女王と騎士

第二部 北風と太陽-虜囚編- (16)

 南陽王国の女王と氷晶王国の王弟との縁談は徴調整の段階に入っていた。すなわち、持参金問題である。
「実はクルサーディン殿下には暁王国からも縁談の話がありまして…」
 そう口にした男を恐ろしいまでの気迫を込めた目で「王妹」が見遣った。交渉役の男はその視線にびくりと肩を震わせた。交渉を行っているのは女神官であり、この王妹は今まで一言たりと口を挟まなかったので、女王代理とは名ばかりのものと彼は見なし、その存在をほとんど無視していたのである。
「確かな話であろうな?」
 少々、低めの声が問う。
「先日、フェルサーレン殿を通じて、暁王国の将軍直々に打診がありましたそうで…」
「ほう、暁王国の『戦神』、アルク・デュリル・ゼノファ殿が、か」
 その含みのある口調に交渉役は慌てて記憶を探って、南陽王国の王妹が「闘技大会」において暁王国の将軍に敗退していることを思い出し、この不機嫌の原因はそこにあるものと見当をつけた。それにしても、この小娘とは思えぬ妙な威圧感は何なのだろう。騎士の娘として育てられたと聞いたが、生まれながらに王族として育てられた者でさえも、こうした他者を圧する覇気をようよう備えているものではない。
「いかに暁王国の将軍とはいえ、口頭による申し出だけではいかんともしがたいもの。今更、横槍を入れられた所で、クルサーディン殿下がお心変わりするとは思えませぬし」
 したたかな笑みを浮かべて女神官が言った。なにしろ、王弟クルサーディンは国王にこの度の褒賞に何が欲しいかと問われ、この縁談を許してくれるよう願い出たのだ。一方的に南陽王国の女王に言い寄られたものと思い込んでいた女達は肩を落とし、逆に王弟の方から女王をたらしこんだのだと決め付けていた男達は、そら見ろと肩を聳やかした。だが、個人の心の内はともかく、王弟を女王の夫に据えるという考えは国にとっても非常に魅力的なものである。これ以上の良縁を望むことはできない。
 こほんと交渉役は咳ばらいした。
「しかしながら、我らが陛下は、この縁談にさほど乗り気ではあらせられませぬゆえ」
 なかなかしぶとい。多くの人間は女王に心理的圧迫感を与えられると、なかなか平常心を保てぬものなのだが。トーヴァは心のなかで笑うと、御機嫌斜めで交渉どころでない「王妹」を完全に無視して、本格的な駆引きに乗り出した。


 嫁入り支度ならぬ婿入り支度をするために、クルスは彼が暮らしていた小神殿を訪れていた。彼の部屋は、彼が行方不明となる前のまま残されており、神官見習いの少年の手を借りて、クルスは早速に荷物の整理を始めた。
「よく、これだけの書物を集められましたね」
 手伝いの少年が半ば呆れたように言った。クルスの所持品はほとんどが書物であり、小さな部屋にこれでもかというくらいに書物が収められているのだ。
「私の唯一の道楽のようなものだからな」
「道楽、ですか」
 聖典だけで四苦八苦している少年にしてみれば、難解な古文書を解読するのが道楽など全くもって理解できないことだった。
「これ全部、持って行かれるのですか?」
「いや、さすがに、それは無理だ。いくらかは持って行くけれど、残りは北の神殿に収めるつもりだ」
 北の神殿は王国でも最古の神殿であり、古文書の宝庫でもある。恩師が神殿長をしていることもあり、クルスは足繁く通っていた。前回、訪問したのは「行方不明」になる直前、その帰り道に刺客に襲われたのである。もっとも、実際は襲撃を事前に知っており、谷川に落ちたのは空の馬車であったのだが。あの時の刺客達はどうしただろうとクルスはふと考えた。成功したと思い、引き上げたところが、自分がこうして生きて姿を現したのだから、雇い主はさぞかし腹を立てたことだろう。刺客は緑森王国の手の者だったというが、そのうち再び仕掛けてくるかもしれない。それならば、今のうちにやって来てくれれば良いのだがと思いながら、クルスは自身の手で北の神殿へ書物を運ぶ旨を神官見習いに伝えた。

 クルスが訪れる少し前にも、北の神殿を訪れた者がいた。山奥にあるために、訪問客は珍しいのであるが、その訪れに気付いた者はたった一人の人物を除いていなかった。神殿を守る神殿長にすら、その存在を感知させることなく、神殿に入り込んだ訪問者を、その人物は椅子にゆったりと座ったまま穏やかに迎えた。
「大きくなったものだな」
 神殿の書庫番を務める神官は懐かしげに銀灰色の目を細めた。同じ色の目を持つ黒髪の青年はゆっくりと口を開いた。
「リュイは五年前に死んだ。多分、知っているだろうが、もし、機会があれば、念のために伝えるよう頼まれた」
 男は目を閉じ、背もたれに身を沈めると、ゆっくりと息を吐いた。年齢不詳の皺ひとつない顔に、急激に老いが訪れたかのような錯覚を覚える。
「やはり、そうだったか。…それでは私の寿命が尽きるのも、もうすぐだな。私とリュイはほんの十年余りしか年が違わないのだから」
 しばらく、その姿勢のまま、男は目を閉ざしていた。
「最後の時、リュイは幸せだったろう?」
「そう言っていた」
「羨ましいことだ。自分の子が自分より先に死ぬのを見ることもなく…。もっとも、子供に、この呪わしい体質が受け継がれぬのは喜ぶべきことなのだろうが」
 微かに皮肉を帯びた笑みを唇に浮かべる。
「本当に、『混血』の寿命は他の人間と変わらないのか?」
「私の子供達はそうだった。成長の速度も他の人間と変わらなんだ。私の知る限り、長命の性質を持つのは『純血種』だけだ」
 どこか安堵した様子の青年に男は微笑した。
「私の血を引きし者達がそうだったように、お前がリュイから受け継いだものは新しき血に混じり、消えてゆくだろう。稀に蘇ることはあっても、それはもはや我らとは違う」
 我らと言っても、後どれほどの同胞が残っているかは知らぬがなと男はつぶやき、顔を上げた。
「気を付けよ。南の森でうごめく者が古き力を求めている。ここにも幾度か手の者が訪れた。求めたところで与えられる力でもないが、また新たなものを作り出す役には立ったろうよ」
「…興味はないが、仕掛けて来るならば、戦うのみだ」
 黒髪の青年は淡々と言葉を返す。
「そういうところは、リュイと同じだな。…後、どれほど生きるかは知らぬが、私はここで眺めていよう」
 もう行けとばかりに男は手を振った。青年は目礼すると踵を返した。霧に溶けるかのように、その姿が張り巡らされた「結界」の向こうに消える。
「我が子らは、あそこまで濃く我らが血を受け継ぎはせなんだが…」
 男は虚空に目を向けた。
「リュイ、ぬしはあの息子を残して逝くのは気掛かりではなかったか?」
 答えが返るはずもなく、男はそっと瞼を閉ざした。

 微かに感じた気配にクルスは眉を寄せた。このような場所にいるはずもない、また、いる言われもない人物の気配だ。気のせいだろうと思いつつ、神殿長の部屋に向かう。恰幅の良い、初老の神殿長はにこにこと彼を出迎えた。神殿長は彼が死んだと聞かされても、信じてなかったという。
「結婚祝いにエヌスの古写本を贈ると貴方にお約束いたしましたからねぇ。あの写本を手に入れぬまま、貴方様がおとなしく冥府に発たれるとは思いませんでしたよ」
 平民出の神官はからからと豪快に笑った。世俗権力との結び付きの強い、この国の神殿において、平民出身者が神殿長の職に就くのは至難の業だが、彼は持前の才能と交易商をしている実家の富を生かして今の位に就いたのである。神官になった目的というのが、この神殿の長となって、思う存分、書物に埋もれて過ごすというものだったというから、呆れたものだ。
「おや、そうですか?シュザ−ル様のことだから、これで大切な写本をやらずに済んだと手をたたいて喜んだのではないですか?」
「なに、もはや生い先短いこの身では解読はできまいと見切りをつけておったので、ちょうど良かったのですよ」
「まだまだ長生きなさりそうですが」
 書庫で書物に圧し潰されて死なぬ限り、百までは生きると平神官達の間でささやかれているような人物だ。
「年には勝てませぬよ。近ごろは目も霞んで参りましてな。字を読むのもつらい。代わりといってはなんですが、優秀な神官見習いが来まして、最近ではそれに教えることが楽しくなってきたところで」
「シュザール様がお気に召されるとは、余程に優秀なんですね」
「まるで、昔の貴方様のようでございますよ。私といたしましては、貴方様を南のじゃじゃ馬と名高い女王に取られるのは面白くないのですが、この国におられるよりは、貴方様は伸び伸びと過ごされるでしょうからな」
 じゃじゃ馬という言葉に苦笑しながら、クルスは尋ねた。
「そんなに私は窮屈そうに見えましたか?」
「見えましたとも。常に周りに気を使われて、思うように意見も述べなさらぬ。王族に生まれるのも大変なことだと思っておりましたよ」
 この神殿長の前で、多少はくつろいでいたものの、地をさらしたことはなかったつもりなのだが、見抜かれていたらしい。もっとも、ぽろぽろと本音を漏らしていたのだから、当然のことかもしれない。
 神殿長はぽってりした手を書棚に伸ばし、二冊の書物をテーブルの上に置いた。一冊は件の写本であり、もう一冊は表の字も掠れた古文書だった。
「これは、なんといいましたかな、書庫番の者が先月、見付け出してくれたものでしてね。この写本と同じ古文字が使われておりましてな。貴方様への宿題にいたしますよ」
「かわいい弟子に渡さずともよろしいのですか?」
「なに、あれが解読に手をつけられるようになるまで、まだ数年は要りますよ。その時が来れば、貴方様のところへやれば良いだけのこと。それまでには写本のひとつくらい、作っておられましょう?」
 それが目的かとクルスは苦笑をこぼした。
「南にも珍しい書物がありましょうなぁ」
 羨ましげに嘆息する。もしも神官にならずに、父親の跡を継いで商人になっていれば、売れもせぬ書物を買いあさって間違いなく身代を潰しただろう人物だ。
「面白いものがあれば、送らせていただきますよ」
「や、本当ですか?」
 それは楽しみ、と相好を崩す。この国の多くの神官と同じく世俗の埃にまみれていながらも、この一点において、どこまでも純粋なのだ。自分もこのように生きれたならばと思っていることを知れば、どんな顔をするだろうとクルスはそっと笑みを堪えた。


 うーむとアシャラーナが唸るのでオルトはおそるおそる目を向けた。しばしの間、アシャラーナと何やらおしゃべりをしていた小さな訪問客は、とんっと椅子から降りると、とことこと青年の前にやって来た。
「貴方も近衛騎士なの?」
 青い目が見上げる。身を屈めて、オルトは視線の高さを合わせた。
「はい、オルト・マフィズと申します、姫君」
 氷晶王国の王女は手を伸ばして、オルトの髪に触れた。
「南の人の髪は皆、黒いの?」
「皆が皆、そうではありませんが、南と西には黒髪が多いですね。姫君のような銀髪というのは、とても珍しいですよ」
 ふうん?と首を傾げる。宮廷での生活がすべての子供にとっては、銀髪の方が珍しいなどと思ってもみなかったのだろう。
「…せっかく、居室が分かったのに留守とは…」
 ぶつぶつと女王がつぶやくのが聞こえる。また良からぬことを考えていたのだろう。年頃の娘ならば、もっと男女間の情趣というものを解してもよさそうなものだが、そうした方面の心の働きが徹底的に欠けている。女主人に女として魅力を感じたことは一瞬足りとないオルトにしてみれば、政略的な意図を抜きにして女王と結婚することを決めたクルス・アディンは、まさに、たで食う虫も好き好きと言わざるを得ない。
 そんなことを考えていただけに、不意に名を呼ばれ、オルトはびくりとした。
「な、なんですか?」
「姫君をお部屋まで送っていって差し上げよ。丁重にな」
 考えていたことが、ばれたわけではなかった。オルトは王女を抱き上げると、そそくさと部屋を出た。
 王女の案内で奥に向かう。中庭を横切ろうとした時、王女がお父様だわと小さく声を上げて、見つからぬように身を屈めさせた。一人で勝手に異国の客人を訪問したとばれたら、叱られるとのことだった。南陽王国とは随分、違うものだ。…いや、違うわけでなく、単に女王の場合、叱られても平気な顔をしていたというだけだ。国王とその側近達が、中庭の反対側を過ぎっていくのを遠目に伺い、オルトは首を傾げた。
「まさか、な」
「どうしたの?」
 オルトの束ねた髪を黒輝貂のしっぽのようだと気に入って握っている王女が小さな声で尋ねた。黒輝貂とは高山に生息する動物で、その毛皮は貴夫人達の間で珍重されているという。
「なんでもありませんよ。さて、姫君、次はどちらに行けばよろしいのですか?」
 幼いころのアシャラーナならば、わざと間違った方向を教えただろうが、素直な王女はそんなことはしなかった。すぐに王女を探している乳母と出会い、庭で出会ったのだと適当にごまかして、王女を渡した。名残惜しそうにオルトの髪を見ている王女と別れ、オルトは今来た道を引き返し始めた。毛皮代わりに髪を切り取られなくて良かったなどとオルトがひそかに安堵していようとは王女も思ってもみなかっただろう。ある意味において、オルトは王族に対し徹底した不信の念を植え付けられているのだ。すなわち、王族というものは普通の人間ならやらぬことをする、と。
「…気のせい、気のせい」
 そんなことをつぶやきつつ、オルトは他に行くところもないので仕方なく女主人のもとへと戻った。


 南陽王国に向かって出立するのを明後日に控えたクルスは兄とともに王妃に招かれ、王宮の一室で静かにお茶を飲んでいた。
「あの女神官殿は、なかなかのやり手だな」
 一見、ただの乱暴者だが、とフェルサーレンが言った。先王が子だくさんであっただけに数多くの縁談をまとめて来た交渉役がかなり苦戦していたという。
「珍しいこと。貴方の口から女性の話題が出て来るなんて」
 王妃のやんわりとしたからかいに、義理の弟は軽く肩を竦めた。
「そういう言い方は止めていただきたい。まるで私が女性に興味がないかのように聞こえるではありませんか」
 ぐっとクルスは危うくむせかけた。
「クルス、何を笑う?」
 じろりと青紫の目が睨んだ。
「いいえ、なんでもありません」
 この兄のどこが女性に興味ないのだかと実情を知るクルスは苦笑を堪えた。敢えて言うならば、貴族の女性に興味がない、というところだろう。羽目を外すことはないが、王都ではそれと知れた遊び上手でもあるのだ。
「こうして貴方達を揃ってお茶に招くこともできなくなりますのね」
「私一人では御不満ですか、義姉上?」
「貴方が、かわいい奥方を連れて来てくれるというのなら、良いのだけど」
 どうやら、もっとも先行きを案じていた末弟が片付いたので、三十になろうというのに未だ身を固めようとしない義弟が次なる心配の種になったらしい。
「貴方達は仲が良いことだし、いっそ、揃って南陽王国の姉妹に貰っていただいたらよろしいのに」
 おっとりとした口調で恐ろしいことを口にする。
「義姉上」
 呆れたようにフェルサーレンが息を吐く。
「犬の子ではないんですよ、我々は」
 さすがに犬の子とは思ってはいないだろうが、幼い頃の彼らをよく覚えている女性にしてみれば、まだまだ子供という意識が残っているのだろう。
「それに、義姉上、内々のことですが、南陽王国の王妹殿下には既に決まった相手がおります」
「まあ、やはり?この前、一緒にお話した時、そうではないかと思いましたのよ。さすがに誰とは伺えませんでしたけれど、想う方がいらっしゃる御様子でしたわ」
 ほう、とばかりにフェルサーレンが意味深な目を向けた。彼はこの国にいる「王妹」の正体を知っているのだ。
「貴方はそのお相手をご存じなの?」
 女性らしい好奇心に満ちた問いにクルスは曖昧に頭を振って見せた。
「他人のことより、御自分のかわいい息子の心配をしてはいかがです?ティルも、十五を過ぎたのですからね」
「いいのよ。だって、私、まだ、おばあ様とは呼ばれたくないのですもの」
 澄まし顔で言う王妃に二人の青年は顔を見合わせ、苦笑をこぼした。このようなことを言っていても、もし孫ができたら、誰よりもかわいがるのは目に見えている。
 それから日が暮れるまで義理の姉弟は和やかに談笑しながら時を過ごした。私的な会話を交わすことは、これが最後だろうとクルスは分かっていたので、この穏やかな一時を十分に楽しんだ。
「クルサーディン」
 別れの挨拶を述べ、立ち上がって扉に向かう義弟を王妃は呼び止めた。
「これだけは覚えていてね。あの方は決して貴方のことを疎んじてなどいないわ」
 彼女があの方と呼ぶのは唯一人。
 クルスはほほ笑みを返した。
「ええ、わかっています」
 憎まれることを承知で、幼い自分が出生に気付き、傷付かぬよう、遠回しに守ってくれた人物だ。本人は王家の面目を保つためだと言ったけれども。何よりも偽りを嫌う人物が、王家の面目のためだけに、偽りを通すとは思わない。
「幸せにね」
 王妃はにこりと笑顔で言った。