女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (17)

 世継ぎの君は泥まみれになって庭で遊んでいた。
 彼の小さな守り役の制止を振り切って、昨日の雨でできた水たまりに突進し、転び、そのまま水たまりの中で遊び始めたのである。彼の相棒も、誘われるままにぺったりと地面に座り込み、泥団子をこねている。困ったような顔をしていた小さな守り役も、近衛騎士の若者が苦笑しながら許可を与えると、喜んで仲間に加わった。おそらく、ユリクのことだから、後で子供達が風呂に入るついでに、各々の服を洗わせることだろう。侍女達に任せた方が早いのだが、これも神殿流の教育の一環なのだ。
「…元気が有り余っておられるようですね」
 陛下のようにと続けたそうなヴェルシュの口振りにクルスは小さく笑って隣に立つ青年を見やった。近衛騎士の青年は有り余っている力をわけてもらいたいと思っていそうな表情をしている。実際、彼は休む間もなく働いている。やるべきことがある間は、休もうにも気が休まらないので、働き続ける方がましだという。そんな性格だから、女王の差し金によって薬師に無理矢理休ませるために薬を盛られたりするのだ。
 彼の負担を軽くするには、当面の問題を片づけるしかない。
「捕らえよう」
 クルス・アディンは結論を下した。
「これ以上、泳がせていては、時間切れになりそうだ。今、動けば、多少は気勢をそぐことができるかもしれない」
「こちら側にも、古代魔法に通じた人間がいると分かれば、慎重にならざるを得ないはずですからね」
「その人間を消すべく動くかもしれないから、ノウィンには注意した方がいいな。…いや、むしろ、注意が必要なのは、ノウィンよりも他の魔法士達か」
 先方には誰が古代魔法に通じているか分からないはずだ。もちろん、真っ先に目を付けられるのは王宮に出入りしているノウィンであろうが、特定するのは難しい。他の魔法士達にも危険が降りかからぬとは言い切れない。
「ノウィンにはフィルをつけてありますし、他の魔法士達も神殿にいる限りでは、神官長殿が責任を持って守ってくださるはずです」
 念のために、注意を喚起しておきますが、とヴェルシュは言い添えた。魔法士達、並びにその周辺に配備されている部下達に伝達しておくということだろう。
「…ノウィンといえば、陛下はまだ気づいていらっしゃらないようだな」
「はい。陛下だけでなく、王宮の大半の人間も気づいていないようです。…お陰で、フィルには少々気の毒な噂が流れているようですが」
 クルス・アディンは喉の奥で笑った。
「あれか」
「お耳に入っておりましたか」
「陛下から聞いたよ。…そう言えば、今日はフィルが護衛に付いているのではなかったかな」
「ええ。…フィルには口止めしておきましたから大丈夫だとは思いますが」
「…気の毒に」
 重々しい口調で言う二人の青年は深刻そうな顔をしていたが、目が笑っている。
 もし仮に噂の対象が彼ら自身になっていたならば、すぐさま噂の元を突き止め、誰もが二度とそのような噂を口にすることはないように断固とした措置をとったであろうが、所詮は他人事、であった。


 これを後頭部を殴られたような衝撃というのだろうか。
 フィルは病を患っているわけでもないのに、目眩を感じた。
 一瞬にして騎士能力者の動きを奪う大打撃を精神に加えた女王はそんな若者の様子を気に留めることなく、更に追い打ちをかけた。
「両刀ならまだ許すが、男色のみというのは絶対に許さぬからな」
 まるで悪い冗談を言っているかのようだが女王はどこまでも真剣だ。
「視界内でいちゃつかない限り、醜男の同性愛は大いに奨励するところだが、フィルは美形なんだから絶対に駄目だ」
 美形には美形の血を残してもらわねば困ると女王は力説を続ける。
 不細工で馬鹿な人間が同性愛に走って血を絶やしてくれるのは喜ばしい限りだとかなんとか、実に自分本位な意見を蕩々と述べるのだが、衝撃から立ち直れないフィルの耳にはその半分も届いていなかった。
 この若き近衛騎士、執務を終え、休憩に入った女王に、いきなり、
「フィル、そなた男色の気があるというのは真か?騎士見習い達が噂しておったぞ」
 などと、言葉の暴力を振るわれたのである。
 いきなり、そんな質問を女王から受けたことよりも、むしろ、「噂になっている」ということが、フィルには大変な衝撃であった。
 女王が妙な質問をするのは、いつものことだ。いい加減、慣れる。だが、そんな噂を流されたことは過去に一度もない。
「…陛下、それは事実無根の噂、です」
 腹の底から声を絞り出すようにして、フィルはその疑惑を否定した。
 美形が子孫を残す義務について思うところを述べていた女王は言葉を止め、わずかに首を傾げた。
「まことに事実無根、か?私の目にも騎士見習い達が言うように、そなたはノウィンを女性扱いしているように見えたが」
 フィルは息を呑んだ。
 これで、噂の原因が判明した。
「女性を女性扱いして何が悪いんです!」
 と、言いたくなるのをなんとか堪えようと、フィルはそのまましばし呼吸を止めていた。
 ここで女王に事実を告げてしまえば、王宮の影の権力者達に恨まれることになる。女王は怒ってもすぐに忘れる性格であることを考えると、ここは女王の恨みを買った方が遙かにましなのだ。
「もともと、そなたは赤の他人にも親切だからな。私も全く気づかなかったのだが、騎士見習いが言うのを聞けば、なるほど確かに、世話を焼きすぎる気もしてな」
 それは、何よりノウィンが救いようのない方向音痴だからだ。だが、女王はそのことを知らないし、そう言ったところで、言い訳にしか聞こえないだろう。
「…私は老人、女性並び子供には親切にするよう母から教えを受けておりますので。…ノウィンは、背も高く、優れた魔法士ではありますが、まだ成人前の子供です」
「そうか。…まあ、ノウィンも美形だし、視界内に入っても問題はないから、二人とも両刀であれば許さぬでもないのだが」
 みしっと厭な音が響いた。
 フィルが思わず手をついた小卓に亀裂が走っていた。
「…陛下、私は両刀でも男色でもありません」
 低く抑揚のない声に女王はどうやら自分がこの若者を怒らせてしまったらしいことに気づいた。いつもは表情豊かな若者の顔が冷たく凍てついている。どこぞの近衛騎士並だ。
 こんな顔もできたのかと意外に思いつつも女王はさらに軽口を続けた。
「隠す必要はないぞ」
 返って来たのは重い沈黙だけだった。
 女王はしばらくなにがしかの反応がないかと待ってみたのだが、無駄だった。
 本気でフィルは怒っているらしい。
 彼の人のよい父親も、一度怒らせたら、途端に扱い難い相手になったものだ。
「…冗談だ。気にするな」
 単に気晴らしにからかっただけだったのだが、と言ったところで、火に油を注ぐだけだということがさすがに予測できた女王は休憩を切り上げ、執務を再開した。
 多分、明日あたりは不運な騎士見習い達の悲鳴が王宮内に響き渡ることだろう。それを止めさせるような慈悲心を女王は持ち合わせていなかった。


 新年祭の次にやって来る祭は春祭りだ。
 昼夜の時間がほぼ同じになる春分の日を挟む三日間の祭で春の訪れを祝うと同時に豊穣を祈願する祭で、陽の女神以外にも、水の神、大地の女神、風の神等、諸神々へ祈りが捧げられる。
 家の戸口を思い思いに人々が飾り付ける様子を眺めながらアインは通りを歩いていた。
 さすがに王都は海に面していないため、風の神を祀る家はあっても、海の神を祀る家はない。
 アインの生まれ故郷、東の海岸部では、特に念入りに海の神と風の神に祈祷が捧げられたものだった。海では、この二神の機嫌を損ねれば生きてはいけない。
 なにしろ、沿岸部を離れ、船が遙か沖合に流された場合、日の沈む前までに沿岸部に戻らねば生きのびることは出来ないのだ。夜になると海底から魔物が海面に上がって来て人間の生気を吸い尽くすのだと言われていた。真偽の程は定かではないが、ほんの数日、沖合を漂流しただけと思われる船が海岸に流れ着いても、生存者がいた試しがなかった。
 子供の時、いたずらをして叱られる時の決まり文句は「海に流してしまうよ」であった。兄弟の多いアインは自分が叱られずとも一日に一回は必ずこの決まり文句を耳にしたものだ。
「あ、警備隊のお兄ちゃんだ」
 子供の声に足を止め、声のした方角に目をやると、神殿の子供達が大小四人、かたまって通りの向こうを歩いていた。お使いの帰りらしいが、そのうちの二人は手伝っているというより年長者にお守りをされているようなものだ。アインが通りを横切って近づくと、幼い子供達は我先にと駆け寄って、だっこしてくれとねだった。
「お仕事中?」
 年長の少年が仕事の邪魔をしてはいけないとばかりに尋ねる。
「いや。今日は夜勤明けで非番だ」
 子供達を片腕ずつで抱き上げながらアインは答えた。家に帰って一眠りして街に出てきたところだと説明する。制服を着ているのは、祭の間は非番でも、なるべく制服を着用するようにとのお達しがあったからだ。王都警備隊の制服が目に入れば、おとなしくなる人間は少なくない。
「それじゃ、リシュテ様のとこに行くの?」
 期待と幾分かのからかいを込めて言った少女の脇腹を少年が肘で小突く。
「それもいいな」
 今更、隠そうとするアインではない。この神殿で育てられている子供達と顔なじみになったのも、神殿に足繁く通っているためだ。仕事がらみの事もあるのだが、それ以外の時もちょくちょく顔を出しているので言い訳にならなかった。
「あのね、リシュテ様のところにお客さまが来てたよ」
「すごくやなひとなの」
 左右の腕に抱いた子供達が交互に言う。
「へぇ。リシュテ女神官の知り合いにも、やな人がいたんだな」
「リシュテ様はお会いしたくなさそうだったわ。祈祷があるからって、待たせてたもの」
 口をとがらせて少女が言う。どうやらその客は彼女の不興も買ったらしい。
 美しい女神官はたまに不埒な男に言い寄られることもあるため、周囲の目も厳しくなっている。ただ、「客」というからには、今回は違うはずだ。
「そりゃ、よっぽど厭な相手なんだな」
 相談事を持ち込まれた時、いつもならリシュテは祈祷を後回しにする。陽の女神は寛大だから、時間をずらしたくらいでお怒りにならないわ、というのがリシュテの言葉だ。
「…多分、相手が貴族で、厄介なことになったら面倒だから会うことにしたんだと思うよ。地方貴族みたいだけど、そこそこ有力な家の後継ぎらしかったし」
「リシュテ様、客室には通さずに礼拝室でお話すると言ってたんだけど」
 どうやらこの二人、自分にその「客」を見張ってくれと頼んでいるらしい。リシュテは見た目より遙かに意志の強い女性であるが、どこぞの女神官ほど精神的にも肉体的にも強くはない。とはいえ、あの女神官よりも強い人間なんてものは、そうそう存在しない。
 何より、大貴族に睨まれるという事態は避けるべきではあるが、女王に睨まれるという事態は絶対に避けねばならない。
「わかった。偶然、通りかかったことにでもするさ。それで、どこの礼拝室なんだ?」
 その言葉に少年と少女は嬉しそうに、にっこりと笑った。
 神殿で育つと、皆、食えない人間になるのだろうか。
 そんなことを頭の隅で考えながら、アインは神殿に向かって歩きだしていた。


 リシュテは明らかに苛立っていた。
 親しい人間の前でしか、本当の感情を表に出さない彼女にしては珍しいことだ。初めは聞き取れなかった声が、次第に高いものになり、意識を聴覚に集中していなくとも、その内容が廊下にいるアインの耳にもほぼ聞き取れるようになっている。
 日頃は、清楚でしとやかな女神官を完璧に演じきっているリシュテが声を荒げることなどなかった。怒っていても、にっこり笑って穏やかに容赦ない言葉を紡ぐのである。
 リシュテは先ほどから、同じ言葉を繰り返していた。
「帰って。話すことは何もないわ」
 これだけ聞くと、別れ話でもめているかのようで、アインは先ほどから、居心地の悪い思いをしていた。
「私は本当に知らなかったんだ、君がこんなところにいるなんて」
 男の真剣な声は、まだ若く、抑揚から貴族の出だと分かる。
 これでリシュテがもう少し年を重ねていれば、昔の恋人の出現かと思うところだ。さらに、エセルもユリクも、そうした存在は過去に一切無かったと証言している。どちらかと言えば、男嫌いかもねというエセルの励ましだかなんだか分からない言葉もあった。
 何やってんだろうな、俺は。これじゃ、ただの盗み聞きだって。
 アインはがしがしと髪をかきまわした。
 お育ちが良いらしい「客」は腕力に訴えることもなく、何やらせつせつと訴え続けている。事情は全く分からないが、彼の声に虚偽の響きはないようだ。
「…そうね、知らなかったでしょうね」
 リシュテの声の響きが変わった。
「貴方は知ろうともしなかったんですもの。言い訳は結構よ、貴方のような地位にあれば、人一人の行方を探ることなんてとても簡単なことだってことくらい、分かっているのよ。それとも私を昔のままの世間知らずの小娘と侮っていらっしゃるのかしら」
「ファイエル、そんなことは…」
 男の言葉を最後まで聞かず、アインは行動に出た。
 このまま放っておけば、リシュテは必ず後悔する。
「失礼、言い争う声が聞こえたようなのですが、何かもめ事でも?」
 はっとした表情で男が振り返った。
「…王都警備隊か」
 安堵と軽い侮りの混じった表情はまさに有力貴族のそれだった。
「何も問題はない」
 世間体を気にする人間の決まり切った反応だ。
「しかし…」
「しつこいぞ。余計な詮索は無用だ」
 しつこいのは、あんたの方だろうがと心の中で呟いたが、アインは黙っていた。何もわざわざ怒らせる必要はあるまい。
「今日はもう失礼するよ。また来るから…それまでに考えておいてくれ」
 アインに向けたのとは全く違う声音と表情で青年はリシュテに言うと、静かに礼拝室を出ていった。その様子だと、二度と来なくて結構よというリシュテの忌々しげな呟きは聞こえなかったらしかった。
 青年の気配が完全に消えると、リシュテは深々と息を吐いた。
「助かったわ、アイン。もう少しで完全に理性がなくなるところだったわ」
 煩わしげに髪を掻き上げる。そうした仕草も一般の礼拝客の前では決してしないものだった。
「そうだと思った。…あいつが、何者か、聞いてもいい?」
「私自身の記憶からも抹消したい人間よ」
 答えには全くなっていないのだが、追求するのは止めた方がいいだろう。少なくとも、今は。
 リシュテはしばらくの間、俯いたまま動かなかった。泣いているわけではない。高ぶった感情を抑えようとしているのだ。
「…アイン、はっきりとは分からないのだけど、ヴェルシュ殿に南部の貴族の動きに気をつけた方がいいと伝えてもらえるかしら?」
「え?」
「ヴェルシュ殿のことだから、もう察知しているかもしれないのだけれど。セイズール家が関わっているだろうことは間違いないからと」
「それ、今の男と関係あるのか?」
 それには答えずリシュテはゆっくりと顔を上げた。見えないはずの目はしっかりとアインをとらえている。
「私ね、あの男みたいな人間は大嫌いなの。思いこみで、自分すらも偽ってしまえる都合のいい人間」
 だから、とリシュテは綺麗な笑みを浮かべた。
「貴方みたいに正直な人は好きよ」
 アインは面食らった。
 これは、ほめられているのか、けなされているのか、はたまた、からかわれているのか。
 悩むアインを一人残し、リシュテは落ち着いた足取りで去って行った。
 どうやら、王都警備隊員として当然の追求を逸らされたらしいということにアインが気づいたのは、その姿が完全に見えなくなった後のことだった。