女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (16)

 北国育ちの魔法士は、日溜まりの中、王宮の庭にしゃがみこんで花壇に咲く花を眺めていた。真っ直ぐな銀の髪が、背中を流れ、地面にふれているのだが気づいている様子はない。この魔法士にとって、髪は切るのが面倒だから伸びているだけであり、大切に手入れする対象にはなっていないのだ。ノウィンはただひたすら目の前にある植物の観察にふけっていた。
 淡い青の花弁の花は故国で春告草と呼ばれるものによく似ているようだ。だが、葉の形は微妙に異なっている。この王宮の庭は観賞用の花だけではなく、薬効等のある草花も多く植えられているので、ひょっとしたら、薬草の一種かもしれない。
 そんなことを考えながら、しゃがみこんでいると、ふっと影がさした。見上げると、女騎士がすぐ近くまで来ていた。この日は非番なのか、長衣を着用している。優雅なこの女性が騎士なのだと思うと、未だに何やら不思議な気がする。
「こんにちは、イェナ様」
「こんにちは、ノウィン。こんなところで何をしているのかしら?」
「神官長殿に仰せつかって警備網の補強をしていたのですが…」
 くすっと、イェナは小さく笑った。その顔はとても若々しくて、とてもでないが、フィルのような大きな息子がいるようには見えない。
「帰り道が分からなくなったのかしら?」
「はい。…多分、こちら側に通用門があるとは思うのですが」
 そう言って立ち上がったノウィンの指は過たず通用門のある方向を指していた。
「不思議ね、それが分かるのに、どうして行けないのかしら?」
「どうしてでしょう」
 真面目にノウィンは答えたのだが、イェナはころころと笑った。こちらの気分まで明るくしてくれるような軽やかな笑い声だ。
「今日は息子に代わって私が案内してあげるわ」
「ありがとうございます」
 本当にこの王宮の騎士達は親切だ。近衛騎士も騎士見習いも、性懲りもなく迷う自分を厭な顔ひとつせず、案内してくれる。その理由のひとつには、女王が貴重な魔法士に無礼を働いたら承知せぬぞと脅していることもあるのだが、それが理由のすべてでは決してない。多分、心にゆとりというものがあるからだろう。
「私にはよくわからないのだけれど、魔法士のあなたから見てこの王宮の守りはどんなものなのかしら?」
「…魔法の守りという点に関しては十全とは申せませんけれども、効率的な守りがなされていると思います」
 答えながら、やはり紛れもなくこの女性は騎士だなとノウィンは感じた。この国に来てから、魔法士としての自分に質問をした女性は他にも何人もいるが、このような質問を女性から受けたのは初めてだった。
「効率的、ね。この王宮にはまだまだ人材が少ないから、必然に駆られてのことではあるのだけど…」
 わずかに苦いものが混じった声だった。近衛騎士隊長の副官の立場にある者として、苦慮していることは多々あるのだろう。
「ノウィン、貴方はこの先どうするつもりなの?やはり、いずれは氷晶王国に帰ってしまうのかしら?」
「帰るつもりは今のところありません。成人したら、神殿を出て、魔法士として身を立てていくつもりです」
「あら、神官になるのではなかったの?」
「私は神官には向きませんので。仕事がみつかるかどうか、心配ではあるのですが」
「心配しなくていいわよ」
 力強く、そしてどこか嬉しそうにイェナが言った。使える人材が増えたとイェナは喜んでいたのだが、さすがにノウィンにはその理由を察することはできなかった。
「間違いなく、陛下が召し抱えてくださるわ」
「そうでしょうか?」
「ええ。賭けてもいいわ」
「断言される根拠は何ですか?」
「貴方が美形で銀髪だからよ」
 ノウィンはゆっくり瞬きした。
 どうも南陽王国の人間は、時折、理解しかねる。
 イェナにしてみれば、女王を知る人間ならば誰もが納得する理由を挙げただけなのだが、あいにくとノウィンは女王の人なりを知る機会に恵まれていなかった。
「そう言えば、貴方は私の息子のことをどう思っているのかしら?」
 イェナが不意に尋ねた。
「フィル殿ですか?誰に対しても親切で驕ったところのない、とてもよい方だと思います」
 やっぱり南陽王国の人間は分からないと思いながら、ノウィンは常日頃思っていることを素直に口にした。
「それだけ?」
 その息子と同じ黒い目でじっと見つめられる。明るい色彩の目を見慣れていたノウィンには、ひどく不思議な感じを与えさせる目である。
「それだけ、とは?」
 困惑してノウィンは首を傾げた。彼女が何を望んでいるのか、皆目見当もつかない。
「…つまらないわ」
 はあとイェナはため息をついた。
「あなたと仲がいいと女の子達が言うから、今度こそはと期待したのに。育て方を間違ったかしら。あの人に似るのは姿形だけでよかったのに、顔は似ないで身長と中味ばかり似て…」
 ぶつぶつと何やら文句をつぶやいている。
「あの、イェナ様?」
「ああ、気にしないでちょうだい。愚息に過剰な期待をした私が馬鹿だったのよ。まったく、あの子は何やっているのかしら、陛下のおかげで、あっちにもこっちにも綺麗なお嬢さんはいくらでもいるのに…」
 他人から見れば、文句のつけようのない良い息子も、母親から見れば、まだまだ至らぬ点があるらしい。神殿育ちのノウィンには分からぬが、それが親というものなのかもしれない。まだまだ学ばねばならぬことがたくさんあるなと真面目に考える神官見習いの横で、女近衛騎士はどうすれば息子に女王陛下へ娯楽を提供させることができるだろうかと頭を悩ましていたのだった。


 春も間近とはいえ、風は冷たく、枝先の新芽はまだ固い。
 体を動かしていれば、凍えることもないのだが、体が温まるほどでもない。
 オルトは赤毛の若者とともに、農場を囲む柵の修理に励んでいた。何故、騎士の彼がそのような仕事に従事しているかと言えば、年老いた農夫がたった一人で柵の修理をしているのを通りがかりに目にしたファギルが見かねて手伝いを申し出たからだ。
 そのファギルは、こうした仕事もやったことがあるのか、手際よく作業をこなしている。オルトは、道具を渡したり、支えたりするだけで、ほとんど役には立っていない。農村地帯で暮らしたことがないので、手伝おうにも手順がわからないのだ。
 何やら視線を感じてオルトが頭を巡らすと、長い灰白色の毛の間から黒いつぶらな瞳が彼を見つめていた。毛長牛である。牛といっても、小柄で、どちらかといえば鹿に近い生き物だ。
「なんだよ、お前、脱走計画でも練ってんのか?」
 声をかけると、一瞬、後ずさったが、逃げようとはしなかった。群を代表して、危険があるかどうか偵察に来ているのかもしれない。
「近々、身ぐるみ剥がされるからなぁ。逃げ出したくもなるぜ」
 毛長牛は春になると毛を刈りとられて、森に放されるのだ。
「肉にされるよりは、ましだろ」
 柵木を縄で固定しながらファギルが言った。
「まあな。それで終わりか?」
「ああ」
「ご苦労さん。お前、こういう仕事、慣れてんのか?」
「お袋が騎士嫌いでさ、俺を騎士以外の職業に就かせようと、手当たり次第にいろんな手仕事を仕込んだんだ」
「…騎士嫌いなのに、なんで騎士の子供を産んだんだ?」
「お袋に言わせると若気の至りなんだとさ」
「若気の至り、ねぇ」
 暁王国の次期国王と目される「戦神」の子供を産みたがる女はいくらでもいるだろうが、その男と関係を持ったことを若気の至りとして片づける女はそういないだろう。剛毅な女は南陽王国以外にもいるものらしい。世の中は危険に満ちているということだなと思いつつ、オルトは作業に使った道具をまとめ始めた。近くをうろついていた毛長牛がすんすんと鼻を鳴らしながら去っていく。見飽きられたのかと思えば、水を飲みに向かったらしい。老人が水飲み場に桶で水を注ぎ込んでいるのが見えた。
「よし、終わり。戻ろうぜ」
 ファギルが声をかけた。満足そうに柵を軽くたたいてから道具を担ぎ上げる。多分、この若者なら騎士以外でも食っていけることだろう。
「なあ、お前は騎士以外になろうとは思わなかったのか?」
 納屋に向かいながらオルトは隣を歩く若者に問うてみた。
「んー、騎士が一番うまくやれそうな気がしたんだよ。馬鹿だから仕方ないって、お袋も途中で諦めてたしな」
「馬鹿?」
「そう。騒ぎに首を突っ込むことなく、まっとうな暮らしができないのは馬鹿以外の何でもないんだと」
「あー、そりゃあ、言えてるかもな」
 心当たりは多々ある。平穏な暮らしに満足できないからこそ、自分も騎士を生業にしているのだ。ついでに言えば、どこぞの女神官には容赦なく馬鹿者となじられている。
「ありがとよ。お前さん達のお陰で本当に助かった」
 納屋の前で出迎えた老人が言った。彼はすでに隠居しており、農場の管理は息子がやっているのだが、折り悪く、夫婦揃って都に嫁いだ妹のもとへ遊びに出かけていたのだ。
「宿とメシ代と思えば、このくらい安いもんさ」
「たらふく食わせてくれるんだろ?」
 人なつこい笑顔で二人が応じる。二人が騎士であると老人には分かっているはずなのだが、警戒心を起こさせないのは、この笑顔のお陰だろう。
「お前さん達の口に合えばいいんだが」
 道具を仕舞い終わると、老人は二人を母屋に招き入れた。居間の真ん中にある暖炉の前で老婆が鍋をかきまわしている。
「もう済んだのかい、早かったね。もうちょっとかかるから、ゆっくりしておくれ」
 そう声をかけると、老婆は奥の台所に入って行った。
「うまそうな匂いだなぁ」
 鍋をのぞき込んでファギルが言う。成長期にある彼はオルト以上に空腹を感じているに違いない。
「客をもてなすのは久しぶりじゃて、婆さんも張り切っているんじゃよ」
 老人が蒔をくべながら、くすくす笑う。
「特に異国からの客など、何十年ぶりだからの」
「へぇ。まあ、ここらは街道からも外れているし、あまり人は通らないだろうけどな」
 それなのに、何故、二人が通りかかったかというと、単に道に迷ったからだ。森の中を突っ切れば近道になるんじゃないかと、軽い気持ちで道を外れた二人は一夜森の中で過ごすはめになり、昼過ぎになってようやく森はずれに出ることができたのだ。
「その客も俺達みたいに道に迷ったって?」
「いや…。不思議な御仁じゃったよ。生まれたばかりの赤子を抱えておっての、赤子を拾った場所から一番近くにある家に来たのだと言っておったよ」
「ふーん、遠見の能力を持つ魔法士だったのかもな」
「お前さん達のような騎士のように見えたがの。その御仁が森から出てきたのは雪の積もった寒い日だったんじゃが、目が銀色に光ってのう、氷の魔物が出たのかと驚いたもんじゃよ」
 世の中には色々な目の色の人間がおるもんじゃのと老人は笑った。
 銀色の目ねぇ。
 オルトの知っている人間にも光の加減で目が銀色に見える人間がいるが、いくらなんでも、何十年も生きていない。
「それにしても、そんな寒い日に赤ん坊を捨てるなんて、ひでぇ親だな」
 オルトとは別の点が気になったらしい若者が憤慨している。その言葉にふっと老人が暗い表情になった。
「捨てたくて捨てたわけではなかったろうよ」
「飢饉とかあったのか?」
「いや」
 老人はふいと黙り込んでしまった。オルトは急かさず続きを待った。ファギルも気遣わしげに老人の表情を見守っている。暖炉の炎の中で枝がはぜ、それを契機に老人は再び口を開いた。
「先代様の時代まで、この国では子供が生まれると、『先見』の神官が遣わされ、吉凶を判じておった」
 オルトとファギルは顔を見合わせた。おそらく、二人とも老人の声音から次に続く言葉がおおよそ分かっていたに違いない。
「凶の予見がなされると、子供は森神に捧げられたんじゃ。森に一夜置き去りにして、無事だったならば、森神の許しを得たとして親元に返された」
 なんだよ、それ、とファギルが怒りをにじませた声で呟いた。
「わしらのような農夫は、それでも、抜け道があったんじゃ。親がこっそり付き添って一晩過ごせば許されたのじゃからな。じゃが、貴族の者達は…哀れじゃったよ。…その拾われた赤子も、貴族らしい、綺麗な緑の目をしておったよ」
 じゃがな、と老人は口調を転じた。
「それも先代様までのことじゃ。今の国王様はそれを廃せられた。戦じゃからと言って、むやみに税を上げることもないし、よい御方じゃよ」
 よい御方、ねぇ。そのよい御方が大した理由もなく他の国に攻め込もうとしているんですけど?
 オルトは心のなかで皮肉った。もっとも、こうした信頼を民から得ているからこそ、戦をふっかけることができるのだろう。
 ふと赤毛の少年を見やると、彼は眉根を寄せて何か考えている様子だった。
「待たせたね。たいしたもんはないけれど、量はたっぷりあるから、好きなだけ食べておくれ」
 老婆が盆を抱えて現れた。その笑顔と料理の匂いにファギルは楽しくない考え事を止めたようだった。
 オルトも彼と同じように思考を切り替えることにした。
 ま、あの陛下だって民には人気あるもんな。
 オルトの立場からすると、「よい御方」とは口が裂けても言えないが、南陽王国の民の多くは「よい御方」だと口を揃えて言うはずだ。
 そして、きっと、森緑王国の者には恐ろしい女王として語られるようになるだろう。
 どんな噂が囁かれることだか、それはそれで楽しみだ。
 そこまで考えると、オルトは今現在目の前にある楽しみを追求することにして、いそいそと食卓についたのだった。