女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (18)

 細い雨が降っていた。しめやかな雨音にまじり、震える弦の音が響く。少しばかり濁った哀愁の漂う深い音色は、この南陽王国ではあまり聴くことのできぬものだった。弾き手が指を止め、音の余韻が宙に吸い込まれると、ほうとため息がもれた。
「たいしたもんだねぇ、公子様にしとくのが惜しいくらいだ」
 楽士としても十分にやっていけるよと言って女は笑った。
 なんとも不思議な気分にさせられるなとジラッドはその笑顔を眺めながらわずかに唇の端をゆるめた。
 その息子といい、この女性といい、彼の思い出の中に存在する少女に顔かたちはよく似ているのに、持つ雰囲気が全く違う。儚げで幻のような少女は本当に幻だけの存在になってしまった。
 その少女と違い、清廉さと艶やかさの両方を合わせ持つ年齢不詳の女は高級娼館の主であった。元は舞姫で、今でも気が向けば舞うこともあるそうだが、この娼館にいる娼妓達は誰一人として彼女にかなわないという。技芸に長けた娼妓達を束ねるにふさわしい人物らしい。ついでに、王宮のごく一部では近衛騎士隊長との愛人関係が噂されているようだが、それを本人に尋ねたところ、一笑された。
「あたしも、この子に何か芸を仕込もうと思ったんだけどさ、そっち方面はさっぱり才能がなくてねぇ」
 この子呼ばわりされた若者が形よい眉を軽く上げた。二十歳も過ぎているのに、この子はないだろうが、母親から見れば子供はいつまで経っても子供なのだからしかたないとでも思っている様子だ。女顔の若者は、外見に反して男らしい性格をしており、細かいことでいちいち目くじらを立てることはない。
「公子様がやりたいっていうんなら、止めはしないよ。ただ、あんまり客の前には出ないでおくれよ」
 自分よりいい男を見て、気分がよくなる男ってのは、そういないからねと女将はからからと笑った。
「もちろん。男どものために演奏してやろうなんて私も思わないさ」
 退屈だと言って、実家に帰る近衛騎士にくっついて王宮を出てきたジラッドは、年輩の娼妓が少女達に西方の楽器の演奏を教えるのを目にし、教師役を自分にやらせてくれないかと名乗り出たのである。
「それにしても変わった公子様だねぇ」
 うちの女王陛下も変わっているけどさと女将はしげしげとジラッドを見た。息子と同じ薄紫の瞳は澄んだ光をたたえ、ついつい引き込まれそうになる。彼女に入れあげて家を潰した男が何人もいたというが、あながち噂だけではないだろう。
「王族の類は一般庶民から見れば、皆、変わっているものだと思いますが」
 ルーダルはごく真面目な顔だ。彼の認識では、王族のようなやんごとなき身分の方は変であるのが普通、ということになっている。
「それも一理あるな」
 言ってジラッドは弦を弾いた。
「さて女将、教えるのはどの曲がいい?輝珠王国の宮廷音楽なんてものも知っているが、いかがなものかな?」
「そりゃいいねぇ。皆が珍しがるよ」
 女将はすっかり乗り気になっているようだ。
「ジラッド公子、仮にも王妹殿下に求婚されていらっしゃる方が娼館に入り浸りになるのはどうかと思いますが」
 念のためにとばかりにルーダルが口を挟む。
「王妹殿下に捧げるために音曲を習っているのだと言えばいいだろう?」
「…アシュリーズ様は剣の相手をしてもらう方が喜ばれますが」
 自分と同じで芸術的才能と細やかな感性を持ち合わせていない王妹に恋唄を捧げたところで無駄になるだけだ。
「それを知らぬ輩も大勢いると本人から聞いている。それらしく振る舞う方がよいのではないかな?」
 公子は王宮暮らしにもすっかり退屈しているらしい。公子につきそって、しばしば実家を訪ねることができるというのは好都合だからいいかとルーダルは制止しないことに決めた。こういう所行が元婚約者殿の耳に入ったらどうなることか他人事ながら心配ではあるものの、自分に任された務めの方が優先されるべきものである。そもそも、国を出てこんなところまで逃げ出してしまうような男が自棄を起こして何をしようと元婚約者も今更気にすまい。問題になったところで公子の自業自得というものだ。
 そんな近衛騎士の思惑など知らず、宵闇公国の公子は気分よく楽器を奏していた。

 陽神殿の女神官はその日も清々しい朝を迎えていた。
 清潔とは言い難い居酒屋の内部で、周囲には酔いつぶれた男達がごろごろと転がり、夜の間に降った雨のお陰で空気は湿っぽく澱んでいる。それにもかかわらず、トーヴァの気分は爽快だった。
 他人の金で酒を好きなだけ飲んで、爽やかな気分になれないはずがないと本人は思っているが、一般的な人間ならそれだけの酒を飲んで爽やかな気分でいられるはずがないのだ。うわばみと評判の女神官に無謀にも飲み比べを挑み、あえなく敗退した男達を残してトーヴァは通りに出た。水たまりはところどころに残っているが雨は止んでおり、雨宿りしていたという言い訳は通用しない。
 ようやく白み始めたばかりの空を見やり、神殿に向かって歩き出したところで、トーヴァはすぐにまた足を止めた。
「何の用だ」
 深青の目で鋭い一瞥をまだ薄暗い袋小路に向ける。
「ご挨拶だね。飲んでいるところを邪魔したら機嫌を損ねるからとわざわざ外で待っていたのに」
 軒下に積まれた木箱の上に座っていた男がゆっくりと立ち上がった。
「要するに機嫌を悪くするような話を持ってきたというわけだな」
 いかにも聞きたくないという態度のトーヴァを男が気遣うことはなかった。
「そう。だけど、聞かなければ、さらに機嫌が悪くなること請け合いだ」
「…おぬしの持ってくる話はろくなものがない」
「ろくでもない人間が持ってくる話だからねぇ、ろくでもない話に決まっているんだよ」
 真顔で言う男をトーヴァはじろりと睨みつけた。
「堂々と言うな。もはやおぬしの性格は修正が効かぬな」
「君と同じでね」
 間髪入れずにさらりと言い返す男には、多くの人間が震え上がる女神官の睨みも効果はない。
「お互い性格を変えられるなら、今、こんなところにいないだろうよ」
「もっともだ。話は長くなるのか?」
「そこそこに」
 この男がいう、「そこそこ」とは、かなり長い時間を意味した。極めて気長な性格なので、時間の基準が一般的なそれと違うのだ。
「朝の祈祷が済んでからでよかろう?」
 先ほどより、明るさを増した空を見て言う。少なくとも、日が出る前に小神殿に戻らねば、口うるさい神官見習いに小言を食らうことになる。
「私と一緒にいるところを見られたくないのではないかと思ったんだけどね」
 これでも、気を遣っているんだよと信憑性の薄いのんびりした口調で応じる。
「この時期、私とおぬしが一緒にいたところで、例の縁組みの根回しをしているとしか思われぬだろうよ」
 宮廷においては、この女神官が女王に対して影響力を持つことを知らぬ者はいない。
「君を懐柔できるとは思えないんだけどねぇ」
 実際に、今までトーヴァに女王へのとりなしを願って近寄って来た者は、文字通り、手痛い仕打ちを受けて追い返されている。
「おぬしの性格なら、やりかねんだろうが」
 ふんっとトーヴァは鼻を鳴らした。
「そうかもしれない」
 なにしろ女王を恐れるどころか、からかうような人間だ。女王と同じで何をしでかしても今更驚かれることはない。カリュート・シアン・レフィク、優秀な将軍を何人も輩出してきた名家の御曹司はその生まれだけでなく、変わり者としても有名なのだ。
 他の人間に言わせると、互いに劣らぬ変わり者の二人は小神殿に向かって歩きだした。通りに人影はなく、早起きの小鳥の声が遠くから響いているだけで、静かなものだ。
「君とこうして歩くなんて十五年ぶりくらいかな」
 懐かしむかのように柔らかな口調でカリュートが呟く。
 トーヴァは黙殺した。
 以前、この男と肩を並べて歩いた時のことは楽しい思い出とは言い難い。
 それをこんな口調で言える男の神経が理解できない。昔から理解できない、理解したくない人間だった。
 過去の記憶が蘇ったトーヴァは顔をしかめた。
「…おぬしとは、ろくでもない状況でしか行動を共にしていないな」
 しかも、あまりおおっぴらには言えぬような事ばかりを共同で行ったのだ。もし可能であれば、間違いなく口封じに殺しているだろう。
 だが、カリュートは彼女の不機嫌など歯牙にもかけなかった。
「そうだね。今回もそうなるよ」
 柔和な笑顔で言ってのけた男に、トーヴァはうんざりしたため息をついた。


 新芽をつけた枝が激しく揺れていた。間もなく雨を降らせ始めるだろう暗色の雲に覆われた空をごうごうと風が吹き荒れている。
 だが、その激しい風音も城の奥にある小部屋の中にまでは届かなかった。小部屋には二人の人間が時を待っていた。
 一人は二十歳になるかどうかという若者、もう一人はその倍以上の年齢の中年男。
 彼らが腰掛けている椅子も床の敷物も上質のもので、壁を彩る壁掛けなどいかばかりの値がつくか分からぬほどに手のこんだものだった。
 長い間、彼らは押し黙っていた。何も知らぬ人間には、場違いな場所にいる気詰まりから、黙っているように見えたかもしれない。だが、実際のところは違っていた。
「このようなことをして、ただではすまされぬぞ」
 恨みがましく、低く唸った男を若者は鼻で笑った。
「最初からそのつもりだ。あんたを巻き込んでやれるだけでも、俺としては十分満足できる」
 ぎりりと奥歯をかみしめながら、男は睨みつけたが、それ以上は何も言わなかった。何か言って殺されるよりは、たいして強くはない自制心をふり絞って沈黙することを選んだのだろう。そもそも自分より強いものには従うことに慣れているはずだ。それなのに、今回苦労しているのは、相手がそれまで自分より下だと思っていた人間だからだ。なおかつ、その認識が誤りだったことを認められないでいるのだから、始末が悪い。
 つくづく、血縁があることを有り難く思えない男だなとエルードは冷めた目で伯父を眺めていた。
 顔立ちは、確かに似たところがあるが、それ以外に共通する点を見いだせない。
 伯父は魔法士だというのに自分よりがっしりした体格で幅も厚みもある。
 ああ、性格がよくないというのは似ているかもしれないと一人頷いていると、扉が開いて、国王に伺いを立てに行った男が戻って来た。
「お会いになるそうだ。ついてこい」
 そう告げられた瞬間、伯父の顔に走った失望をエルードは見逃さなかった。
 つくづく諦めの悪い男だ。
 諦めが悪いというより、理解力に欠けるのだろうか。
 今回、謁見が許されなくとも、自分がそれで引き下がるはずがないものを。
 余程の楽天家なのだなと判断を下し、エルードは先に立ち上がって歩き出した。
 廊下に響くのは足音だけで、不思議なほど静まり返っている。南陽王国の王宮では、こうした場所を探す方が難しい。
 衛兵に守られた戸口をくぐり、更に奥の扉の前で案内人は足を止めた。
「陛下、ゼアン伯を連れて参りました」
 答えもなく、扉が左右にすっと開いた。魔法力が微かに感じ取れる。国王が魔法士かつ騎士であるというのは本当だったらしい。部屋の中には、一人の人間の気配しかなかった。
 気後れしている様子だったが、案内人に目で促され、伯父は扉をくぐった。続いてエルードが部屋に足を踏み入れると背後で扉が閉まった。
 鮮やかに魔法を操ってみせるというのは、訪れた者に威圧感を与える効果があるのかもしれない。だが、あいにくエルードは森緑王国の王が魔法士であることを再認識しただけで威圧はされなかった。
 部屋の主は机にひじをつき、組んだ指の上にあごをのせ、来訪者を見据えていた。
 目を上げたエルードはその容貌に少なからぬ驚きを覚えた。
 似ている。
 年齢と性別に差異はあるが、厭になるほど似ている。
 気にいらない、とエルードは心の中でつぶやいた。
「内密に話があるということだが?」
 やや低めの声が問うた。
「わ、私は…」
 言いかけた男をエルードは速やかに黙らせた。
 王に会うという目的を果した以上、伯父は邪魔物でしかない。
 首に手刀を受けた男はあっさりと昏倒した。
「話があるのは俺だ」
 エルードの行動に王が驚いた様子は全くない。倒れた男に興味なさげな一瞥をくれた後、エルードに視線を移した。
「おまえは?」
「あんたの命を受けたこの男によって南陽王国に送り込まれた者だ。一応、この男の甥ということになっている」
 ほう、と王は眉を動かした。無礼な物言いに怒りを感じたわけではなく、言葉の内容に興味を覚えたようだ。
「生きて帰って来るとはな。あれらは死んだか、女王の手の者に召し捕られたと思っていたが」
 少なくとも、この男は刺客の報告をのんびり待つほど愚かではないようだ。隣国で起きたことをほぼ正確に把握している。
「始末に送られた刺客なら返り討ちにした。確実に始末するつもりなら、もっと腕利きを遣すことだ」
「そこそこに腕の立つ者を送ったのだがな。役不足だったか」
 計画通りに事が運ばなかったというのに、王はどこか楽しそうだ。
 ひょっとすると、事の成否など気にかけてもいなかったのかもしれない。
「役不足だ」
 きっぱりとエルードは言い切った。
「そうか。あれが失敗した原因はなんだ?」
 エルードにとっては幸いなことに、王は煩わしい言葉のやりとりを好まぬ性質のようだった。
「直接の原因は力量不足の一点だが最大の原因はあんたにある」
 非難がましい視線を向ける若者に王は不快感さえ見せず先を促した。
「俺を含めて『間者』に仕立てあげた連中に同じ波長を持つ魔道具を渡したことだ。あれは、あんたが俺達に命令を下し、所在を把握するには便利だったかもしれないが、逆にだれが同類か探す手掛かりを与えた」
「なるほど。まっさきにお前を始末しておけば、面倒なことにはならなかったというわけだな」
「そうかもしれないが、魔道具の存在は近衛騎士に知られていたはずだ。王宮内に持ち込んだ馬鹿がいたからな」
 ああ、あれかと王はうっすら笑った。
 やはり、この男は「間者」の正体がばれようが、いっこうに気にかけていないとエルードは確信した。
「それでお前は、恨み事でも言いに来たのか?それとも私を殺しに来たのか?」
 どちらでも歓迎すると言いかねない様子だ。
「いや、聞きたいことがあるだけだ」
「なんだ?」
「あんたが何を望んでいるか、聞きたい」
 暗緑の瞳で王を見据えながら、エルードは言った。
「あんたは争いを望んでいる。それは間違いない。領土の拡大とか、そんなものが目的ではないだろう?そもそもあんたは戦に勝つことを望んではいない」
 そう、戦に勝つつもりならば、もっと巧妙に立ち回るはずだ。それができるだけの人間かどうか、直に対面して見極めることがエルードの第一の目的だった。
「戦を起こす以上、勝つことを望むのが普通ではないか?」
「『普通』はそうなんだろうな。だが、あんたは違うだろう」
 普通でない人間が、「普通」の枠におさまろうなどおこがましいとエルードが言えば、からからと声をたてて王は笑った。心底楽しげな、そしてどこか虚ろな響きを含んだ笑い声だ。
「久しぶりだ、このように楽しい思いをしたのは」
「余程退屈な人生を送ってたんだな」
 皮肉ではなく、本気でエルードはそう思った。
「退屈?ああ、確かに退屈だったかもしれない」
「あんたの望みは?」
 笑い止まぬ王にエルードは重ねて問うた。
 答えがなければ、その場で王を殺しただろう。あるいは王に殺されただろう。
 どちらかと言えば、後者の可能性が高い。
 だが、王は答えた。
 その言葉を無表情にエルードは受け止め、頷いた。
 驚くような答えではなかった。ほぼ予測通りの答えだった。
 何故、それを望むのか、知る必要はない。
 自分は欲した答えを得た。それで十分だ。
「それなら、俺はあんたに協力しよう」
 王は鮮やかな緑の目を向けた。夏の森の緑と同じ色だが、そこに生命の輝きは見いだせない。あるのは宝石のように冷たい光だけだ。
「よかろう。手始めに何がいる?」
 彼と同じように王は何故とは問わなかった。
 自分達は似ているところがあるらしい。嬉しくもなんともないことではあるが。
 この国での地位と身分、とエルードは簡潔に応じた。
「自由に動けるだけの、足手まといにならぬ程度のものがいい」
 この時、すでにエルードの腹は決まっていた。
「では、おまえの望むものを与えよう」
 本当にそうしてくれるとよいがとエルードは薄く笑った。