女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (12)

 この魔法士には危機意識というものが欠けている。
 王宮内で迷子になった魔法士を薬師の住まう離れで発見した近衛騎士の若者は本気でそう考えていた。
 銀髪の魔法士は、薬師の出したお茶をなんら疑いも抱かずに飲んでいるところだった。
「あ、ちょうどよいところにいらしてくださいました」
 入り口で固まっているフィルに気付いてシィンがにっこりとほほ笑みかけると、その向かい側に座っているノウィンがすまなそうな顔で会釈した。
 この魔法士が王宮に出入りするようになってから、何度、迷子になったことか。
 ノウィンは王宮の図面を見せたらすぐに覚えるのだが、それが実際に目の前に立体になって現れると、予定した道筋をわずかに外れただけで自分がどこにいるか分からなくなるのである。
 年も近いことだし、面倒をみてやれと女王に言われているフィルは暇がある限りはこの魔法士を神殿まで送り届けることにしている。そうしなくては、なかなか神殿まで帰りつかないからだ。
「その右手の棚の一番上にある黒い器を取っていただけますか?」
 薬師に言われるままにフィルは視線をめぐらせた。
 シィンならば椅子にのらねば届かぬだろう高さだが、フィルならば背伸びするまでもなく手を伸ばせば届く。
 そんな場所に置かれているのは怪しげな代物ばかりであったが、根が素直であり、女子供には親切にしろと徹底的に母親によって躾けられているフィルはためらわずに手を伸ばした。
 途端、強烈な痛みが指先から走り、フィルは全身金縛りにあった。
「これは見事なものですねぇ」
 感嘆したシィンの声が聞こえるが、首を動かすことのできないフィルにはその姿が見えない。細い指先が下にある左手首に触れるのが感じられた。
「脈拍は正常。やや早いですけど、これは驚いたせいですね。それで、この状態を解くにはどうすればよろしいのですか?」
「私が術を解くか、他の魔法士が術を破るかです」
「では、ノウィンさんがいなければ、ずっとこのままというわけなのですね。…ちょっと不便ですね、邪魔になって」
 この位置で静止してしまうと、引き出しからものが取り出せなくなりますねぇなどとシィンが言っている。
「…あの、術を解いてもよろしいですか?」
 不安そうな声でノウィンが伺いをたてた。
「ええ、どうぞ」
 シィンが応えた途端に、フィルの体は動くようになった。
「すみません、盗難防止のための魔法をかけていただいたのですけれど、どういうふうなものか、自分の目で確かめておきたかったものですから」
 悪びれないシィンの声を聞きながらフィルは棚の方を向いたまま、力なく肩を落としていた。
 なんだって、王宮内の方が外より危険なんだろう…。
「フィルさん、どこか痛みますか?」
 何やらどこか嬉しそうな口調でシィンが聞いて来る。新作の薬を試す機会があるのではないかと期待しているのだろう。
「…大丈夫です」
 実験台にされるのは懲り懲りだと思いながら振り向いたフィルはひどく不安そうな表情の魔法士に気付き、気にしていないからと安心させるように笑いかけた。
「フィルさん、私の助手になりませんか?」
 出し抜けにシィンが言った。
「え?」
「フィルさんがいてくれれば、さぞかし女性のお客様が増えると思うのですけれど。演技でなく自然にたらしこめる人間というのは貴重なんですよ」
「たらしこめる?」
 何を言われているか、フィルにはさっぱり分からず、ほっそりした薬師を戸惑い顔で見返した。シィンはくすりと笑った。
「…本当に、イェナ様に似たのは外見だけなんですねぇ。今言ったことは忘れてください。ヴェルシュ殿の耳に入ったら、また叱られてしまいますからね。あ、そうそう、これをヴェルシュ殿に渡しておいてくださいね」
 シィンはお茶の葉が入っているとおぼしき壷を手にとり、さらに、近くにあった篭を引き寄せた。
「それから、これはルーダルさん。本当はルーダルさんのお母様が注文なさったものなのですけれど、なかなか持って行く暇がなくて。フィルさんがついでに届けてくださってもかまいませんけれど」
 最後の含みのある言葉をフィルは額面どおりに受け取った。
「それじゃ、ノウィンを送るついでに持って行きます」
 シィンがわずかに緑の目を見開いた。
「ええ、そうして下さると助かります」
 笑いを堪えた声にフィルは再び首を傾げた。
 時折、とりわけ彼より年上の女性達はこのような反応を示す。
 それでもフィルは礼儀正しく挨拶し、魔法士を連れて薬師の住まいを後にした。
 今日の予定を頭の中で立てながら、しばらく進んだところで、フィルははたと気付いた。
 ルーダルの実家は王都一の高級娼館である。
 そういうことか、とフィルは頭をかいた。
 一般的にかの場所は目的地にはなっても、ついでに行くような場所にはならない。ついでに届けるとすれば、そこで客になるついでにということになる。
 薬師にからかわれたのであるが、そのからかい自体に気付かなかったわけだ。
 参ったな…。
 一人照れている若者は、後ろからついてくるはずの魔法士がまたもやはぐれてしまっていることに通用門に到達するまで気付かなかったのであった。


 王都の北東部に位置する陽神殿は冬の間も参拝客で賑わっている。
 とりわけ、南陽王国の守護神たる陽の女神の祭壇は信者によって捧げられる花が絶えることはない。神殿を訪れる人々は必ずといっていいほど、陽の女神にまず挨拶に赴き、それから商業の守護神たる風神や豊穣を司る大地の女神に祈りを捧げに行くのだ。陽神殿と言っても、王都の本神殿では陽の女神が中心に据えられているだけで、複数の神々が共に祀られているのである。
 その神殿の奥に女王いわく、妖怪が巣くっていた。
 しかしながら、そのことを知る人間は少ない。
 妖怪白狸と呼ばれる神官長は実に幸せそうに目を細めてお茶を啜っていた。
 見た目だけなら、白髪の、温厚そのものの老人である。
 若いころはかなりに酒も飲み、放蕩を尽くしたものだが、年を取ってあぶらっけが抜けた今となってはお茶を飲むことだけが生きがいだと本人は言っている。
 老人と向き合ってお茶を飲んでいる女神官は、そんな老人の言葉を鼻で笑ってのける人間の一人だった。
「…それにしても、そのエルードという若造もまどろっこしい真似をするのう。向こうの手の内をここまでばらしておきながら、何故、姿を消さねばならぬのか」
 この南陽王国の女王が、敵の間者だったからといって、改心した人間に惨い仕打ちをすることはないと彼にも分かっているはずだ。
 何より、彼は人並み以上の容姿と能力を備えている。女王に重用されることはあっても、邪険に扱われることはまずないだろう。
「もっと手を貸してくれてもよいものを…」
 小声だが、はっきりと神官長は呟いた。
 やはり、言いたいのはそれかとトーヴァは鼻を鳴らした。
「妖怪白狸に骨の髄までしゃぶられるのは御免だと思ったのでは?」
「おぬしの暴力にさらされるのが厭だったのかもしれぬぞ。ほれ、その証拠に、あの半野良の猫も帰って来ないではないか」
 半野良の猫とは、何を隠そう近衛騎士オルト・マフィズのことである。破壊女神官との異名を持つトーヴァが彼をいいようにこき使っていることは王宮のみならず王都でも広く知られていた。
「あれは気が向けば帰って来るでしょう。女王と違い、私はあやつめがいなくてもとりたて不自由はしませぬ」
 いれば、それなりに便利な男だが、いなければいないで事足りるのだ。
 話題が脇道にそれて果てしない泥沼合戦に突入するのを避け、トーヴァは話を元に戻した。
「エセルが言うに、エルードには何かしたいことがあるのだろうということでしたが」
「それが何か見当はつかぬのかね?」
「さあ。少なくとも、南陽王国の不利になるような真似はしないだろうとエセルは言っております」
 日頃、喧嘩ばかりしているせいか、互いの性格は厭になるほど知り抜いているのですよとトーヴァは軽く笑った。
 ふむと唸って神官長は茶を口に含んだ。
「当面は気にせずともよいということか。残りの連中は押えたのかね?」
「死人と行方不明者以外は。…どうもエルードは連中に危険を知らせようとしていたものと思われます。故国が連中を切り捨てにかかった、と」
 彼を信じ、また祖国への信用を無くした者は、そのまま姿をくらまし、信じなかった者は殺されたか、今回、捕まったというわけだ。中にはエルードに警告を受ける前に殺された者もいたに違いない。
「初月以降、死人が増えなくなったところを見ると、エルードが送り込まれた刺客を始末したのでしょう」
 そして再度、刺客が送り込まれるより先に、南陽王国の手の者に残った間者達を捕えさせたのだ。
「念の入ったことよな。…少なくとも、エルードとやらは故国のために働いてやろうとは思っていないように見えるが…」
 しばらくの間、神官長は黙ったままお茶をすすっていた。
「ところで、エセルはどうしているかね?」
 ふらふらしているようなら仕事を言い付けてやろうという神官長にトーヴァは苦笑を返した。
「調べるだけ調べて気が済んだのか、もう王都にはおりませぬよ」
 エセルは幼なじみのリシュテとユリクにだけ、出立することを告げ、ふいと旅立ったのだ。それを伝え聞いた女王はさして驚きもせず、今度こそは自分の子供を連れ帰るかもしれんななどと勝手な期待をかけている。
「相変わらず、一つ所にいるのが苦手なようだの」
 エセルを子供の頃から知っている老人は仕方ないやつだとばかりに小さく笑った。
 神殿に暮らしていた間も、隙あらば逃げ出し、街のどこかに潜り込んで二、三日帰らぬことが度々あった。一度などは行商人にくっついて行き、一月余りも神殿に戻らなかったことがあるほどだ。
 恐らく、神官長の脳裏にはエセルの幼い時の姿がはっきりと蘇っているのだろう。
 彼女はなにかにつけて印象深い子供だったのである。物覚えも頭の回転も人一倍で、いたずらに至っては人一倍以上にやってのけた。神殿で育てられる子供が神官長直々に説教を食らう機会など普通ならばめったにないが、エセルはその機会に十分過ぎるほど恵まれていた。
「同じ所に住み続ける理由がエセルにはないからでしょう」
 平穏で落ち着いた暮らしなどというものに魅力を感じない人間なのだ。
「…幼い頃にした旅暮らしが身に染み込んでいるのやもしれぬな」
 青い目を細め、神官長はつぶやいた。
 エセルが神殿に引き取られたのは彼女が五歳になるかどうかの頃だった。王都近郊の町で行きだおれた行商人の孫という触込みだったが、その老人とは血のつながりはなかったらしい。じいさんに拾われたんだ、と幼いエセルは屈託もなく言ってのけたという。年の割にしっかりしており、これはものになると踏んだ町の神官が本神殿に送り込んだのであるが、結果としては見込み違いであった。エセルが神殿一の問題児となるまで、そう時間はいらなかったのである。
「さて、今度はどこで何をしでかしてくれることやら」
 前回、顔を見せた時、エセルは東で戦に出てたとけろりとした顔で言ったものだ。
「さぞかし楽しみなことでしょうとも」
「老いた身には数少ない楽しみの一つじゃよ」
 わざと年より臭い口調で言い、肩を丸めて神官長は茶を飲み干した。


「魔法士だからって、侮れない腕力だよなぁ」
 呟いた青年は右手に酒杯を持ち、左手でほおをさすっていた。
 頬の赤みはうら若き女神官に思い切りひっぱたかれた名残である。
 短気な女神官は彼と顔を合わすなり、「なんで言われた通りにしないのよ」と口と同時に手を出したのだ。
 いくら回復力に優れた騎士能力者であろうと、痛覚自体は並の人間とかわりない。
 赤毛の少年は呆れ顔で酒杯越しにオルトを見遣った。
「なんでおとなしくたたかれてやるんだ?」
 仮にも騎士ならば、騎士でもない女の平手打ちなど軽く避けられたはずだ。
「ん−?相手が騎士でない限り、怒っている女にはおとなしく殴られてやれってのが俺の親父の教え。殴られたところで、死にはしないからな」
 体裁などというものは全く気にしていないようだ。
「…相手の女が騎士だったら?」
「一目散に逃げ出せ」
 当然とばかりに応じる。
 なるほどねとファギルは頷いた。
「あんた、男のメンツとか、誇りとか、そういうもん、全く持たないだろ?」
 多くの人間なら、見下されたと怒りも覚えようが、オルトは多数派には属していなかった。
「そんな腹の足しにもならないもの、持っててどーすんだ?」
 戦場などでは騎士の誇りだとかなんとかで、わざわざ死にに行く者もいるが、オルトにはそういう人間の心理がさっぱり理解できない。
 人間にはそれぞれの考えがあるから、それを悪いとは思わないが、死にたくない人間を巻き込むのだけは止めて欲しい。ついでに、お前はそれでも騎士かと叱り飛ばすのも止めて欲しいものである。
「だよなぁ」
 その通りとばかりに赤毛の少年が妙にしみじみと頷く。
 ここで頷いてしまうあたり、ファギルも少数派に所属するようだ。
 彼の場合、戦神と呼ばれるほどの男の息子に生まれたことを誇りに思えと父親に心酔している連中に圧力をかけられるのだが、彼にはそれができない。
 父親のことは、確かに戦士としてまた男として尊敬してはいるが、母親以外に何人もの女性との間に弟妹をどっさりつくってくれた男を、ましてや生まれて十年近くの間、顔すら知らなかった男を「父親」としては尊敬しかねるのだ。なにせ、未だに親子という実感に乏しい。感覚的に言えば、近所のおっさんというほどのものだ。ゆえに息子として誇りに思えと言われても困るのである。
「だけどさ、なんであんたみたいな人間が女王なんぞに仕えているんだ?」
 ファギルは女に仕えていることを侮っているわけではない。オルトという人間が権力者というものに仕えること自体に疑問を覚えたのである。オルトは権威とかそういう類の物に価値を見いださない人間だ。
「あ?俺、別に仕えてなんかいないぜ?契約は結んでいるけどな、臣従の誓いは立ててない」
 オルトの忠誠なぞという胡散臭いものを欲しがるほど私も愚かではないわというのが女王の言葉だ。ついでに、奴の忠誠の言葉など本気で信じる人間がいるとするならば、それは救いようのない正真正銘の馬鹿者だ、とはある女神官の言葉である。
「へぇ?それじゃ、自由に契約も切ることができるんだ」
「…一応、建前はそうなんだけどな」
 珍しく歯切れが悪い。
「何かあるのか?」
「後が怖い」
 ごく真面目な顔でオルトは一言言った。
 本当に怖いんだぞ、あの連中はとしみじみ言いながら酒を口に含む。
 この場合、オルトの恐怖の対象は女王その人ではなく、神殿関係者や近衛騎士達である。
「ま、今の所、面白いからいいんだけどな」
「面白くなくなったら、怖かろうが何だろうが、とっととおさらばするんだろ?」
 それには答えず、オルトはにやっと笑った。
 己の心に素直なところは女王とよく似ているのだ。
「…そう言えば、結局、エセルが見つかったかどうか、聞けなかったな」
 何のために神殿に行ったんだかとファギルは髪を掻き回した。
「大丈夫、ほとぼりが冷めたら、行って聞けばいい。俺達が神殿にやって来ても、またかと思うだけで、誰も気にしないからな」
 ファギルは髪をいじる手を止めて、まじまじと目の前の青年を見た。
「…ひょっとしなくても、わざとなのか?」
 表から堂々と神殿に入り、ライカ女神官の所在を尋ねた時は呆れたが、もし、最初っから周囲の誤解を煽ることを目的としていたのだとすれば、恐ろしいほどうまく目的を果したことになる。
 なにしろ、すごすごと出て行く彼に若い神官が頑張れよ、などと声をかけて冷やかしたくらいなのだから。
「うまい手だろ?」
 悪戯が成功した時の子供の顔でオルトは応じた。
 …これが、あの女神官にばれたら、半殺しくらいじゃ済まないような気がする。
 ファギルはぶるっと身を震わせた。
 魔法力を持つが故に、あの若い女神官の怖さはよくわかるのだ。
 だが、やられるのは自分ではない。
 赤毛の少年は気を取り直して、酒を味わうことに決めた。