女王と騎士

第二部 北風と太陽-虜囚編- (7)

 谷川に面した断崖の上にそびえる塔を朱金の髪の男が腕組みして対岸から見上げていた。標の塔と呼ばれる、夜間や悪天候時に魔法の明かりを灯して位置を示す、氷晶王国独特の建築物だ。陸上における灯台といったところだろうか。魔法士の多い国ならではの存在だ。魔法士がいて当然の場所、魔法士を隠すには最適の場所とも言える。
 こりゃあ、わざとだな。
 一人頷いてあごを撫でる。
 藁で作った檻に狼を閉じ込めているようなものだ。クルスの異母兄とやらは、余程、肝が座っているか、救いようのない馬鹿かのどちらかに違いない。騎士能力を持つ人間を閉じ込めるには、あまりにお粗末な建物だ。ざっと、見た限りでは魔法もほとんど使っていない。魔法力は並でも、魔法学自体を研究していた男ならば、破ることは容易だろう。
 一体、何をたくらんでいるのか。
 ま、会えばわかるか、と暁王国の戦神はあっさりと結論を下して、ぶらぶらと川岸を歩き始めた。

 異母兄が、彼の枷となるべく選んだのは神官見習いだった。
 勉強熱心な、身寄りのない、異国の少女。
 お前に見殺しにすることができるかと水色の目が問いかけ、意地悪く笑った。
「よしなに頼むぞ」
 少女は慎み深く目を伏せたまま、礼をした。
「聖典研究にも熱心だそうだ。そなたとは気が合うことだろう、クルサーディン」
 だから、ともに冥府にも行けとでも言いたいのだろうか。
 事が済めば、少女も自分もどうせ殺すつもりでいるのだ。
 硬い表情を崩さぬ異母弟を鼻で笑って男は出て行った。
 遠ざかる足音を聞きながら、彼がどうしたものかと考えていると、
「真夜中の太陽」
 と、少女が古語でぼそりとつぶやいた。
「ここより、ずっと北方の島で夏場に見られる現象のことかい?」
 そう聞き返すと、少女は顔を上げて、にっと笑った。
 最初の印象を払拭する笑顔に彼はいささか驚きを覚えた。
「南陽王国では有り得べからざるものを、そう言うんです。随分、生きのいい死人ですね、クルス・アディン殿」
 そう言って、少女は彼女の正体を明かした。


 南陽王国では暖かな日差しが惜しみ無く大地に降り注いでいた。
 地表では春の陽気に誘われて虫どもが動き出す。
 女王の「病」をこの世の春と勘違いしたらしい貴族連中が活発に柱の陰で談合を繰り返しているのが、王宮内部でも見られるようになった。
 ヴェルシュらの相談の結果、動くべき時が来たと「女王」は床を離れて先王たる父親の命日に合わせて神殿に籠もることとなった。回復しつつあることを、はっきりと示すためである。水面下で動く分には構わないが、表立って行動に出られては後始末が面倒だということらしい。
 賑わう街の様子を馬車の窓から眺めていたアシュリーズは、ふと従者として徴用された少年達が困った様子で顔を見合わせているのに気づいた。
「気にするな。私が不機嫌なのは馬鹿どものせいじゃない。この鬱陶しい衣服のせいだ」
 煩わしい長衣をつまんで言う。
「そんなに鬱陶しいですか?」
 神官見習いでもあるユリクが首を傾げる。神殿育ちの子供達は幼い頃から教育を施された結果、十歳を越える時にはほとんどが神官見習いの資格を有しており、裾の長い神官服も着慣れているのだ。
「頭から足先まで鬱陶しい」
 薄布を重ねた下衣の上に厚手の長衣をまとい飾り帯を締めただけでも煩わしいのに、更に装飾品がつく。複雑に結われた髪はほどけたが最後、自分では直しようもない。これでも女王の略装だというのだから、正装したが最後、動くこともままならなくなるに違いない。
 心底うんざりしている王妹の様子に少年達はくすくす笑った。
「でも、似合っていらっしゃいますよ」
 屈託のない笑顔で言う少年にちらと琥珀の目を向ける。
「フィル、そういうほめ言葉は好きな女にだけ使わないと、後々、困ったことになるぞ」
 ぷっとユリクが小さく吹き出した。慌てた様子でフィルが肘でつつく。どうやら、すでに困ったことがあったらしい。両親譲りの優れた騎士能力及び母親譲りの整った容姿に加え、すべての女性に対して親切に振る舞うことを当然のこととして躾けられているのだ。これで女性関係がややこしくならないはずがない。
「あまりラーナを喜ばせる真似をしないことだな」
「と、おっしゃいますと?」
「むやみに浮名を流すな」
 きっぱり言い渡す王妹にフィルは何とも形容しがたい表情をし、ユリクはくすくすと肩を震わせていた。

 養母は神殿嫌いだった。正確には神官嫌いだった。その証拠に、神官のいない小さな祠では祈りをよく捧げた。そのせいもあってか、今も神殿に参るという習慣は身についていず、この本神殿に足を踏み入れたのも、王宮に迎えられた十五歳の冬以来だから丸2年ぶりということになる。
 アシュリーズは高い天井を見上げた。モザイクによって描かれた太陽が曲線を描くドームの中央を彩っている。壁や柱のあちこちに南部で採れる輝炎石がはめ込まれ光を反射し、その光が集まる祭壇の上から慈悲深い微笑みをたたえた陽の女神像が自分を見下ろしていた。東の砂漠の国で見た女神像とは全く異なる表情だ。彼の国では女神は苛烈な厳しい表情で人間を見下ろしていた。備えなく砂漠を渡ろうとする愚か者を戒めているのだと砂漠の民が教えてくれた。陽の女神の鋭い目は愚か者を決して見逃さない、とも。この国では恵みをもたらす太陽が砂漠の国では人の命を奪うのだ。太陽の瞳をしていると言われたのも、その時だった。そんなにきつい目をしているのかと考えていたら、ウェイが間に入って何か言って男から自分を引き離した。早口の東方語だったので聞き取れなかったが、不機嫌なことだけはわかった。後で養母に説明されてわかったのだが、その砂漠の民は自分を口説いていたらしい。彼らは早婚だから、と、珍しく笑いまじりに言ったものだった。いくら早婚でも十二歳そこそこの子供を口説くかと呆れたが、砂漠では十歳を越えたら結婚話が出て当然なのだという。改めて地域ごとの慣習の差を実感した出来事だった。義母が体に変調を来したのは、そのすぐ後だった。
 空気が微かに動いた。
 騎士ならでは捉えうる感覚にアシュリーズは琥珀色の目を細めた。
 この最奥部の聖堂に入れるのは高位の神官のごく一部と王族のみ。騎士見習いの少年達は扉の外にいる。
 感じられる気配は四つ。おそらくは、これら以外にも外で様子を伺っている見張りが一人はいるだろう。
 ゆっくりした足取りで少年達のもとへ向かう。押し殺した気配は動かない。
「どうなさいましたか?」
 首を傾げる少年達はまだ気配をつかめてはいない。もっとも実戦経験も持たないような騎士見習いに気配を悟られるようでは暗殺稼業はやっていけないだろう。
「急用ができた。イェナかヴェルシュを呼んできてくれ」
 軽く目を見張った少年達に頷いて見せる。そっと柄に手をかけ、剣はどうしますか?と目で問うユリクに小さくかぶりを振る。
「二人揃って行け。確実に、な」
 やや緊張した面もちで頷いた少年達に背を向けて扉を閉めると、少年達を追って、一つの気配が離れた。少年達を始末するには一人で十分と考えたらしい。ほっと安堵の息を吐く。実戦経験に乏しいのが不安ではあるが、二人がかりなら何とかなるだろう。祈祷用の蝋燭に火を灯すふりをして燭台に歩み寄る。じわりと気配が近づいた。侵入口は明かり採りの窓だ。さりげなく髪に片手をやる。もう片方の手は細い帯の端を握っていた。三つの影が一度に動いた途端、アシュリーズの手から金色の光が放たれた。同時にするりと帯を引くと、幾重にも重なる下衣が床に落ちる。光に貫かれた一人が体勢を崩して床にたたきつけられた。音を立てずに着地した二つの影に向かっても光が飛ぶ。きんっと鋭い金属音を立てて剣にはじかれた笄が床に落ちた。間髪入れずに長い燭台を得物代わりに打ちかかる。感情を表に出さぬ暗殺者の目にわずかに動揺が走る。南陽王国の女王に騎士能力はないと知っているのだ。横に薙いだ瞬間に、もう一人に向かって魔法を放つ。防御のない相手の精神を強烈な魔力がからめ取り、一瞬のうちに昏倒させる。床を蹴り、下から上に剣を払うと燭台が折れた。高価なものでなければよいがと、ちらと考えながら、そのまま折れた先を相手のあいた鳩尾に突き出す。相手が身を引くより速く燭台は急所を突き、暗殺者は床に沈んだ。背後から風を切って襲いかかった攻撃を身を翻してかわすと、髪がばらりと落ちた。
「返してもらうぞ」
 金の笄を肩に突き立てたままの暗殺者に向かって呟き、風をまとった一撃を繰り出す。暁王国の将軍との試合から学んだやり口だ。十分に防御魔法を施していただろうに、男の体は軽々と吹き飛ばされ、壁にたたきつけられた。体勢を立て直す暇を与えず、横合いから首筋に手刀をたたきこみ、昏倒させる。
 見張りも始末しなくてはと入り口に向かうと足音が近づいてきた。
「アシュリーズ様」
 足音の主は神官長だった。髪こそまっ白だが、衰えを感じさせない老人だ。
「さすがですな。老骨に鞭打って、駆けつけましたのに」
 鋭い青い目を堂内に走らせて言う。アシュリーズは小さく笑った。
「ゆっくりした足取りだったが?」
「なに、早く到着しすぎて邪魔になってはいかぬと思いましてな」
 飄々と応じるが、暗殺者達が神殿内に侵入した時点で気づいていたはずだ。
「それに、こそこそと私の結界に穴をあけた者に神の裁きを受けにゆかせるのに手間取りましてな」
 神官長は南陽王国では数少ない魔法士の一人である。魔法士としての力量はかなりなものがある彼を手こずらせたからには、相手も侮れない魔法士だったのだろう。
「おや、手加減なさったのですな」
 倒れている暗殺者の呼吸を確かめて眉をひそめる。
「聖堂を穢してはならぬと遠慮したんだ」
 暗殺者の肩口から笄を引き抜いて、血を拭う。曇りのない刃を眺めて感嘆して頷く。あの細工師、刀剣師としても、やっていけるのではないだろうか。
「冥府の女神様が落胆なさっておりますよ」
「遅かれ早かれ、いずれは行く。少々、待っていただいてもかまわないだろう?ヴェルシュ達が聞き出したいことがあるだろうし」
「口を割るとは思えませぬが」
「口を割らせるための薬があるそうだ。劇薬らしくて、使った後は命を落とすか、正気をなくすらしい。生きのびたところで、処刑は免れないがな」
「それならば、女神様も満足なさるでしょう」
 清浄な笑顔で言う神官長を見ながら、神殿の白狸と姉が評するのもわかる、とアシュリーズは頷いていた。

 陽神殿から王宮までは、ほぼ一直線だ。通りを駆け抜ける少年達を人々は驚いたように見やるが、振り向いた時には遥か遠くに駆け去っている。それゆえ、人々は彼らが騎士能力保持者であることを知るのだ。王都では騎士達が走り回っていても驚くようなことではなかった。
 ふっと人通りが途絶えた瞬間だった。
 少年達は左右に跳んで、炎術による攻撃を避けた。激しい炎が石畳をなめ、石が熱によって変形する。かなり強力な魔力保持者だ。
「ユリク、防御、頼む」
 自分よりも魔法に長けた少年にそう声をかけると、フィルは抜刀しながら反転した。全神経を集中させて魔力の出所を探る。第二撃が襲った瞬間、建物の影めがけて跳んだ。自分を包む風魔法が炎をはじき、その炎に隠れて相手の間合いに飛び込んだ。ぎんっと激しく音を立てて刃と刃がぶつかる。相手は自分より頭ひとつ分は上背のある男だった。しかし、騎士の腕力は体格に比例するとは限らない。じりじりとフィルは相手の刃を押し返した。フィルの持つ能力の中でとりわけ発達しているのが「力」だ。ふっと相手の力が抜けた。ぐっと下半身に力を入れて飛び退いた目の前を刃が走った。なまじ「力」の強い騎士は力で押し切ろうとするから、それを逆手にとられるのだということをフィルは身をもって教えられていた。何度、自分よりも「力」に劣る王妹にたたきのめされたか、分からない。続けて上段から振り下ろされた刃を勢いよく跳ね返し、一気に懐に踏み込む。いやな感触が手に伝わった。相手の手から滑り落ちた剣が石畳の上で音を立て、それから、ゆっくりと男の体が崩れるように倒れるのをフィルは半ば呆然として眺めていた。
「フィル、行くよ」
 友人に声をかけられ、ようやく我に返る。ユリクは表情を変えずに呪文を紡ぎ、男の死体を隠蔽した。
「僕たちの任務はまだ終わっていない」
 死体を前にしてもユリクに動揺した様子はみじんもない。刃に付着した血をぬぐい、鞘におさめると、少年達は再び駆けだした。

 香りの良いお茶に老人は目を細め、笑みを浮かべた。神官長のお茶好きはよく知られている。午後の決まったお茶の時間に来客があっても、お茶を飲み終わるまで待たせておくと専らの評判だ。
 アシュリーズはふと首を傾げた。この香りには覚えがある。覚えはあるが、あまり嗅いだことはない。
「どうかなさいましたかな?」
「このお茶は、珍しいものなのか?」
「この国では珍しいと言えましょうな。精神を高める効果があるので、魔法士の多い国ではよく飲まれておりますが。香として焚くこともありますよ」
 ふっと記憶の断片が浮かび上がった。
 なるほど、この香りはあの時のものか。
「氷晶王国では香として、使っているのではないか?」
「御存知でしたか?」
「思い出したんだ。昔、噛みついてやった男がこの香りをまとっていた」
 老人が白い眉を動かした。
「魔法士に噛みついたのですか?」
「手足を縛られていたからな」
 直後に山犬のようなガキだと張り飛ばされたが。
 あれは非常に不愉快な出来事だった。今の今まで、忘れていたことが不思議なくらいだ。
「ひどい目に遭われたのですな」
「いや…。ひどい目に遭ったのは向こうの方だった」
 あの時の連中は、いつものごとく自分の命を狙ったわけではなかった。義母をおびき寄せるために、自分を浚ったのだ。義母から魔法に関するなんらかの「秘密」を聞き出すことを目的としていた。魔法士達の紡ぐ魔法を易々と破り、助けに現れた義母は深く静かに怒っていた。そんなに知りたければ、己の身で知るがいいと義母が言い放った途端に男達は闇に喰われた。
「…そうか」
 知らず知らず、呟きを漏らしていた。「何が起きたか分かるようになるまで、記憶は封じておこう」、そう言って、義母はその直後に自分に魔法をかけたのだ。今なら分かる。あれは異質な「魔力」だった。現存する魔法のどの系統にも属さぬ魔法だったのだ。それ故、連中は「秘密」を知りたがり、命を落とした。幼い自分が不用意にそれに関する言葉を口にして、何者かの注意を引かぬよう義母は記憶を封じたのだ。
「アシュリーズ様?」
 怪訝な顔をする神官長に笑みを返す。
「義母の言葉を思い出したんだ。ようやく意味がわかった」
 左様ですかと神官長は深くは追求せず、お茶のお代わりをすすめた。

 少年達が近衛騎士を連れて神殿に戻った時、王妹は神官長とお茶を飲んでいた。猿轡をかませ、縄で縛り上げた刺客達を横目に和やかにお茶をすすめる神官長にヴェルシュは呆れた目を向けた。神官長に同調するアシュリーズもアシュリーズだが、彼女には例え隣に死体が転がっていようと気にしないような図太いところがもとよりある。
「シィンさんの調合するお茶は天下一品ですな」
 幸せそうに目を細めてそんなことを言う。
「危険度においても、間違いなく天下一品でしょう。神官長殿がお出ましならば、私が来るまでもなかったですね」
「いやいや。面白い薬があると伺いましたが?」
 小さく息を吐くと、ヴェルシュは少年達に向き直った。
「ユリク、フィル、御苦労だった。王宮に戻って、イェナ殿に今日は神殿に泊まると伝えてくれ」
「わかりました」
 騎士見習い達は余計な詮索はせずに、素直に命令に従って出て行った。
「お忙しいはずではなかったのですか?」
 白狸のあだ名にふさわしく、暗躍しているはずの神官長に正面から問いをぶつける。ひそかに、女王に古狸予備軍と言われているヴェルシュならではのことだ。
「なに、今、ネズミの巣穴を突き止めている最中でしてな。少々、気晴らしがしたいと思っていたところで」
 刺客を捕らえて口を割らせることが気晴らしになるというあたり、聖職にあるべきものの姿ではないが、ヴェルシュはそれを咎めるほどの信仰心を持ち合わせていない。だが、別の観点から王妹を咎めるだけの常識は持ち合わせていた。
「いくら邪魔なだけだからといって、なにも、こういう用途に使うことはないだろう、リーズ」
 この時ばかりは近衛騎士としてでなく、幼なじみの兄貴分としてヴェルシュは非難の目を王妹に向けた。
「他に適当なものがなかったんだ」
 姉と同じように悪びれずにアシュリーズは応じた。
 刺客達を縛るのに使われていたのは、貴婦人用の薄衣のなれの果てであった。