女王と騎士

第二部 北風と太陽-虜囚編- (4)

 その夜、氷晶王国の王都の一角で奇妙な光景が見られた。
 ある裏通りに一台の馬車が静かに止まり、目隠しをされた黒髪の青年と四十代はじめの銀髪の男が馬車から降り立った。彼らは一言も発することなく、袋小路に向かって足を進め、闇に吸い込まれるように消えた後、二度と戻って来なかった。

 熱心に少女はひざまづいて祈りを捧げていた。明かりとりの窓から入る光を柔らかにはじく金茶の髪に縁どられた顔はやや少年めいてはいるが、十分、美少女と呼んで差し支えない程度に整っている。彼女はこの神殿に来て日の浅い神官見習いだったが、評判は上々だった。勉強熱心な上に、若い娘が厭がるような奉仕活動にも積極的に参加し、覚えも早い。それゆえ、同世代の、とりわけ同性の者には多少疎まれもしたが、万事控えめで、年長者の受けが良かった。
「今日も熱心だね」
 少女はゆっくりと瞼を上げた。緑の目が見開かれるまでのわずかな間、険しい光が宿り、一瞬のうちに消えた。
 視線の先には金髪の若者が立っていた。なかなかに甘く整った容貌を持つが、どこかしら内面の傲慢さを思わせるものが漂っている。
 少女に言わせると、能力もなにもなしに親の七光だけで、若くして正神官の地位を手に入れたボケナス連中の一人である。
「…恐れ入ります」
 消え入るように小さな声で答えて目を伏せる。内気で純情な少女そのものの姿に若者が目を細める。
「だが、たまには息抜きも必要だよ」
「お心づかい痛み入ります」
 ふうっと若者はわざとらしい溜息をついた。
「君は真面目すぎる。もう少し打ち解けてくれてもいいのではないか?」
 微笑を浮かべて優しく言う。
 彼女を知る者ならば腹を抱えて爆笑したか、若者の正気を疑っただろう。
「はい」
 恥ずかしそうに応じる少女の肩に手が置かれた。
「もう少し肩の力を抜いたほうがいい」
 最後まで笑顔をたやさずに、若者はようやく立ち去った。彼は何故、肩に力が入り、さらに、顔が赤くなっていたのか、完全に誤解していた。少女―南陽王国の騎士見習いエセルはありったけの気力を振り絞って笑い出すのを堪えていたのだ。
 完全に他の人間の気配が消えると、くつくつと笑い声が起きた。
「…は、腹が痛い」
 どうやって隠れることができたのか不思議なほどの大柄な男が柱の陰から姿を現す。言葉通り、腹筋が痙攣している。
「どうやら、あの若い神官さんは爪の先程もお前のことを疑っていないようだな」
 彼の目が節穴というより少女の演技がうまいのだ。
「まったくね。田舎から出て来た小娘とすっかり侮ってやがる。あーんな下心見え見えの親切面に騙されてやるほど、こちとらウブじゃないんだよ」
 けっとばかりに言い放つその姿は下町の少年そのもので、先程までのしおらしい少女の面影は全くないと言って良かった。表情によって、ここまで印象が変わるものかとデュリルは改めて感心した。
「下心もって近付かれるだけのいい女だと思えばいいだろう?」
「まーね。でも、言い寄られるんなら、やっぱいい男の方がいい」
「なんなら、俺が言い寄ってやろうか?」
「悪くないね」
 にやりと笑って軽く受け流す。どこまで本気でどこまで冗談なのか、よくわからぬ口調と態度はデュリル自身とよく似ていた。
「で、何?」
 少女が毎日、決まった時間に行う祈祷は確実に彼と連絡を取るための手段である。デュリルは簡潔に街で拾って来た情報を少女に伝えた。
「オルト殿がいなくなった?脱獄したんじゃなくて?」
「ああ。宿には戻っていないし、一緒に投獄されてた連中も、見かけてないって話だ」
「ふーん。他には?」
「おいおい、行方不明になったってのに、それだけか?」
 面白がってデュリルが問うと、金茶の髪の少女は軽く肩を竦めた。
「オルト殿の姿が見えなくなったくらいで、いちいち騒ぐ必要ないね」
「信用してるんだな」
「飼い猫と同じだって。死なない限りはひょっこり帰って来る」
 その例えにひとしきり笑った後、デュリルは他の情報を伝えた。
「思っていたよりも、揺れているな。王弟の一人がひそかに兵を集めているってのは事実らしい。国王側は泳がしているのか動きはない。で、肝心のクルスに関してだが、傑作なことに十日後に奴の魂鎮めの儀式を王宮で行うんだとか。なんでも、国王を呪って、悪霊となり、あちこちに災いをもたらしているそうだ。噂を流してるのは例の王弟らしいが」
 エセルは馬鹿みたいと鼻を鳴らした。
「お前の方はどうだ?」
「たいした情報はないよ。クルス殿は徹底的に目立とうとしなかったらしい。隠居したじいさんよりも、世間と関わりを持とうとしなかったみたいだね。頭はいいけど、温和で内気で引っ込み思案ってのが神殿内における評価。…ついでに」
 にやりとエセルは笑った。
「小さい頃の教育係だった月神殿の神官長の代理として執り行った祈祷式には女性の参拝客が山ほど押し寄せたらしい」
「それはそれは是非とも女王様に聞かせてやりたいものだな」
 デュリルは笑いながら言った。以前にクルス自身から聞いた、女に迫られるのには慣れているという話は事実だったらしい。王族で、あれだけの容姿を持っていればそれも当然だろう。
「それでね、その神官長はクルス殿を後任につけたがっていたみたい。神官長、最高位の神官になるってことは、王位継承権を含めた世俗の全ての結び付きを断つってことになる。…もし、国王が単に王位を奪われることを恐れていたのならば、さっさとクルス殿を神官長にすれば良かったんだ。一度、神官長になれば還俗は決して認められないんだし」
 同じことが南陽王国の女王との縁談に関しても言える。この縁談を受ければ、クルスは王位継承権を放棄せざるを得ず、おまけに今の情勢で南陽王国と縁戚関係を持つことは決して不利には働かない。
「国王が何度もクルス殿を殺そうとしたという噂が本当なら、よほど、この世から抹消したがっているってことだね」
「それほど恨みを買うような男とは思えないがな」
 そして王もただの妬みだけで動くような人間とも思えない。噂に聞く限りでは、ずば抜けて優れた手腕を持っているわけではないが、誠実な人柄らしい。王がクルスの死を願っているのだとすれば、何か理由が他にあるのだろう。どうしても消せない憎しみか、あるいは、別のものか。
「案外、女絡みだったりして。礼拝式には王妃様も参列したらしいから」
「おいおい。王妃って言えば、親子ほども年が離れているだろうが」
 クルスは先王が晩年になって後添いとの間にもうけた子供だ。先王は若くして亡くなった後妻の代わりに、その妻にそっくりな末息子を溺愛していたというが、それが本当ならさぞかしクルスには迷惑だっただろうとデュリルは思う。
「あんたがそんなこと言うなんて意外だ」
 少女がちょっと首を傾げて斜めにデュリルを見上げる。
「どういう意味だ?」
「結構、でかい隠し子がいるんだろ?私とひとつ、ふたつしか違わないくらいの。それなのに、『親子程年の離れた』アシュリーズ様に求婚した」
 そういうことかとデュリルはにやにや笑って言った。
「別に隠してはいないぞ?」
 王位継承問題でごたつくのが厭だから、正式に認知していないだけで、自分に子供がいることなど暁王国では知らない者の方が少ない。
「許婚殿に至っては、むしろ、子づくりを奨励してるくらいだ。能力の高い騎士は国の財産だとかなんとか言って、人を種馬みたいに扱うんだぞ」
 その言葉にくっとエセルが喉を鳴らす。
「そりゃあ、そうだろ。どんどん勢力伸ばすつもりなら、優秀な騎士はいくらいても足りない。おっさんの許婚って確か、国王の姪の一人なんだろ?これまた国王のお気にいりの才女だとか」
 デュリルは大きく頷いた。
 もし男に生まれていれば、間違いなく後継ぎに指名されただろう人物だ。
「よく知っているな?」
「陛下が教えてくれた」
「ほう、女王と仲が良いのだな」
 ちらりと少女は緑の目を向けた。やや目尻の吊り上がった目は猫科の動物を思わせる。
「なにか聞き出そうとしても無駄だよ?陛下、『騎士見習い』に教えていいことしか、教えないからね」
 先に釘をさされたか。あごをなでながら、デュリルはにやっと笑った。
「俺が知りたいのは、お前が暁王国に来る気があるかどうかということなんだがな」
「ま、考えておくよ。王宮の事情についてはもうちょっと、探りを入れておく」
 用は済んだとばかりに、エセルは踵を返した。入り口に向かう途中、ふっと足を止め、顔だけこちらに向けた。
「そうそう、多分、うちの陛下が来るよ」
 デュリルが軽く眉を動かす。
「そういう知らせが入ったのか?」
「まさか。でも、おっさんがここにいるって知らせが行ったはずだから」
 緑の目が笑う。南陽王国の女王が暁王国の将軍に対抗意識を燃やしていることを彼女はよく知っているのだ。
「あんただって、陛下がおとなしく待っているとは思わないだろ?」
 言うだけ言って、すたすたと聖堂を出て行く騎士見習いを見送りながら、さてどうするかなとデュリルはにやにやしながら考え込んでいた。


 静養中の女王というのは暇だ。
 この十日余り、女王の身代わりとして寝室に閉じこもっているアシュリーズは溜息をついた。
 女官のもたらした情報によると、あの女王が病を患うとはまさに鬼の撹乱だと諸国の大使達は噂しあっているという。隣国の大使に至っては何か悪だくみをしているのでなければ、人口の半分以上が死に至るような恐ろしい流行病にかかったとしか思えないと笑ってのけたという話である。女王に面と向かって狸呼ばわりされている彼はそれだけに女王の性格を把握しているようだ。見舞いでもされれば、一目で女王ではないことを看破されてしまうだろう。顔立ち自体は似ているのだが、纏う雰囲気が全く違うのだ。だからこそ、こうして病を装って人目を避けねばならないのだ。
 ぐるりと変わりばえのしない室内を見回し、愛用の刀に目を留める。養母の形見の品だ。近衛騎士の身分を示す房飾りがついている以外は以前と全く変わっていない。この刀を手に闘う養母の姿が今もはっきりと思い出せる。彼女は主を持たぬ流れの騎士だった。その過去は杳として知れない。息子と同じ、否、それ以上に口数の少ない女性だった。ヴェルシュの母親に恩義があり、結婚するまで王妃付きの女官をしていた彼女の頼みによって自分を預かることになったのだと知ったのも、養母本人の口からではなかった。世の母親の在り方とは随分、違っていたが、自分は心から彼女を慕っていたし、尊敬していた。鮮やかに双刀を操る女騎士は誰よりも強いのだと信じていた。その彼女が右手に握っていたのが、今、自分が使う刀だった。本来なら、息子のウェイに二振りとも譲られるべき双刀を一振りずつ分けて自分にも譲ってくれたことが嬉しかった。どうせ、おまえ達は離れることはないだろうからと微かに笑って手渡してくれたのだ。自分が目にしたなかで、一番奇麗な優しさに満ちた笑顔だった。
 大勢の人が近付いて来る気配にアシュリーズは我に返った。騎士の気配も交じっている。多分、イェナだろう。
 予想どおり、扉をたたいて、女近衛騎士が入って来た。
「『お薬』の時間ですわ」
 笑いながら言って、書簡を差し出す。封蝋に使われているのは太陽をかたどった王家の紋だった。それだけで送り主がわかる。これを使えるのは自分以外には女王その人だけなのだから。
「どっちかと言うと毒薬じゃないのか?」
 受け取って、早速に封を切る。きっと、二重の扉の向こうでは重臣達がやきもきして待っている違いない。なにせ、女王が騒ぎを起こしてはいないだろうかと、夜も眠れないでいるのだ。ちなみに、身の安全という点に関しては、彼らは近衛騎士隊長に全幅の信頼を寄せているので、全く案じていない。
「…なかなかシェイド殿は厳しいな。この様子だと確実に国境は越えている」
 さっと一読してイェナに渡す。文面に目を走らせながら女騎士は笑みをこぼした。
「よほど馬での旅がこたえたんですわね」
 なにせ文の半分以上にわたって、最大限の速さで旅を進めるシェイドへの文句を書き連ねているのだ。アシャラーナは乗馬にはかなり熟練しているが、旅となるとまた別である。体力的にもつらいだろうに、決して弱音はもらしていない。そして、さすがに女王だけあって、文句の合間にぬかりなく土地の情勢を伝える言葉を組み込んでいる。アシュリーズにわかっただけでも、国境地帯の数箇所で領主達の施策に問題があるようだ。
「これだけですの?」
 からかうようにイェナが黒い瞳を向けた。
「何が?」
「ウェイも気が利きませんこと。恋文のひとつくらい、混ぜておけばよろしいのに」
 アシュリーズは思い切りよく、ふき出した。
「そんなもの書いてよこしたら、熱でもあるのかと心配になるじゃないか。天変地異が起こりかねないぞ」
「あら、アシュリーズ様は欲しくありませんの?私は夫に無理やり書かせましたわよ」
 自分の覚えている限りでは、父は完全に母の尻に敷かれていたというのがその息子の言葉である。女王に言わせると、度量の広い男でイェナの好きにさせていたとのことだが。どちらにしろ、夫婦仲はすこぶるよろしかったらしい。今のイェナを見ていても、それはわかるというものだ。
「手紙を書いてもらうよりは、もう少し口数を増やしてもらいたいな、小言以外の」
 それは言えるとイェナはくすくすと笑った。
「不思議なんですけれどね、ウェイになんて言って口説かれましたの?」
「口説かれた覚えはないが…」
 なにせ思いを告げるだけ告げて答えも待たずに、とっとと寝てしまうような男だ。もっとも、ウェイにその件について問いただしたならば、「お前は拒絶するなら、即座に拒絶するだろう」との返答がかえって来たのであるが。つまり、拒絶が返って来なかったので、概ね自分の思いは受け入れられたと判断したわけだ。長い付き合いゆえに、性格を把握されているというのも良し悪しである。拒絶することはないが、言いたいことなら、いくらでもあった。
 考え込むアシュリーズを見て、イェナの眦が下がる。なんとも人の悪い表情だ。
「まあ、愚問でございましたわ。口説くまでもなく、相思相愛でいらっしゃいましたものね。言葉も必要ない、と」
 まだからかい続けようとするイェナを遮ってアシュリーズは言った。
「イェナ、その手紙を首を長くして待っている連中がいると思うんだが?」
 ここ半年以上にわたって、折あるごとにからかわれていれば、さすがに対処の方法も身につくというものだ。
「そうでございましたわね。またいつか、改めて伺わせていただきますわ」
 勘弁してくれと思いながら、アシュリーズは女騎士を部屋の外に送り出した。
 色恋沙汰に首を突っ込んで来るのは姉一人で十分だ。
 計画通りに姉が氷晶王国の王弟をものにすれば、妹のことになどかまわなくなるのではないだろうかという淡い期待を抱いているアシュリーズだった。


 南陽王国において近衛騎士の朝帰りというのは珍しいことではないが、それを行ったのが早起きとは無縁のルーダル・セオンとなると話は別だ。門を預かる二人の騎士見習いは敬礼しながらも、不思議なものを見る目で彼が門をくぐるのを見送った。彼らは知らないのだが、ルーダルは眠るとなると、とことん眠るが、二日間程なら徹夜をしても平気だという不思議な体質をしているのである。
「こんなに早く戻られるとは珍しい」
 ぼそっと背の高い方の少年がつぶやいた。
 ルーダルが外泊したら、早くとも昼過ぎまでは戻らないというのが、彼らの常識であった。
「なあ、エルード、今…香水の匂いがしなかったか?」
 もう一人が首を傾げて言う。いくら外見が女みたいだとは言え、中身はきっぱりと男らしい近衛騎士である。香水をつけるような趣味を持ち合わせているとは思えない。
「移り香だろう。花街に行かれたんだな」
 こともなげに答えた仲間を少年はぎょっとしたように見た。
「花街っ!?ル−ダル殿がっ?」
「そんなに驚くことでもないだろう」
 苦手なカエル以外のものに対して驚きを示すことはないと言われている少年は淡々と応じた。ここしばらくの間、ルーダルやヴェルシュが頻繁に外出していたことに彼は気付いていた。それは、おそらく、「病床にある」女王と関係するのだろう。
「ああいう場所はよく情報が集まるからな」
「…すっごく、女達に厭がられそうだな」
 美しさを競い合う女達にとって、自分より奇麗な男なんて許せないであろう。そもそも、彼を客にとる勇気のある女がいるのだろうかと首を傾げている友人にちらとエルードは目を向けた。ルーダルが客として赴いているわけではないことを彼は知っていたが、それを教えてやるほど親切ではない。彼は黙ったまま、任務を続行した。

 廊下で行き会った同僚に、ルーダルは世間話でもするように、なにげなく言った。
「北から、数人の刺客が潜入しているそうです」
 すでに同じような情報を得ていたらしい青年は驚くことなく承諾のしるしに頷いただけだった。
「『陛下』の御容体について、彼女達に事細かく伝えておきました」
「有り難い。これで網が張り易くなる」
 ヴェルシュが人の悪い笑みを浮かべる。
 ルーダルは小さく首を傾げた。
「ここぞとばかりに警備が薄くなったことを不審に思わないのでしょうか?」
 近衛騎士隊長に「王妹」、とりわけ女王の身近にいる二人と、剣鬼の名を冠するウェイが「女王」のそばを離れているのだ。女王の命を狙うには絶好の機会と言っていい。
 幸い、とヴェルシュは皮肉な笑みを浮かべた。
「あちらの主君は常識のある方だからな。女王その人が国を離れることなど想像することすらないだろう」
 せっかくだから、この機会に「虫干し」したらどうかと重臣の一人に持ちかけ、女王の出国に根回ししたヴェルシュである。動きがあったということは、少なくとも女王不在を知る重臣のなかには敵と通じている者はいないということだ。もっとも、それを頭から信じるわけにはいかないのだが。
「常識があっても、困ることがあるのですね」
 常識がないと言われる女王にしばしば困らされている廷臣達を見慣れているルーダルには新鮮な驚きであった。