかろうな。
 しばらくの間、農夫は周囲に警戒の目を光らせていたが、特に変わった様子はなく、帰路に着いた頃には旅人のことなどすっかり忘れ去っていた。


 大陸南部に位置する南陽王国の王宮の庭は穏やかな春を迎えていた。冬であっても雪が降ることなど百年に一度あるかどうかという南国ゆえに春の訪れは早い。
「…虫の分際で、色気づきおって」
 ぼそっと不機嫌そのものにつぶやいた若き女王の視線の先では二匹の白い蝶がひらひらと戯れていた。
「予定では私も負けぬくらいに、いちゃついているはずだったんだぞ」
 それを相手が甘受したかどうかは疑わしい。
 羞恥心の面では人並みだろうと、アシュリーズは見当をつけていた。
「私の邪魔をする連中はまとめて馬に蹴られて、冥府に落ちるがいい」
 そんな度胸のある人間はめったにいないに違いない。
「筆頭は氷晶王国の愚王だ。首を洗って待っていろ」
 おそらく、今現在、この世で一番、女王に呪われている人物だ。
 女王が氷晶王国の王弟に求婚した―誰が何と言おうと本人はそう主張している―のは昨夏のことだ。秋の初めには正式に使者を立てて縁談を申し込んだ。しかし、先方の王は返事をさんざん渋ったあげく、秋の終わりには王弟は病死したなどという知らせをよこしたのだ。真偽を確かめるべく、北方で雪解けが始まるや否や騎士が派遣されたが、女王が「病死」の件を信じていないことだけは確かだ。おそらく、近衛騎士隊長が居合わせなければ、知らせをもたらした使者をその場で締め上げていただろう。暴挙に及ばないで何よりだった。使者が詳しい事情を知らなかったことを接待役に扮した近衛騎士のイェナが後に聞き出している。
 女王の気を紛らわせようと、アシュリーズは口を開いた。
「オルト達は国境を越えた頃だな」
「まだ、そんなところか?とっとと王都に乗り込んで捕獲してもらわねば」
 よくまあ、本人いわく、一目惚れした相手に対して「捕獲」などという言葉を使用できるものだ。
「…ラーナ、事は慎重を要するんだぞ」
 派遣された二人は、普段の態度から見れば、およそ慎重さとは掛け離れた存在だが、ここぞという時には、ぬかりなく行動する術を身に備えている。おまけに逃げ足が速いのだ。
「のろのろしていて、手遅れになったらどうする?」
「あの御仁なら顔の割にしぶとい性格をしているから、大丈夫だろう」
 気休めとはわかっていても、そう言わずにはいられない。
 姉は姉なりに婿候補の身を案じているのだ。
「それはそうだが…。まったく、初めから素直に私の婿になっていれば良かったものを」
 馬鹿なぞと話し合おうとするからだ、と女王の文句の対象は再び氷晶王国の王へと戻って行った。
 …要するに、鬱憤ばらしがしたいのだろう。
 よくぞまあ、これだけの語彙があるものだと感心するほどに、女王は多種多様の悪態を並べて、罵っていた。
 氷晶王国か…。
 国王に関しては特に賢君だとも暗君だとも噂は耳にしたことがない。主君としては凡庸ということだろう。毛皮や宝石類の奢侈品を特産としているが、農業生産力も低くはない。魔法士も多く、北方においては強国のひとつに数えられている。
 昔、訪れたことがあるはずなのだが、断片的な記憶しか残っていない。
 眩い雪原。狼の遠吠え。澄み渡った空気。
 物心ついた時から、ずっと旅をしていたから、髪の色が様々にあることは知っていたけれども、まじりない金髪や銀髪の人々には目を丸くした覚えがある。逆に南陽王国の西に位置するヴェルシュの父親が治める領地に腰を落ち着けた時は、人々が黒髪ばかりであることに、ひどく奇妙な心地がしたものだった。
「ひょっとして、遠慮しているのか、リーズ?」
 女王の呪いの言葉を聞き流していたアシュリーズは我に返った。
「すまない、聞いてなかった。何の話だ?」
「リーズがウェイといちゃついているのを見かけないのは、私に遠慮しているからなのかと聞いたんだ。もし、そうならば、遠慮する必要はないぞ?」
 双子の姉は真顔で言う。
 アシュリーズは額に手をあてた。
 どういう経路で、氷晶国王への罵りから、そこへ考えが至ったのかは謎だ。
「…何故わざわざ人目のある場所で、いちゃつかないといけないんだ?」
「人目のない場所で、きちんといちゃついているのなら良いのだ。私の視界内でいちゃついてくれると、さらに良いが。他人ならともかく、たった一人の妹の幸せな姿は見ていて心が和むからな」
 覗き趣味とどう違うのか聞きたくなったが、アシュリーズは黙っていた。
 女王自身はかつて覗きの罪で近衛騎士の一人を減俸処分にしたというのに。
「こら、リーズ、聞いておるのか?」
「…聞いている」
 具合よく、扉がたたかれた。女王付侍女が顔を出す。
「陛下、お召し替えの時間です」
「もうタヌキが到着したのか。タヌキ相手では今一つ気合が入らぬのだが」
 つまらなそうに女王が言う。
「今回はなかなか見目のよい従者を連れておいでです」
 女王は俄然やる気が出たようだ。すっくと立ち上がると衣装部屋へと向かった。
 タヌキ、もとい、隣国の大使殿はなかなかに女王の性格を把握しているようだ。
 そして女王付侍女の少女もまた女王を扱うこつをつかんでいる。
 大使との会見の席での護衛はイェナに一任されているので、アシュリーズはそのまま自室へ引き上げた。


 氷晶王国南部の国境地帯で一軒しかない居酒屋を兼ねた宿屋の戸をくぐり二人の旅人が入って来た。
 どうしたことか、今夜は旅人が多い。
 主はそう不思議に思いながらも、愛想よく客を迎えた。
「うー、寒い。おやじさん、麦酒一杯!」
 暖炉にほど近い席につきながら、若い男が言った。
「あ、自分ばっか、ずるい」
 向かい側に腰をおろしながら、金茶の髪の少年が文句をつける。
「餓鬼がなに言ってんだ」
「じゃあ、聞くけどさ、兄貴が最初に酒飲んだ年、幾つだった?」
「俺は俺、お前はお前」
 顔立ちに似たところはないが、兄弟らしい。よくよく見ると、目は同じ緑色だ。そして、何よりも持つ雰囲気がよく似ていた。
「大体、お前は俺より食うだろーが」
「成長期だから仕方ないだろ」
「けっ、縦にばっか伸びやがって」
「るっせぇなぁ」
 テーブルの下から鈍い音が響く。どうやら、少年が足を蹴飛ばしたようだ。
 麦酒を運んで来た店の主に青年が尋ねた。
「ここに来る前に、みょーに人気のない村を幾つか通り過ぎたんだけどよ、はやり病でもあったのか?」
「ああ、あれかい。野盗団の仕業だよ。流れの騎士達を中心にごろつきどもが徒党を組んで荒らし回っているのさ。騎士がいるせいで、警備隊の連中も手が出せねえ。都の方に騎士団の派遣を要請してんだが、なかなかね」
「騎士団?この国って魔法士がたくさんいるんだろ?」
 騎士と魔法士では接近戦にならぬ限り、魔法士が圧倒的に有利だ。
「神に仕える方々は血を流したりしてはならんのさ」
 それを当然のことと思っている様子で主はテーブルを離れた。
 氷晶王国では魔法士の能力をもって生まれた者はごく一部を除いて、すべからく神官となる定めにある。
「…はん、敬虔な信者の血が流されるのは一向にかまわないってわけか」
 少年の皮肉のこもったつぶやきは、他の客の注文を聞く主の耳には届かなかった。
「野盗団かよ。…すっげぇ、いや〜な予感がするんだけどよ」
 青年はぐるりと店内を見回して溜息をついた。彼には、他の客の中に騎士が数人まぎれこんでいることがわかっていた。そして人相を見る限り、まっとうに剣で身を立てている様子はない。
「…その予感、大当たりだ」
 視線を一点に定めて少年がつぶやいた。
「あ?」
「左斜め後ろの隅のテーブル」
 さりげなく視線をめぐらして青年は瞬時、硬直した。
「なぁ、エセル。あれって、やっぱり、あれか?」
 ぎこちなく首を前に戻して確認する。
 少年にしか見えない騎士見習いの少女はひょいと肩を竦めた。
「気持ちはわからないでもないけど、現実は素直に認めなよ」
 朱金の髪の大柄な騎士が立ち上がってゆっくりと近付いて来る。
「奇遇だな」
 暁王国の将軍は気楽な調子で南陽王国の近衛騎士に挨拶した。

 …大物かもしれない。
 暁王国の「戦神」と呼ばれるほどの騎士を相手にカードに興じる少女を横目に見ながらオルトは心の中でつぶやいた。
「イカサマは駄目だって言ったろっ!」
「目ざといな」
 にやにや笑いながら、暁王国の将軍は袖の中からカードを取り出した。
「そっちじゃなくってさ」
 こっちだよ、と逆の袖から、エセルはカードを引き抜いた。
「油断も隙もない奴だな」
「見抜かれるよーなイカサマなら、しない方がましってもんだ」
 将軍の従者だという若い騎士が全くだと言わんばかりに頷いた。さすがに「戦神」の供だけあって、かなりの腕前の持主であろうと見受けられた。女王が目にすれば、すぐに勧誘するだろう容姿も備えている。
「剣と同じで、実践を積まなければうまくならんだろうが」
 ちらりとアルク・デュリルは戸口に目をやった。
「そろそろ稽古の時間のようだぞ」
 やっぱり来たか。
 運が悪いにも程がある。
 オルトは立ち上がった。
 よりによって暁王国の戦神が滞在中の村を襲撃するとは、狼の口の中に自分から飛び込むようなものだ。
 引き込み役となった野盗の一味が仲間に合流するために二階から降りて来るのを四人の騎士は待ち構えていた。

 目のつけどころは悪くない。
 子供と侮って、騎士達が少年に一斉に襲い掛かるのを横目にデュリルは口の端にわずかに笑みを浮かべた。
 少年が、この中では騎士として最も劣っているということは確かだ。だが…。
 次の瞬間、少年は視界から消えた。
「なにぃっ!?」
 驚きの声を上げた男の後頭部を蹴り飛ばし、少年は鮮やかな身のこなしで着地した。蹴り飛ばされた男はそのまま仲間の剣の前に突き出される形となり、信じられぬという表情で自身の腹を貫く剣を見ていた。
 相手の力量を見抜けなければ、たどる道は決まっている。
「冥府の女神によろしくな」
 瞬く間に少年は鮮やかな手並で残る二人の騎士を屠っていた。
 技術はまだまだだが、速さは天下一品だ。
「なぁ、オルト。あのチビはウェイに手ほどきを受けているのか?」
 楽々と敵を倒しながら、デュリルはやはり余裕の表情の青年に尋ねた。
「あ?ウェイが人に教えることができると思いますかね?」
「だが、動きが似ている」
「そりゃー、アシュリーズ様にも稽古付けてもらってますからね」
 ああ、そうかとデュリルは頷いた。
「ふむ、有望株だな。ちょっとチビだが」
「おっさん、誰がチビだよ、あんたがでかすぎんだよ、これで普通だってーのっ」
 体格の割りにはやや長い太刀を操りながら、少年が文句を付ける。
 事実、南陽王国では標準的体格だろう。
「多分、わかってないだろーから、教えますけどね、あいつは一応、女ですよ、確かめたことはないですけど」
 デュリルは軽く眉を上げた。
「そんなこと言ってると、あのこと、陛下にばらしてやるっ」
 無造作に敵を薙ぎ払いながら、「少女」が言う。
「あのことって、どれだよ」
 心当たりが多すぎて、見当がつかないらしく、オルトが首を傾げる。
「例えばさ…」
 野盗を殲滅するまでの短い間、デュリルは笑い通しだった。
 にやにや笑いをしながら、剣を鞘におさめる彼に部下の青年は呆れたように言った。
「将軍、笑いながら剣をふるうのはやめて下さい。はたから見れば、ただの殺人狂ですよ」
「別に見物人はいないだろうが?」
 見た連中のほとんどはあの世行きだ。あの世で何を言い触らされようが痛くも痒くもない。
「それより、ラズ、あの娘をものにしたら、金一封やるぞ」
「あの娘って、どの娘です?」
 あれだとデュリルは黒髪の青年騎士とともに野盗の懐を探って金めのものを物色している少年にしか見えない少女を指さした。
「どいつもこいつも、しけてやがるな〜」
「月末のオルト殿よりは持ってると思うけど?」
「うるせぇな。お前だって似たりよったりだろうが。この間も壁をぶち抜いて弁償するはめになったくせに」
 ふふんとばかりに鼻で笑う。
「前以て喧嘩相手から、ちゃ〜んと巻き上げてるから、私の懐は全っ然、痛んでない」
 しばし暁王国の騎士は黙っていた。
「謹んで辞退させていただきます」
 予想どおりの返答であった。


 むうっと何とも形容しがたい顔で書簡を凝視する女王にアシュリーズはどうしたのかと尋ねた。書簡は北国にいるオルトから送られて来たもののはずだった。
「出たんだ」
「なにが?」
「暁王国の『戦神』が」
 しばし、アシュリーズは沈黙した。
 一国の将軍が遠く離れた異国に出没したなど、普通ならば驚かねばならないところだが、彼の人物に限っては驚くに値しない。なにしろ、異国で身分を隠したまま突発的に闘技大会に参加するような人間だ。
「…それで?」
「一緒に野盗退治をして、領主から褒美をもらったとか。あの男と一緒だと、悪目立ちしてかなわんっ」
 …それは暁王国の将軍が一緒でなくても、同じような気がする。
 派遣された二人は、降り懸かった火の粉は完全に火元まで消し止めねば気が済まない、すなわち、売られた喧嘩は在庫がなくなるまで残らず買う性分だ。
「あの男、よもや横どりするつもりではなかろうな?…許さんぞっ!」
 女王は拳を握り締め、空を睨んでいる。
 その姿は恋仇に嫉妬の念を燃やしているのと変わらない。
「こうなるならば、あの夜、やじ馬なぞ気にせず、押し倒しておくんだった!」
 やはり、そのつもりだったのか…。
 軽くこめかみを押える。
「いいえ、邪魔が入ってちょうどよかったんですわ」
 それまで黙っていたイェナがにっこり笑って言う。
「女王陛下が他国の王弟を手ごめにしたと噂がたてば、さすがに世間体が悪うございますわ」
 …手ごめ。
 普通、男女が逆だが、この女王の場合、その言葉が該当しないでもない。
「イェナは迫り倒したのであろうが?」
 ほほほと女騎士は軽やかに笑った。
「人聞きの悪い。私は『誘惑』しただけですわ。陛下もやってごらんあそばせ」
 やれるものならば、と言わんばかりの小馬鹿にした態度である。色気が足りないと自覚しているだけあって、女王は言葉を返せないでいる。色気のなさでは、双子の姉より更に上だという自覚があるアシュリーズには援護のしようもない。
 触らぬ神に祟りなしとばかりに、別方向から反撃を開始する女王の横で王妹は沈黙を保っていた。