女王と騎士

第二部 北風と太陽-虜囚編- (18)

 陽神殿にいることになっている女王に挨拶に行くという名目で、王都入りしたクルス・アディンはまず神殿を訪問していた。女王はと言えば、神殿に到着するなり、待ち構えていた侍女達にいずこかに連れ去られた。侍女達はこんなに髪が荒れてなどと何やら盛んに嘆き、こっそり逃げ出しかけた王妹も目ざとく見付けて一緒に連れて行った。その様子を目にし、クルスは南陽王国には元気な女性が多いという印象を強くした。
「明日は歓迎式を開きますからな、御婦人方の厳しい審査の目にさらされることになります。それゆえ、磨き立てる必要があるのでございますよ」
 女の戦いというものですなと白髪の神官長はおかしそうに言って、クルスにお茶をすすめた。
「さて、陛下をお待ちになる間、最近の情勢について、お話しいたしましょうかの」
 女王に白狸と呼ばれる神官長はまるで世間話をするかのように、ざっくばらんな口調で、国家機密級の情報を披露し始めた。いいのだろうかと、ちらりと近衛騎士隊長に目を向けると、中年の騎士は軽く頷いてみせた。クルスは注意深く聞き、時折、質問を発した。神官長は明瞭に答えを返し、また時には逆に意見を求めた。故国の神官長とは全く種類の異なる人間だが、興味深い人物である。聖職にありながら、世俗に通じているのは氷晶王国の神官には普通のことだったが、それらとも違う。彼は常に一歩離れて世の中を眺めているようだった。
「…これは白狸に気にいられましたな」
 近衛騎士隊長とともに、二人の様子を眺めていた女神官が笑みを浮かべて言う。
「陛下がお妬きにならねばよろしいが」
 真面目な顔でシェイドは応じた。
「貴殿がそこまで心配する必要はないと思うが。…ともあれ、これで、貴殿の肩の荷も降りましょう」
「そうであって欲しいものですな」
 あちこちから肩の荷をいつの間にやら背負わされている青年は、それに気付く事なく、熱心に話し込んでいた。

 南陽王宮の侍女達ははしゃいでいた。すっかり、女王の影響下にある彼女達は見栄えがする花婿に大喜びだったのである。細かな刺繍を施す作業も、この婚礼衣装を身につけた美男美女の姿を夢見る彼女達には苦痛になっていないようだった。
「前より、少し、お痩せになったみたいね」
 冷静に仕事人の目つきで氷晶王国の王弟を観察しながら少女がつぶやく。隣にはこれまた厳しい視線を向ける青年がいた。彼らは女王の衣装係と婚礼用の装身具の依頼を受けた細工師であった。
「ぱっと見より背が高い方だな。細く見えるが、実際に細いわけでもないし。確か、衣装は白が基調だったな?」
「ええ。後は青をアクセントに使うわ。素地がいいから、落ち着いた色合いのものにするつもりよ」
「ふむ。使うのは水晶あたりが妥当か」
「持参金の一部としてトーヴァ様が氷晶石を融通してもらったとおっしゃっていたから、財務長官に掛け合ってみましょうか?」
「それは助かる。この辺では手に入りにくいからな。そう言えば、氷晶石の指輪の大きさを調整して欲しいと陛下から依頼があったが、あれは陛下には合わないと思うのだが」
「いいのよ、あれはクルス・アディン殿の母君の形見だそうだから。求婚時に指輪を贈る慣習が向こうにはあるそうよ。多分、結婚式の前後あたりから指輪の依頼が増えるわよ」
 商人気質を兼ね備えた少女は流行を予測するのが得意なのだ。女王陛下にあやかって、恋人に指輪をねだる女性が増えることだろう。
 ちらりと細工師は彼を王宮に導いた近衛騎士を見やった。
「指輪を注文するなら、受け付けるぞ?」
 からかいにルーダルは軽く眉を上げた。
「指輪よりも指ぬきの方が喜ばれるでしょうから結構です」
 近衛騎士の存在など、すっかり忘れて、仕事の対象に見入っている少女の耳には彼らの会話など全く入ってはいなかった。


 歓迎式に続く宴等を続いてこなし、クルスがようやく一息つく時間を取れたのは王宮入り後、五日目のことだった。その間、近衛騎士達も「狸狩り」の事後処理とかで、忙しく立ち働いていた。重臣の一人が失脚し、さらに芋蔓式で不正が摘発されたのである。未だ客分であるクルスが口を挟むことはなかったが、一連の動きを眺めるだけでも、南陽王国の制度について学ぶところは多かった。
 なるほど、あれはこういうことだったのか。
 与えられた居室で書類に目を通していたクルスは頷いた。書き物机の上には書類が山積みされている。政務を補佐するにあたって必要と思われる資料を求めたところ、当面の世話役に任じられた青年が渡してくれたのだ。実施で目にした事柄と文書を照らし合わせると、より仕組みが分かりやすい。あの世話役の青年は実に的確な資料を用意してくれたというわけだとクルスは感心した。
 年も近いし、狸だし、気も合うだろうと世話役に選ばれた青年はヴェルシュ・リア・ローエルといった。そう紹介した女王に対し、即座に、陛下と意志の疎通をはかるには時折、通訳が必要になりますから、私のような人間が必要になるのですよと、にこやかに言い返した人物である。頭の回転が早いことは確かだろう。女近衛騎士のイェナがこっそりと、陛下の弱みを握るのが得意ですのよと耳打ちしたものだった。地方の小貴族出身の青年は近衛騎士という名の執務補佐官と専らの評判だという。南陽王国の近衛騎士というのは、女王の身辺を護衛するだけでなく、女王が安全に政務を行える環境をつくることが役目で、武官と文官を兼ね備えた性格をも備えているらしい。近衛騎士達に言わせれば、陛下にいいように使われているだけですとの答えが返っただろうが。
 ふっと扉の外を通り抜けた気配に嫌な予感を覚えて、クルスは立ち上がった。そっと扉を開けて廊下をのぞくと、案の定、女王の後ろ姿が目に入った。
「遅くにどちらに行かれるつもりですか?」
「なに、ちょっとリーズのところへ行こうと思ってな」
 女王は足を止めると、いつもの飄々とした態度で応じた。
「このような時間に、ですか?」
「このような時間だからこそであろう。ちゃんと命令通りにいちゃついているか、現場を押さえてみねばわかるまい?」
 クルスは天井を仰いだ。
 なんとなく、この部屋を自分にあてがったヴェルシュの裏の意図がわかるような気がする。クルスの部屋は女王の私室と王妹の私室の間にあるのだ。今日の夜勤はイェナのはずだが、女王の行動を敢えて見逃したのだろう。彼女はいささか人が悪いところがある。
 ではな、と踵を返す女王の肩に手を置く。
「なんだ?」
「失礼いたします、陛下」
 断ってから、さっと女王を肩にかつぎ上げる。
「こらっ!女王の邪魔をするかっ!」
 聞く耳なしに女王の部屋に向かってすたすたとクルスは歩き始めた。
「邪魔をなさろうとしていたのは陛下の方でしょう。陛下が女王らしからぬ振る舞いに及ばぬようにお止めするも臣下の義務です」
「シェイドのようなことを言うなっ」
 ちなみに行動もシェイドが数年前まで取っていたものと同じだったのだが、それはクルスの知るところではない。
「では、私にそのようなことを言わせる行動は慎んでください」
 なにやら女王は早口に文句をまくしたてていたが、そのほどんどはクルスの語彙にない南陽王国語であった。すなわち、俗語の可能性が高いというわけだ。角を曲がると、女王の私室の前に立つ女近衛騎士が面白そうにこちらを見ていた。おそらく全て聞こえていただろう。声を抑えていたわけでもない上に、騎士の聴覚は優れているのだから。
「やっぱり失敗なさいましたのね」
 黒い目を細めて扉を開けながら言う。
「むっ!こうなると分かっていたのなら先に言わぬか!」
「やってみなければ、わからないこともありますでしょう?」
 女近衛騎士は笑いながら肩をすくめて見せる。
「何故、お止めしないんです?」
 恨みがましい目をクルスも向けたが、やはりイェナは気にしなかった。
「クルス・アディン様を襲いに行くのであれば、お止めしましたわ」
 隊長から厳命を受けてますのと笑う。
 危うくクルスはつまづきかけたが、どうにか堪えて部屋に入った。ここで転んだら、どれほどの文句を女王から浴びせられることか、考えるだに恐ろしい。そのまま奥の寝室に向かう。
「いい度胸だな、クルス・アディン。こんな時間帯に女の寝室に足を踏み入れるとは」
 脅迫めいた言葉を女王がつぶやく。取り合わずに、無造作に寝台の上に降ろしたが、素早く女王は腕を首に回した。
「当然、覚悟はあろうな」
 琥珀色の目がじっと見据える。
 まったく、この人は。

だから何だというのだ?
「これもお勤めのうち?」 by NARUMI&れいり様

 一呼吸おいて、クルスは、女王いわく「女たらしの笑み」を浮かべた。女王の気をそらせる一番の方法だと真面目な顔でシェイドに言われた時は脱力したが、こんなところで役に立つとは思わなかった。
「陛下」
 クルスはすっと手を女王の脇に添えた。
「子供は寝る時間です」
 わっと声を上げて女王は手を放した。
「くすぐるとは卑怯だぞっ」
 女王は跳ね起きて文句をつけたが、その時にはすでにクルスは戸口に到達していた。
「おやすみなさいませ。よい夢を」
 笑顔を向けて、ぱたんと扉を閉める。ふうと小さく溜め息をつくと、くすくすとイェナが笑うのが聞こえた。
「見事なお手並みですわ。予想以上に『切り札』の効果はおありのようで」
「…ありがとう」
 苦笑をちらと浮かべ、クルスは自室へ向かった。
 もう、寝よう。
 書類に目を通す気力はもはや残っていなかった。

 その頃、王妹は首を傾げていた。
 なにやら姉のわめき声が聞こえたのだが、一体、何であったのだろう。
 女王の命令に従ったわけでもないが、彼女の部屋には女王の希望通り、近衛騎士の青年がいた。ぽつぽつと離れていた間の出来事を尋ね合っているのだが、一緒にいるという現在の状況に満足しているらしい二人はどちらも積極的に喋ろうとはしない。今の様子を女王が目にしたら少々機嫌を損ねただろう。手を握るでもなく、寄り添い合うわけでもなく、並んで座っているだけなのだから、出歯亀連中にしてみれば、覗きがいがないということになる。
「氷晶王国でのことを思い出した。リュイが魔法を使った時のことだ」
 そう告げてもウェイの表情は変わらなかった。そうかと軽く頷いただけであった。その横顔をじっと見据えながら、ずっと考えていたことをアシュリーズは口にした。
「絶対に私の記憶を封じたりしないでくれ」
 訝しげに微かに眉を寄せて、こちらに目を向けた。
「ウェイが隠しておきたいことは、隠していてもいい。でも、私が知ったことは、私のものだ。例え、それが私に不利益をもたらすことでも、勝手に奪わないで欲しい。私はウェイに一方的に庇護される立場にはない。私にとって何が必要で何が不要か決めるのは私だ」
 まっすぐに灰銀色の目の奥をのぞきこみながらアシュリーズは言った。やろうと思えば、自分の意志に関係なく行動できる男だということはよく分かっていた。だからこそ、自分が本気で何を願っているか伝えておきたかった。
「そんなことはしない」
 安心しろとばかりに、ウェイは手を伸ばして、くしゃりと髪をかきまわした。
「リュイはお前の記憶を封じるだけでなく、消すこともできた。だが、そうしなかったのは、お前に自分のことを覚えていて欲しかったからだ」
「ウェイもそうなのか?」
 身を乗り出したアシュリーズをウェイはごく自然な動作で胸に抱き寄せた。
「例え、重荷になるとわかっていても、忘れて欲しくない」
「…それを聞いて安心した」
 ことんと胸に頭を預けてつぶやく。
 ウェイが望めば、この手を放さなければならないけれど、記憶だけは残る。どんなにつらくとも、この思いだけは失いたくない。
 幼い頃、大切だったのは養母とウェイの二人だけだった。今では、その頃よりも、大切なものは増えたけれども、失いたくないという気持ちは減るどころか、増える一方だ。自分はひどく欲張りな人間なのかもしれないなと思いながら、アシュリーズは目を閉じた。この腕も声も何ひとつ他の人間に渡したくないのだから。この場所は幼い頃からずっと自分のものだった。安堵とともに眠気が訪れ、アシュリーズはすぐに寝息を立て始めた。
 …あの時の仕返しか。
 自分の腕の中で、眠り込んでしまった少女の顔を見ながら、灰銀色の目の青年はそんなことを考えていた。

 その日、女王は朝から昨夜の一件について近衛騎士隊長から小言をくらっていた。
「圧倒的に戦力が不足していると申し上げたはずです」
 厳しい顔で言う元守り役に、女王は負けじとばかりに言い返した。
「好機は逃すなと言うであろうが」
「戦況を読み違える指揮官こそ最悪だとお教えしましたが。いずれは無血開城すると分かっている城に攻め込むような愚行はおやめなさいませ」
 何か微妙に問題がずれているような気がするのだがと思いながら、クルスは素知らぬ顔で書類をめくった。もはや、このようなことには慣れているのだろう、ヴェルシュは淡々と説明を続ける。自分もいずれはこうなるのだろうか。
「以上が式までの今後の御予定です。では、早速、参りましょう」
 青年に促され、クルスは立ち上がった。
「こら、ヴェルシュ、どこに連れて行く!」
「たくさんの若い女性が待っている場所ですよ」
 いかにも人の良さそうな笑顔を浮かべて近衛騎士の青年が応える。
「なんだそれはっ!?」
 女王が勢いよく腰を浮かす。
 クルスはそっと溜息をついた。
 …どうして、素直に婚礼衣装のための採寸をするのだと言わないのだろうか。
「陛下、また、日程をご覧になっていらっしゃいませんね。昨日のうちに、お渡ししたはずですが?」
 うっ、と言葉に詰まった女王を残してさっさと部屋を出る。
「…陛下を扱うこつを是非、教えていただきたいものだな」
「そのうち厭でも覚えます。覚えたら覚えたで、何故、こんなことが身に付かなくてはならないのだろうと、少々、空しくもなりますが」
 昨夜のことを思い出し、クルスは苦笑を漏らした。だが、それこそが、自分に要求されていることなのだ。
「ともかく、努力しよう」
 近衛騎士の青年は軽く笑い、歩きながら再び今後の予定について補足説明を始めた。


 季節はゆっくりと春から夏に向かっていた。政治的な問題は片づいたものの、女王の結婚式という大がかりな行事を二十日後に迎え、王宮はどことなく落ち着きが失われていた。
 交代の時間になってアシュリーズが女王の執務室に行くと、そこはもぬけの殻だった。どこへ行ったのだろうと、廊下に出るとなにやら奥の方から声が聞こえてきた。紛れもない姉の声である。
「少しくらい、いいじゃないか、ミューカのけち!」
「陛下も女性ならば、男性の着替えを覗くような行為は慎んで下さい」
 どうやら騒ぎは王族の私室のある付近で起きているようだ。また何か女王がしでかしたのだろう。嫌々ながらもアシュリーズは現場に向かった。
「着替えさせているのはそなたらだろうが」
「私どもは仕事、陛下はただの覗きです」
 ぴしゃりと衣装係の少女が言う声が聞こえる。
「着替えを覗きたいんじゃなくて、試着したのを見てみたいだけだ」
「同じ事です。さあ、陛下、仕事の邪魔になりますから、執務室にお帰り下さい」
 廊下の角を曲がると、ようやく女王の姿が見えた。やや離れたところで様子を眺めていたルーダルはこちらに気づくと黙礼して立ち去った。巻き込まれるのは御免だという態度だが、それならば、事前に女王を止めてくれればよいものをとアシュリーズは思ったが、姉のことだから目的を言わぬまま行動に移したのだろう。
「ラーナ、何してるんだ?」
「ミューカがけちなんだ!」
 まるで子供の言いそうなことを口にする。そんな女王を無視して衣装係の少女は説明した。クルス・アディンの婚礼衣装の試着をしているのだが、そこに女王が覗きに来たのだという。そのくらい、見せてやればいいじゃないかとアシュリーズは思うのだが、衣装係の少女を説得するのはまず不可能とみた。作品は完成するまで人目に触れさせないという職人の意気込みを感じたからだ。
「そうか。ラーナ、一月もしないうちに完成品を見ることができるのだから、何も今、見る必要はないだろう」
「シェイドのようなことを申すな!」
 どの当たりが隊長殿のようなのだろうかとアシュリーズは首を傾げた。しかし、姉の言うことをいちいち気にもしていられない。
「いつまでも、ここで騒いでいると、そのシェイド殿がお出ましになると思うが。彼女達の仕事の邪魔をしていることは確かだし、ラーナに勝ち目はないぞ。それに、もう午後の謁見が始まる時間だ」
「…わかった」
 不承不承という顔ではあったが、女王はあっさり引き下がった。そのまま、謁見の間に向かう。大使相手でなく、商業許可を求める異国の交易商人や小貴族相手の謁見なので気が楽なのだろう。大使相手の謁見だったら、まだごねたはずだった。だが、それにしても、あっさりし過ぎている。
「ラーナ、何を考えている?」
「別に。中身はなくとも衣装を見ることはできるということに気づいただけだ」
「…彼女達の守りは王宮の守りよりも堅いと思うぞ」
 アシュリーズの読みはあたり、それから結婚式までの間、女王と衣装係の間では熾烈な攻防戦が繰り広げられたのだった。

 夏の訪れとともに南陽王国の女王の結婚式は華やかに開かれた。各地で記念祭が開かれ、お祭り好きな南陽王国民は熱狂的に祝ったが、なかでも重臣達は女王に対する「切り札」を確保したと大喜びしていたという。だが、その「切り札」の内容がいかなるものであったか、公文書に残されることは決してなかった。

第二部終了

  

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