女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (2)

 眩いほどに晴れ渡った秋空の下、掘り返されたばかりの真新しい土の匂いが漂っていた。狭い平地に突然姿を現した盛土は大きな塚だった。遺体を引き取って葬儀を上げることを望む親類のない、あるいは遺体を届けようにも故郷を遠く離れ過ぎている戦死者達の墓だ。敵も味方もなく、掘られた穴に無造作に遺体はほうり込まれた。命を散らした者のほとんどが傭兵だったから、共に埋葬されることに、さして不満はないだろう。彼らは雇い主が違うだけの相手に激しい憎悪を抱くことはないし、墓を作ってもらえるだけありがたいと思っているはずだった。
 この戦は小競り合いだった。隣接する領主同士の領地の境界を巡る争いだった。よって、領主達は貴重な労働力を減らすことはよしとせず、傭兵を集めた。領主達の仕える主君は異なっていたが、その主君が介入することはなく、国同士の争いに発展せぬうちに短期間で戦は終結した。結果、ほんのわずか敗者の側に境界が動いただけだった。猩瑪王国の領土がほんの少し減り、緑森王国の領土がほんの少し増えただけのこと。両国は飽くまで領主同士の争いとして片をつけた。
「…実りのない戦だったな」
 塚に酒を振りかけて男が言った。いかにも歴戦の戦士といった古傷のある逞しい腕には真新しい包帯が巻かれている。酒は見る間に土に吸い取られていった。
「そう?」
 男は訝しげに傍らに立つ女を見遣った。すらりと背の高い女騎士は彼の娘のような年頃だったが、十代の若い傭兵の中では群を抜いた腕を持っていた。初陣であってもおかしくないのだが、すでに大陸東部の暁王国と紅砂王国の戦いに参戦したことがあると言っていた。その戦はこのような小規模なものではなく、その戦場から生きて帰った事実が、いかなる意味を持つか彼にはわかっていた。初戦で命を落とす者は決して少なくない。
「ごく一部の人間には実りがあったはずだ」
 肩の上で切り揃えた金茶の髪を煩わしげにかきやって、女騎士は言った。緑の目が一瞬彼の目を捕えた。
「また戦が起こるよ。今度はずっと大きい戦がね。今回のこれは小手調べだ」
 鮮やかな緑の瞳に不可思議な光が宿っていた。彼には分からぬが、恐らく、女騎士が言った通りになるのだろう。彼女の勘が良く当たることを共に戦列に並んだ彼は知っていた。彼女は彼のいた傭兵部隊において、途中で斃れた指揮官に代わって指揮をとった。彼女がいたから、自分は生き残ることができたのだと思っている。もっと、正確に言えば、彼女達がいたからだ。今、目の前にいる女騎士も、斃れた女騎士も優れた指揮官だった。彼女達に率いられた部隊は、最も戦死者が少なかった。
「また稼ぎに出るのか?」
 大きな戦いではなかったが、それなりに傭兵の間で名を上げた彼女ならば、雇いたがる人間に不自由はしないだろう。
「多分、ね。あんたは?」
「俺はもう戦場は引退だな。体力がもたない。さ、祈ってくれよ、元神官見習いなんだろ?」
「除籍されてなければ現役だよ」
 軽く笑うと女騎士は死者の冥福のために祈祷を捧げ始めた。近くにいた者達がその声を耳にして、めいめいひざまづいて祈り始める。
 祈りの声の響くなか、太陽はゆっくりと地の果てに沈んで行った。


 混雑する居酒屋の片隅で若い男が酒杯を傾けていた。
 十七、八歳の、まだ少年と呼んでも良さそうな年格好だが、不思議と落ち着いた雰囲気を醸し出していた。南陽王国では一般的な黒髪は人目を引くものではないが、なかなかに整った顔立ちは若い娘達の目を引き付けるには十分だ。ただ場所が場所だけに、若い娘の姿はなく、彼に注意を払う者はいなかった。
 彼はこの店の常連客の一人だった。仲間と共に飲みに来ることもあれば、今夜のように一人で来ることもある。いつも陽気に騒ぐことはなく、強い酒を二、三杯、ゆっくり味わうように飲んで店を出る。店の主達は表には出さないが、相当の酒好きなのだろうと考えていた。
 新しく店に入って来た客が相席を求めて、彼の前に座った。平凡な中年の商人といった様子の男は麦酒を注文すると、テーブルの上にごとりと重そうな小袋を置いた。
 若者は訝しげに男の顔とその物体を見比べた。
 それは両手のひらにのるような丸い形をしていた。
「魔道具の一種だ」
 ささやくような小声で男に告げられ、彼は眉根を寄せた。
 魔道具とは魔法士達が高等魔法を操る際にしばしば媒介として使用する道具のことである。
「俺に魔法は使えないぞ」
 魔法騎士であろうとも、魔法と呼ばれるほどの術を使う魔力は持たない。そう言うと、男は微かに唇の端を吊り上げた。
「魔力はいらん。一方的に『声』を伝達するものだ。今後、これで指示が与えられる」
 暗緑色の瞳の奥で何かがゆらりと揺らめいたが、男は気付かなかった。周囲に目を配った後、袋から出してその使い方を説明した。はた目には異国帰りの商人が珍しい商品を売り付けているように見えただろう。
 それは複雑な紋様の刻まれた水晶のように透き通った玉が金属製の台座に据えられたものだった。その力が発動すると、光を放ち、玉に手で触れると「声」が伝わるという。
「同じものが、他にもあるのか?」
「ああ。この台座に文字が刻まれているだろう?同じ文字が刻まれているものには、同じ『声』が伝わる」
 魔道具を袋の中に戻しながら得意げに男は説明した。
「我国の魔法士もたいしたものだ。例の小競り合いで試しに使ったらしいが、随分、役に立ったらしい」
 戦場における情報伝達の速さは重要だ。陣の展開にも直接関わってくる。
「ふん?…俺以外に、何人の人間がこれを持っている?」
「十人もいない。心配するな、始めに名前を呼びかける。連絡があるのは真夜中だ」
 若者の問いかけを、指示を受け取り間違うことを心配したのだと解釈した男はそう説明を加えた。
 男は自分がしゃべり過ぎたことに気付いていない。この国に潜伏している人間が他にも数人いるということが分かっただけでも彼には貴重な情報だった。
 よほど本国では人手が足りぬらしい。
 彼は皮肉な笑みを浮かべた。
 どれほど有用な道具を作り出したところで、それを使いこなせる人間がいなければ、ごみ同然だ。
 彼は魔道具を無造作につかんで立ち上がった。
「これで直接の接触は終わりだ。何か、伝えることがあるか?」
 黒髪に隠された暗緑の瞳に複雑な表情が宿った。
「誰に何を伝えるというんだ?」
 冷やかな声で言い返すと、彼は男に背を向けた。
 賑やかな店内を横切り、通りに出る。微かにほてった顔に夜風が心地よい。
「…何を、迷うことがある」
 低くつぶやき、彼は夜のなかを歩き出した。


 森は黄金色に染まっていた。
 子供達は毎日のように森の奥に出掛けて、豊かな実りを手にして戻って来る。彼らによって集められたそれらは森の神に感謝の意をもって祠に捧げられた後、冬の間の楽しみになるべく地下に貯蔵される。子供達にとっては食べる楽しみもさることながら、存分に森で遊ぶことができるのが楽しいのだ。農繁期を過ぎた今、農民の子供達が手伝わねばならぬ仕事はぐんと減っていた。そして森の恵みを集めることこそが、彼らの仕事になっていた。神殿で育てられている子供達も彼らと一緒になって出掛け、日暮れ前に帰って来る。森の獣は騒々しい子供達の集団は避けて通るし、その上、子供のなかには二、三人、騎士見習い候補や魔法士見習い候補が交じっているので、万が一、獣に襲われても彼らがいれば安全だった。
 若い女神官は村はずれにある小さな祠の清めをしていた。間もなく、子供達が今日の収穫を手に戻って来るだろう。村の中にある小神殿と呼ぶこともできないような小さな聖堂に祀られているのは風の神と雷の女神だった。兄妹神である彼らは共に祀られることが多い。小さな聖像の足元を丁寧に掃き清めていた女神官は子供の泣き声が聞こえた気がして顔を上げた。
 誰か木から落ちて怪我でもしたのだろうか。
 遠くに目をやると、森の端から一人の子供が転げるようにして駆けて来るのが見えた。何度もつまづきながら、それでも必死に駆けて来る。
 彼女は異常を察して、走り出した。
「ライカ様ぁ」
 子供は女神官の腕の中に飛び付いて来た。涙で顔がぐしゃぐしゃになっている。
「どうしたの、ノール?何があったの?」
 泣きながら子供は、ならず者の集団が森に現れたことを告げた。傭兵崩れらしい連中は子供達を人質にとって、村を襲撃するつもりでいるようだ。先日、戦いの起きた東の国境から、この地はさほど離れていないが、よもや、このような田舎まで、傭兵が流れて来ることはあるまいと油断していたのがいけなかった。
 子供の話を聞いたライカは明るい緑の目を細めた。
「人数は?」
「えっと、十人くらい」
「魔法士はいた?」
「みんな、剣を持ってたから、多分、いない」
「わかったわ。あなたは村長にこのことを伝えて。私は先に森に行くわ」
 少年は不安そうな顔をしてライカを見た。
「私は大丈夫」
 笑顔を返して、少年を村の方に押し出す。少年が振り向きながらも駆け出すのを見送って、ライカは森に足を向けた。歩きながら片手で前髪をかきあげる。
「…ふざけんじゃないわよ」
 柔らかな緑色の瞳のなかで怒りがきらめいていた。

 ぴたりと子供の泣き声が止まった。
 子供達はあっけにとられて、その若い男を眺めていた。
 異国人らしい黒髪の男は飄々とした態度で、それまで仲間だったはずの男達に向かいあった。足元には先程、この男が一瞬にして、棍棒代わりに弓を振るって、のした男達が三人、転がっている。
「貴様、裏切る気かっ」
 首領格らしい男がほえる。
「裏切るも何も、俺は面白いことするって言うから、ついて来てやっただけだぜ?仲間になった覚えはない」
 ひょいと肩を竦めて応じる。背に担いだ矢筒の中で矢が音を立て、束ねられた長い黒髪がその動きに合わせて揺れた。にやりと男は唇に笑みを刻んだ。
「それに、俺の目的は最初っから、おまえらの寂しい懐だ」
「なにぃ?」
「いや〜、せっかく稼ぎ時だと思ってやって来たら、戦は終わっちまうし、傭兵はごろごろしてて仕事はねぇし、故郷に帰ろうにも路銀が足りなくなっちまったしさ。ここはひとつ、良心の痛まぬ腹黒い連中から金を分捕るのが一番かとおまえらに目を付けさせてもらったわけだ。期待どおりの悪党ぶりで俺はすっげー嬉しい」
 いきり立つ男達を前にして、どこまでも飄々と言ってのける。
「馬鹿にしやがって、野郎っ」
 男達が一斉に襲い掛かろうとした途端、眩い閃光が木立の間を駆け抜けた。
 ぎゃあっと短い悲鳴を上げて、男達が白目を剥いて昏倒する。魔法士による高等魔法に他ならない。しかも確実に的を絞って周囲に被害を一切与えないところを見ると、魔法の主はかなりの手だれだ。
「こりゃあ、すげぇ」
 木立の中から姿を現した人物を見て、男は軽く眉を上げた。
「ったく、どの国でも女神官ってのは、おっかないものなのかよ」
 ぶつぶつと彼が口のなかでつぶやいている間に、幼い子供達がわっとばかりに女神官に駆け寄る。
「ライカ様っ」
 怖かったよぉと泣く子供達の頭をライカは優しく撫でて、鋭い視線を見慣れぬ男に投げた。
「勘弁してくれよ、俺は善良な人間には手出ししてないぜ」
 両手を上げて男は言った。
「腹黒い連中の懐を狙うのは罪にはならないというの?」
 冷やかにライカは突き放す。
「聞こえてたのか。こういう連中はのさばらせていても世の中の害になるし、金なんか持たせていても牢獄では勿論、冥府でも役には立たないんだから、有効活用するほうが神々の御心にもかなうとある偉い女神官様が言ってたんだ。俺はそれに素直に従ってみただけだって」
「なっなんてことを」
 絶句するライカの前で男はさっさと転がっている不埓者達の手を各自のベルトを引き抜いて縛り始めた。ついでに、ちゃっかり懐から銭入れを引っ張り出していく。
「やっぱ、しけてやがるなぁ」
 子供達は驚くやら呆れるやらで、この若い異国の男と女神官を交互に見ている。男は全員を縛り終えると、ぽいぽいと幾つかの銭入れを子供達に向けて投げた。
「迷惑料ってとこだな。そんじゃ」
 片手を上げて挨拶すると、あっという間に男は樹木の間に姿を消した。
「…なんだったのよ、あの男は?」
 ライカは息を吐いて、いつでも攻撃できるように集めていた魔法力をゆっくりと解き放った。
 新手の追いはぎだろうか?
 村の男達が子供達を呼ぶ声が聞こえて来る。
「ライカ様、今の人、結構、強い騎士みたいだったよ」
 騎士能力を持つ年長の子供がぽつんと言った。
「あっと言う間に三人の『騎士』を倒したんだ」
「…あれが?」
 どう見ても、遊び人のろくでなしにしか見えないのに。
 よもや、今の青年が腕利きと評判の高い南陽王国の近衛騎士の一人だとはライカには思いもよらないことである。
 思い切り疑わしそうな目をライカは男の消えた木立の間に向けていた。

その一瞬にふたりは何を感じたのか?
「出会い〜オルトとライカ〜」 by れいり様


 緩やかに秋から冬に向かう時。
 南陽王国の王宮で小さな事件が起きた。
 この秋の初めに王宮に迎え入れたばかりの騎士見習い達を指導していた最年少の近衛騎士二人組が、突如、動きを止めた。騎士見習い達は何事かとその視線を追い、その先に金茶色の髪の女騎士を見いだした。すらりとした長身の女騎士は空いている方の手を挙げて二人の近衛騎士にひらひらと振ってみせた。
 二人の若者は動かない。
 彼らは、女騎士のもう片方の腕に注目していた。その腕には一才を越えたくらいの幼子が抱えられていた。
 先に我に返ったのはユリクだった。ひとつに編まれた黒髪が揺れたかと思うと女騎士の前に来ていた。
「エセル、久しぶりだね。父親は誰だい?」
 挨拶もそこそこに真剣な面持ちで若い近衛騎士がほぼ同じ高さにある相手の緑の目を覗きこんだ。
「父親?そんなもん、知らないけど」
 微かに眉を寄せて女騎士は応じた。何故、そんなことを聞くのか、さっぱりわからないという顔だ。
「そんなもんって…」
 遅ればせながら動きを取り戻し、二人のもとにやってきたフィルが呆れる。女騎士は彼を見上げて、にっと笑った。
「フィル、背が伸びたね。顔は変わらないのに」
「余計なお世話だ」
 母親譲りの女性的な顔立ちをあてこすられ、ほぼ反射的に言い返したフィルは子供と友人とを見比べた。赤褐色の髪の子供は不思議そうな顔で見慣れぬ人間達を眺めていた。瞳はエセルと同じ鮮やかな緑だ。騎士見習いとして共に生活していたエセルが王宮を離れて、二年以上が過ぎている。子供を産むには十分な期間だが、しかし、いつの間にと思わずにはいられない。
「母親は?」
 ユリクの言葉にフィルは瞬きした。何を言い出すのかと訝しげに友人を見遣る。
「流れの女騎士。巷ではちょっと知れた女傭兵でね。死際に頼まれて、預かったんだ。神殿に届けてくれりゃあいいって言ってたんだけど、そうするのも気が引けてさ。信用おける相手に預かってもらおうと思ってるんだ」
 どうやらエセルが生んだわけではないらしい。何故かフィルはほっとした気分になった。エセルに特別な感情を抱いているわけではない。いくら女の方が早く結婚する傾向があるとはいえ、同じ年の少女が母親になったと聞けば、どことなく居心地の悪いものを感じるのだ。
「その子も?」
 足元に目を落としてユリクが問う。女騎士の陰に五、六才の男の子が隠れていた。明るい褐色の髪の隙間から空色の瞳が覗いている。
「こっちは途中でこの子のお守りに雇ったんだ」
「雇った?」
「そのうち話す。アティス、しばらくリヴィ−を頼むよ」
 言葉を共通語に変えて子供に言い、腕に抱いていた幼子をおろした。大陸共通語は大陸中部の言葉を基礎にしているので、おそらく子供はその周辺の出身なのだろう。慣れた様子で子供はよちよち歩きの幼子を両腕でしっかり抱えた。
「これから陛下に挨拶に行くんだ。終わったら、すぐ迎えに来るから、しばらく見てて」
「しばらく見ていろって言っても、今、訓練中なんだけどね」
 苦笑まじりにユリクが言う。
「ここにいさせてもらうだけでいいんだ。二人とも手はかからない。じゃ、後で」
 彼女を呼びにやって来た女官が声をかける前にエセルはそちらに向かって歩き始めた。
「まったく、こういうところは変わらないな。さて、アティスと言ったかな?その椅子に座って待っていてもらえるかい?」
 大陸共通語でユリクが言うと子供は頷いて、おとなしく訓練場の隅にある椅子に座った。
「…ユリク、よくエセルの子供じゃないって分かったね?」
「もしそうなら、いくらエセルでも父親くらい把握しているさ。自分で子供を育てる気はさらさらないから、子供を育てる気のない男とは寝ないって決めているそうだ」
 さらりと言われた言葉にフィルは額を押えた。騎士見習い達が神官位をも持つ品行方正な若者をあっけにとられた顔で眺めている。よもや彼の口からこんな言葉を聞こうとは思っていなかったのだろう。まだまだ彼らはユリクという人間を知らない。
 ユリクは騎士見習い達に向き直ると、にこりと笑った。
「すまなかったね、貴重な訓練時間を無駄にして」
 騎士見習い達は、はっとしたように素振りを再開した。口調も穏やかで温厚な顔の近衛騎士が、訓練では至って厳しい指導者であることだけは彼らもすでに習得していたのだった。