女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (15)

 直轄地である王都の周辺は王家に直属する騎士の所領で固められている。
 その中の一つを近衛騎士隊長シェイド・エウリクは預かっていた。
 家庭を持たぬ彼は、長年、家令に領地の管理を任せ、王宮に詰めていたのだが、女王が結婚してからは、休暇をもらって、時折、領地に帰るようになっていた。ようやく「手の掛かる娘」を預ける相手が出来て、ほっとしているのだろうというのが宮廷人達の見解であった。
「旦那様、王都からカリュート・シアン・レフィク様がおいでになられました」
 書簡に目を通していたシェイドに落ち着いた声で若者が告げる。家令の息子であり、ゆくゆくは父親の跡を継ぐ若者だ。女王が目にすれば、もっと顔のいい男にしろと文句をつけそうな十人並みの容姿だが、頭脳の方は女王も満足するであろう。難点と言えば、生真面目すぎて融通が利かないところだ。ただ人によっては、この主にしてこの家人ありと言うだろう。
「こちらに、お通ししなさい」
 シェイドはそう言ってから、書簡を引き出しに仕舞った。
 将軍家の若君とはいえ、カリュートは元部下でもあり、気兼ねする相手ではない。
 窓から外を見やると、強い風に常緑樹の枝があおられていた。気温はそこまで低くはないが、外では風によって寒く感じられることだろう。
 やがて、若い騎士が案内されて姿を現した。
「ようこそ、カリュート殿。わざわざこちらにお越しになるとは何ぞ急用でもおありかな」
「連絡もなしに伺って申し訳ありません。急用というわけでもないのですが、元上官を表敬訪問すると言っても誰も信じないことは確かですね」
 にこにこ笑いながら言い、勧められるままにカリュートは椅子に腰掛けた。
「今の私が個人的に隊長殿を訪ねたとなると、隊長殿を通して陛下に働きかけを頼んだと思うのが普通でしょう。王妹殿下にべったりくっついているだけというのも、能がないと思いましてね」
 さっぱりした口調で言う青年にシェイドは苦笑する。
 今までも、何人もの人間が彼に女王への取りなしを願って訪ねて来ている。そうした連中は丁重かつ断固とした態度で追い返され続けていた。
 彼がすんなりと中に通されたのは、女王に取りなしてもらおうなど毛頭考えない人間だからだ。
「それが狙いであれば、クルス・アディン殿に接触するのが妥当でありましょう」
 わざとシェイドが言えば、カリュートも調子を合わせた。
「それはそうなんですが、私はどうもあの方に避けられているようでして。やはり、陛下の夫候補だったことが気に食わないのでしょうかねぇ」
 困ったものですとため息をついてみせるが、目は笑っている。仮に、クルス・アディンに避けられているのが事実であっても、彼の場合、その状況を大いに楽しむに違いなかった。それだけでなく、わざと女王に気のある振りをしかねない人間だ。
「この顔は残念ながら陛下好みじゃなかったというのに」
 残念なんて、微塵も思っていないのは明白だった。
 彼はクルス・アディンを女王の夫にふさわしい人物として認めているのだ。そうでなければ、ありとあらゆる手段を講じて、女王の結婚を阻止していたことだろう。
 カリュートはふっと表情を改めた。そうしていると、立派な騎士以外の何者にも見えない。
「あまり本題を先延ばしにして隊長殿に叱られるのも厭ですから、手っ取り早く申し上げますが、隠居を考えていらっしゃるというのはまことですか?」
 シェイドは眉を動かした。
「誰から、そのことを?」
「イェナ殿と女神官殿ですよ。両人とも、隊長殿がそのつもりでいるのではないかと案じておられました。女性に隠し事をするのは難しいものですね。もっとも、陛下はちらりとも気づいていらっしゃらないようでしたが」
 陛下は相変わらず鈍いですねとカリュートは笑って続けた。他の人間と違い、彼は女王に面と向かっても同様のことを言ってのけるだろう。
「それが本当ならば、いかがなさるおつもりか?」
「私は陛下とは違いますからね。邪魔しようとは思いません。ただ、気楽な隠居生活を楽しむためには前もって色々準備せねばならぬことがおありでしょう?それに人手がいるのではないかと思いまして」
 にこにこと笑う青年の顔には邪気というものが無く、それだけに始末に負えない。
 この陽気な南陽王国民の典型といった様子の青年が、冷徹な観察者の一面を持つことを知る者は少ないのだ。
 あやつは奥が知れぬと女王は文句を言うが、同時に奥底までは絶対に知りたくないとも言っている。
「手助け無用と言ったところで、聞かぬのであろうな」
「もちろんですとも。祖父殿のおかげで騎士団にも帰れませんし、暇でどうしようもないんです」
 この青年の相手をするのは陛下の相手をするよりも遙かに困難だ。
 大半の人間が聞けば驚くだろうことを考えながら、シェイドは苦笑をこぼした。


 灰色の雲が空を流れていた。
 強い風によって、あおられる雲はせわしなく形を変え続けている。
 時折、雲の切れ間から日が差したかと思えば、みぞれまじりの雨が大地をたたく。
 気まぐれな天気のために、国境近くの町で宿を取ったエセルは出発を先延ばしにしていた。冬でなければ、商人達の護衛を買って出て馬車に乗ることもできるのだが、冬場に、国境を越えて旅する者はほとんどいない。冷たい雨に打たれて風邪をひくようなまねをしたくはなかった。
 窓を閉めると、エセルは部屋を出て階下に向かった。夜になれば、居酒屋を兼ねた宿屋は旅人以外の常連客で賑わうが、昼を過ぎたばかりの今は静まりかえっている。
 暖炉の前で鍋の番をしながら、縫い物をしていた宿屋の娘が階段からエセルが下りてくるのに気づいて顔を上げた。
「どこかに出かけるの?」
「いや、ちょっと退屈になったんでね。お守りの手伝いでもしようかと思って」
 おさげの少女の隣では、大きめの籠の中で赤ん坊が寝息をたてていた。少女の、年の離れた妹である。
「エセルに子守なんかできるの?」
 意外だと笑いながら少女は言った。酔っぱらった男達をのして回る女騎士が子守をするなんて思えなかったのだろう。
「神殿育ちだからさ、結構、得意だよ」
 子守がうまいと、驚かれたこともあるくらいだ。
「神官位を持っているって、本当だったのね。それじゃ、ちょっとだけ見ててもらえる?今のうち、表の掃除をしてくるから」
「いいよ」
 働き者の少女は縫いかけの服を軽くたたむと、静かに店を出ていった。
 赤ん坊はよく眠っている。
 一歳になるかどうかというところだろうか。
 エセルは女騎士から、赤ん坊を託された時のことを思い出していた。

 傭兵達は連日の戦いに疲れ果てていた。
 敵陣の攪乱を目的として投入された傭兵部隊は一撃離脱を繰り返していたのだが、昨日から敵が執拗に追撃してくるようになった。敵を振り切り、なんとか部隊として形を保ち続けていられたのは優秀な指揮官のお陰であろう。
 指揮官は女騎士だった。一筋縄ではいかない流れの騎士達が一目おくだけの腕と度量を彼女は備えていた。
「エセル、ちょっといいか?」
 夜営地で剣の手入れをしているところに、そう声をかけられ、エセルは草の上から立ち上がった。
 女騎士はついてくるのを確かめようともせずに、たき火の明かりが届かぬ暗がりに向かって、すたすたと歩いていく。
 たき火を離れると、月の存在が強く感じられた。見上げた月はすでにかけ始めている。どうやら満月は気づかぬうちに見逃したらしい。
 小川のほとりまで来たところで、ようやく足を止めて女騎士は振り返った。
「頼みがある」
「何?」
「…この戦、我々の側が負ける。明日にも退却を始めるだろう。その時になったら、お前が指揮を執ってくれ」
 自軍が負けることは、エセルもすでに察知していたので、特に驚きはしなかった。だが、指揮を替わることまでは、予測し得なかった。
「どうしてさ?」
「…私達を追撃してきた部隊が昨日の部隊と同じだったことに気づいたか?」
「うん。傭兵部隊らしいのに、妙に統率のとれたあれだろ?」
 何か妙な違和感を感じる部隊で、エセルはなるべく関わりたくないと思ったものだ。
「そうだ。…あれの指揮官と因縁があってな。奴は私を狙ってきている」
「じゃ、私情を持ち込んで、この戦場で私らをしつこく追いかけ回していたってこと?」
「そうなるな」
「最低な野郎だね」
 女騎士は苦笑をもらした。
「まったくだ。そういうわけで、奴は私がいる限りはどこまでも追って来るだろう。逆を言えば、私がいなければ、奴は追って来ない」
「それで私に指揮を替われって言うんだ。いいけど、死ぬつもり?」
 さらりと普通ならば尋ねにくことをエセルは口にした。
「できるなら、生き延びたいとは思っているが…無理だろうと思う」
「そんなに強いの?」
 月明かりの下で、女騎士が何かを思い出すかのように、褐色の目を細めるのが見えた。
「以前はそうでもなかったが…どこか、変わった。相討ちに持ち込めれば上等だろう」
 この女騎士にそこまで言わせるとは、かなりの使い手なのであろう。一度、刃を交えてみたい気はするが、命を捨てる気はさらさらない…少なくとも、今は、まだ。
「引き受けてくれるか?」
「いいよ。皆がそれでいいって言うんならね」
 女騎士はにやりと笑った。
「そう言わせてやるに決まっているだろう。…それから、仕事を一つ、引き受けてもらいたい」
 言って、女騎士は革の胸当ての下から何かをとりだした。
「クトの町にある宿屋に娘を預けている。私が死んだ時は、その娘を大きな町の神殿に預けてやってほしい」
「子供が、いたんだ。何歳?」
「この秋で一歳になった。お前は神殿育ちだというから、子供の扱いになれているだろう?報酬は先払いにしておく。中から好きなだけとって、残りは娘と一緒に神殿に持っていってくれ。金をつければ、育児室が満室でも引き取ってくれるという話だからな」
 差し出した袋を受け取り、中を改めてエセルは口笛を吹いた。
 中身は幾つかの宝石と、手形だった。手形は大陸中部の遠隔地商人組合が発行しているもので、大都市にある組合の会堂に持っていくと貨幣と交換してもらえる。
「一財産あるじゃん。いいの?私が持ち逃げするかもしれないよ」
「お前は富にも名誉にも執着がないからな。一番、信用がおける。それに、これは仕事だと言っただろう?お前が一度請け負った仕事を放り出すことはない」
「私が、死ぬとは思わないわけ?」
 確かに金には興味ないけれどさと思いつつ、エセルは聞いた。
「お前が死ぬのであれば、この部隊は全滅する。この仕事、請けてもらえるか?」
 ずいぶん、買ってくれたものだとエセルはひょいと肩を竦めた。
「いいよ。こんな割のいい仕事を見逃す手はないからね。名前は?」
「リヴィー」
「…それって」
 呆れたようなエセルの眼差しに、
「別に私が呼ぶ分に不自由はないぞ?」
 言い訳するように女騎士が言う。
「いいけどね。他に、何か、聞いておくことある?」
「改めて、言うほどのことはないな。もし、成長した娘と会うことがあったら、育ててやれなくてすまなかったと伝えてくれ」
「了解」
「ありがとう。では、連中に明日の作戦について言ってこよう」
 あの馬鹿ども、酒を飲んでなけりゃいいんだがと、ぶつぶつ言いながら、女騎士は明かりの方角へ歩き始めた。その背中に死を覚悟した人間の悲壮感は全くなく、まるで旅支度を済ませて出かけようとする身軽な旅人のようだった。
 しかし、彼女が戦場から戻ることはなかった。
 彼女の遺骸を見つけだすことはできなかったが、代わりに、折れた彼女の剣を見つけた。その娘に遺品として持ち帰ろうかとも思ったが、結局、エセルはそれを土に埋めた。その方が彼女の意に叶うような気がしたからだ。
 今、彼女の娘は南陽王国の王宮にいる。母親から預かった金子の類はすべてユリクに預けてきたから、彼がいいように処理してくれるだろう。
 表から、男達の声が聞こえた。三人ほどいるようだが、いずれも騎士能力保持者だ。エセルはそっと剣を引き寄せた。どんな人間かは分からぬ以上、油断は禁物だ。
「すっかり冷えちまった」
「こんな時期に移動するもんじゃねぇな」
 そんなことを口々に言いながら、男達がどたどたと重い足音をたてて中に入って来た。
 赤ん坊がその物音に驚いて目を覚まし、ぐずり始める。
「大丈夫、とって食われやしないって」
 抱き上げてなだめていると、声をかけられた。
「お、エセル?エセルじゃないか」
 エセルが首だけ動かして男達の方を見ると、その中に見覚えのある顔があった。先の戦で同じ部隊にいた傭兵の一人だ。
「お前の子供…なわけないか」
 ひょいとのぞき込んで男が呟く。
「うっとうしい面、近づけんなよ。怖がって泣くだろ」
「悪かったな、うっとうしい面で」
 水滴のついた無精ひげだらけの顔で凄んでみせるのだが、声は低く抑えて赤ん坊に気を遣っているあたりが、なかなかに笑える。
「何やってんだ、こんなとこで?」
「見ればわかるだろ、子守だよ」
「暇つぶしの間違いだろうが。どっちにつくんだ?」
 近々始まるであろう、戦に出ることを予測しての質問だ。
「つくのは南に決まってるけど、今はちょっと、北に行くとこなんだ。ガザンは南?」
「お前がその方がいいと言っていたからな」
「へぇ、信じたんだ」
 意外だなとばかりにエセルは言う。
「って、お前の予測じゃ南が勝つんじゃなかったのかよっ!?」
 でかい声を出しかけ、あわてて声を潜めて赤ん坊の様子を伺う。子供嫌いではないが、子供をどうやって扱えばいいのか、わからないというタイプの人間らしい。
「さあてね。北はいけ好かないって言っただけだよ?」
「じゃあ、やっぱ、南に分があるんじゃねぇか」
「なんでさ?」
「だって、お前は弱い奴、嫌いだろうが」
「まあね」
 にやりと笑ってエセルは再び寝息をたてはじめた赤ん坊を籠の中に戻した。
 掃除を終えて戻ってきた少女が赤ん坊を連れて、奥へと入って行く。入れ違いに主が出てきて、男達に注文をとった。
「…なぁ、エセル」
 ともにテーブルにつくと、ガザンがおもむろに口を開いた。
「なに?」
「…リヴィーが生きているかもしれん」
「まさか!」
 あの女騎士が生きているならば、絶対に、彼女自身と同じ名前を持つ娘のもとに帰ってきたはずだ。その娘を預けていた宿屋にも念のために南陽王国の陽神殿を訪ねるようにと伝言を残してきている。
「俺も信じられなかったんだが、見かけたという奴がいるんだ」
「人違いじゃないの?」
「そうかもしれんが、顔かたちも、仕草もそっくりだったという話だ。見たっていうのは、クファルっていう若造なんだが、覚えているか?」
「ああ、あの馬鹿か」
 戦は初めてだという若い傭兵で、この戦で片腕をなくした人物だ。かの女騎士の助けがなければ、命をなくしていただろう。自分だったら、間違いなく見捨てたことだろうとエセルは思う。彼女はエセルとは違い面倒見がよかったのだ。
「事実なら、嬉しいけど…」
 何か釈然としないものを覚え、エセルは黙り込んだ。
 あの女騎士が相手を討ち損じて、生き延びるようには思えなかった。あの部隊の指揮官が生きていることを、エセルは確認していたのだ。
「嬉しくもないかもしれん」
 エセルは顔を上げた。ガザンがなんとも苦い表情で告げる。
「奴の話だと、その『リヴィー』は森緑王国の部隊に加わっているらしい」
「…じゃあ、リヴィーじゃない。少なくとも、私達が知るリヴィーじゃない」
 傭兵ならば、昨日までの敵に雇われることもある。だが、リヴィーという女騎士はそれをしなかった。感情の整理がつかないうちは、契約が結べないんだと彼女は苦笑混じりに言っていた。そういう情の深さが、彼女にはあったのだ。
「…そうだな。まあ、いい。今日は再会を祝して乾杯といこうじゃないか」
「もちろん、おごりだろ?」
「ちゃっかりしてやがる」
「いいじゃん。こんな若くていい女が一緒に飲んでやるって言ってんだから」
「ま、むさい野郎どもばかりで飲むよりはましか」
 ガザンは鷹揚な男だった。
「礼に紹介状書いてやるよ」
 ひょっとしたら、無かった方がいいと思うかもしれないけれどと心のなかで付け加えて、エセルはこの宿自慢の蒸留酒を注文した。