女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (14)

 緑森王国の大貴族は所領にある屋敷とは別に王都にも屋敷を構えている。自分が預かる領地に戻らず、一年の大半を王都で過ごす者も多い。王都に屋敷を構えることは、地位の象徴であり、王にそれだけ近い位置にいることを示していた。
 そんな貴族の邸宅のひとつを人知れず訪れた者がいた。
 ただし、その訪問に屋敷の住人は誰一人として気付いてはなかった。
「…冷えるな」
 ぼそりと若者はつぶやいた。
 暗い室内でみぞれまじりの雨音を聞きながら、彼は部屋の主の帰りを待っていた。
 やがて、人を叱り付ける声が聞こえたかと思うと、部屋の主が姿を現した。
 魔法士である部屋の主は無造作に明かりを呼び起こし、それから、ぎょっとしたように飛びずさった。
 白刃を突き付けられ、男は息を飲んだ。
「…何者だ?」
「覚えていなくて当然だな」
 嘲るように彼は言って剣を引いた。
「貴様…カ−デュラスかっ!」
 よく分かったものだと彼は片方の眉を上げ、皮肉めいた笑みを唇に浮かべた。
 呼ばれた名は確かに自分の名であったはずなのに、まるで見知らぬ他人の名のようによそよそしく感じられたことが、我ながら不思議だ。
「何故、貴様がここにいるっ!」
 憎々しげに糾弾の言葉を浴びせ掛けた男に彼は再び刃をつきつけ黙らせた。
「答える立場にあるのはお前の方だ。忘れているかもしれないが、俺は魔法騎士だ。お前が魔法を放つ前にお前を殺すことができる」
 試したいのならば止めないがと彼は薄く笑ってみせた。
「…貴様の母親の面倒をみてやっ…」
 ひょいと剣先をあごにあてて彼は男の言葉を遮った。
「再婚させられた先で随分丁重に扱われ、二年前に死んだそうだな。言っておくが、一通りのことは調べてある。下手なことは言わぬ方がいい」
 捕えたごろつきを取り調べているかのようだと思いつつ、彼は懐を探って小さな瓶を取り出した。
「これをまずは飲んでもらおうか」
 横柄な態度で顔をそむける男の首筋に強く刃を圧しあて、わずかに引く。
 そのまま静止していると、のろのろと男が手を伸ばした。
 どうやら、自分が何も聞き出さずに殺してしまっても構わないと思っていることが伝わったらしい。本気で残念に思う気持ちを抱きつつ、男が飲み易いように彼は刃を下ろした。
 飲まなければ、即座に息の根を止めてやろうと待ちかまえていたが、男はためらいながらも言われたとおりに小瓶を口に運んだ。
 男が中身を飲み干したのを見計らって彼はゆっくりと口を開いた。
「それは遅効性の毒薬だ。すぐには死なないが、ゆっくり確実に死に至らしめる。次第に息が苦しくなって、最後には窒息死するらしい」
 男の顔がわずかに青ざめた。
 確かに、こうした時の人間の反応を見るのはおもしろいものだ。
 使い方をそれはそれは楽しそうに伝授してくれた薬師の顔を思い出しながら、彼はもうひとつ、小瓶を取り出した。
「これはその解毒薬だ。焦らなくとも時間はまだ十分ある」
 彼はゆっくりと尋問を開始した。


 何十本という蝋燭が堂内を照らしていた。
 特別な儀式が行われる時ならば珍しいことではないが、一聖職者の葬儀に際して、これほど多くの蝋燭が灯されることなど、めったにない。
 いくら強い先見の能力を持っていたとはいえ、死んだ女神官の位はそこまで高いものではなかったはずだ。
 柩の上に掛かえられた布をライカはもう一度確かめた。
 暗紅色の房飾りに縁どられた白布はちょうど聖職位階における中間位を示している。
 それだというのに、高位にある者も含めて多数の神官達が葬儀への列席を求められ、実際に参列していた。
 訝しむ表情のライカに老神官が小声で説明した。
「あの方は、王妃であられた方なのだよ」
 驚いて見遣ると、ジェナル神官は哀しげな目を柩に向けていた。
「御子を亡くされて、心を病んでしまわれた。王妃の務めを果せなくなったがゆえに、離縁されて、神殿に帰された。もともと、この神殿の女神官だったのだが、信心深かった先の王に強く望まれて王家に迎えられていたのだよ」
「…最初の王妃様は亡くなられたものとばかり思っていました」
「皆、今の王妃様を気遣って、あの方のことを口にすることはなかったからね。…陛下が時々、神殿においでになるのも、あの方を見舞うためだったのだよ」
 本当だろうか。
 ちらりと横目で老神官の様子を伺ったが、彼に疑いの色は見られない。
「…ほら、陛下がおいでになられた」
 背の高い男が数人の人間を従えて、貴人用の席へ向かうのが見えた。
 国王を間近に見るのは、これが初めてなのだが、その顔になんとなく見覚えがあるような気がしてライカは眉を寄せた。
 これまでにも遠くから見かけたことはあったが、容貌をしかと認識するほど近くにいたことはない。
 誰かに似ているのだろうかと考えていると、葬儀の始まりを告げる鐘が鳴った。
 祈祷を始めなくてはならない。
 ライカは祭壇に向き直った。祭壇の前に立つ神殿長の声に続いて、並み居る神官達が祈りを唱え始める。
 祈りの声が堂内に厳かに反響するなかで、ライカは死者に思いを馳せた。
 かの女性にとって、この世は悪夢のようなものだったのだろうか。
 呪うかのような、かの女性の声が耳の奥に蘇る。
 一体、彼女が何を見ていたのかは自分には分からない。
 もはや、誰も彼女が見た「未来」を知ることはできないだろう。
 ふと何かに引かれるようにしてライカは視線をめぐらした。
 視線がとらえたのは、他の列席者と同様に胸に左手を当て祈る王の姿だった。
「この者の魂が慈悲深き女神の御許に迎えられんことを」
 結びの句が宙に消えいる一瞬、王は薄く笑った。
 ゆらめく炎がそう見せただけの錯覚だったかもしれない。
 だが、ライカは確信した。
 私は、この男を知っている。
 なんともいいようのない冷たさが、愕然とするライカの全身を突き抜けた。
「どうしたのかね、ライカ」
 心配そうにジェナル神官がささやく。
「なんでも、ありません」
 言いながら、ライカはその場に崩れるようにして倒れた。
 小さなどよめきを最後に耳にしてライカは意識を失った。


 女は腕の中で眠る赤子を見詰め、ほほ笑んでいた。
 彼女は幸せだった。
 望み望まれた婚姻ではなかったが、夫との関係は悪くなく、周囲の期待に応じて二人の息子を生み、そして今度は彼女が望んだとおり、娘を得た。
 娘をこの世に生み出す時、すでに秋だというのに彼女は鮮やかな夏の森を夢に見た。
 彼女に備わる先見の能力が見せたのであらば、この娘はつつがなく成長することだろう。
 生命力に溢れた緑に満ちた森がそれを示している。
いとおしげに見詰める彼女の腕の中で赤子は安らかに眠っていた。

 周囲の人間が娘を見る目が何か違うと気付いたのはいつだったか。
 不審に思い、彼女が問いただしても誰も答えようとする者はいなかった。
 年若い侍女を半ば脅すようにして、彼女はようやく理由を聞き出した。
 その侍女は、彼女の娘が国を滅ぼすと「先見」が予見したのだと告げた。
 同じ先見の能力を持つ自分が、そのような蔭りを娘の中に見たことはないと強く言えば、何人もの「先見」が予見したのだと侍女は脅えた顔で言い、その場から逃れ去った。
 彼女は信じなかった。
 何より、当世において最も強い先見能力を持つと言われた彼女がそのような不吉を察知せぬはずがないのだ。
 しかし、夫は信じた。
 泣いて拒む彼女の手から娘を取り上げ、神官達の手にゆだねた。
 森神殿の神官達が凶兆の現れた赤子をどう始末するか、神官であった彼女はよく知っていた。
 泣いて取り縋ろうと、夫は取り合わなかった。
 その時になって初めて彼女はこの一年ほどの間、認められずにいた違和感の存在を認めた。
 夫は変わってしまった。もはや彼の心は遠くにいってしまっている。
 彼女は自らの手で娘を取り戻すべく神殿に向かったが、そこに娘の姿はなかった。
 赤子が森神に捧げられるという森の中の聖地にすら、その痕跡はなかった。
 呆然と立ち尽くす彼女の前に夫が現れ告げた。
 この国の王家は代々、この場所で凶兆の現れた子供を葬って来たのだと。
 真の予見ならば、いかなる手段を用いようと災いを避けることはできないのだと。
 夫は代々の王家の人間を、そして先見達を嘲笑していた。
 虚無感にとらわれた彼女のなかで、何かがひらめいた。
 災いをもたらすのは、他の誰でもなく、この男だ。
 そう悟った彼女に、男は冷たく笑いかけた。
 「痛むだけの心はいらぬだろう」
 氷でできた針のような魔法力が彼女の体から動きを奪っていた。
 「予見が真なら、おまえの娘は私に破滅をもたらすだろう」
 楽しみだ、とつぶやく声を最後に、恐怖と絶望に凍てついた彼女の心は砕け散った。


 体がずしりと重かった。
 底知れぬ闇にひきこまれる寸前に暖かな声が救いをもたらした。
「目を覚ましなさい、ライクァルーチェ」
 つんとした香りが鼻孔をついた。
 ようやく瞼を押し上げると、見慣れぬ女の顔がすぐ近くにあった。
 女は顔の半分を薄いベールで覆っていたが、そのベール越しに柔らかくほほ笑むのが分かった。
「もう大丈夫です、ジュナル神官。死の影は祓えました」
 振り返って女が言う。
 ありがとうございますと聞き慣れた老神官の声が聞こえた。
「貴方は死者の魂に引き寄せられたのです。過去見の能力を持つ者は死者の『過去』にしばしば引きずられてしまうのですよ」
 もっとも、これほど強く引かれてしまうことはめったにありませんがと女は少し困惑気味に付け加えた。
 …この方は、顔なき女神に仕えている方なのね。
 ようやくライカはそれを認識した。
 冥府の女神は神殿では顔なき女神と呼ばれる。冥府の女神は見る者によって、恐ろしくも美しくも姿を変えるからだ。
 この女神に仕える神官はそれほど多くはない。現世で仕えずとも、人間であれば、いつか必ずかの女神には仕えることになるからだ。冥府の女神に仕える神官は、「死者と語る者」、霊視能力を持つ者にほぼ限られていた。
「何かを貴方に伝えたかったのかもしれませんね」
 何気なく言われた言葉にライカは息を止めた。
 彼女が何を伝えたかったのか、ライカには痛いほどよく分かってしまった。
 一言で言ってしまえば、「危険」。
 ライカは目を閉じた。
 脈が激しく打つのがわかる。
「私はこれで戻りますが、もうしばらく休ませてあげてください。念のため、清めが終わるまでは、この部屋から出さないほうがよろしいでしょう」
 女神官が言って、立ち去る気配がした。
「…ライカ、死者の声に耳を傾けてはいけないよ」
 ジュナル神官がそっとささやいた。
「過ぎ去ったものにとらわれてもいけない。私達は今を生きているのだからね」
 でも、とライカは声には出さず応えた。
 私は今を、そして未来を生きるために、過去を知りたいのです。
 それからライカは混乱する心から逃れるかのように、ゆっくりと眠りに落ちた。


嵐の前の静けさ。
 妙に無表情にゆったりした足取りで近づく若い女神官の姿にファギルは本能的な恐怖を感じた。
 彼女は優れた魔法士だったが、そのことがファギルを脅かすわけではない。
 なんとも言えぬ不穏な予感を感じたからだ。
 今度こそ、エセルの手がかりがあったかどうか聞かなくてはならないと決意して来たものの、思わず逃げ出したくなった。
 ファギルの懊悩を見かねたわけでもなかろうが、
「結論から言えば、あなた達の出した条件に該当する人物は見つからなかったわ」
 挨拶抜きで女神官はそう切り出した。
「そっか。じゃあ、この国にはもういないのかもな。残念だったな、ファギル。まあ、俺に言わせてもらえば、まっとうに人生送りたいんなら、あんなヤツとは関わり合いにならないに越したことはない。運が良かったのかもしれないぜ」
 所詮は他人事とばかりに気軽に言うオルトをファギル以上に冷たい目でライカが見た。
「なんで俺を睨むわけ?」
 いなかったのは俺のせいじゃないのにとオルトはぶつぶつ呟く。
 睨まれた原因が彼の態度にあることを気づいていないのか、気づかぬ振りをしているのかは分からない。前回の件でオルトが何も考えずに行動してばかりだとは限らないことを知ったファギルとしては、頭からオルトの態度を信じるわけにはいかないのだ。
 ライカは調子を崩されぬようにするためか、一度深く息を吸い込んでから、低く抑えた声で言った。
「…不本意だけど、私もこの状況を利用させてもらうことにしたわ。協力してあげたのだから、見返りを要求してもかまわないわよね?」
 いや、かまうと言いたいところだが、そんなことを正直に言ってしまえばどうなることか。
 どこぞの近衛騎士と違い、敢えて危険を冒す勇気はファギルには無かった。
「ふぅん?で、何をしろってんだ?」
 面白がっている顔でオルトが尋ねる。おそらく、面白いと思えば、口を挟むなと言っても無理矢理にでも関わってくるだろうが、面白くないと思ったら、さっさと逃げ出すに違いない。
「国王について調べてもらいたいの」
 その言葉にオルトは思い切り厭そうな顔をした。
 どこの国であれ王族というものとはなるべく関わらない方がいいと思っているのだ。
 その見解にはファギルも全面的に賛成だった。その関わりたくない王族の筆頭として、自分の父親が真っ先に挙げられる。
「今現在の国王の身辺を探れと言っているわけではないわ。知りたいのは、彼の即位後数年間のことよ」
「なんでまたそんなことを?俺たちが探るより、神官であるあんたの方が探りやすいはずだぜ」
「ここは神殿よ。私が動いたら、すぐに国王まで伝わってしまうでしょう」
「人には知られたくないことを調べたいんだな」
 からかう口調でオルトが確認する。
「そうよ。…知られたら知られたでかまわないけど、その場合、危険が生じるわね」
 ファギルは頬を人差し指でかきながら、上目遣いに女神官を見た。
「ということは、国王の方こそ知られたくないことを探ろうってわけだ」
「…そうね」
 正直に認めるライカにファギルは眉を寄せた。
 世間知らずゆえに隠さないのか、それとも敢えて隠そうとはしないのか判断がつきかねる。
 ファギルとしては、なるべく権力者を敵に回したくはないのだが、好奇心がそそられるのはどうしようもない。
「具体的には何を調べたいんだ?」
「即位後に行われた新年祭で何か変わったことが起きなかったかどうか知りたいのよ」
 ファギルは顎を撫でた。その動作が父親そっくりだという自覚は無い。
 はっきり言って、この国の王は気にくわない。しかし、この女神官は怖いところもあるが、結構、気に入っている。
何より、戦が始まれば、エセルもやって来るような気がする。
決断を促す理由は十分だ。かなり、やばいことに鼻を突っ込むことになるという予感はひしひしとするのだが、ファギルはそれを無視することにした。
「俺はいいぜ。あんたはどうするんだ?」
 隣に立つオルトに向かって尋ねる。
「俺?やばくなったら、さっさと逃げ出すけど、それでいいってんなら、やってもいいぜ」
「…貴方にそこまで期待するほど、おめでたくはないわよ」
 ぼそりとライカが呟く。もっともな意見だとファギルは頷いた。
 それに対する仕返しなのかどうかは分からないが、オルトは朗らかに問題発言を放った。
「しっかし、この状況を利用することにするなんて、誤解されたくない相手なんかいないってことだ。それって、寂しくない?」
 ファギルはいち早く退避した。
「余計なお世話よっ」
 後にした礼拝所の中から、怒りの声と派手な金属音が響いてきた。
 燭台でも投げつけられたのかもしれないが、同情する余地はどこにもない。
 つくづく、オルトという人間は分からないと少年は神殿の外に向かいながら頭をひねっていた。