女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (19)

 小さなランプが店内を照らしていた。
 灯心は小さく、使っているのは質の悪い油だ。
 薄い影がゆらゆらと揺れているのは隙間から入ってくる風のせいでもある。
 むさ苦しい男どもが集まる酒場においては、暗くて多少のすきま風が入る方がいいかもしれない。
 そんなことを考えながら赤毛の少年は椅子に逆向きにまたがって座り、背もたれの上に手を組んであごをのせていた。大柄な少年がそうやっていると椅子が妙に小さく見える。それに少しでも力を加えれば、椅子が壊れてしまいそうだ。実際に少年が身動きするとみしみしと厭な音を立てた。
 少年の視線の先では男達が輪になってさいころ賭博に興じていた。見ていて楽しい光景ではないが、他に見るものもないので仕方ない。
「なあ、聞いてもいいか?」
 わずかに視線を下に転じて少年は声を発した。
「何を?」
 椅子のすぐ近くで片膝立てて、さいころを振っていた男が首を捻って少年を見上げた。余程、楽しいのか、緑の目は生き生きと輝いている。さっきから見ている限りでは、あまり儲けていないようなのだが、根っからの賭事好きなのだ。いかさまもやればできないことはないらしいのだが、そうするとつまらないのでやらないらしい。いかさまをやろうにも下手すぎてできない彼の父親とは大違いだ。
「あんた、本気で探る気があるのか?」
 婉曲的にファギルはそう尋ねてみた。本当に知りたいことは微妙に違う。
「ないわけでもないぜ。俺は、無理せずできることしかしないんだ」
 覇気というもののかけらも存在しない口調と態度で男は応じた。すでに彼の注意はさいころに戻っていた。小さなさいころの動きを目で追っている。
 どうやら問いの真意には気づいてもらえなかったようだ。
「あーそりゃ立派な心がけで」
「だろ?楽しく生きる秘訣だ」
 南陽王国の近衛騎士の選抜基準は顔だけという巷の噂をファギルは信じたくなった。どの国でも近衛につく者には見栄えを要求されるが、それだけで選ばれるということはまずない。
 単に勤勉さというものを問わなかっただけで、南陽王国の女王も顔以外になんらかの基準を持っているはずだ。
 なにせ、オルトの情報収集能力は侮れないものがある。昨夜もこうして賭事に熱中しながら、情報を拾っていた。もっとも、たまたま思い出しだから、そうしたのかもしれないという可能性も否定はできない。
 ついでに、頭も悪いとは思わない。ただ妙なところで鋭いのだが、これまた妙なところで鈍い。言わなくてもいいことまで言ってしまって自ら墓穴を掘る癖がある。加えて、興味を惹かれたものにはすぐに飛びつくが、飽きるとそれまでという面もある。
 そういう人間が今は賭け事に夢中になっている。
 婉曲的な物言いになど注意を払うはずがない。
 自分が馬鹿だったと、ファギルは情報整理を始めた。
 無意識のうちに目を細め、床の上のしみに焦点を合わせる。まるで猫が薄目を開けて鼠を狙っているかのようなのだが、本人にその自覚はない。
 もはや騒ぐ男達の声もファギルの耳には届いていなかった。
 この国の王が即位したのは二十数年前だ。即位後もしばらくの間は前王が実質的な支配権を握っており、当人は凡庸な王だと思われていたらしい。やがて前王が死んでから、彼は手腕を振るい始めたという。これだけなら、そう珍しい話ではない。
 問題はこの転換期とあの女神官が知りたがった「変わったこと」が起きた時期がほぼ一致するということだ。
 前王が死んだ年、国王が新年を迎えるために籠もっていた神殿内部に賊が侵入し、国王自身の手で返り討ちにあった。
 魔法士や騎士により厳重に守られた神殿内部に賊が侵入できたというのもおかしなことだが、仮に侵入できたとして、それほどの能力のある刺客を王が助けもなしに一人で返り討ちにできたというのもおかしい。勿論、どこぞの将軍のように化け物級の戦闘能力を持っていれば話は別だが、集めた情報から判断する限りでは王はそれほど優れた「戦士」ではないらしい。魔法士能力と騎士能力を合わせ持つことは確からしいが、騎士としての訓練は受けていないし、実戦経験など皆無に等しいはずだった。
 一番、ありそうなのは賊を手引きした者が内部に存在したということだが、それでは女神官の言った「国王が知られたくないこと」にならない。
 返り討ちは正当な行為であって、誰も批判する人間はいないだろう。
侵入者は賊ではなく、国王が始末したい何者かだったということも考えてみたが、それがばれて困るほどの地位にある人間が姿を消したという事実はないようだった。大体、王というのは自分の手を汚す必要はない。
 ここまででファギルの推測は行き詰まってしまう。
 だが、あの女神官ならば、もっと他に何かを知っているはずだ。そして、ただ裏付けが欲しいために、自分たちに情報収集を依頼したのだろう。
 国王にとって、致命的な何かを女神官は知っているはずだった。
 しかし、それを知っているからと言って、彼女に何かできるだろうか。高位の神官職にあるとはいえ、発言力は持たず、世俗権力の後ろ盾もない。王は反抗勢力を根絶やしにしているので、王の「敵」から援助を受けることもできない。
 どう転ぼうとあの女神官に勝ち目はない。
 だが、あの女神官は自分が正しいと思ったら、保身というものを全く考えない行動を取りかねない。なにしろ、裁きと雷の女神に仕えている人物だ。
 知らせない方が彼女のためになるのは間違いないのだが、彼女は諦めないだろう。自分たちが協力しなくても、知りたいことはなんとしてでも知るはずだ。
 乱暴に赤毛を手でかきまわし、ファギルは何も考えていなさそうなオルトを恨めしげに見やった。
 このことを言ったところで、悩んでも無駄なことでは悩まないとかいう答えが返って来るだけだろう。
 確かにその通りだと理性が告げている。しかし、割り切れない。
 まだ「若い」ということなのだろうかと、ファギルは一人頭を悩ましていた。


 ほんのりと湯気が上がっていた。
 目の前で器に注がれた茶は、南陽王宮で使われるものより、味が柔らかく香りも弱い。彼の故郷では、このお茶を飲むのは庶民がほとんどだった。ちょっと裕福な家になると、もっと高級な茶葉を使うようになる。だが、小売商人から大使にまで成り上がった彼には馴染み深いものだった。
 女王から古狸とのあだ名を頂戴している洸王国の大使は茶を入れてくれた女性に礼を言って器を口元に運んだ。
「ほっとしますなぁ、この味は」
 口にふくみ、じっくり味わってから彼はしみじみした口調で言った。故国でも彼が招かれる先でこのようなお茶が出されることはまずない。苦労をともにした妻と二人でいる時はよく飲んだものだったが、その妻も数年前に亡くしていた。
「ええ。…私は数えるほどしか飲んだことはなかったはずなんですけれども」
 わずかに苦笑を浮かべて女近衛騎士は器の中に目を落とした。長い睫が微かに影をつくっている。その下にあるのは、彼と同じ黒い目だ。
 詳しいことは知らないが、彼女は南部の、それこそ茶もろくに飲めない下層民の出身らしかった。しかし、人目をひく華やかな容貌と優雅な身のこなしを見る限りでは、生まれながらの貴族としか思えない。もっとも、南部の貴族の女性なら、こうして手ずからお茶を入れて客人をもてなすこともない。
「このような美女にお茶の相伴をさせていただけるとは、誠に私は果報者ですな」
 そう言うと、イェナは悪戯っぽく片方の眉を上げて見せた。
「あら、この国の恐ろしい女達からようやく逃れることができると大喜びしているという噂を耳にしましてよ?」
 彼が一時的に帰国することになった旨を女王に告げたのは昨日のことである。女王はすかさず今度来る時には手土産を持参せねば、王宮には入れてやらぬぞと要求し、夫君にたしなめられていた。しかし、表向きはそうしていても、夫君も女王と同じ気持ちでいるだろうことは間違いなかった。
 古狸と呼ばれる彼には、「手土産」の内容がただの物ではないことがわかっていた。理由は問わぬものの、わざわざ帰国するほどの用事があるならば、それなりの成果を上げて戻って来いと言っているのだ。勿論、物も忘れてはいけない。女王の好きそうな、本物の手土産も調達する必要がある。
「心外ですな。美女ぞろいの王宮から離れるのは不本意この上ないというのに」
 彼にしてみれば、南陽王宮は本国よりも居心地のいい場所だった。女王のおかげで、身分を問わず引き立てられた人間が数多くいる王宮では問題にされるのは実力のみで、彼はそれなりの評価を得ていた。
「そのような方を急にこの時期に呼び戻すなんて、何か大変なことがあったのではございません?」
 互いに気心が知れているので、腹の探り合いは抜きにして単刀直入に女騎士は聞いて来る。この国の「頭脳陣」は優秀な諜報組織を持つために、おおよその理由は探り当てているはずで、イェナの問いはただの確認に過ぎない。また隠す理由も彼にはなかった。下手に隠して痛くもない腹を探られるのも面倒である。
「大変といえば大変なことですな。愚かな若造どもが、せっかく私が身を粉にして築き上げた友好関係をぶち壊そうとしているのですから」
 これは彼の本音だった。何もわかっていない、私欲にかられた貴族達が問題を起こし、それをおさめるのに手を貸してくれと王に泣きつかれたのだ。彼の国の王は決して有能な人物ではなく、気弱で頼りなくもあったが、何事も忠臣達と相談して決定を下す。奸臣に惑わされぬ限り、それで国政はうまく機能するものだ。
「どこの国にも愚か者はいるものですわね」
 ため息まじりにイェナは言った。
「陛下が最も嫌っていらっしゃる愚かで醜い者は速やかに排除すべきでしょう」
 ここでしっかりと一部の野心的な貴族達を抑えておかねば、北との問題が片付いた時、南陽王国は次に彼の故国に矛先を向けるだろう。好戦的な国ではないが、己の国を統制できず騒乱を招く国を放ってはおくまい。ましてや自国に害をなすのであれば、なおのことだ。特に女王の夫君や側近は遠い将来のことまで考えて行動するので要注意だ。彼らが総じて野心家ではないことが救いであるが、油断は禁物である。
 彼は近く起こるであろう戦で南陽王国が負けるとは全く考えていなかった。
「そうしていただけると有り難いですわ。我国の愚か者は我国で始末いたしますから」
 茶の入った器を手に女騎士は艶やかに微笑んで見せる。
 それがいかに危険な微笑みなのか知る人間はそう多くない。
 まったくもって哀れな連中だ。
 彼はもう一口、お茶をすすった。
 このお茶のおかげで、どうやら寛容な気分になれたらしい。
 動きが筒抜けだということにも気付かず、自分達に都合のいい夢を描いている愚か者達の冥福を彼は心から祈った。


 灯りのない礼拝室でリシュテは祭壇の前に跪き、陽の女神に語りかけていた。
 罪の意識に苛まされるでなく、罪の意識を感じぬことを女神に告白し、許しを求めていた。
 しかし、本気で許しを求めているのかどうかは自分でもわからなかった。そもそも、それが罪なのかすら、リシュテには分からなかった。
 「リシュテ」
 聞き間違えようのない耳慣れた声に名を呼ばれ、リシュテはゆっくりと体の向きを変えた。
「アインは貴方に伝言を伝えてくれたみたいね」
 同じ神殿育ちで、今は近衛騎士となっている若者がいるであろう方向に顔を向ける。
「ああ、その日のうちに訪ねて来たよ」
 何かすることがあったら、忘れる前にすぐ実行するというアインらしいとリシュテは笑みをこぼした。
「いいのかい?」
「何が?」
 ユリクの言いたいことは分かっているのに、敢えてリシュテは聞き返した。
「君の家族のことだよ」
「私の家族は貴方やエセル、神殿にいる人達だけよ」
 無意識のうちに硬くなっている声に我ながら驚く。
 自分で思っている程、過去のことを割り切れてはいないようだ。
「リシュテ」
 たしなめる声音でユリクはもう一度名を呼んだ。
 私より遙かに神官向きの人間だわとリシュテは心のなかで呟いた。
「君は彼らに仕返しをするつもりでいるのかい?」
「…違うわ。あの人が陰謀に関わっているからと言って、私の『元』家族も関わっているとは限らないでしょう?もちろん、あの人の家が処罰を受ければ、多かれ少なかれ影響はあるでしょうけれど」
 正直言って、今、ユリクに言われるまで、そのことにすら考えが及ばなかった。
「私は、知り得た情報を提供しただけ。それが私にまとわりつく不快な男を退けるのに役に立つからということもあるけれど」
 リシュテは唇の端をわずかに吊り上げた。
「迷惑だったかしら?」
「いや。一人だけでも関係者の名が確定できたのは役に立ったとヴェルシュ殿がおっしゃっていたよ」
「そう、よかったわ」
 我ながらここまで冷ややかな声をよく出せるものだとリシュテは呆れた。
「アインが心配している」
 出し抜けにユリクは言った。
「自分では何もできないから、僕に会いに行ってくれと頼んだよ」
 リシュテは唇をかんだ。
「ユリクはずるいわね、ここで彼の名前を出すのだから」
 微かに笑う気配が伝わった。
「僕が心配していると言っても、君は気にかけないだろう?」
 それはそうだ。「家族」である彼には、心配をかけると分かっていても、そのままにしてしまう。
「…アインもあんなところに来合わせなくてもいいのに」
 八つ当たりだと思っていても、つい口にしてしまう。
「子供達が心配して、彼を招いたらしいよ。君が子供達に動揺を悟られるなんて、余程のことだったんじゃないかい?」
 あの子達、と呟いて、リシュテはしばらく口を閉ざした。
 神殿にいる子供達にまで気を遣わせてしまうほど、自分はあの男の出現に衝撃を受けていたのだろうか。
 そうなのかもしれない。自分にとっては墓場に埋めた人間が急に生き返って目の前に現れたようなものだ。
「ますます逃げ道を塞いでくれたわね、ユリク」
「何年のつき合いだと思っているんだい?」
「そうね、もう十年以上になるのね。…元家族よりもつき合いが長いわ」
「もう十年以上前のことなんだから、決着をつけるといい。余計なことに思い煩って時間を無駄にするのはもったいないとエセルも言っているだろう?」
「わかったわ。『死人』は墓に埋め戻すことにするわ」
 ユリクが怪訝そうな表情になっていることが見えずとも分かった。
「その『死人』というのは例の彼のことかな?」
「ええ。私にとってはそうだったのよ。アインにでも告白して、心をすっきりさせて、もう一度、墓場に戻ってもらうわ」
 なんとも言えぬ間が空いた。
「…ああ、告白というのは罪の告白よ。愛の告白じゃないわよ」
 自分の言った言葉に気づいて、リシュテは注釈を加えた。
 ふうっとユリクがため息をつく。
「君の場合、どちらでも同じだと思うけれどね。…僕が今、考えていたのは、そのことじゃなくて、トーヴァ様の影響力がいかに強いかということだよ」
「トーヴァ様?」
 何故、今、彼女の名前がここに出てくるのだろうとリシュテは首を傾げた。
「そう。君の言葉、まるっきり、トーヴァ様が言いそうなことだ」
「当たり前でしょう、『師』なんだから」
 トーヴァは神殿の子供達に学問を教える機会が多かった。おまけに脱走したエセルを捕まえに行くのはほとんどトーヴァに任せられており、エセルと仲のよいリシュテも必然的にトーヴァと関わることが多かったのだ。
「それのどこが悪いのかしら?」
「悪いとは言わないけどね」
 僕も我が身はかわいいからとユリクは肩を竦めた。
 ただ、世の中の夢見る男達がリシュテの内面を知ったら、さぞかし嘆くことだろうと思っただけのことだ。
 だが、そんなのはユリクの知ったことではない。
「君は強くなったよ、本当に」
「誉め言葉と受け取っておくわね」
 本当にそうなったのならばいいのだけどと心の中で呟きながら、リシュテは笑ってみせた。