女王と騎士

第二部 北風と太陽-虜囚編- (15)

 近衛騎士隊長の手によって、ようやく女王から解放された時には、オルトはぐったりしていた。自業自得と言えばそれまでなのだが、女神官に過去の所業を暴露され、今回の任務放棄以外のことについても、さんざん女王につつかれたのだ。他の国ならば、騎士が任務放棄するなど即刻、免職処分になるところだが、そうならないのが南陽王国の近衛騎士というものだった。彼らは女王に直属し、彼らに対し権限を持つのは女王ただ一人だ。その女王の下した処分は向こう半年俸給なし、というものであった。
「…畜生、どこが良いようにはからってやる、だ」
 女王の面前に引きずられて行く間、女神官は彼から事情を聞き出した上で口止めした。雇われ、軟禁されたことまでは話しても良いが、雇い主については一切漏らすなと女神官は言い渡し、代わりに便宜を図ってやると約束したのである。そう言いながら、女王の耳に入れたくない所業の数々をばらした。それが今回の件から、女王の気をそらすためであったことはオルトにも分かったが、彼の立場をますます悪いものにしたことに変わりはない。ぶつぶつと文句を言いながら、近衛騎士の制服に着替えていると、ノックもなしに扉が開かれた。
「男が着替えてるとこに、堂々と入って来るんじゃねーっ」
 慌てるオルトに女神官はふんっと鼻を鳴らした。家畜の競り市にいる商人のように不躾な視線を向け、食指を動かされんと、すっぱり言い捨てた。繊細な男心を踏みにじる暴言である。
「おぬしの頭でも分かるように説明してやるから、よく聞け、オルト。この国の貴族で、『生き返った死人』と言うのはクルス・アディン殿くらいのものだ。これが何を意味するか、わかるな」
 上着に頭を突っ込んだオルトはその姿勢のまましばし思考をめぐらし、上着から顔を出すと女神官を見た。
「…クルス・アディン殿の父親って、生きていても相当なじじぃのはずだよな?死人が生き返った上に若返るなんてことは…?」
「無論、ない」
 続けて手短に女神官はクルス・アディンが姿を現した経緯について説明した。
「おぬしが標的としたのは誰であったか見当もつこう?」
「…黒幕と思われていた国王か、王弟ってことになるけど、法的に裁かれるってことだから、王弟だ」
「そうだ。…これから他にも分かって来ることがあろうが、余計なことは一切、陛下の耳に入れるでないぞ」
 まあ、それもそうだ。オルトは頬をかいた。クルス・アディンが王弟ではなく、先の王妃の不義の息子となれば、色々と問題が出て来る。多分、いや、確実に女王は血筋など問題としないだろうが、それがばれたら周囲に問題を生じることは間違いない。
「私はおぬしまで始末したくはないからな」
 その言葉に、オルトは背筋にひやりとするものを感じた。それから、女神官がこの話を聞いても、落ち着き払っていたことを思い出した。
「…知ってたのか?」
「私は『死者の声に耳を傾ける者』だぞ?」
 ひくっと顔をひきつらせて、オルトは耳をふさいだ。
「俺は何も聞きたくないぞっ。奇麗さっぱり、忘れるから、何も言うなっ」
 女神官は軽く眉を上げた。
「どうして陛下といい、おぬしといい、そうも厭がるのだ?死者の残した思念なぞ、常人には直接には害を及ぼさぬぞ」
「厭なもんは厭なんだーっ」
「そうか。私が事情を知ったのは王家の霊廟でな」
「やめろぉっ」
 薄気味悪い話など、これっぽちも聞きたくない!
 本気で厭がるオルトを見ながら、怪談を聞かせた後に一人で夜勤につかせるというのもオルトに対する有効な処罰になると女王に提言することを女神官は考えていた。


 王宮を訪れるフェルス・アレンに同行して、王宮に入り込んだ騎士見習いは挨拶もそこそこに女王に用向きを告げた。すなわち、引き続き国に戻らず、暁王国の将軍に同行したい、と。
「あの男にたぶらかされたのかっ!」
 女王の第一声にエセルはけらけら笑って首を横に振った。
「違いますってば。暁王国に行くことが目的なのでなく、暁王国で実戦経験を積むことが目的です。…『その時』に間に合うように、ちゃんと、帰って来ます」
 女王は口を結んで、目の前の騎士見習いを見た。少女の言う「その時」とは、南陽王国が北の隣国と開戦する時を意味した。少女が生まれたであろう国と戦う時が来ると、少女は随分前から確信していた。それが隣国の森の民に稀に現れる先見と呼ばれる能力なのかどうかは分からない。ただ、それを、それだけを「知っている」と少女は言う。いくらか勘は鋭いものの、少女が先見の能力を発揮したことはない。初め聞いた時は半信半疑だったが、この一年の間にその言葉は急速に現実味を帯びて来た。
「それを必要と思ったのだな?」
「はい」
「ならば行くがいい。『戦神』の戦い方をたっぷりと学んで来ることだ。ついでに、弱点を握って来れば、なお良い」
 個人的に暁王国の将軍に反発心を覚えている女王は言った。努力しますと、エセルは神妙な顔で言った。
「トーヴァ、餞別を用意してやれ。ちょうど、オルトの俸給が半年分、浮いたからな」
 騎士見習いの少女はぷっと笑った。果たして、オルトが俸給を手にする日が来るのだろうか。女神官が持って来た金貨の入った袋をエセルは有り難く受け取った。
「それで、いつ発つのだ?」
「明朝です。アルク・デュリル殿も、クルス・アディン殿に挨拶に出向かれました」
「なにぃーっ!私よりも先にあの男と会うとは許せんっ」
 今更、会うも何も、長らく行動を共にしたという事実への認識が今の女王には欠落しているようだ。更に、今の状況では挨拶する程度の短い時間しか取れないから、女王と会うことを先延ばしにしてるだろうと推察する余裕も女王にはなかった。少しでも隙を見せれば、クルス・アディンを取られると思っているからだろう。実際、アルク・デュリルという男はそうしかねないが、クルス・アディン本人の意思に反したことはしないだろう。
 陛下の場合、「あなたしか見えない」じゃなくて、「あなただけ見えない」だな。
 クルス・アディンが女王にどう対応するのか多少興味は引かれたが、ここに残って見物しようとまではエセルは思わなかった。どうせ結果は見えている。
 エセルは颯爽と騎士の礼を取ると女王の前を辞した。

 王都の外に出るべく門をくぐる時、騎士見習いの少女は大あくびをしていた。昨夜は遅くまで、これが最後と賭事に興じて、本人いわく、旅費集めをしていたのだ。長逗留する場所では荒稼ぎはしないということなのだが、翌朝に出立するとあって、勝ち逃げすることを決め込んだのである。彼女の資金調達に「協力」した人々の中には今馬を並べている二人の騎士も含まれていた。
「尾けられているな」
 門を出てしばらくしてから、のんびりとデュリルは言った。
「五、六人というところですか」
 天気の話でもしてるかのように、ラジィールが応じる。
「あまり、いい暇潰しにはならんな」
「それなら、まだ王都に残って陛下の邪魔して遊んだ方が良かったんじゃない?」
 言って、エセルがまた一つあくびをこぼす。
「それもそうなんだが、いい遊び相手が待ってるからな」
「向こうは待ってなんかいませんよ」
 わざわざ留守を狙って仕掛けるつもりでいるんですからね、とラジィールが薄く笑う。通常、「戦神」が姿をくらますと三カ月は戻らないと言われている。その間に兵を起こし、少しでも有利に事を運ぼうとするのは当然の成り行きである。南陽王国でも同様に水面下であれこれ画策がなされているはずだが、こちらは女王が帰国する前に片がつけられているだろう。そうしておかねば、女王の機嫌を損ねるからだ。
「まあ、厭がらせついでに、うちの王族の一人との縁談を持ち込んでやったが」
 これでクルスの値段も吊り上がったはずだと人の悪い笑みを浮かべる。当然、女王は怒るだろうが、クルスもまた、面倒を増やしたと眉をひそめることだろう。
「陛下から、おっさんの寝首を掻くように指令が入るかもしれないな」
「お前の腕じゃ無理だ」
 事もなげに言い切る。いくら実力に歴然とした差があっても、このように言い切られてはほとんどの人間が多少なりと腹を立てるものだが、南陽王国の騎士見習いは違っていた。
「ま、そーだけど」
 あっさりといなしてエセルは続けた。
「確実に殺るつもりなら、ウェイ殿を送り込んで来るよ」
「それは楽しみだ」
 まんざらでもなさそうな口調である。やれやれとラジィールは首を横に振った。この主、戦もなくなり、本気で退屈し始めたら、わざと刺客を送り込まれるような真似をしでかしかねない。
「振り切るか」
 雑魚を相手に暇を潰すのも面倒だと思ってか、デュリルが軽く馬の腹を蹴った。
 命拾いしたな。
 主に続いて馬を走らせながら、ラジィールはちらりと後方に目をやった。わたわたと男が数人、街道に走り出て来るのが見えたが、もう遅い。彼らの財布の中身を持った少女はすでに手の届かぬ所へ走り去っていた。


 南陽王国の女王と氷晶王国の王弟との縁談について、話し合いの席が設けられたのは祭りから五日後のことであった。何食わぬ顔で挨拶を交わし、席についた女王代理と王弟はお茶を出した女官が部屋から下がった後も、しばらく黙ったままだった。
 どう話を切り出したものかとクルスが考えあぐねていると、女王が口を開いた。
「ひょっとして、怒っているのか?」
「何をですか?」
 いきなり何を言い出すのだろうと思いながら尋ね返す。
「戻ると約束したのに、勝手に押しかけて来たことだ」
「そのことでしたら…そうですね、多少は腹を立ててます。ただし、あなたにではなく、自分自身にですが。あなたに信用していただけなかった私の落ち度でしょう」
「どうしてそうなるっ!信用していなかったわけではなくて、私が待ち切れなかっただけのことだ」
「同じことです。あなたに国を離れるなどという行動を取らせてしまった原因は私ですから」
「それで責めを負うべきは私だろう。自分の行動の責任は自分で取る!」
 琥珀色の目で睨みつけて、きっぱりと言い切る。
 本当にこの人物は強い。傷付かない強さではない。傷付いても顔を上げる強さがある。自分のように、いつまでも痛みを引きずったりはしない。
「やはり、私の夫になるのは厭なのか?」
「それに答える前に聞いていただきたいことがあります。南陽王国の『女王』として」
 言うと、アシャラーナは姿勢を正した。来るなら来いと言わんばかりの態度だ。
「私の父は先王ではありません。つまり、私は王族ではないということです」
 淡々と告げると、女王は軽く目を見張った。余程、意外だったのだろう。しばらく、言葉は出なかった。
「それは…思い切ったことをしたものだな、先の王妃も。なかなか豪胆だ」
 アルク・デュリルも似たようなことを言ったなとクルスは思い出した。やはり、この二人はどこか似ているのだろう。それを言えば女王は厭がるだろうが。
「ええ、まったくです。このことを王は知っています。それゆえ、この縁談に反対しました。他にも、このことを知る人間が数名いることでしょう」
 そのことが知れては害になる人間は黙っていようが、全員が全員、そうであるとは限らない。
「王妃が不義を働いて生まれた人間を、女王の夫とすることは、南陽王国にとって不利益となります」
「確たる証拠でもあるのか?そもそも王が王家の恥を認めることはないだろう?」
「はい。ですが、噂というものは侮りがたい力を持ちます」
「かまわん。実質はともかく、王弟の肩書さえあれば、女王の夫に迎えるのに、なんら問題にはならないのだからな。そもそも、私が欲しいのは氷晶王国の王家の血でなく、クルス・アディンという人間だ」
 それとも、と睨みつける。
「そんなに私の夫になるのが厭か?そんなことで、私の気を変えようなどとしても無駄だからな!血筋だのなんだので、気を変えるくらいなら、ここまで来てはおらぬわ」
 騎士見習いの少女が言った通りだとクルスは笑みをこぼした。
「ただ、知っておいて頂きたかっただけです。一騎士として召し抱える方が無難だと私は思いますが」
「そんなもったいないこと、するものか」
「もったいないですか?」
 どうも、この女王の思考はわからないと首を傾げる。
「私が遠慮なく好きになれる人間がどれほどこの世の中にいると思う?女王の夫にふさわしい条件を備えた人間ならば少なくはなかろう。そんな人間に今まで何人となく会って来た。だけど、好きにはならなかった。たまたま条件を満たしている相手をたまたま好きになる、なんて幸運がそうそうあると思うほど、私もおめでたくはできていない。せっかく手にした幸運を逃すなんてもったいない。私は絶対に引かないからな。…何故、笑う?」
 肩を震わせ、笑い始めた青年に、むっとした顔を向ける。
「…なにやら宣戦布告されたような気がしまして」
 笑いをこらえて、どうにか答える。
 これは思いを打ち明けるというような甘やかなものではない。単なる意志表明と言える。恋の手管に長けた女ならば、もっと情に訴える方法をとっただろう。しかし、そのような方法を取られても、自分の心が動かされることはない。そうした状況においては自分でも不思議な程、冷めているのだ。困ったものだと思いながら、状況を打破する方策を練るのが常だった。
「宣戦布告だと?…色恋沙汰も一種の戦とトーヴァも言っていたが」
 やはり、あの女神官は女王の性格形成に一役買っていたらしい。そんなことを考えていると、琥珀の目でひたと見据えられた。
「私は最後まで戦うぞ」
 本格的に宣戦布告されてしまった。
「…全面降伏いたしますよ、陛下」
 ほほ笑んで立ち上がる。言葉をどう解釈したものか考えている様子の女王の横に立ち、首にかけていた細い鎖を外した。何事かと見上げる女王に鎖に通した指輪を示す。
「私の母の形見です。貴方に似つかわしい色ではありませんが受け取って頂きたい」
 ひざまづいて、手を取り、指輪をはめた。大きさが合わぬのを見て、微かに笑う。母親は決して大柄な女性ではなかったはずなのだが、氷晶王国の女性は南陽王国の女性に比べると、一回りほど体格がよいのだ。
「この国の慣習では指輪を贈るのは特別な意味があるそうだが」
 白銀の台に青い石を嵌めた指輪をしげしげと眺めながら女王がつぶやく。
「ええ。お気に召しましたか?」
 女王は石を光にかざした。光の加減で、淡い水色から深い青まで色を変える。ふうんと感心したように女王が頷いた。
「そなたの目のようだな」
 クルスは小さく噴き出した。
「なんだ?」
「いえ…この国では女性に対して使う形容なので。『貴女の瞳は氷晶石のようだ』などとよく引き合いに出されるんですよ。実際、氷晶石は最もよく指輪に使用されます」
 すぅと女王が目を細めた。
「クルス・アディン」
「なんでしょう?」
「今まで、その形容を使ったことがあるのか?」
 さあ、どうでしたかとクルスははぐらかした。眉が跳ね上がるのを見て笑みをこぼす。
「どちらにせよ、今後、使うことがないことは確かです」
「本当だろうな?」
 疑わしげな顔をする女王に笑みを返す。
「陛下の瞳の色は、この石とは違いましょう?」
 軽く目を見張り、女王はまじまじとクルスを見詰めた。
「どこでそんな口説き方を覚えたんだ?」
「私も氷晶王国に生まれ育った男ですから、一通りの口説き方は身につけております。なにしろ、この国の女性は自分からは口説いてくれないことになってますから」
 その言葉に女王が憮然とした表情になる。自分が口説かれるのは良いが、他の女を口説かれてはたまらないとでもいったところだろうか。
「この指輪は人目に触れぬようにしていて下さい。私が『王妹』に贈ったとならば、大問題ですから」
 手の平に鎖を落とす。
「これが返事だと思っていいのだな?」
「ええ」
「良かった。なんとか、これを使わないで済んだな」
 右手に嵌めた細工の見事な金の指輪を見ながらつぶやく。
「何ですか?」
 答える代わりに女王は指輪のある箇所を押した。飛び出した鋭い針先には薬物とおぼしきものが塗られていた。
「対騎士用即効性痺れ薬。特注品だ」
 何げに言って、また別の箇所に触れ、針を引っ込めた。
 クルスの動きがぴたりと止まる。
 一体、そんなものを使って何をするつもりだったのだろう?いや、本当は答えは分かっているのだ。ただ、その考えを頭から締め出したいだけで。
「…返さないからな!」
 自分に向けられた視線に気付いた女王はしっかりと氷晶石の指輪を手に握り込んだ。