女王と騎士

第二部 北風と太陽-虜囚編- (2)

 その日も氷晶王国の都の上空は灰色の雲に覆われていた。時折、晴間がのぞくことがあっても長続きはしない。思い出したように雪が降り出すこともある。本格的な春を迎えるのはまだ先のことだった。
 王都の門を預かる警備兵はうさん臭そうに季節外れの旅人達を見遣った。
「何用だ?」
「仕事探してんのに決まってるだろ。俺達が物見遊山に来たようにでも見えるわけ?」
 小生意気そうな顔をした少年が外見を裏切らずに生意気な発言をした。
「エセル、お前は、黙ってろ」
 ごつんと黒髪の青年が少年の頭を小突いた。
 何しやがんだ、クソ兄貴と毒づく少年の頭を押えこむ。
「まあ、こんな時期だから、ぴりぴりしてんのもわかりますがね。だからこそ、俺達みたいな傭兵が入り用なんじゃないかと思いましてね」
 抜目なさそうな顔で痩せ気味の男が言う。
 傭兵ならば、出身がばらばらでもおかしくはない。
 ここしばらく上層部において緊張関係が高まっていることは兵士達も気付いていた。
 まったく傭兵というのは金の匂いには敏感だと兵士は顔をしかめた。
「そっちの男は傭兵らしくないな?」
 あごをしゃくって、明るい赤毛の若い男を示す。
 服装もきちんとしていて、良家の若君と言ってもおかしくない。
 やたら体格のいい朱金の男がにんまりと笑った。こちらは対照的に年期の入った傭兵に見える。
「こいつは、まだこの道に入って日が浅いんだ。主の情婦とできちまったんだが、その情婦ってのがとんでもない毒婦で、こいつは命からがらで逃げ出すはめになったわけさ。色男はつらいもんだな」
 赤毛の青年が黙ったまま睨んだが、効果はない。べらべらと面白おかしく男は事の経緯をしゃべりまくり、その場にいた警備兵達は知らぬまにその話に耳を傾けていた。
「俺、腹へったんだけど」
 やや軽蔑したような顔で少年がぼそっと言った。
 警備兵は我に返ると、咳ばらいをした。
「わかった。いってよろしい」
「ありがとよ」
 にやにやしている大男は軽く手を上げて門をくぐった。苦虫をかみつぶしたような渋面の色男がそのすぐ後に続き、さらに何やら言い合いながら兄弟らしい青年と少年が続いて王都に足を踏みいれた。
「おっさん、あんたって、詐欺師でも十分食っていけるな」
 門から十分離れたところで、エセルがそう感想を口にした。
「誉め言葉と受け取っておこう」
 暁王国の将軍は余裕の態度で応じた。
「な、さっきの話、根拠があるのか?」
 興味津々の顔でオルトが早速に赤毛の青年に尋ねる。先刻から聞きたくてうずうずしていたらしい。
「まさか」
 青年はすまし顔で応じた。
「俺はばれるようなヘマはしない」
 暁王国の騎士ラジィールに対する、「戦神」の従者にしちゃあ、まともだよな、というエセルとオルトの評価が覆った瞬間だった。


 書簡を前に近衛騎士隊長は長い間、沈黙を保っていた。それは近日中に氷晶王国の王都に入るという、近衛騎士オルトからの報告書だった。
 シェイドは騎士見習い指南役に青い目を向けた。
「騎士見習いに対する指導の中には読み書きも含まれていたはずだな?」
「はい」
 一体、何事だろうとヴェルシュは眉を寄せた。
「オルトが帰国したならば、再教育の必要がある」
「読み書きは十分できたはずですが?」
 放浪騎士の息子であったオルトは大陸共通語はもちろん、いくつかの主要言語を話すことができるし、読み書きもこなしている。
「それ以前の問題だ。文字とは他者に読めて初めて意味をなす」
 隊長がテーブルの上に差し出した書簡を見て、近衛騎士達は深々と頷いた。
 書面を埋めているのは暗号寸前の悪筆である。
 ちなみに、先に書簡に目を通した女王の感想はミミズが寝言をほざいている、というものだった。
「…エセルに清書してもらうよう言っておくべきでしたね」
 神殿育ちの騎士見習いは、読み書きに関してきちんと教育を施されている。
 それはヴェルシュに提出された「作法書」の写しによって証明されていた。指南役として彼は、事あるごとに、作法書の書写を罰としてエセルに課してきたのだが、一年余りで、すでに二冊分の写本が作成されていた。
「…誰が見ても、近衛騎士が書いたものとは思われないという利点はありますが」
 庇っているのか、更に追い打ちをかけているのか、女顔の近衛騎士が呆れ顔でつぶやいた。途端に耐え切れないとばかりにイェナが笑い始め、ヴェルシュもアシュリーズも苦笑をもらした。表情を変えていないのは、例によってウェイと隊長くらいのものである。
「アルク・デュリル殿に出会ってしまったものは仕方あるまい。それらしからぬ、という点においては先方も御同様だ。早々、身元が知れる恐れはないと思うが…」
 一度、シェイドは口を閉ざした。イェナも笑いをおさめ、近衛騎士達は隊長に視線を集めた。
「何か起こることだけは確かだ。各自、心得ておくように」
 何か起こらぬはずがないと近衛騎士達の顔には書いてあった。
 シェイドは何が起きるか既に見当をつけていたが、それを近衛騎士達に告げるような真似はしなかった。その時がくれば、厭でもわかる。
 近衛騎士隊長は一同に解散を告げた。

 春風のそよぐ奥庭に面した一室で南陽王国の女王は一人の女神官と向かい合っていた。まだ若い女神官は高位の聖職者である印をほおに帯びている。それはまたすべての聖典を習得したという証でもあり、人目に触れる場所に刺青をほどこすということは生涯聖職にあることを誓った証でもあった。
 女神官は月に一度、女王の告解を聞くために王宮を訪問するのであるが、今現在、彼女は告解という名の女王の愚痴を聞いていた。
 どちらかと言えば、中性的な面差しに面白がっている表情を浮かべ、女神官は女王の言葉を遮った。
「要するに陛下はクルス・アディン殿本人に戻って来る意志がないのかどうかお知りになりたいのでしょう?」
 アシャラーナは琥珀色の目をちらりと向け、口を開きかけた。
「『相手の意志なぞ、どうでもよい』等と、この私に向かっておっしゃらぬことだ、陛下」
 切れ長の目を細めて言う。
 すっかり見抜かれているとわかっていて、今更、ごまかす気にはなれない。渋々ながらも頷いて見せると、女神官は口の端を小さくつりあげた。
「手っ取り早い解決方法があるにはあります。おそらく、堅物の直臣達にはまた余計な入れ知恵をしたと文句を言われましょうが。お知りになりたいですか?」
「今まで私が知りたくないと言ったことがあったか?」
 もったいぶらずにさっさと教えろとアシャラーナは軽く睨んだ。睨んだ所で、この女神官に効果はない。しばし、そうした女王の反応を楽しむと、おもむろに女神官は口を開いた。
「では、お教えしましょう。陛下御自身が氷晶王国に赴かれるのが一番。陛下のお姿を目にしても、自ら姿を現さぬのであれば、脈なしと諦めて、別の婿候補を探すことです」
 アシャラーナは女神官をまじまじと見詰めた。
「…だが、クルス・アディン殿が自ら動けない状況にあったならば、どうするのだ?」
 連絡を取りたくとも取れない状況、幽閉下にあるのではないかとアシャラーナは推測していた。
 女神官の笑みが深まった。
「そんな情けない男に執着するなぞ、愚の骨頂。御自分の見る目のなさをお嘆きになるがいい」
 すっぱりと言い切ると女神官は冷めかけた茶を口に運んだ。

 王宮の西側にある訓練場では白い花びらがひらひらと舞っていた。咲き始めたばかりの花が散るのは先ほどから間断なく加えられる衝撃ゆえだ。
 女王と双子の姉妹であることが信じられぬ程まともな性格をしている王妹は剣を手にすると人が変わる。
 それが騎士見習い達の共通認識だった。
 王妹は訓練場の中央で騎士見習いと立ち会っていた。
「あまいっ」
 木刀で脇腹を突かれた少年がたたらを踏む。
「もう終わりか?」
 すいっと眉間の前に木刀をあてアシュリーズは言った。
 少年は、ぐっと歯を食いしばって再び打ちかかった。
「…負けず嫌いだよな、エルードも」
 フィルの言葉にユリクが小さく噴き出した。
「君がそれを言うかい?」
 フィルは肩を竦めた。
 つい先刻迄、稽古をつけてもらっており、今は疲れて果てて動けなくなっているのだ。何度となく打ち込んだところで、王妹の体をかすりもしなかった。
「これでアシュリーズ様が僕らと二才しか違わないなんて信じられないな」
「年季が違うからな」
 頭上から降って来た声にフィルは顔を上げた。
「ヴェルシュ殿」
「剣の稽古を始めたのは、いつだったか記憶にないくらい幼い頃だったという話だ。加えて、練習相手がウェイだったなら、ああなって当然だ」
 勢い良く跳ね飛ばされた少年が地面に転がるのが見えた。しかし、さすがそこは騎士見習いで即座に受け身をとって跳び起きた。体勢を整える前に次の一撃が襲いかかり、辛うじて避けたところに横から薙ぎ払われ、再び地面に倒れ込んだ。
 容赦ないと騎士見習い達は息を飲む。
「実戦において体勢が整うまで待ってくれる敵はいないぞ」
 淡々とヴェルシュが言った。
 フィルは思わず友人と顔を見合わせた。
 その実戦を経て、彼らの友人は生き延びている。
 野盗団相手に派手にやり合ったそうだぞと楽しげに女王が教えてくれたのだ。
 彼女が騎士見習いでありながら、今回の任務に選ばれた理由はそこに―実戦においても足手まといにならないと判断されたことにあるのだろう。
 友人の身を案じるとともに、ほんの少しだけ悔しい気持ちがある。
「…今頃、何してるんだろうな」
「騒ぎを起こしてなければいいけどね」
 ここしばらく、騎士見習い達の生活空間はひどく静かであった。


 未だ冬の冷たさの残る夜の中、その宿屋は異様なまでの熱気に溢れていた。
 大柄な北方の男達があちこちで、殴り合い、罵りあっているのである。
 乱闘の中心で喜々として喧嘩に興じる黒髪と朱金の髪の男達を眺めながらエセルは悠々とスープを飲んでいた。時折、ひょいと身を屈めては、飛んで来た皿や椅子を避ける。普段なら喜んで乱闘に加わるところだが、今は食欲の方が優先された。なにせまだ成長期の真っ只中にある。いい加減に縦に伸びるのは止めて、横の成長に気合を入れちゃどうだとオルトにからかわれるほど、他の成長期の少年並に身長が伸び続けているのだ。
 オルト殿が微妙な力の調整がうまいのは喧嘩慣れしてるからだな。見習おう。
 指南役のヴェルシュが聞いたら、課題を増やすだろうことを考えていると、
「…君には止めようという気はないのか?」
 騒ぎを鎮めようとして力尽きた青年が非難がましい目を向けた。
「楽しんでるのを邪魔しちゃ悪いだろ?」
 真面目に答えたのだが、からかっていると思ったのか青年は不機嫌な顔になった。
「どういう指導をされているんだ、南陽王国の騎士は」
 エセルはさっと周囲に視線を巡らした。
「あのさ」
 スプーンを鼻先につきつけてエセルは低い声で言った。
「私やオルト殿が南陽王国の騎士の典型だって言われたくない騎士は山のようにいるんだ。あんただって、あのおっさんが暁王国の騎士の模範だなんて言われたくないだろ?」
 それから、とスプーンを振って追加する。
「一応、身分隠してるんだからさ、不用意な発言はやめてくれよな。この乱闘騒ぎじゃ誰も聞いちゃいないけど」
 あのおっさんの従者にしては、抜けている。
 青年は頭をかいた。
「…悪かった」
 素直な所はよし。
 年上の騎士に向かってそれはないだろうという感想を抱いていると、どたどたと重い靴音がした。
 ようやく警備隊の到着らしい。
 扉を乱暴に開けて、一団の男達がなだれこむ。
「え−、俺は騒ぎを収めようとしてただけだぜ?」
 そんな青年の訴えは無視して、警備隊は乱闘参加者達を容赦なく引っ立てて行った。
「一緒に行かなくていいのか?」
 警備隊が踏み込む前に、ちゃっかり、身を引いて被害者面したデュリルが尋ねる。
「いーの、いーの、オルト殿、投獄されるのは趣味みたいなもんだから。それに別行動は予定通りだよ」
 ひらひらと手をふってエセルは応じた。
「予定より、ちょい早かったけど。おっさん達はこれからどうするわけ?」
「しばらくは様子見だな」
「それじゃ、ちょっと付き合わない?」
「どこに?」
「神殿」
 利用できるものは遠慮なく使えという指南役の教えどおり、他国の騎士を自分に都合の良いように使おうとする南陽王国の騎士見習いだった。


 星月夜。
 南陽王国の王宮の上には、まさにその言葉にふさわしい夜空が広がっていた。
 春とはいえ夜はまだ冷えるが窓を閉める気にはなれない。
 窓際に腰掛けて夜空を見上げていると、扉がたたかれた。音だけで、誰なのかわかる。返事をすると、双子の姉がすべりこんできた。
 目だけで用件を問う。
「…ウェイを遠くに連れ出してもいいか?」
 なんとなく後ろめたい様子で女王が言った。
 アシュリーズはゆっくり瞬きした。
「なんでそんなことを私に聞くんだ?」
「いや、日頃、さんざん、けしかけているだけに、そなたから勝手に引き離すのはどうかと思ってな」
 妙なことを気にするんだなと思いながら、苦笑をこぼす。
「ラーナは女王だろう?近衛騎士に任務を与えるのに、誰かの許可を取る必要はない」
「…『女王』の立場を利用して、『私』のために、やらせようとしている事なんだ」
「ウェイが納得するのなら、私は構わない」
 それで何をさせるつもりだと先を促す。
「氷晶王国に同行させる」
 アシュリーズはそのことかと頷いた。
「まあ、当然の人選だな。他に誰を連れて行くんだ?」
「シェイドと、それから、トーヴァが協力を申し出てくれた」
「それは心強い」
 陽神殿の女神官は近衛騎士隊長も一目置く使い手だ。また神官という身分は神殿勢力の強い北方において、何かと役に立つだろう。
「…止めないのか?」
 意外だという表情でアシャラーナが問う。
「女王が国を離れるなんて、とんでもない、とでも?」
 頷く姉に小さく笑う。
「そういう臣下の義務は他の連中に任せる。私は妹として、ラーナを応援させてもらう」
「持つべきものは心優しい妹だな」
 笑って女王は妹の隣に腰をおろし、姉妹は揃って星空を見上げた。

 翌日、南陽王国の王宮では関係者以外立ち入り禁止の緊急重臣会議が開かれ、頭痛と胃痛を涸れた声で訴える重臣達が入れ代わり立ち代わり御殿医のもとを訪れたという。