女王と騎士

第二部 北風と太陽-虜囚編- (3)

 しんとした聖堂の冷たい空気の中に少女の声が響いていた。
 頬にかかる金茶の髪を払おうともせずに少女は神妙な顔で祭壇の前で澱みなく祈りの文句を捧げている。
 面白い特技を持つものだ。
 口元が緩みそうになるのを抑えながらデュリルはその様を眺めていた。
 祈祷の言葉は古語であり、正式に神殿で教えを受けた者しか知らぬ言葉であった。それゆえ、祈祷書を読めるということは身分の証にもなる。少女は神官見習いだと名乗り、氷晶王国で最も信仰されている月神殿を訪れ、今はその「審査」を受けている最中だった。ちなみにデュリルらは諸国の神殿を巡って修行している彼女の護衛を引き受けた傭兵となっている。
 神官達が頷きあっているところを見ると、どうやら試験は「合格」だったらしい。
「そなたに神々の祝福を」
 高位にあるらしい神官が聖水に浸した聖木の枝を少女の頭上で振った。少女は深く頭を垂れた。常日頃とは打って変わった柔順な態度である。
 神殿に入る前に「絶対笑うなよ、おっさん」と釘を刺した理由がわかるというものだ。隣に立つ青年が低い声でささやいた。
「まるで別人ですね」
「何より、女に見えるからな」
 服装でこれほどまでに異なる印象を与えるものかと感心したほどだ。演技の才能に加え、この少女、見た目より遥かに視野が広いし、頭の回転も速い。なかなかの逸材だ。
「…うちに来ないかと誘えば、またあの女王にかみ付かれるだろうな」
 ぎょっとしたようにラジィールが主君を見る。
「本気ですか?」
 これ以上、騒動の種を増やされては困ると顔に書いてある。しかし、自分自身も騒動の種のひとつだという自覚はないらしい。彼の周囲には艶聞が常に絶えない。
「俺はいつでも本気だぞ?」
 のんびりした口調で応えると、だから手に負えないんですよねと若き騎士は深々と溜息をついた。


 春の日差しにまどろむがごとく南陽王国の王宮は静穏だった。
 その理由は大きく二つある。頻繁に騒動を引き起こす騎士と騎士見習いが不在であること、女王がここしばらく妙におとなしいことである。それが嵐の前の静けさであることを一部の人々だけは知っていた。女王がおとなしいことを最も喜ぶはずの重臣達はここ数日、胃薬を服用し、陰鬱な表情を湛えていた。
 嵐の到来をとおに予測していた中年の近衛騎士は湖面のごとく静かだった。
 彼は先程、女王から正式に勅命を受けたところである。女王に同行して氷晶王国に赴くという常識外れの内容だが、沈黙の理由はそれとはやや離れたところにあった。
 沈黙が長い。
 そろそろと上目使いに女王はかつての守役を見遣った。
「…何が言いたい?」
 近衛騎士隊長はゆっくりした口調で言った。
「この件につきましては私よりもヴェルシュが適任かと。ウェイの扱いに関しては誰よりも心得ておりますれば」
 いかにして、無口で愛想のかけらもない近衛騎士を王妹から引き離して自分に同行させるかが女王の抱えている最大の問題である。その問題解決をシェイドに押し付けようと女王は試みたのだ。
「シェイドでも、あやつのことはわからぬのか」
「人間は自分自身のことすら完全には理解できぬものです」
 さらりとシェイドは応えた。
「まず何より私における優先順位はアシュリーズ様よりも陛下が上。それはウェイも承知しておりますれば、私の言葉に耳を傾けるかどうか」
 上司だろうが主君だろうがウェイという人物には関係ないのだ。ある意味、極めて公平である。
「あの男は苦手だ」
 女王の正直な感想にシェイドが小さく苦笑をこぼす。
「陛下の勢いに呑まれてはくれませぬからな」
「その点はおぬしも同じだろうが」
 子供の頃から自分を知る騎士は決して騙されてはくれない。
「陛下は御自身の本当のお気持ちを人に話すのが苦手であらせられるゆえ、私は陛下の真意をくみ取らねばならぬと常に心がけております」
 平坦な口調だが、目が微かに笑っている。
「…へそ曲がりと言いたいのか?」
「よくおわかりになられましたな」
 ふんっと女王は鼻を鳴らして、そっぽを向いた。

 女王の抱えた問題はその日のうちに解決した。
「承知しましたよ」
 あっさりと近衛騎士の青年が主君に告げる。
「どうやって説得したのだ?」
 女王の問いにヴェルシュは軽く肩を竦めた。
「説得などしなくても説明すれば十分です。ウェイも馬鹿ではないのですから」
「なんと説明したのだ?」
「陛下の身に何か起こらぬようにするためにはお前が行くのが一番だろうと言ってやっただけです」
 普通の近衛騎士ならば当然とも言えることだが、それであの男が納得するだろうか。
「…いまひとつ、わからぬのだが?」
 ヴェルシュは苦笑をこぼした。
「簡潔に言えば、あの男の思考は『リーズ』中心に回ってるんですよ。…アシュリーズ様の幸福を守るには陛下をお守りせねばならない。陛下がお亡くなりになっては姉思いのアシュリーズ様が不幸になりますから。そして何よりも王という地位にアシュリーズ様は向いていない。…ウェイも陛下の命を確実にお守りするためには自分が陛下に同行するのが一番だということは分かってますよ」
 女王は感心して頷いた。実に徹底した信念の持主だ。
「なるほど。リーズは幸せ者だな」
 その言葉に近衛騎士の青年はどうでしょうねと軽く笑った。


 二人の近衛騎士は並んで黙々と刃の手入れをしていた。一般的見地からすると二人は若い恋人同士のはずなのだが、まとう空気には甘さのかけらもない。得物の手入れの間は終始無言であるものの、一緒にいるところを見ると心地よいと感じているのだろう。
 刃を光に照らし、最終点検を済ませてアシュリーズは鞘に収めた。同じように青年が刃を収めるのを見届けてから口を開く。
「ウェイは氷晶王国に行った時のことを覚えているか?」
「ああ。…それが?」
「私はうろ覚えなんだが…誰かに会わなかったか?」
 ウェイは眉を微かに寄せた。
「勿論、大勢の人間に会ってはいるんだ。だけど…覚えていて当然の人間のことを忘れている、そんな気がする」
「…必要がないから、覚えていないのだろう」
 気にすることではないとばかりに言う。
「何か隠しているんじゃないだろうな?」
 嘘はつかないが、言いたくないことは決して言おうとしない人間だ。
「では自分で思い出せ」
 すっと立ち上がり、剣帯をつける。突き放すような物言いは怒っているわけでなく、いつものことだ。
「ウェイ。…ラーナのこと、頼む」
「…言われるまでもない。お前こそ気を付けろ」
 女王不在の間、女王の影武者を務めるのだ。ちなみに女王本人は王妹のアシュリーズとして、女王の名代で「弔問」に氷晶王国を訪れるという立場を取る。
「ヴェルシュ達がいるんだぞ?」
 そして自身も騎士であるからには、余程のことがない限り、危害を加えられるとは思えない。
「…人前で裾を踏んで転ぶのだけはやめろ」
 ぐっとアシュリーズは言葉に詰まった。余計なお世話だと言い返せないのが悔しい。何より、本気でこの男はそういう事態が起こることを危惧しているのだ。
「あれがどんなに動きにくいものか、一度、ウェイも着てみろっ!」
 女王を始め世の中の女性達が何故、裾の長い窮屈な衣服を着て歩き回れるのかがアシュリーズには心底不思議だった。女騎士のイェナなどは長衣でも十分闘えるというのだから、尊敬に値する。
 そんな八つ当りにも近い言葉をウェイが取り合うはずもない。
「時間だ、行くぞ」
 促され、アシュリーズは刀をつかんで立ち上がった。
 侵入者にとっては最も不幸な組み合わせといわれる二人の近衛騎士は夜間警備につくべく女王の寝室の前へと向かった。


 どうして牢獄というのは陰気臭くて湿気が多いのだろう。明るく乾燥した牢獄というものがたまにはあってもいいんじゃなかろうか。
 北国の地下牢に入れられた南陽王国の近衛騎士はそんなことを考えながら、わずかな月明かりの下で鍵開け作業に取り掛かっていた。階段を降りる足音が反響するのを耳にとらえ、動きを止める。
 見回りの時間はまだ先のはずなんだがと思っていると、ぼんやりした明かりが近付いて来るのが見えた。余計な疑いを招かぬよう藁の上に腰をおろして背を丸める。複数の足音は彼を収容した牢の前で止まった。
「…この男が?」
「はい、間違いありません」
 その声に内心ぎくりとする。
 まさか身元がばれたんじゃないだろうな。
 顔を上げるとこの牢獄の看守長と身分ありげな男が並んでこちらを見ていた。
「使いをやって確認を取りました。紹介状も本物です」
「…ふむ。そのほう、流れの騎士だそうだな?」
 ちらりと視線を投げ、頷いてみせる。
「野盗団を始末したほどの騎士が警備兵に捕えられるとは信じられぬが」
「下手に警備隊に逆らって、お尋ね者になるほど酔狂じゃないだけだ」
 憮然として応じる。ただの喧嘩なら三日もたてば釈放されるが、警備兵を傷つけたとなればそうはいかない。余程、頭に血がのぼっていない限り、警備兵には逆らわぬのが主を持たぬ流れの騎士の常識だ。
「見た目程、軽薄ではないということか」
「余計なお世話だってーの」
 同様の台詞を過去に何度も聞かされた。その見た目を利用することもあるが、基本的に見た目通りの人間であるとオルト自身は思っている。自分はヴェルシュ程、裏表はないと言うのであるが比較の相手が問題外だろうとの声もあったりする。
「…口は堅いか?」
「自分の命に関わることはしゃべらねぇよ」
 命に関わらぬ範囲では「口は災いのもと」を体現しているのではあるが。
 男が頷くと看守長が牢の鍵を開けた。
「お前に仕事を与えよう」
 どうやら、かなりな権力を持つらしい。
 面白くなってきた、と内心ほくそ笑みながらオルトは牢を出た。


 南陽王国の王都はずれにある小さな家屋の周辺は花に埋め尽くされていた。花弁の小さな野の花ばかりだが、よくよく見ればひどく珍しいものが中には含まれている。その中の一つを認識した近衛騎士の青年は動きを止めた。
 いっそ治安妨害の科で投獄できたら、どれほど気が楽になるだろう。
 家の主は本来ならば治安妨害とは無縁のはずの若い女薬師であった。
 諦めたように溜息をつくとヴェルシュは戸口に近付いた。
 開け放たれたままの扉をたたき、広いテーブルの上に乾燥した薬草を並べている人物の気を引く。薄茶の髪の女はゆっくりと頭をめぐらした。
「おや、ヴェルシュ殿。この間のお茶はお気に召しませんでしたか?」
 混ぜものはしませんでしたのにと小さく首を傾げる。なよやかという表現にふさわしいほっそりした佳人であるが、見た目どおりの人間ではないことをヴェルシュはよく知っている。
「別件だ。…だが、その前に一言、意見させてもらう。薬師を名乗るなら、庭に堂々と毒草を植えるのはやめたらどうだ」
「毒草のなかにも薬になるものがあるんですよ」
 困ったような顔でしおらしく言うが、そんなことで騙されてやるヴェルシュではない。
「『死神招き』に薬効があるというのは初耳だ」
 根から即効性の猛毒が抽出される毒草である。
 薬師は小さく笑った。
「あれがそうだとわかる人間はめったにいませんよ」
 近衛騎士のくせに知ってるほうが変だと言わんばかりだ。
「わかる者にはわかる。管理はしっかりしてくれ」
「ええ、もちろんです。貴重なものですからね。それで、御用件は?」
「陛下が御注文なさった品を受け取りに来た」
「ああ、あれですか」
 男達の称賛にも笑顔を見せぬ佳人が嬉しそうにほほ笑んだ。
「お使いになられた際は効果の程をしっかり見届けて後で教えてくださるようお伝え下さい」
「使わぬことを祈っているが…。試しに使ったことはないのか?」
「エセルさんとお友達の方々が実験台になってくださいました」
 ふと、金茶の髪の騎士見習いが、ユリクとフィルの二人に追いかけ回されていたことを思い出す。おそらく、二人は自主的に協力したわけでなく、エセルに勝手に実験台にされたのだろう。
 ちなみに女王の注文の品というのは対騎士用即効性痺れ薬である。
「どうしてエセルさんを遠くに派遣なさったのですか?快く実験台になってくださる方はめったにいませんのに」
 責めるような口調で言う。
「快かろうが、なんだろうが、隙あらば人を実験台にしようとする人間の言葉とは思えないな。先月も騎士見習い達に差し入れと称して得体の知れぬものを渡しただろう」
 薬師組合がどうしてこのような危険人物に薬師の認定を与えたのか不思議だ。しかし、薬師の証である彼女の額飾りが紛れもない本物だということは確認してある。
「安眠のためのお茶だと初めに言ってから、お渡ししましたよ」
「一日中眠りこませるのが安眠か?王宮警備に支障を来すようなものは今後一切、控えてもらう。…次はない」
 薬師は肩を竦めた。
「わかりました。これからは警備と訓練に支障を来さない範囲で協力していただきます」
 本人の同意がない限り協力とは言えないのだが、その点に関してはヴェルシュは目をつぶることにした。
「北の方から、何か新しい噂は入って来なかったか?」
 棚から小箱を取り出してきた薬師に尋ねる。
「そうですね…お茶はいかがです?」
「混ぜものなしなら、もらおう」
「混ぜても気付くのですから、いいじゃありませんか」
「そういう問題ではないだろうが」
 近衛騎士は椅子に腰を下ろし、薬師はお茶を入れるために奥へと向かった。

 王都の南大通りには服飾品を扱う店が集中している。高価な織物や貴石類の取引が最も盛んに行われる場所でもあり、異国の商人の出入りも多かった。ほっそりした近衛騎士はそうした商人達の注目を集めながら、通りを過ぎて、小さな造りの店に入った。
 澄んだ金属音がぴたりと止む。細工師の青年は仕事の手を休め、黙って立ち上がると引き出しを開けて小箱をテーブルに置いた。
「使い方は前に説明した通りだ」
 念のためにと青年は箱から二つの指輪を取り出した。
「これは典型的なつくりで、この留金を外せば蓋が開く。こちらは、この部分を押すと針が飛び出す仕掛だ」
 淡紫の瞳の近衛騎士は小さく頷いた。
「それから、これが例の飾りだ。…はっきり言って、あの方には無用な気がするが」
 布にくるまれた細い包みを小箱の隣に置く。
「私もそうは思いますが…要するに、陛下の御趣味でしょう。アシュリーズ様はただの装飾品を身につけようとはなさらないでしょうから」
「確かに。もったいないとは思うが、こればかりは好き好きだからな」
 ちらとからかうような笑みを口元に浮かべる。その言葉はルーダルにも向けたものだった。
「私には何故、もったいないなどとあなた方が思うのかが分かりません」
 軽く肩を竦めて、それらの品を懐に収める。
「お代は近いうち、届けに伺います」
「ああ。…近頃、花嬢からの佳葉石の加工依頼が増えたぞ」
 花嬢とは春をひさぐ女達の呼び名であり、佳葉石は北に国境を接する森緑王国で産する半貴石の一種だ。それが多く出回っているということは、森緑王国の商人達の来訪が増えていることを意味する。
「そうですか。では、久しぶりに顔を出しておきましょう」
 細工師の店を出た近衛騎士はそのまま西側の花街へと足を向けた。