女王と騎士

第二部 北風と太陽-虜囚編- (8)

 黒髪の隙間で緑の目がきらと光った。
 子供がいたずらを思い付いたようなと形容するには少々あくが強すぎ、獣が獲物を見付けたようなと形容するには切迫感がない。
 その視線の先には一人の男がいる。
 視線の主がいる離れとおぼしき建物から見える広間に集っているのは見るからに裕福な貴族達で、男はそのなかでも一際、立派な身なりをしていた。優雅な物腰と尊大な態度が彼の身分の高さを物語っている。
「気にいった」
 歯を見せて、青年は依頼人を振り返った。銀の眉をひそめ、依頼人は不可解そうな表情をつくった。
「あれを、か?」
 違う、違うと笑いながら手を横に振る。
「この仕事を、だ。一応、俺にも良心ってものがあるんだけどな、あれなら良心を痛めることなく仕事ができる」
「人を殺すことに良心の呵責を覚えぬのか?」
 責めているのではなく、心底、不思議に思っている様子だ。オルトは小さく唇の端を吊り上げた。
「相手によりけりだって。誰かに血を流させる人間は、自分の血も流される覚悟をしておくべきだと俺は思ってる。そういう人間を殺すことに躊躇いは覚えない。で、あいつは、その覚悟をしてなくちゃならない人間だ。違うか?」
「…そうだな」
 男は氷蒼色の目を細め、標的を見据えた。感情の読めぬ横顔を眺めながら、ふと、オルトはこの男と標的の相似性に気付いた。おそらく、標的の方は彼より幾つか年下だろう。だが、一目で容姿の相似に気付かなかったのは年齢のせいではない。冷たい印象を与えるという点では標的も雇い主も同じだ。それなのに、似ていると認識しなかったのは、人としての在り方が根本的に違っているからだろう。目の前にいる男も標的も人に血を流させる男だ。だが、そこに痛みを覚えるか否かの違いがある。この男達のような種類の人間、国の中枢にいる人間にとって、その違いは単純に善悪で割り切れるものではない。
 依頼人は、貴族に生まれて幸いだった、と言えるだろう。己が生きるために死を食い物にする「騎士」には向かない男だ。雇い主が騎士能力をも持つことをオルトは薄々感じていた。この男のような「騎士」は戦いでは死なずとも、心の痛みに精神を摩耗していずれは自滅する。彼が生きていられるのは、彼のなかで死と引き換えにできるだけの生をその手に預かっているからだ。
「…ひとつ、聞いていいか?私怨って言ったが、どういう類いのものなんだ?」
 男はしばらく黙っていた。答えるつもりはないらしいと諦めかけたところに、ようやく男は口を開いた。
「…あれは私の息子を殺した」
 ささやくような声に、オルトは激しい怒りと嫌悪を感じ取った。どちらの感情も半分は自分自身に向けられている。おそらくはその息子を守れなかったという自責の念なのだろう。
「ますます気にいったな」
 今度は依頼人に向けた言葉だったのだが、彼はその違いに気づくことなく標的を見据えたまま聞き返さなかった。


 重たげに書物を抱えて階段を上る少女に目を留める者はいなかった。塔の最上階に「匿われている」貴人は読書が趣味で、書庫の蔵書を片っ端から読みあさっているのだ。その書物に何が挟まっているか気にするような者はいない。人の気配が消えると、少女はそれまでとはうって変わって楽々と書物を抱えたまま階段を駆け上がり始めた。
「しっかし、あのおやじも、元気だよな。騎士能力も持たないくせに、クルス・アディン殿に厭味言うために、わざわざ、ここを上ってくるんだからさ」
 彼女はそう言って囚われ人を笑わせたのだが、実際に用もないのに、わざわざ最上階まで上ろうという奇特な人間はそういないだろう。
 見張りのいる階に近付くと、少女は足取りを緩めた。最上階に続く階段の前には扉があり、そこに見張りが置かれているのだ。
 ぱしぱしとエセルはほおをたたいて、息を弾ませているようなふりをしてから、ゆっくりと見張りの前に姿を現した。そっと頭を下げると見張りの男は鍵を取り出して、錠を開けた。
 わざわざ鍵なんかつけなくても、こいつが階段に座ってりゃ、それだけでふさぐことができると思うけどな。
 体格の良い男には、続く細い階段を通って最上階に行くのも一苦労だ。見張りとしては不適切だと思うのだが、この階段を使わずに外に出ることなどできないと考えているのだろう。
 見張りの横を擦り抜けて、細く狭い階段を上がり始めると、すぐに後ろの扉が閉められた。階段を上がるに連れ、妙に聞き覚えのある声が聞こえて来た。
 …そろそろ来るんじゃないかとは思ってたけどさ。
 扉を開けると、予想どおり、なんだか疲れた様子で座り込んでいる銀髪の青年に向かい合っている朱金の髪の男がいた。
「よお」
 にやにやしながら、暁王国の将軍が片手を上げる。
「こんな真っ昼間から、ヤモリみたいに壁をはい上ってきたわけ?つくづく、元気なおっさんだな」
 銀髪の青年は軽くふき出したが、おっさん呼ばわりされることに、すっかり慣れている男は平気な顔で応じた。
「囚われの姫君が気を利かせて、縄ばしごでも降ろしてくれりゃあ、良かったんだがな。そこまで気が回らなかったらしい」
「わざわざ危険な怪物に縄ばしご降ろしてやるような奇特な姫君はいやしないよ」
「…囚われの姫君とは、ひょっとして、私のことか?」
「他に誰がいる?髪も伸びたことだし、もうちょっと細ければ、十分、姫君で通るぞ」
 にやにや笑ってデュリルが言うと、クルスは厭そうに顔をしかめた。切るべきだろうかと迷っている様子で結わえられた髪を引っ張っている。本人は厭がるかもしれないが、女に生まれていれば、男にもてただろうことは間違いない。とりわけ女っぽい容姿をしているというわけでもないのだが、とかく奇麗なのだ。
 エセルはテーブルの上に書物を置くと、窓から顔を出した。谷を流れる川から強い風が吹き付ける。人によってはめまいを覚える高さだ。
「普通の騎士なら、こんなところはい上がろうなんて考えないよな」
 あんたの存在と行動は常識外れなんだよ、とエセルは暁王国の将軍にきっぱり言い渡した。
 いくら騎士でも落ちたら死ぬ高さだ。もっとも、この男ならわからないが。
「だから、誰にも見つからなかったんだ」
「クルス・アディン殿、こんなおっさんに窓から押し入られて、びっくりしませんでしたか?」
「…急に現れたことには驚いたが、デュリルならやりかねないからな」
 すでに立ち直ったらしく、ぱらぱらと書物をめくりながら応じる。指先が目的のものを探り当て、青い目がその頁に注がれた。彼いわく、数少ない友人からの伝言がそこに書かれているのだ。手回しの良いことに、彼は谷川に突き落とされる前にこうした事態を予測しており、連絡をつける手順を整えており、彼の立てた計画は滞りなく進んでいるという。彼を利用するつもりでいる異母兄は逆に彼に手玉に取られていることに一切気付いていない。国を出るために自分に関わる一切の揉め事を始末していこうと、あちこちに手を回しているそうだが、そこまでしてやる義理はないのではないかと言えば、それでは私の気が済まないんだとクルス・アディンは笑顔で応じた。陛下のお抱え狸連中の仲間になる資格は十分だとエセルは思ったのだが、口にすると厭がられそうな気がしたので黙っていた。この人物が婿入りすれば、陛下以上にヴェルシュ殿や廷臣達が喜ぶことだろう。
「しかし、本当におめでたい男だな、お前の異母兄とやらは。お前が国王を暗殺したように見せかけて、まとめて始末できるなんて本気で考えているのか?」
 あまりに馬鹿過ぎて信じられんとばかりにデュリルは言った。
「国王はともかく、お前を始末しようってのは骨だぞ」
 エセルは笑いながら、後ろから将軍の肩をたたいた。
「あのおやじが見くびるのも無理ないって。こっちが恥ずかしくなるくらいの、いたいけな青年ぶりなんだからさ」
 銀髪の青年は否定することなく苦笑をこぼした。
「闘技大会の時以上に情けない面をしていたのか?」
「あんなの目じゃない。触れなば落ちなんって風情」
「そりゃあ、是非とも見てみたいもんだ」
「冗談じゃない。大体、君みたいな図体で隠れる場所はこの部屋にない」
 見世物にされてたまるかとばかりに、即刻却下する。それから、余計なことは言わないようにと軽くエセルを睨んだが、射殺さんばかりの目で睨まれることに慣れている彼女には制止の意味を持たなかった。ただクルスにとって幸運なことに、多少なりと好意を持っている相手をからかうなら一対一に限るという少々変わった信念をエセルが持っていたため、それ以上、二人がかりでのからかいを受けることはなかった。
「ま、お前の演技がうますぎるってことにしてもいいが。お前と半分でも血がつながってんなら、もうちょい頭が回ってもいいんじゃないか?頭の中身も母親譲りなのか?」
 ちらとクルスは青い目を向けた。
「つながっていないんだ」
 肩を軽く竦めて、こともなげに言う。
「異母兄なんだろうが?」
「表向きは。そして私もそう信じていたんだが…幸か不幸か、血縁はなかったらしい。まあ、一滴や二滴の血のつながりはあるかもしれないが」
 氷晶王国の貴族は純血を重んじるからと薄く笑う。
「ほう?…肝が座っていたのはどちらの母親だ?」
 俺の予想だと、とデュリルはにやと笑った。
「お前とそっくりだったっていう母親の方だが」
「当たりだ。…それを知った時には、さすがに少々落ち込んだが、私を生んだ時、母が一七才だったことを考えると、責める気にはならない」
 エセルは素早く先王の年齢を換算して頷いた。
 いくら正妃に迎えられても、相手は六十男である。自分が望んだ婚姻でない限り、浮気したくもなるというものだ。
 ひょっとして、とエセルは眉を寄せた。
「クルス・アディン殿、先日、破談になるかもしれないと、おっしゃった理由って、これですか?」
 女王の命令で探しに来たと言った自分に銀髪の青年は縁談はなかったことになるかもしれないのにと苦笑まじりに言ったのだ。
「ああ。私は王弟どころか、不義の子になるわけだから、女王にはふさわしくないだろう?」
 開放的な南陽王国においても、やはり不義を働くことは非難される。ただ北方や西方に比べれば、庶子の待遇はかなり寛容だ。
「そんなこと、おっしゃって、陛下を止めようたって、そうはいきませんよ。そりゃあ、お堅い連中の中には知れば、難色示す奴もいるでしょうけどね。陛下が決めることですから。それに陛下には聞く耳ありません」
「そりゃあ、聞く耳ってもんがあれば、こんなとこまで、押しかけて来ないからな」
 諦めろとデュリルが笑う。
 銀髪の青年はぴたりと動きを止めた。
「どうした、クルス、それほど逃げられないことがショックか?」
「今、なんと言った?」
「あん?」
「陛下が押しかけて来るとか、なんとか言わなかったか?」
 硬い声である。
 デュリルは意外そうに騎士見習いの少女に目を向けた。
「言ってなかったのか?」
「確認したわけじゃないからね。煩わせちゃあ、いけないと思ってさ」
 忙しそうだったしと肩をすくめて見せる。デュリルは前の青年に目を戻した。
「そんなに意外だったか?」
「あまりにも有り得そうで、考えないようにしてたんだ」
 妙に強張ったままの顔でつぶやくように応じる。デュリルが人の悪い笑みを浮かべた。
「今頃、お前をどこに隠したと国王に突っ掛かっているかもしれないぞ?」
「あー、やりかねないな、陛下なら」
 実に悲壮な顔で銀髪の青年は両手で頭を抱えて深い息を吐いた。
 南陽王国に戻ったら、腕はいい薬師を紹介してあげようなどと本人のためにはならぬことをエセルは考えていた。


 女薬師は家の裏手の小さな薬草園にいた。お茶に混ぜる香草を花の具合を吟味しながら、ほっそりした指先で摘み取っている。土を踏む音にゆっくり頭をめぐらすと、近衛騎士の青年が近づいて来るところだった。ここしばらく忙しかったようで、どこか疲れた顔をしている。
「何か変わったことは?」
 挨拶抜きに用件のみを告げる青年に摘み取った香草を束ねながら女薬師は小さく笑った。挨拶するのも面倒だと思っているくせに、このようなところまで足を運ぶ仕事熱心さは感心せざるを得ない。
「近衛騎士の方々にお渡しするお茶に混ぜ物をしようという、お馬鹿さん達が何人かいらっしゃいましたよ」
 手を休めることなく、こちらも挨拶抜きで答える。
「それで?」
「気づかぬふりをしておきましたが、神官長様に言い付けておきました。商売道具を駄目にされたんですから、そのくらいの報復はさせていただかないと腹の虫がおさまりませんからね」
「何を使った?」
「魔導香」
 ヴェルシュは軽く頷いた。魔力保持者にのみ嗅ぐことのできる香であり、また追跡魔法を使う媒介になるものだ。先日、神官長が鼠の巣穴を突き止めている最中だと言ったのは、こうした手掛かりを使ってのことだろう。
「今日のこれからの御予定は?」
 花の香りを嗅ぎながら、さりげない調子で尋ねる。
「ちょっとした調べ物をする程度で特にはない」
「では、お茶を飲んでいかれませんか?新しい調合をしてみたんです」
「余計な物をいれていなければ、もらおう」
「私は余計なものなど入れたことはありませんよ」
 それは飽くまで彼女自身にとってはの話だ。よくまあ、ぬけぬけと言えるものだが、何より呆れるのは本人が本気でそう思っているということだ。
「すぐに用意いたしますから、これを軒下に吊るしておいてくださいね」
 笑顔で香草の入った籠を押し付ける。
「喜んで手伝ってくれる奴にやらせればいいだろう」
 うんざり顔で応じると、
「あなたが出入りしているのを知って、足が遠のいた方々が多くて。無料奉仕してくださる良い方達だったのですけれど」
 おまえのせいだと言わんばかりに、小さくため息をついてみせる。薬を仕入れるという名目で自称医師見習いやら、商人の息子やらが頻繁に訪れて高値で薬を買い取っていくことも、そうした男達を女薬師がうまくあしらって仕事を手伝わせていることも、ヴェルシュは知っていた。
「ひょっとして、エセルに男共をいいようにあしらう術を伝授しなかったか?」
 女薬師は長い睫毛にふちどられた目を軽く見張った。
「そんなことしていません。気持ちよく、役に立って頂くには、どのように振る舞えばいいか教えて差し上げただけです」
 あっさりと言って踵を返した娘の背を見ながら、やはりそうだったかとヴェルシュは深々と溜め息をついた。

 ぼんやりと薄目を開けると、窓から夕日が差し込んでいた。床の上に乾いた葉が一枚落ちて影をつくっている。
 …やられた。
 ゆっくりと頭をもたげ、前髪をかきあげる。肩にかけられた毛布がずり落ち、床に落ちた。
「お目覚めですか」
 涼やかな声の主を不機嫌な目でねめ付ける。
「余計な物を入れるなと言ったはずだが?」
「お茶には何も入れていませんよ」
 きつい視線にも怯まず、あっさりと女薬師は応じた。ヴェルシュは眉を寄せ、記憶を探った。
「香、か」
 お茶とは別の香りを嗅ぎ、また何か調合しているのかと思った記憶がある。
「ええ、安眠香です。普通の状態の騎士には効かないものですよ」
 やんわりと諌める調子にヴェルシュはますます不機嫌になった。
「余計な真似をする」
 生憎、と女薬師はちらと笑って言った。
「これも私の仕事ですので」
 そう言って、一枚の書状を示した。そこにある署名と紋章を見てヴェルシュは息を吐いた。
「近衛騎士の健康に配慮すること。健康維持のためには手段を選ぶ必要はなし。陛下の御命令です」
「…いつの間にそんなものを」
「陛下御自ら、出掛けに立ち寄ってくださいました」
 また、あの女王陛下はとヴェルシュは天井を仰いだ。そして、そのまま動きを止めた。知らず知らず、溜め息がこぼれる。なんだか自分はこの家に来るたびに溜息を何度もついているような気がする。
「…あんなものを、なにげなく置物代わりにするな」
 無駄とは知りつつも、言わずにはいられない。女薬師は小首を傾げた。
「でも、夜になると光って奇麗なんですよ」
 一応、人目を避けているらしく、梁の上に並べられた紫の石は粉にして服用すればじわじわと死に至るという鉱石であった。