女王と騎士

第二部 北風と太陽-虜囚編- (13)

 その部屋には女王と元守役の騎士だけしかいなかった。女神官は厭そうな顔の暁王国の騎士を引きずって外出し、ウェイは隣室で休養中だ。
 以前に比べるとやはり少々老けたなどと思いながら、中年の騎士を眺めていた女王はおもむろに口を開いた。
「トーヴァが十二の年に言い寄って振られた相手というのは、そなたのことか?」
 シェイドは軽く眉を上げた。意外なことを聞いたという顔だ。
「トーヴァ殿がそうおっしゃったのですか?」
「いや。だが、あのトーヴァがあれ以上の男には今まで出会ったことはないと言ったからな。トーヴァの好みから考えると、そなただと思うんだが」
 シェイドは女王の身内贔屓に苦笑をこぼした。
「トーヴァ殿は私に言い寄ってなどおられませぬよ」
 ふむ、違ったのかと女王がつまらなそうな顔をしていると、続きの言葉があった。
「『おい、そこの男。家と土地をやるから、私の夫にならんか?』と初対面の人間に向かって言うのを、言い寄るとは言えませぬでしょう」
「なんだ、やっぱり、相手はそなただったのか。どうして受けなかったのだ?」
 女王は言い寄るという言葉と詰め寄るという言葉を同義語と思っている節がある。教育担当者達の情緒面における指導は十分ではなかったらしい。婿候補を口説いたと本人は言い張っているが、実に怪しいものである。シェイドとしては言い寄ろうが、詰め寄ろうが、それで女王が幸せをつかみ取るのであれば、気にならない。
「私には十二才の子供を妻にするような趣味は持ち合わせておりませぬゆえ」
 しごくもっともな答えをシェイドは真面目な顔で返した。
「つまらん男だな」
「申し訳ありませぬ」
 シェイドの応対はいつものごとく、淡々としたものである。これ以上、追及したところで、何も出て来ないと判断したアシャラーナは質問を変えた。
「ところで、トーヴァの年齢は幾つなのだ?何度、聞いても、二十歳は過ぎておりますとしか答えんのだっ!」
「お応えしかねまするな。私はまだ冥府の女神に御挨拶に伺いたくはありませぬ」
 イェナといい、トーヴァといい、女性というものは年齢を隠したがる傾向がある。彼女達の年齢を知っている人間は自分以外にどれくらいいるだろうかとシェイドはふと不思議に思った。
「そなたの腕なら、トーヴァを恐れる必要もなかろうが?」
「トーヴァ殿は、女薬師殿ともごく親しい間柄でございますからな。陛下も余計な詮索はなさらぬ方が御身のためかと」
 女神官と女薬師。本来なら世のため人のためになる存在のはずだが、特定の人物において、それらは脅威の的となる。
「…これもシィンが調合したものだからな」
 自分の指にはめた指輪に目を落とす。それには対騎士用の強力な痺れ薬を塗った針が仕込まれていた。常人に使ったら死亡する可能性があるので、扱いにはくれぐれも気をつけろと念を押されている。それくらいなら持たせるなというヴェルシュの声が聞こえて来そうだが、貸す耳は持たない。
「世の中、知らなくても良いことがあるということか」
 さようでございますと近衛騎士隊長は穏やかに応じた。

 南陽王国の女神官は彼女がいてもおかしくない場所、すなわち神殿にいた。赤毛の騎士を連れた黒髪の女神官は目立っていたが、遠巻きに見ているだけで誰も声をかけようとはしない。気力に溢れた女神官に本能的な恐れを抱いているのかもしれない。
「言い忘れてましたけどね、俺、ここに傭兵としてエセルと一緒に来たことあるんですよ。その時に顔を覚えられていたら、まずいんですけど」
「存外、間抜けな男だな。そんなことは女王と一緒に来る前に思い出すべきだ」
 もっともであるが容赦ない言葉にラジィールはひるんだが、女神官はさして気に留めていなかった。事実は事実であって、それ以上のものでもそれ以下のものでもない。手近にいた神官見習いをつかまえて、書庫へと案内させる。
「一体、何をするんです?」
「少し確かめたいことがあるだけだ」
 トーヴァは素っ気なく応じて、それ以上の質問を封じた。
 まったく、この男、まるきり馬鹿でもないのに、どうしてこう気が利かぬのだろう?好奇心のままに質問を口にするなぞ、まるで、どこぞのたわけのようではないか。
 今、その「どこぞのたわけ」は姿をくらましている。どういう事情があるか知らないが、彼の行動の根底には好奇心があるに違いないとトーヴァは察していた。溢れる好奇心、言い換えれば野次馬根性こそがオルト・マフィズという人間の基本をなしている。
 書庫の前まで来ると、神官見習いに礼を言って、解放してやった。緊張している少年は恭しく礼を取ると、そそくさと引き返して行った。
「…さてと。ラジィール、ここに入るかどうかは貴男の選択に任せるが、どうする?」
 くるりと振り向いて問うと、暁王国の騎士はひくりと引きつった。
 青年の葛藤を女神官は興味深く観察した。
 やはり好奇心の強い性質らしい。
 後悔するだろうと分かっていながら、赤毛の青年は重い扉に手をかけた。

 夕刻になって、戻って来たのはラジィールただ一人であった。心なしか、顔色が悪い。女神官の所在を問うと、しばらく神殿で寝起きするとの答えが返って来た。何でも神官長の要請で、三日後、王宮で行われる大掛かりな儀式を手伝うことになったとか。その儀式ならば、豊作を祝うめでたい祭の一環なので、是非、参列するようにと王妃からも招待を受けていた。
「余程、人手不足なのか、月神殿は?」
 伝統的な儀式に異国人に介入されることを貴族連中がよしとするとは思えないがとアシャラーナは首を傾げた。
「トーヴァ殿は優秀な御仁ですからな。神官長殿に何か考えがあってのことでしょう」
 例え破壊女神官と呼ばれていようと、全ての聖典を修得した神官など、そういるものではない。
「話を聞いた限りでは、こちらの神官長はうちの白狸とは大違いのようだが」
「かの神官長殿と似た神官長など、そうそういるものではありませぬ」
 もっともな意見だ。かの神官長と同じような神官長が溢れていたら、今頃、大陸は神殿勢力に支配されていることだろう。
「…よろしければ、休ませていただきたいのですが」
 退室を願い出た赤毛の騎士にアシャラーナは鷹揚に頷いて見せた。重い足取りでラジィールが扉に向かう。
「随分、疲れているようだな。さてはトーヴァに押し倒されたか」
 次の瞬間、青年が扉に頭をぶつけた鈍い音が響いた。
「男女の間にある事柄は思っても口に出すべきではありませぬ」
 近衛騎士隊長に追撃を受けた騎士に望郷の念が生じたのも無理からぬことであった。

 中性的な面差しの女神官は微かに笑みを浮かべて話を聞いていた。冷かすような視線に居心地の悪いものを感じながらも、クルス・アディンは簡潔に説明を終えた。
「要するに、ここに名前を挙げられた連中を力付くで引きずってくれば良い、と?」
 面白がっている口調で女神官が問う。自分とさして年齢は変わらぬように見えるが、その地位、十一聖典修得者であることを考えると、もっと上なのかもしれない。
「はい。不正の証拠はありますし、正規の手続きで連行することもできるのですが、時間がかかりますので」
 フェルサーレンの側近である青年が応じる。
「反逆の証拠となる連名書を作るとは愚かしい限り。私も愚か者は嫌いゆえ、喜んで協力させて頂きましょう」
 単に暴力沙汰が好きだからだろうにという騎士見習いのつぶやきを無視して、女神官はクルスに目を向けた。南陽王国人に多い深い青色の目だ。
「直接に会ってお聞きしたかったのだが、クルサーディン殿、貴公は本気でアシャラーナ女王の夫になるつもりでおられるのか?」
「…陛下がそれを望んで下さるのであれば」
 苛立たしげに女神官は青い目を細めた。
「私は陛下の意向でなく、貴公の意向を尋ねたはずだが。貴公御自身はどうなさりたいのだ?」
「私は一介の神官に過ぎません。私の意向を告げたところで、どうなりましょう?」
 穏やかにクルス・アディンは応じたが、内心は腹を立ててもいた。心のうちを、本人以外に伝えるつもりはない。必要とあらば、本人にも伝えないだろう。
 無言の睨み合いの後、女神官は息を吐いた。
「歯痒い方だ。陛下が躍起になるのも分かるというもの。今後も、今のように殊勝に振る舞われることだな。貴公が政の妨げとなるならば、即座に排除しようとする輩が南陽王国には溢れておるゆえ」
 打って変わって、楽しげな口調にクルス・アディンは眉根を寄せた。戸惑う彼に構わず、女神官は話題を変えた。
「さて、まずはどの男を捕まえに行けば良いのかな?」
「俺のお薦めは、その郊外の屋敷にいるっていう奴なんだが」
 それまで、おとなしくしていたデュリルが口を出した。
「たいした魔法力は持ってないし、近くに人家もない。派手にぶっつぶした所で、無関係の人間を巻き込む心配もない」
「使用人が怪我をする!君の介入は最終手段だと言ってるだろう」
 厳しい目でクルスは暁王国の将軍を睨みつけた。
「かたいことを言うな、クルス」
 どの辺りがかたいのだろうと兄の側近は首を傾げている。
「かたかろうが、やわらかろうが、いくらでも言わせてもらう」
 やはり、この男に手伝わせるんじゃなかったと後悔しながら、クルスは溜息をついた。彼の従者だという青年も、彼が捕り物に加わると聞いて、血の気をなくしていた。お願いですから、他国で騒ぎを起こすのはやめてくださいとすがる青年に、ばれはしないから大丈夫だという、なんとも説得力に欠けた答えをアルク・デュリルは返していた。
「クルサーディン殿のおっしゃる通り。冥府の女神に挨拶に出向かせるのは、愚か者だけで十分」
 涼しげな顔で女神官がのたまった。
「…女神官殿、生かしたまま連行して頂きたいのですが」
「十日程は生きれるようにほどよく痛め付けるので、御心配は無用」
 慣れておりますゆえと恐ろしい台詞を平気な顔で口にする。
「要するに、国王の前で自白させればいいんですよね?」
 騎士見習いが言い添える。言外に口さえきければ、どうなっても良いのだろうという確認の意味が込められている。
 人選を誤ったような気がしないでもないが、他に使える人間がいるわけでもない。魔法力を持たぬ騎士など、この国にはそうそういないのだ。
 クルスは腹をくくって、手綱を少しでも緩めれば、気ままに暴走し始めるだろう騎士達に細かな説明を始めた。


 南陽王国の王宮の一室では大量の布がとぐろを巻いていた。
 色は全て紅。
 目が痛くなるような光景だ。ずらずらした布を肩に掛けられたり、巻き付けられたりしているのは女顔の近衛騎士だった。
「光沢があるのは波羅のだけど、ドレープが奇麗に出るのは青河のだし…」
 ぶつぶつ言いながら栗色の髪の少女は布地を広げては、近衛騎士に引っかけていく。何故、わざわざ近衛騎士に協力させるのかと言うと、長時間立っていても疲れないからという明快な理由からだ。しかし、体は疲れないが目が疲れる。目を閉じても、残像がこびりついて離れない。夢見が悪くなさそうだ。そんなことをルーダルが考えていると、少女の動きが止まった。
「ルー、あなた、背が伸びたわねっ」
 咎める口調で、少女が間近に睨みつける。なるべく布を見ないように視線を壁に向けていたルーダルはゆっくりと瞬きした。ほぼ同じ位置にあった視線の高さが以前に比べると僅かに違っていた。
「そうみたいですね」
 ほんの少しだが、少女を見下ろす形になったルーダルは内心満足感を覚えながら、肯定した。
「なんてことなの、試着に使えなくなるじゃないっ」
 せっかく、アシュリーズ様と同じくらいの身長だったのにと、自分本位な文句をつける。長衣を纏うことを厭っている王妹は仮縫いにも非協力的で、捕まえるのが一苦労のために、衣装係の少女は身長と体格がさして変わらぬ近衛騎士を代理人に使っていたのだ。
 ルーダルとしては、助かったという思いが強い。いくら彼女の頼みでも、女性用の長衣など身につけたくはなかった。
「身長ならミューカも同じくらいでしょう」
 何げなく言ってから、しまったと思ったが、すでに遅い。不穏な笑みをミューカは唇に浮かべた。
「ええ、身長は、ね」
 丸みを帯びた体型の少女と引き締まった体型の王妹では、例え同じ服を着たところで、全く印象は違う。
 やや太めであることを気にしている少女に、自分は柔らかくて抱き心地がいいほうが好きだなどと言っては怒りを更にかきたてるだけなので、ルーダルは沈黙を保つことに決めた。身長だけでなく、肩幅も欲しいものだという願いも彼が口にすることはなかった。

 ここ数日、紅色の織物を手にした女官をよく見かける。何事かとアシュリーズが問うと、イェナはわずかに首を傾げた。他国の賓客との会見を終えたばかりなので、女騎士は優美な長衣を纏っており、男の目にはその仕草が扇情的に映ったかもしれない。
「ご存じありませんでした?王家の花嫁衣装は紅色と決まっているんですわ」
「花嫁衣装…。気が早くないか?」
 先日、婿候補の生存を確認したとの知らせが入ったばかりである。
「そんなことございませんわ。陛下が帰国すれば、すぐに婚礼を挙げるとおっしゃることは、わかっておりましょう?いろいろな公式行事の関係から、三カ月は準備にかかるとしても、花嫁衣装を仕上げるには短いくらいですわ。細工物も整えなければなりませんし、刺繍も伝統に則ったものを施すだけでも一月は必要ですもの」
 考えただけで目眩がしそうだ。
 面食いなだけあって、美しいものが全て好きという双子の姉は着飾ることにも抵抗を持たず、多少の窮屈さなど歯牙にもかけない。髪を結い上げ、あらゆる細工物を身につければ、かなりの重量になろうが、それも苦としないのだから、たいしたものだ。
「それに花嫁衣装だけではなく、花婿の衣装も用意しなくてはなりませんわ。寸法も全く分かっておりませんから、本人がいらしてから始めなくてはなりませんでしょう?」
「…花婿衣装に手間をかけるなど、初耳だ」
「あら、せっかく、見栄えの良い花婿がいらっしゃるんですもの、手間をかけねば損ですわ」
 損、なのか?
 果たして、女王はともかく、クルス・アディンがこの騒ぎを目にしたら、どう思うことだろう。逃げ出したくなるのではなかろうか。
「先の王妃様の御婚礼衣装もそれは素晴らしいものでしたのよ。先王陛下も男前でしたし、民も大喜びでしたわ」
 思わず、南陽王国の民は皆面食いなんだろうかと一瞬考えたが、アシュリーズは首を横に振った。自分たちの王が見栄えしないよりは見栄えする方がいい。父親とは生前、一度顔を合わせたことがあるが、父娘とは思っていなかったので、見覚えのある顔だなと思った程度だった。見覚えがあるのも当然で、自分自身とよく似た顔立ちだったのだ。肖像画を見る限り、実母は線の細い容姿で自分達姉妹とはあまり似たところはなかった。
「先王の結婚式は確か二十年前だったな。イェナは近衛騎士として参列したのか?」
「ええ。王妃様のおそば近くで警護させて頂きましたわ。王妃様の方ではなく、きちんと周囲を見ろと夫に怒られましたのよ」
 懐かしそうな目で言う。南陽王国屈指の有能な女騎士にもそんな時代があったのだ。彼女によく似た息子がそうであるように、彼女もまた悩んだのだろうか。アシュリーズは自分が他者の命を奪うことに悩みを覚える暇も与えられなかったことに今更ながら気づいて、苦笑を漏らした。


 堂内はしんと静まりかえっていた。葬式がない限り、神殿内でも、この場所はとりわけ静かな場所だった。祭壇の上に祀られているのは仮面をつけた女神像。貴賎を問わず、全ての人間に等しく死を賜る公平な女神だ。
 柔らかな気配に少年は顔を上げた。
「毎日熱心ね」
 祭壇に捧げる花を手にした少女が足音をたてることなく、ゆっくりと歩を進めながら言った。友人達の幼なじみである神官見習いだ。名前は確かリシュテと言った。
 奇麗な青い目は何も映していないのに、何故、自分が毎日ここに通っていると知っているのだろう。
 そんな思いが伝わったように少女は笑みを浮かべた。
「私はね、気配で人を見分けるの。騎士能力のある人達は他の人達より気配が強いから区別しやすいのよ」
 まるで見えているかのように、神官見習いは細い腕を伸ばし、祭壇の上にある花を新しく持って来た花と交換した。薄紅色の花びらがひらりと床に落ちた。新たに祭壇に捧げられた花色は鮮やかな黄。ふとフィルは違和感を覚えた。今まで参列したことのある葬式において、祭壇を飾っていた花は全て白だった。
「冥府の女神に捧げるのは白い花だと思っていたけれど」
 つぶやいてから、しまった、と思う。視力を持たぬ少女に向かって言う言葉ではない。だが、フィルの言葉に少女が傷付いた様子はなかった。
「白は冥府に向かう死者に捧げる色よ。闇のなか、迷わずにたどり着けるように灯の代わりになるように」
 言って、ちょっと少女は顔をしかめた。
「ちゃんと聖典に目を通したことないでしょ」
「ごめん」
 素直にフィルは謝った。
「冗談よ。聖典の大部分はこういう時にはこうしなさいっていう聖職者に対する指示録のようなものだから、全部を覚える必要ないのよ」
 同じようなことをエセルも言っていた。書いてあるのは神殿での決まり事がほとんどだから、聖典を読んだだけで人が救われるわけじゃないとか何とか。神官見習いでもあるのに、よくそんなことが言えるなと思ったものだが、ユリクも苦笑するだけで否定はしなかった。
「冥府の女神様は毎日辛気臭い死者の相手ばかりをしていて、うんざりするだろうから、彩りのよい花を捧げてお慰めするのよ」
 その言葉にはさすがにあっけに取られた。少女はまるでその顔が見えたかのように肩を震わせた。
「これがトーヴァ様の解釈。一般的には死者の罪を減じてもらうために女神様の慈悲の心に訴えるものとされているわ。人間の姑息なごますりで機嫌をころころ変えるような神は神として認められないとトーヴァ様はおっしゃるけど」
 聖典解釈をめぐる神殿会議ではいつも大騒ぎなのよと少女は楽しそうに笑う。笑い事なのだろうかとフィルには疑問だったが、あの女神官にとっては確かに笑い事かもしれない。女王と重臣達が激しく言い争うのを見ながら、げらげら笑っているような人だ。
「…死者のために祈るというのは、死者を救うための行為なのかな。それとも、自分が救われるための行為なのかな」
 ためらいがちな問いかけに少女は首を傾げた。
「その両方じゃないかしら?死者の魂が救われないと心が痛むから、生者は祈るというのも確かだもの」
「…それでいいのかな」
 なんだか自己満足のための行為に思える。
「私はいいと思うわ。私が寝ずの看病をするのも、別に私が慈愛に溢れた精神の持主というわけではなくて、そうしないと私の気が済まないからよ。偽善と言われようと、何もしないでいるよりはましじゃない?自分自身が救われようとすることを禁じる神もいなければ、救われようと思わない人間に救いをもたらす神もいないわ」
 フィルはまじまじと少女を見詰めた。
 少女はそんな彼にかまわずに祭壇の前で膝を折ると短い祈りの文句を唱えた。
 そうしていると世の中の汚れなど一切知らぬ清らかな存在に見える。
 だが、決してそうではない。
「…また君と話すことができるかな?」
 少女はゆっくりと立ち上がって振り向いた。長い黒髪が流れる。
「それって、私を口説いているのかしら?」
 驚き、焦るあまりに言葉の出てこないでいるフィルに少女はころころと笑って、冗談よと告げた。