女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (10)

 自分の目の前に連れて来られた魔法士を女王はしばらくの間、黙って眺めていた。
 ほっそりした若者は静かに目を伏せている。
 地味な印象を与えるが、目鼻立ちは整っており、やや切れ長の灰緑の瞳は知性を感じさせた。髪は夫と同じ銀髪だが、柔らかな彼の髪に比べこの魔法士の銀髪はまさに銀を紡いだような硬質な輝きを放っている。
「うむ、合格だ」
 これならば王宮に置いてよし、と面食いを公言して憚らぬ女王は魔法士に王宮に入る許可を与えた。
「名前は?」
「ノウィンと申します、陛下」
 言って魔法士は優雅に礼をした。この魔法士が、ひどく苦労して覚えた南陽王国流のお辞儀である。特に難しい動作ではないのだが、神官服をまとって優雅に動くということは、ノウィンにとって、ひどく難しい。
「クルス・アディン殿はしばらくお忙しいそうだから、この王宮における魔法の仕掛けについてはユリクに聞くといい。一応、あれも魔法士だからな。確か、クルス・アディン殿から、おおよその仕掛けについては聞いているはずだ」
 魔法士を連れて来た女神官が言う。
 女王は軽く眉を上げた。
「ユリクは魔法士能力も持っておったのか?」
「今更何をおっしゃるのやら。陛下には報告が行っていたはずですが。どうせまた書類を斜め読みなさっていたのでございましょう」
 女王はそしらぬ顔で聞こえなかったふりをした。
 その様子を眺めていた近衛騎士の若者は女神官の言葉は図星だったに違いないと確信していた。
 ユリクの場合、魔法士の能力は持っていてもクルス・アディンと異なり魔力が低いために魔法士としては通用しない。それゆえ、彼が魔法士能力を持つことは余り知られていないのだが、女王は知っていて当然だった。何故なら、騎士見習いとして王宮に迎える時と近衛騎士に登用する時の二度にわたって、彼に関する報告書が女王のもとには提出されているはずだからだ。
「フィル、ノウィンをユリクに紹介しておけ。私はしばらくトーヴァと話をする」
 優れた騎士能力を持つ女神官が共にいる限り、女王に護衛は必要ない。そして、ユリクはすぐ近くの部屋、すなわち、王子の部屋にいる。
 フィルは一礼して魔法士を伴い出て行った。最年少の近衛騎士はかなり背が高いが、ノウィンもまた彼と並んで違和感がないほどの背丈である。
「神官見習いということは、まだ十五才にもなっておらぬということか?」
 北方人とはいえ、年齢の割に背が高いものだと思いながらアシャラーナは確認した。
「春には十五になりますよ」
 用意されていたお茶を勝手に注ぎながらトーヴァが応える。
「もう一人、見目良い神官見習いがいると聞いたが?」
「ええ。その娘も同じ年です。優秀な魔法士である『神官』を国の外に出すのは難しいけれども、『神官見習い』なら比較的移動が容易ですからね。フェルス・アレン殿もうまいことをして下さったものです」
 トーヴァの応えに、どうしてわざわざ夫の異母兄が成人していない者達を派遣したのか、ようやく女王は合点がいったようだった。
「ふむ。…例の神官について何か分かったか?」
 この年の初めに急死した神官について尋ねる。やたら勘の鋭い少女が他殺ではないかと疑問を投じなければ、女王の耳には入ることがなかっただろう事件だ。
「今の所はまだ」
「その男が神殿に入ったのは十年以上前だそうだな?…それほど前から緑森王国は我国を狙っておったのだろうか」
「さて…。かの王は大陸のあちこちに紛争の種を蒔くことを趣味にしているようですが」
「なんぞ利益があるのか?」
「特にないから、『趣味』と申し上げたでございましょう」
「迷惑な趣味だ」
「陛下が面食いなのも結構、迷惑ですよ」
 聞こえなかったふりをして女王は窓の外に目をやった。
 曇り空が広がっている。
「何故、殊更に我国を攻撃せねばならないのだ?」
 以前にクルス・アディンにも同じ問いを発したことがある。その時、答えは返らなかったが、今回は違っていた。
「陛下が気にいらないのでは?」
 実に明快な意見である。
「なんだそれはっ!緑森国王に面と向かって不細工だと言ったことはないぞ。それに君主が気にいらぬからと言って、いちいち攻め込んでおられるものか」
 それが理由になるのならば、南陽王国はとっくの昔にあちこちに侵攻していたことだろう、君主の顔が気にいらぬという理由で。
「どうだか。世に愚王の例はたくさんございますからね。…そうそう、緑森王国の国王はなかなか男前だという話ですよ」
 不細工だと女王に罵られることは、まずなかろうとトーヴァは唇の端をつりあげて言った。
「ほう、それはなかなか嬉しい」
「敵対するのにですか?」
「どうせ生首を見なくてはならないのなら、不細工な生首よりも男前の生首を見る方がよかろう」
 ついとあごをそらして女王は傲然と言い放った。
「王の首を取るおつもりか」
 おかしそうにトーヴァは肩を震わせた。
「戦など真っ平御免だが、売られた喧嘩は買わねばなるまい」
 ものによっては買わなくともいいという夫や臣下の声は女王には届いていない。
「向こうが止める気がない以上、もはや避けられぬ。おとなしく攻められてやる理由はないからな。こちらは戦を回避すべく、努力したのだ。その努力を無駄にした報いは受けさせるぞ」
 努力したのは廷臣達だろうとトーヴァが鼻で笑う。
「お好きになさるがいい。死者の魂を冥府に導くのが私の務めであるように、国を導くのが陛下の務めであらせられるのですから」
 自分の知ったことではないと突き放す女神官をアシャラーナはじろりと見遣った。
 涼しい顔で女神官はお茶を飲んでいる。
 トーヴァは決断を促しても、どうするかはいつも自分に選ばせて来た。例え、その選択の結果、ひどい目に遭うと分かっていても止めずに傍観するのだ。
「…民には恨まれような」
「なに、今までも十二分に恨みを買っておられるのですから、多少増えたところで、何も変わりませぬよ。恨みを買わぬ王などいないも同然。死者の恨みは私が引き受けますゆえ、生者の恨みは冥府まで担いでいかれるとよろしい」
 女神官は平然と言い放ち、青い目で笑った。


 黒髪の若い女神官は幼い子供達に聖典を聞かせていた。
 視力を持たぬ彼女は全てを耳で覚えたのだが、一句たりと間違うことはない。その彼女に聖典を読み聞かせたエセルもまた全て暗唱できる。
 やっぱ、私が神官になれたのも、リシュテとユリクのお陰だよなぁ。
 そんなことを考えながら、エセルは居眠りしている子供を軽くつついて目を覚まさせた。
 もし、二人が彼らの学習に自分を強制的に付き合わせなければ、飽きっぽい自分には聖典を覚えることなど、まず無理だったろう。
「おい、エセル!お前、とうとうやっちまったのかっ!?」
 そんな言葉とともに部屋に飛び込んで来たのは王都警備隊の若者だった。
「やっちまったって、アイン、何をだよ?」
 常になく慌てふためいている様子に眉を寄せながらエセルは問い返した。少々、おっちょこちょいなところはあるが、アインがこうした無作法な行動に出ることはそうそうない。よほど、動転しているのだろう。
「エルードだよ。お前、あいつを殺っちまったんじゃないのか?」
 真剣そのものの表情で尋ねられ、エセルは溜息をついた。
「なんで、私がそんなことしないといけないのさ。エルードがどうかしたわけ?」
「いないんだよ、昨夜から」
「そんなの、どっかの女としけこんでんじゃないの?」
 一晩、姿をくらましたくらいでいちいち騒ぐ必要はないだろうとばかりに言ったエセルの前でアインは硬直した。
「エセル、そんな言葉使い、子供達の前ではしないでちょうだい」
 たしなめる女神官の指は思い切りよくエセルのほおをつまんでいる。目は見えていないはずなのだが、ためらわず目標物をつかんだ手付きは実に見事であった。エセルは痛みに顔をしかめているが、清楚な女神官は飽くまで笑顔だ。
 ひどく長い一瞬が過ぎ、ようやく細い指が離れた。
「わかったよ、リシュテ。ちょっと出て来る」
 片手でほおを撫でながらエセルは言い、もう一方の手でアインに外に出るよう促した。我に返ったアインは子供達の好奇の視線を背に部屋を出た。
「…驚いた」
 ぼそりとアインがつぶやく。
「何にさ?」
「彼女。…やっぱ、おまえ達の幼なじみだったんだな」
「ああ、リシュテね。失望した?」
 エセルは人の悪い笑みを浮かべて若者を見た。
 まるで聖女か何かのように彼女に憧れの目を向ける若者は多い。参拝客を減らさぬためにも人前ではあくびひとつできないとリシュテは苦笑していたものだ。
「いや。俄然、やる気が出て来た。触っただけで壊れそうな感じがして、なんか近寄りがたかったんだけどさ、あれなら大丈夫だよな」
「へぇ?見直したよ、アイン。つまらない理想を押し付けたりしないんだ」
 ばしばしとアインの背中をたたいてエセルが言う。
「でも、手ごわいよ?」
「やってみなくちゃわからんだろ」
 言ってアインはだいぶ話題がそれたことに気付いた。
「こんなこと話してる場合じゃない。お前、エルードを見かけなかったか?」
「いや。そもそも、一晩姿を消したくらいで騒ぐことじゃないだろ」
「騒ぐことだぞ。あのエルードが任務をほうり出して女といちゃついていると思うか?」
 昨夜、交替の時間になっても姿を現さず、巡回ついでに彼の住居に立ち寄った警備兵も彼の姿を見なかったという。
「わからないよ、ああいう手合は一度とち狂ったら何をしでかすか分かったもんじゃない。とはいえ、前触れもなしにそういう状態になるってのは考えられないな」
 そこまで、とち狂うのなら、周囲の人間が事前になんらかの変化に気付いたはずだ。
「だろ?」
「かといって、おとなしく事件に巻き込まれるような性格でもないし…。部屋はもう見たの?」
「ああ。特に変わったようには見えなかったが…」
 いつものように整然としたと言えば聞こえがいいが、殺風景な部屋を思い出してアインは答えた。
「一応、もう一度、見てみるか。あのひねくれ者が分かり易く手掛かりを残しているとは思えないからね」
「お前はあいつが自分で姿を消したと思うのか?」
「エルードの腕はよく知ってる。人知れず殺そうとしたら骨だよ?」
 毎度、真剣そのものに「喧嘩」をしているエセルの言葉である。信憑性は十分だ。
「そりゃあそうだが…」
「ウェイ殿くらいになれば、やってのけるだろうけどさ」
 剣鬼と言われる近衛騎士の名を挙げて、エセルは肩を竦めた。
 ああいう化物はそうそういるものではない。この国を出ている間、凄腕だと感じた騎士には何人も会ったが、あそこまで桁外れの騎士はいなかった。
「じゃ、リシュテに言って着替えてくるから、ちょっと待ってて」
「いいのか?仕事中だろう?」
「こういうことなら、リシュテは大目に見てくれるさ」
 例えリシュテが止めたとしても、出て行くことに変わりはないことだろう。障害があろうがなかろうが、やると決めたら絶対にやるのがエセルという人間だ。
 ひらひらと手を振ってエセルは部屋に戻って行った。
 …こういうところが陛下に気にいられているんだろうな。
 類は集まるというものなのだろうと女王の周辺にいる人間達の顔を思い浮かべながらアインは心のなかでつぶやいていた。


 初月の過ぎた森神殿は落ち着きを取り戻していた。神官長として新年の儀式を執り行った国王が神殿を去ったということもあり、幾分、空気が和らいでいる。
 しかし、だからといって、地方の小神殿から森神殿に強制的に呼び戻されたライカの機嫌は回復しなかった。
 彼女は年の初めに本神殿所属の正神官に任じられた。それは出世を意味するが、そもそもライカは出世など望んでいなかった。そして何より、「出世」の理由が自分の高い魔法力にあることを知っていた。
 王は優秀な魔法士を集めている。それは、この国の発展を促すためだと今までは思っていた。実際、王の召し抱える魔法士達は民を守るべく働いてきた。しかし、いつの間にか彼らは戦闘技能を著しく発達させていた。
 子供の時から自分が教えられた術が、攻撃性の強いものに偏っていることに気付いたのはいつだったか。
 気付かぬうちに、他者の命を易々と奪える力を手にしていることに、心底、ぞっとした。だが、多くの魔法士はまだ気付かないでいる。その力が民を守るための力だと信じているからだ。彼らは恐らく戦場においても平然と「敵」に魔法力を使うだろう。自分達は正しいことをしているのだと信じるままに、王の命じるがままに。
「ライクァルーチェ女神官」
 正式な名前を呼ばれて、はっとしてライカは顔を上げた。
 いつの間にか夕の祈祷式は終わっていたらしい。
 祭壇の前でひざまづいているのは自分一人だけだった。
「熱心に祈祷しているのを邪魔してすまないが、ジュナル神官がお呼びだ」
 声をかけた神官に軽く会釈を返してライカは立ち上がった。
 ジュナル神官はライカの養育にあたった神官の一人だ。そして、魔法の師でもある。
 …そう言えば、子供達に魔法を教える手伝いを頼まれていたんだったわ。
 思い出して、ライカは微かに眉を寄せた。
 魔法という力自体が悪というわけではない。肝心なのは使い方だ。だが、自分はそれを教えてやることができるのだろうか。
 そんなことを考えながら聖堂を出ると、何やら騒ぎが聞こえて来た。一般の参詣客が立ち入り禁止の場所にまで入り込んだらしい。
「だから、わざとじゃなくて、人探してたんだって。あやしいって言われても、人を探してるんだから、少しくらい挙動不審になっても仕方ないだろ」
 異国訛りのある男の声だ。何げなく、その方向を見遣ってライカは顔をしかめた。
 声の主は黒髪の痩せ気味の男だった。
 その顔にライカは見覚えがあった。
 昨年の秋、森の中で出会った奇妙な騎士である。
 男がふとこちらを見た。
 しまったと思ったが、もう遅い。
「あ−、ライカちゃん!」
 なんで名前まで覚えているのだと思いながら、聞こえなかったふりをしてライカは足早に立ち去ろうとした。
「森の中で、一緒に野盗退治をしたライカちゃんってば」
 くるりとライカは振り向くと猛烈な勢いで男に歩み寄った。その男の背後でやたら図体のでかい赤毛の少年が脅えたように後ずさった。しかし、黒髪の男は人なつこい笑顔を浮かべたままライカを迎えた。
「…知り合いかね、ライクァルーチェ女神官」
 男を咎めていた初老の神官が眉間に皺を寄せて尋ねる。
「私が村にいた頃、野盗に襲われた子供達を助けていただきましたの」
「ほう。…一緒に退治したとか言っていたが?」
「私は騎士様を案内しただけでございますわ」
 退治などそんな恐ろしいことできませんわとばかりにライカはしおらしい態度で嘘八百を並べ立てた。
 すなわち、村にたまたま通り掛かった流れの騎士に助けを乞い、野盗を退治してもらったのである、と。そして、それはまたライカが神殿になした報告でもあった。
 初老の神官の表情が幾分和らいだ。人助けをする立派な騎士ならば、大目に見てやろうという気になったのだろう。以後、気を付けるようにと言い置いて立ち去った。
「役者だなぁ」
 黒髪の騎士はにやにやしている。
「…どうぞ、こちらへ」
 内心の怒りを抑えてライカは言い、男達を表の参詣が許されている場所にまで案内した。途中、神官見習いをつかまえ、用事が入ったため、手伝えそうにないというジュナル神官への伝言を頼む。
 何をおいても、この男の始末をせねば。
 その意気込みを感じているのか、赤毛の少年はひどく居心地の悪そうな様子だ。ライカとしては、男の仲間だというだけで少年をどうこうするつもりはない。
 ライカは風神を祀る小さな祈祷室に二人を入らせると、扉を閉めた。
「へぇー、森神殿の中でもこういうとこがあるんだな」
 のんきに祭壇を眺めている男の長い黒髪をライカはむんずとつかんで引っ張った。
「一体、どういうつもりよっ」
 男は緑の目をきょとんと見開いた。
「俺、何かライカちゃんに悪いことしたっけ?」
「馴れ馴れしく呼ぶんじゃないわよ。大体、あんたに名乗った覚えはないわっ」
「あ、俺、オルト。こっちはファギル」
 聞いてもいないのに勝手に名乗る男にライカはぎりぎりと奥歯をかんだ。一呼吸おいて、低い声で尋ねる。
「一体、何の目的でここに来たのよ。あんたみたいな得体の知れない男と関わりがあるなんて思われたら、迷惑なのよ」
「あ、誤解されたくない奴がいるんだ。やっぱ、神官と言っても女の子だもんな」
 人生楽しまなくちゃなとオルトと名乗った男は一人頷く。
 ばちっとライカの周囲で青い火花が散った。
 赤毛の少年が身を縮める。
「私の質問が聞こえなかったのかしら?」
 怒りとともに沸き上がって来た魔法力を抑えながら、ライカはオルトを睨みつけた。
「うわ、すげぇ。今の魔法か?」
「魔法っていうより、魔法力の軋みみたいなもん。危険の前兆」
 魔法力を持つ少年はライカの精神状態を正確に把握しているらしい。
「なんで危険なんだ?」
 オルトは全く分かっていない。
「いいから、あんたはちょっと黙っててくれよ。えっと、女神官さん?俺達、オルトがさっき言ったように人探ししているんだけど、エセルっていう女、知らない?」
 これ以上、ライカを刺激されては困るとばかりにオルトを背後に押しやってファギルは尋ねた。東方人らしい褐色の瞳に偽りの影は見えなかった。
「…もう少し、詳しく教えてくれないかしら?」
 用事が済めば、さっさと消えてくれるだろうと期待して、ライカは協力してやることに決めた。