女王と騎士

第二部 北風と太陽-虜囚編- (12)

 神官長に笑顔で迎えられた青年は中に人がいるのに気付くと、ぴたりと足を止めた。
青紫の瞳が真っすぐにクルスをとらえる。
「お久しぶりです、フェルス兄上」
 嬉しげに顔をほころばせるクルスと対照的に青年は顔をしかめた。
「…この根性悪が。生きているなら、さっさと顔を出さないか」
 苦々しげにつぶやく。ぶっとデュリルは笑った。何も全ての人間に対して猫を被っていたわけではないらしい。
「そうおっしゃらないで下さい。私も好きで幽閉されていたわけではありません」
 困ったような顔でクルスが言う。だが、半分以上は自主的に幽閉されていただろう、とデュリルは心の中で茶化していた。
「まあ、いい。…無事で良かった」
 ほぼ同じ高さにある異母弟の肩に手を回し、抱き締める。
 顔が奇麗だと男同士で抱擁しても、そんなにうっとうしくないものだなという感想を抱きつつ、後ろに控えている神官に目を向けた。彼も驚いているようだが、死んだはずの人間が生きていることに驚いたという様子ではない。
「フェルス兄上、これを」
 言って、クルス・アディンは懐から書状を取り出した。あの王弟の屋敷から拝借してきたものである。それは彼が王位継承に名乗りを上げた際に支援を約束する誓約書であった。そこに連ねてある署名に目を通して金髪の青年は眉を寄せた。
「あいつも、兄上の手先か」
 友人だと思っていた者の名を見いだし、嘆息する。彼に兵を集めることを勧めた人物でもあった。
「彼は好んで協力を約束したわけではありませんよ。弱みを握られているんです。そういう人達は少なくありません。罪を減じると引き換えに彼らは喜んで証人になってくれるでしょう。そうだろう、アルジェード?」
 突然、話をふられた神官が慌てて背筋を伸ばした。
「はい、内密に約定を取り付けてあります」
「…お前」
 じろりと金髪の王弟は側近を睨んだ。
「知っていて、黙っていたな?」
「申し訳ありません」
 神官がすまなそうに身を縮める。
「まあ、いい。根性悪なのは知っていたからな」
 なにせお前と気が合うくらいなんだからとクルスに目を向ける。どうやらクルス・アディンの言っていた友人というのは彼のことだったらしい。気弱げで地味な若者だが、フェルサーレン言うところの根性の悪さではクルス・アディンにも劣らぬのだろう。
 それにしても度量の広い男だ。自分の側近が主を欺くような真似をしていたというのに、それを責めるそぶりがない。
「フェルサーレン様、弟君をいじめるものではありませぬよ」
 穏やかに神官長がたしなめる。いじめているのはどっちだと言いたげな顔をしていたが、善意の固まりのような神官長の前で弟の正体を暴露する気はなかったようだ。ようやく見慣れぬ二人の人間に注意を向けた。
「…暁王国のアルク・デュリル殿だな。そちらは誰か見当もつかないが」
 エセルは素早く名乗りを上げた。
「南陽王国の…?今、この神殿にいる一行とは別行動を取っているのか」
 クルスがぎょっとした顔になり、デュリルは面白そうに眉を動かした。エセルは、やはりそうだったかと驚きはしなかった。彼女がここに入る前に感じとった気配はよく知っている女神官の特殊能力が使われた名残だったのだ。
 お茶の用意をしましょうと神官長が部屋を出て行った。彼の前では話にくいこともあるだろうと配慮したのだ。ますますエセルは自国の神官長との違いを感じた。あの狸じじいなら、邪魔と承知で居座り、いやがらせを続けたことだろう。
 神官長が出て行ったのを見届けて、フェルサーレンが問いを発した。
「会うか?」
 クルスは辛うじて首を横に振った。
「…いえ、今はいいです」
「せっかく本人が出向いているのにか?」
「兄上、何故、それをっ」
 驚くクルスに事もなげにフェルサーレンは応じた。
「お前が言った通りの人間だったんでな、すぐに分かった。…この国に来ているのは知っていたのか?」
「来ているかもしれない、ということは」
「あれは、とんでもない女だな。つくづく、お前の趣味はわからん」
「兄上に言われたくはないですよ」
 兄弟喧嘩めいたものを始めた横でデュリルがエセルをつついた。
「クルスが、どんな風に女王を形容したのか聞いてみたいと思わんか?」
「のろけなんか聞きたくないけど」
 この手の人間は臆面もなく、のろけだと気付かずにのろけてくれそうだ。エセルのその推察はあながち外れてはいなかったのだが、それを知る人間はごく少数しかいなかった。


 後日、改めて席を設けるとの伝言を王弟から受け、南陽王国の一行は神殿を後にした。途中、将軍から連絡が入っているかもしれないからとラジィールは別れて、彼が使用していた宿屋に向かった。
 男と会えて、これほど嬉しかったことはない。
 そう思いながら、ラジィールはのんびりと酒を飲んでいる主に近付いた。
「一体、どちらへ行かれていたのですか?」
「ちょっとごつい姫君の救出に。南陽王国の騎士の役は楽しいか?」
 どうやら宿屋の主はきちんと言づてを伝えてくれたらしい。南の美人といい仲になったので、しばらく帰らないという内容だったのだが。
「とんでもないっ!外見は別として、あの中身は俺の守備範囲を超えてます」
「その中身の方が面白いと思うんだがな?」
 基準が一般とは大きくずれている男が首を捻る。
「俺は将軍ほどゲテモノ好きじゃないです」
 他国の女王をゲテモノ呼ばわりする部下を見ながら、しっかり女王一派の影響を受けたようだなどと主が考えていることにラジィールは気付かなかった。
「まあ、それはそうと、騒ぎは起こさないように女王に釘をさしておいてくれ。ついでに、これはエセルから女王への報告だ」
 きっちり封をされた封書を渡す。ラジィールは非常にもの思わしげな顔を上げた。
「…将軍、俺が持って行くんですか?」
「他に誰がいる?俺がいきなり王宮に入れるはずがあるまい?もうしばらく、美人の女王陛下の騎士をしてろ。何かしでかしそうになったら、止めろよ」
 そんなこと俺にできると思っているんですか、と、主の無慈悲な命令にラジィールは抗議したが、男に泣かれたところで心は動かんとあっさりと却下された。

 女王は書面をじっと見詰めていた。
「いくら睨んでも、紙きれは紙きれ。何も芸はいたしませぬよ」
 その便箋を指先でつまんで取り上げた女神官がからかう。相変わらず字の巧い娘だなどと言って笑っているが、彼女はそこに隠された自分あての伝言を読み取っていた。
「どうして、クルスからは何も言ってこないんだっ」
 不満の原因はそこか、とラジィールは内心、ほっとした。どうして将軍からクルス・アディンの居場所を聞き出さなかったと詰め寄られるのではないかと恐れていたのだ。
 そんなこと、とトーヴァが鼻で笑った。
「忙しくて陛下どころではないのでございましょう」
 私より大切な用事があるのかと言いたくとも言えない女王は沈黙した。先に惚れた者が負けなのだ。ついでに、一方的に迫ったという動かしがたい事実がある。
 中年の騎士がお手柔らかにと言いたげな苦笑を女神官に向け、女神官は貴公は甘いのだと言わんばかりの視線を返した。
 三人のやり取りも、かなり恐ろしいものがあるが、それを前にしても表情ひとつ変えたことのない、この男の方が恐ろしい、とラジィールは壁にもたれかかっている黒髪の騎士をちらりと見た。自分よりも二、三才は年下だろうに、異様なまでに落ち着き払っている。南陽王国というのは、よく、こうも変わった人間達を輩出するものだ。
「あの男は何を申した?」
 不意に話を振られて、ラジィールは慌てた。
「久々に会った主従が何も話さないわけはなかろう?正直に申せ」
 何か情報があれば遣せというわけだ。
「何もすることはないから、陛下にくっついていろと言われただけです」
 本人の希望を無視して、と心のなかで付け加える。正直に申告したら、待遇がより悪くなるだけだろう。
「それだけか?」
「後は氷晶王国の問題だから、関係無い、と。将軍は高みの見物を決め込むつもりのようです。頼まれれば動くでしょうが」
 女王は再び黙り込んだ。蚊帳の外は面白くないとでも思っているのだろう。
「もっとも、信頼しているからこそ、将軍も無理に手を貸さないことにしたのでしょう。なにより、下手に動いてはクルス・アディン殿の邪魔になると考えておいでかと。将軍は、あの通り、目立つ方ですからね」
 一応、釘をさして、もはや俺の知ったことではないとラジィールは主同様、高みの見物を決め込んだ。


 謀略に長けた側近と異母弟とが、日頃とは打って変わったきびきびした態度で話し合い、次々と手を打っていくのをフェルサーレンは黙って眺めていた。
 神官長に迷惑をかけるわけにはいかないと、場所は彼の屋敷に移っている。彼が把握していない子飼いの「部下」が現れては、また消えていく。
 これだけの人間を動かす資金がよくあるものだ、と彼は他人事のように関心していた。財源は彼の懐、すなわち、彼の所領からの収入なのだが、これまた彼は全てを把握しているわけではない。律義に数値を報告されるのだが、彼は数字が苦手だった。しかし、土地の面積の割に収入が高いことは理解していた。彼に登用された若手の行政官達が開発に余念ないからだ。彼自身は領民がつつがなく生活できれば、それで良かった。
 彼の部屋に現在唯一出入りの許されている家令が来客を告げた。
「フェルサーレン様、異母兄君がおいでになります」
 途端に、室内にいた青年達の表情が険悪なものになるのを見て、初老の男は苦笑をこぼした。
「御訪問をお断りいたしましょうか?」
 本人が屋敷内に足を踏みいれたわけでなく、先触れとして使いの者がやって来ただけなのだ。通常、目上の者の訪問は突然であっても受け入れるのが礼儀だ。
「いや、会おう。少々、腹を探ってやらねばならんからな。外で遊んでいる悪餓鬼を中に隠しておいてくれ。顔が知られているらしいからな」
 彼に悪餓鬼呼ばわりされたのは南陽王国の騎士見習いである。彼女は体がなまるからと、彼が雇っている傭兵達に交じって庭で熱心に手合せに励んでいた。
「かしこまりました」
 家令が礼をして出て行く。
「どうやら、お前が消えたことを知ったようだな」
「私が頼るとすれば、神官長様かフェルス兄上だと、いくらあの方でも、わかっておられるでしょうからね」
 言葉こそ丁寧だが、嫌悪感に満ち溢れる声音である。
 よほど、あの男は、この温厚な弟が腹に据えかねることをしでかしたらしい。
「気が済むまで存分に探らせてやるか」
 ふふんと馬鹿にした顔でフェルサーレンは笑った。

 緑の目の少女は隣の部屋から聞こえてくる会話に感心して頷いていた。
「フェルサーレン殿って、どう言えば相手が怒るか、よく壷を押えていらっしゃいますね」
「長年の経験に培われたんだ。異母兄達以外に対してフェルス兄上があんな口を利くことはない」
 ちょっと笑ってクルスは応じた。
 平常心を保ちつつ、ずけずけと相手を非難するフェルサーレンに対し、相手の声はすでに怒気に満ちていた。この時点で勝敗は決している。
「クルス・アディン殿はフェルサーレン殿には『異母兄上』とは呼びかけないんですね」
「そう言うと、怒るんだ。距離を置かれたくない相手に距離を置かれる気がするからだそうだ」
「次男の王弟殿下とは距離を思い切り置きたがっているようですけど」
 距離を置きたがっているどころでなく、血縁だって切れるものなら切りたいと思っていることだろう。
「…多分、知っているだろうけど、フェルス兄上は先王が侍女に手をつけて生ませた子供だ。血筋を誇る貴族の例に漏れず、それだけを理由に、あの人は彼を見下し、異母弟と認めていない。だけど、私にとっては、例え、血がつながっていなくても、フェルス兄上は兄なんだ」
 自分の出生をフェルスに告げた時のことを思い出して、クルスは口元に笑みを浮かべた。開口一番、「ざまぁみろ」と言ったのだ。戸惑っているクルスを前に、ふんっと笑って、「あのひひ親父、いい年して若い女に手を出すからだ。まったくもって、いい気味だ」と続けた。彼は自分の母親を不幸な目に遭わせた父親を嫌っていた。クルスにかまったのも、元はといえば、クルスに執着する父親に対抗してのことだったという。更に、じろっと睨んで「他人だなんてぬかしたら、殴るぞ」と付け加えた。
 幸せそうな青年の横顔を見て、エセルは口を結んだ。
 この顔を陛下の前でやられたら、一波乱あるね。せめてもの救いは、フェルサーレン殿が男だってことだ。
 もし、これで、フェルサーレンが血のつながらぬ姉だったりしたら、それは恐ろしいことになったに違いないとエセルは確信していた。


 南陽王国の「王妹」は氷晶王国の王妃にお茶に招かれていた。柔らかな雰囲気の小柄な王妃は温かく異国の客をもてなした。無粋な連中は来るなと「王妹」が同行させているのは、女神官一人だが、果たして彼女に無粋呼ばわりされた騎士達が納得したかは定かではない。もっとも、中には無粋どころか朴念仁呼ばわりされても反論できぬ男も含まれていたのだが。
 ふわふわした淡い金髪が揺れるのを、アシャラーナは奇麗だなと眺めていた。まだ幼い王女も同じように自分の艶やかな黒髪を見詰めていることには気付かない。
 ほっそりした白い手がお茶を注ぐ。お茶を入れるのも、この国の貴婦人の嗜みだという。この点でも自分は失格だな、とアシャラーナは心のなかでつぶやいた。お茶を入れたことなぞ、一度だってない。
 この国の女性達はまったくもってアシャラーナには不可解な存在であった。
 夜会の席においても、女性から男性に向かって声をかけることはなく、多くの娘達は、それが演技だとしても、話しかけられただけで頬を染めて恥じらう。ろくすっぽ話しもせずに、どうやって親しくなるというのだと不思議でたまらない。自分は賓客なので適用されぬが、家柄や身分による細かな順位付けや作法が山程あり、それに従って行動する貴族達を見ていると、何が面白いんだろうと聞きたくなる。
 トーヴァが文化の違いを強調したのも良くわかるというものだ。この国の女性を相手にしてきたクルス・アディンには、自分はまさに規格外れの存在だったろう。これを、トーヴァに言えば、「なに、陛下は南陽王国においても規格から外れていらっしゃるゆえ、今更、お気になさることはない」との応えが返っただろうが、幸い、アシャラーナがそれを知ることはなかった。
「アシュリーズ様は口数が少なくていらっしゃるのね。私、少し寂しゅうございますわ」
 王妃がお茶の入った器を差し出しながら言った。
「…申し訳ありません」
 女神官が腹のなかで爆笑しているのを感じながら、短く応える。王弟の例があるので、正体をばれぬようにするにはしゃべらぬのが一番だと、なるべく、しゃべらぬように努力しているのだ。実際、本物のアシュリーズも口数がそう多くない。ウェイと一緒に育ったことを考えれば、それも当然と言えよう。
「王妹殿下はこのような場所には慣れておりませぬゆえ」
 女神官が口添えする。王妃は王妹の「育ち」を思い出したのか、軽く頷いた。
「女王様はあなたと同じ顔をしているの?」
 七、八歳くらいの王女が口を挟んだ。
「ええ」
 まさに、この顔だと思いながら、アシャラーナは返事をした。
「双子の姉妹ですから」
「ふうん」
 なんだか不満そうな顔で口を尖らせている。
「私と同じ顔では御不満ですか?」
「だって、あなたみたいな美人には勝てないもの。私がクルス叔父様のお嫁さんになろうと思ってたのに」
 アシャラーナは眉を上げた。
 思わぬところで、恋敵が出現したものだ。
「叔父様とは結婚できないと言ったでしょう」
 笑いながら、王妃が娘をたしなめる。
「姫君は『クルス叔父様』がお好きなのですか?」
「うん。優しくて奇麗だもの。父上や兄上のも奇麗だけど、叔父様のが私は好き。でも、一番奇麗なのは神官長様なの」
 アシャラーナは僅かに首を傾げた。どうも、この王女が言っているのは容姿のことではないような気がする。神官長はちらと見ただけだが、かなり高齢の老人だった。容姿を奇麗と形容するには、よほどこの小さな王女の美的感覚が特殊でない限り、いささか障りがある。
「この子が言っているのは魔法力のことなんですの。どうも『視る』力が強いらしくて、意識しなくとも魔法力の流れが見えるようですの」
 戸惑いを察した王妃がそう説明した。
「それは、なにかと便利ですね」
 そうか、クルスは魔法力も奇麗なのかと思いながら頷く。
「貴方のは見えないわ」
 アシャラーナはぎくりとした。
「誰かの術が隠しているの。とっても強い防御の術よ。まるで神官長様みたい」
 確か、シェイドがウェイに、自分が魔法騎士でないのがばれぬよう術をかけるよう言っていた気がする。
「エリュール、お客様にそのようなことを言ってはいけないと何度も言ったでしょう」
 めっとばかりに、王妃が娘をたしなめる。しかしながら、その叱る様子にも愛情がありありと見て取れた。母親を早くに亡くした身としては少々羨ましい光景だ。
「私はかまいませんが」
 王妃は笑顔を向けた。
「ありがとうございます。魔法士は自身の術を見抜かれるとを嫌いますの。見て見ぬふりをするのが、この国の礼儀なんですのよ」
 見抜かれるのが厭なら、見抜かれないようにしろと言いたくなるが。
「私、その術をかけた人でもいいな。ちょっと変わっているけど、やっぱり奇麗だもの」
「本当におませさんだこと」
 娘の鼻の頭を母親がつつく。
 どうやら、この王女の基準は魔法力の美しさにあるらしい。面食いであると自他ともに認めるアシャラーナには比較的分かりやすい基準だ。それにしても、なかなか見る目があると言うべきなのだろうか、怖い者知らずと言うべきなのだろうか。ウェイに縁談があると言ってやったら、あの男、どんな顔をするだろう。
「残念ながら、王女様。この術をかけた者には、もう、すでに言い交わした相手がいるのですよ」
 笑いながら、トーヴァが言った。
「気にいった相手がいれば、すぐに手を打つ。これが南陽王国の恋愛流儀です。それでも逃げられる時は逃げられますが、また別の相手を探せばいいことです。その方が時間が無駄にならない」
 まあ、と王妃がころころと笑った。
 それから、彼女達は年齢を越えて恋愛談義に花を咲かせた。