女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (1)

 森は雪に覆われていた。
 風さえも凍てついたかのように寒い夕べ、か細い赤子の泣く声だけが凍えた森の空気を震わせる。
 そこは聖なる森だった。神域とされ、一般の人々は立ち入ることを許されていない。そうでなくとも、森神の呪いを受けることを恐れて人々はこの森に近づこうとはしなかった。それゆえ、赤子の声を聞く者は森の生き物以外にいるはずではなかった。
 森神を祀る祭壇の上に赤子は置かれていた。
 祭壇の上の雪は払われていたが、布でくるまれただけの小さな赤子が寒さで息絶えるのは時間の問題だった。泣き声を聞き付けて、腹を空かせた肉食の獣が通りかからないとも限らない。祭壇のまわりには幾つもの足跡が残り、赤子がそこに故意に残されただろうことを示していた。
 その人物は赤子を前にためらっていた。厚手の外衣を頭からすっぽり被っているために、その容姿は見えない。外衣の突っ張りが、剣を帯びていることを示していた。意を決したように、その人物は赤子に手を伸ばした。抱かれた途端に赤子は泣き止んだ。まだ首も据わらぬ赤子は涙に濡れた目で抱き上げた人間を見詰めていた。
 森の民であることを示す鮮やかな緑の目だった。
 夏の森の、生命の息吹を象徴する色。
 彼はしばらく思案した後に、赤子をくるんでいた布を祭壇の下に落とし、外衣の内側に赤子をしっかり抱え込んだ。はらりと雪が鼻先を舞った。今夜のうちに雪がすべてを隠すだろう。獣が子供をくわえて運び去ったように見えることを願いながら、彼は急ぎ足でその場を去った。

 薄い光が窓の隙間から差し込んでいた。
 あれは、誰だったのだろう。
 自分と同じ色の髪と目を持つ赤子はこの国では珍しくもない存在だ。
 寝台に身を起こしたライカは軽く額を押えた。
 彼女は「先見」の血筋だが、未来を見たことはない。時折、気まぐれのように夢に現れるのは過ぎ去った昔のことだ。「過去見」と呼ばれる能力だが、「先見」と違い、重要視されるものではない。だから、ライカは冬になると繰り返し見るこの夢のことを他人に言ったことはない。
 突然、女の笑い声が響き、ライカは息を飲んだ。
 甲高く狂気をはらんだ笑い声は、神殿の奥に軟禁されている女神官のものだった。
 彼女は気が触れていた。だが、彼女は強力な先見だった。
 気の狂った今も、時折、紡がれる言葉は未来を語っていた。それゆえ、彼女は丁重に扱われている。しかし、同時に、忌避されている。彼女が呪咀のように「滅びの言葉」を繰り返すからだ。それが先見なのか、彼女の望みなのかは分からない。
 彼女は緑森王国の崩壊を、神殿の崩壊を繰り返し口にした。
 ライカは他の人々ほどに、それらを忌まわしいとは思わなかった。
 心のどこかで、自分もそれを望んでいるかもしれない。
 少女は冷たい床に足を降ろすと、窓を開けた。
 寒いと思えば、やはり雪がうっすらと積もっていた。
 どうりで、あの夢を見るはずだわ。
 皮肉な笑みを口元に浮かべる。
 冬が始まったのだ。
 これで春が来るまで、ライカがこの神殿を出て行くことはできない。
 先見の血筋だからという理由だけで、ライカは幼い頃に母親から引き離されて神殿に入れられた。数年後に母親が病死したという知らせが届くまで、家族のことを知らされたことはなかった。
 森の奥深くにある神殿に先見の血筋の子供達は皆集められ、暮らしている。緑森王国で最も大きな、森神を祀る神殿だ。
 先見の能力は森神が与えたものだという。だから、ライカは森神が嫌いだった。十四才になっても、先見の能力が現れなければライカはここを出ることができる。その日が待ち遠しかった。先見の能力など、欲しいと思ったこともない。未来を見ると言っても、それが現実になるとは決まっていないのだ。起こりうるかもしれぬ出来事をかいま見るだけのこと。そのような不確かな事に振り回されるのは御免だった。
 二年後、ライカは森神殿を出て、森の外れにある風神殿に移った。森を出てからは冬になっても、あの夢を見ることはなくなった。ライカはやがて夢を見ていたことさえも、思い出すことはなくなっていった。

 少女が森神殿を出たのと同じころ、やはり先見の血筋の少年がある目的のために選ばれた。
 少年は少女よりわずかに年下で騎士能力を持っていたが、少女と同じで先見の能力は持たなかった。ただ同じ神殿にいたことがあるだけで、二人の間に特別なつながりはない。ただ、どちらも神殿の外に出ることを強く願っていた。
 彼が選ばれたのは、その髪の色のためだった。
 黒髪というのは、大陸南部と西部では、ごくありふれたものだった。緑森王国でも、とりわけ南の国境地帯では、そう珍しいものではなかった。しかし、彼の育った「場所」では違っていた。先見の血筋の者は、その血を守らねばならぬために、めったに外の者と婚姻を結ぶことがない。それゆえ、彼の育った場所では、ほとんどの者が金茶の髪に緑の目を有していた。
「下賎な血を引くお前でも国の役に立てるのだ」
 そう言ったのは彼の伯父だった。伯父は、己の妹が平民出の騎士と一緒になることに最後まで反対していたという。そして、今も許していない。
 彼には伯父の言い分など、どうでも良かった。国の為に命を落とした父親と違い、国の役に立つことなど、どうでも良かった。ただ、この外界から隔絶された空間から出たかった。
 だから、彼は何も言わずに、伯父の命令に従った。他国に潜入し、その国の民になりすまし、情報を本国に送るという任務に抵抗感すら持たなかった。
 「外」に出て、彼は初めて息を吸った気分になった。そこに日差しを遮る森はなかった。輝く太陽は余すところなく大地を照らしていた。
 太陽の恵みを受ける地に暮らす人々は誰も彼をよそ者扱いしなかった。どこの誰から生まれたかなど、詮索する者もいなかった。彼は南陽王国民として五年以上の月日を過ごした。その間、誰も彼を疑う者はいなかった。
 いっそのこと、故国のことなど忘れてしまいたいと彼は願っていた。だが、忘れることはできなかった。金茶の髪と鮮やかな緑の瞳を持つ存在が、彼の視界に入るたびに、彼の故国を思い出させた。
 彼が持たずに生まれたゆえに、彼を故国から切り離した色彩を宿した少女は、生粋の森の民であることを示す容姿を備えながら、故郷は南陽王国だと些かの不安も持たず言い切った。どこで生まれようと、何者の血を引こうと、関係ないことだと、彼が囚われ逃れられないしがらみをあっさりと切り捨ててしまう。
 そんな少女の存在が彼を苛立たせた。理不尽だと思いながらも、その髪と瞳を見るたびに、心の奥底からわき上がる苛立ちを押えることはできなかった。隠そうとしても、自然とその思いは滲み出るのだろう。少女はよく彼に喧嘩を売った。彼もためらわずにそれを受けた。感情の赴くままに喧嘩をした後だけ、わずかに苛立ちはおさまった。
 だが、その存在が視界に入ることがなくなって、ようやく、彼は気付いた。自分が苛立ったのは、その色彩のためではなく、彼女の在り方ゆえだった。少女は国にも人にも、囚われなかった。その自分にはない強さが妬ましかったのだ。
 間もなく、南陽王国と彼の故国、少女の血縁者のいる国との間に戦が始まるだろう。戦となれば彼女が例え血縁者であろうと、「敵」にためらいなく刃を向けることを彼は確信していた。だが、自分は、その時、どうするのか、彼には分からなかった。


 背後にはどこまでも澄んだ空が広がっていた。
 自分と刃を交わす男は気味が悪い程、自分自身に似ていた。
 男女差、年齢差というものがあったが、もしも、それらが同じだったならば、鏡に映したように、そっくりなのではないかと思わせるほど、よく似ていた。そのことに嫌悪感こそ覚えれども、親近感など微塵もわかない。
 そんな男と自分はあらん限りの力を尽くし戦っていた。
 負けた方が死ぬ。
 それははっきりしていた。
 二人とも互いに互いの命を望んでいた。
 相手の命を奪えなければ、死ぬのは自分だ。
 男は見事な鎧を纏っていた。丹念に磨き抜かれた胸当てに刻まれた紋章の意味を、今の自分は知っている。
 自分は研ぎ澄まされた刀を操っていた。それは今、自分が手にしているものと同じだ。二年前に手に入れた、自分の一部とも思える刀だ。
 相手の目に映る自分の姿。
 その姿に自分は次第に近付いている。
 大人になりかけた少女の姿。
 永遠とも思われる、一瞬の闘い。
 それはいつも白い光に包まれて終わる。
「エセル」
 名前を呼ばれ、体を軽く揺すられて、エセルは目を覚ました。見慣れた女騎士の顔がすぐ近くにある。おき火に照らされた赤褐色の髪と肌が彼女が東の生まれであることを示している。彼女はエセルが所属する傭兵部隊の指揮官だった。
「交替だ」
「わかった」
 短く返事をして、あくびをする。
 女騎士はふっと笑った。
「珍しいな、エセルが声をかけられるまで、眠っているなんて」
「夢みててさ。中断できなかったんだ」
 冗談めかして言うとエセルは立ち上がった。
 幼い頃から繰り返しみる夢だ。途中で途切れても、続きは脳裏に再現できるほど、慣れ親しんだ夢だ。だが、一度足りと途切れたことはない。
「見張りの間に夢はみるなよ」
 女騎士が僅かに笑いを含んだ声をかける。
「当然」
 任せてと言わんばかりに、右手につかんだ長刀を振ってみせる。
 刀は手に入れた。それを操る術も身につけた。後は戦場で遭遇するのを待つだけだ。
 その戦場はここではない。
 こんな小さな戦では、あの男は出て来ない。
 だから、自分は「夢」をみない。
 男が帯びた紋。それは緑森王国の王族を示した。



 南陽王国の女王は書類を睨みつけていた。
 次々に積まれて行く各地からの報告書は文官達の手を経てまとめられ、簡潔化されたものであるのだが、その量たるや半端なものではない。
 はたりと作業に飽きた女王は執務机の上にほお杖をついて、すぐ近くでやはり書類に目を通している夫に目を向けた。
 彼は器用なもので、幼い息子を片方の腕に抱いたまま、仕事を進めていた。先程まで足元をちょろちょろしていた息子は遊び疲れたのか、彼女が夫に半ば強制的に伸ばさせた銀髪を握りながら眠っている。息子は自分と同じでその銀髪をいたく気にいっている様子だ。
 視線に気付いてか、クルス・アディンが書類から顔を上げた。
「どうかしましたか、陛下」
「飽きた」
 率直に言うと、少し困ったように苦笑を漏らして首を傾げた。気弱げに見えるこの表情に果たして何人の人間が騙されたことか。それにしても、こうした表情が似合う男というのは、そうそういるものではないと見るたびに女王はひそかに感心していた。
「書類もクルスの顔ぐらい見ごたえがあれば、飽きることはないのだがな」
 そろそろ、この顔も見飽きたでしょうにとクルス・アディンは笑った。
「こちらの報告書など、読みごたえがありますよ」
 そう言って、書類を差し出す。それは北の隣国に放った間諜からの報告であった。彼は専ら表に出ない仕事を、監査や諜報を担当している。女王はさっと書類に目を通し、ふむと唸った。
 その報告書には件の国が東の国境地帯において小競り合いを起こしたことを知らせるものだった。境界を接する領主同士の争いに、両国の王は干渉せぬ取り決めをしたという。何故なら、それは、境がはっきりと定まっていない小さな谷をめぐるささいな争いだったからだ。どちらの王も事が大きくなることを避けているように見えた。しかし、彼らが取り交わした約定はそれだけとは思えない。ひょっとすると、平和協定を結んだ恐れがあるという。緑森王国はその北の国とも平和協定を結んでいる。南へ侵攻するにあたって、背後を固めるためだ。
「まったく、なんだって領土を拡大したがる?私は今の領土だけで十分だぞ。これ以上、仕事が増えても困る」
 日々の執務にうんざりしている女王は心底わからないとばかりに報告書を机の上に投げ出した。
「…緑森王国の王は歴史に興味をもっているそうですからね。案外、古代帝国の再建など夢みたのかもしれませんよ」
 クルス・アディンが息子を抱え直しながら言う。
「大陸全土を支配していたとかいう輝闇帝国のことか」
「ええ」
 事実、過去に皇家の末裔と名乗って、大陸制覇に乗り出した王もいた。だが、それが達成されたことは今までない。また一方、帝国の苛酷な支配を打ち砕いた英雄達の子孫を名乗る者が現在の王家の始祖になっていたりもする。南陽王国もその一つだ。帝国崩壊後はおよそ五百年にわたり戦乱が続き、多くの国が興っては消えたので、その信憑性は非常に薄い。少なくとも、アシャラーナ自身は信じていなかった。
「本当に大陸を統一した帝国が実在したのか?」
「そう習いませんでしたか?」
「習うには習ったが、大昔のことを言われても、ぴんと来ぬな」
 夫と違い、さほど歴史に興味を持たない女王である。
「大体、そんなかびの生えたような古臭い動機で侵略されても困る」
「そうですね」
 クルス・アディンは軽く笑った。おびただしい血を流しての大陸制覇を目指すような男の心情など彼にも理解しかねた。
「しかし、何故、我国を狙うんだ?悔しいが、余程、北の廣原王国の方が土地は豊かだぞ。確かに、魔法士の多い廣原王国に魔法騎士と騎士が主力の森緑王国が攻め込むのは難しいかもしれぬが…」
「実際のところ、理由など本人に聞かぬ限りは分かりませんよ」
 澄んだ青い目が微かに陰りを帯びた。
 本人も理由が分かっているとは限らない。人は何かに駆り立てられるように、何かを求めて動くことが時にはある。
「…本人に聞かねば分からぬということで思い出したのだが」
 女王は琥珀色の瞳で、何やら難しい顔をしている夫をじっと見据えた。
「浮気したいと思わないか、クルス・アディン?」
 ごんっと鈍い音が響いた。扉の向こうに控えている近衛騎士が扉に頭をぶつけたらしい。女王の夫が同席している際には、近衛騎士は執務室の外で警護に当たることになっているのだが、騎士の聴覚は優れているため、中の会話は筒抜けなのだ。最年少の近衛騎士、フィルはその地位についておよそ二年、それ以前からも女王と交流はあったが、未だ女王の思考の飛躍には慣れていない。
 しばし沈黙が流れた。
 ゆっくりと銀髪の青年は口を開いた。
「…それは浮気しろという婉曲的な強制ですか?」
 なにしろ優秀な騎士を増やせと近衛騎士達に向かって発破をかける女王だ。ひょっとしてと思わずにはいられない。
「まさか。子供ができたら用は済んだとばかりに浮気を始める夫や、妻が子供ばかりかまうので、つい寂しくて浮気した夫の話などを耳にしてな。ちょっと気になったのだ」
 クルスはこめかみを押えた。
 その話に沿うと、どちらかと言えば浮気されるのは自分になる。
 世継ぎを得た以上、女王に夫は用なしとも言えるし、子供をかまう時間が多いのは自分の方だ。ついでに、子供の相手ばかりするなと駄々をこねるのも女王である。
「答えは?」
「…私には陛下お一人だけで十分です」
 その一人だけでも手に余る。浮気する余裕など、どこを探しても見つからない。
「ふーん?結婚する前も後も、仲たがいさせようとあちこちから送り込まれた女に色目を使われていただろう?好みの女が一人二人はいたんじゃないかと思うんだが」
 興味津々の顔で聞いてくる。
 貴族の子女はしばし行儀見習いを名目に女官として王宮に送り込まれるが、一時期、明らかに養女とおぼしき娘達が多数送り込まれて来たのである。そうした女官達を女王は徹底して身辺から遠ざけていた。ついでに女王は知らぬことだが、女王の目をかい潜って、クルス・アディンに言い寄った女達は敢え無く玉砕している。彼は素知らぬ顔で、女王以外目に入らないとばかりに、のろけ倒してやったのだ。それでかえって女の意地を刺激されて奮い立った女もいたが、クルス・アディンに技巧は通用しない。近衛騎士隊長シェイド・エウリクいわくの「圧倒的戦力不足」、すなわち、色香に欠けた女王に何故自分がかなわないのだと悔しがる女達は、勝負すべき点が色香でないことを知らないのだ。
 もし、ここで、女王の問いを肯定したら、どんな騒ぎになるか、クルス・アディンにはよく分かっていた。女王に執務を滞りなく進めてもらうのが、自分に課せられた最優先の任務であるからには、間違っても肯定してはならない。
「陛下のような女性は二人とおられませんから」
「どういう意味だ、それは?」
「陛下以外に好みの女性がいるはずもない、ということです」
 我ながら臆面のないと思いつつ、にこりと笑ってクルスは言ってのける。
「そうか」
 女王は満足そうに頷いた。
 気分が良くなったのか、再び書類に向かい始める。
 扉の向こうで、純情な若者があてられて、真っ赤になっているに違いないとクルス・アディンは微かに苦笑をこぼした。