女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (20)

 ふくらんだ蕾が春の訪れを告げていた。
 間もなく、薄紅色の花を咲かせ、人々に本格的な春の到来を告げるだろう。
 春祭りを終えて、神殿の人々は多かれ少なかれ気を緩めていた。
 畑仕事が再開され、参拝客も減っている。
 だから、彼らが来れば、すぐに分かるはずだ。自分が気づかなくとも、おせっかいな誰かが教えてくれるに違いない。
 ライカはそんなことを考えながら、前庭を掃き清めていた。神官でも位階の高い彼女がする仕事ではないのだが、熱心に祈りを捧げる神官達とともに室内に籠もっているとひどく息苦しいために、彼女は好んで外の仕事を選んだ。
 彼らは何を祈っているのだろうか。この国の平安か、近くに起きる戦の勝利か。
 「先見」達は揃って戦を予見した。だが、その勝敗を予見した者はただの一人もいなかった。
 戦は起こるだろう、それを国王が望んでいるのだから。
 人並みの目と耳を持っていれば、先見でなくても分かることだ。
 そして、自分が知りたいのは何が起こるかではない。今、何を自分がすべきかだ。
「…先見なんて、役立たずだわ!」
「あ、同感」
 不意に聞こえた声に、とっさにライカは魔力を集めた。
「魔法は勘弁してよ」
 気配を全く感じさせずに、すぐ近くまで来ていたのは女騎士だった。
 長めの太刀を帯びた長身の少女で、髪を肩のあたりで切りそろえている。
 金茶の髪に緑の目という森緑王国に多い色を宿した人間なのに、何故か彼女は森緑王国の人間ではない、とライカは直感していた。
「あなた…こんな所で何しているの?」
 気が付いたら、勝手に口がしゃべっていた。この神殿に彼女の存在はひどくそぐわないと思えたのだ。
「一応、参拝かな?金積んだら、予見してくれるって言うから、わざわざ来てみたのにさ、どいつもこいつも、予見できないって言いやがった」
 そのくせ、見料は取るんだから詐欺だと不満そうに言う。
 わずかにライカは眉を寄せた。
「先見が『わからない』ではなく、『できない』と言ったの?」
「そう」
 ライカは改めて女騎士を見た。
 鮮やかな緑の瞳が面白そうに見返した。
「時々、いるのよ、そういう人」
「そういうって?」
「先見の能力が通用しない人。…予見なんて不確かなものを必要としない人間がそうなのではないかと思うわ」
 なるほどねと女騎士は頷いた。
「あなたも、予見を信じない?」
「信じないわけじゃないけれど、絶対的なものとは思わないわ」
「予見された物事を変えられると思う?」
「できると私は思っているわ」
「ふうん」
 ちょっと首を傾げて、女騎士はライカを見やった。
「何かを変えるつもりなんだ」
「え?」
「この神殿も捨てたもんじゃないね。それじゃ、頑張ってね、女神官さん」
 ひらりと手を振って女騎士は踵を返した。
 …そういうことなのかしら?私は、変えようとしているの?
 ライカは無意識に肩掛けを引き寄せた。
 予見されたことが、現実にならぬように。「未来」を変える。
 できるか、できないか、試すよい機会だわ。
 ライカが視線を上げた時には女騎士の姿は消えていた。
 捨てたもんじゃない、ね。
 女騎士の言葉を反芻して、そっとライカは笑みを浮かべた。
 その時、ふっと何かが脳裏をかすめた。
 今の女騎士は…。
 ひょっとしたら、赤毛の少年が探していた人物ではなかったろうか。
 その特徴を思い出してみて、ますます確信は深まった。
 ファギルには、悪いことをしたわね。
 だが、オルトの言った言葉を信じるのならば、あの少年は彼女に関わらない方がいいのだろう。先見の能力が通用しない人間は、自ら好んで波乱に満ちた生涯を送るのではないかとライカには思われた。
 しかし、それに巻き込まれるかどうか選ぶのはファギルだ。
「一応は、伝えてあげなくちゃね」
 ライカは自分に言い聞かせるように呟いた。
 どうして引き留めなかったんだとは言わないだろう。そんなことが出来るはずもないと分かっているはずだ。
「選ぶのは自分自身だもの…」
 ライカは箒の柄を握り直すと、掃除を再開した。


 森緑王国の王は、隣国の女王と違い、淡々と政務をこなしていた。時折、文官が裁可を仰ぐ書類を届ける以外に人の行き来はほとんどない。誰かに相談を持ちかけることもないようだった。
 ゼアン伯の甥として、国王の軍事顧問という地位を得たエルードは国王に報告をするために王城を訪れていた。報告とは名ばかりで、彼が手にしているのは報告書ではなく要請書だった。どこからともなく現れ、王の側近に取り立てられた若者の存在を王城の人間達はうさんくさく思っているようだが、国王の決めたことに異議を挟む者はいなかった。
 案内も請わずに、国王の執務室への出入りを許されるという破格の処遇も妬みの対象にならない。国王陛下のなさることだからと皆が黙認している様子だ。
 臣下達は絶対的な信頼と恐れを国王に対して抱いているらしい。
 国王はエルードが入室した際に目を通していた書類の末尾に署名すると、言葉もなしにエルードが差し出した書類を手に取った。
「傭兵を集めるか。既存の騎士団が動かしにくいのであれば、おまえの命令をに絶対服従する部隊を用意してやろうか?」
「そんな役に立たないものはいらん」
 素っ気なくエルードは応じた。
「役に立たぬか」
「絶対服従するということは、命令がない限りは動かないということだろう。この国の騎士団は多かれ少なかれ命令がなければ何もできないように組織されている」
 それは意図的にこの王がなしたことだ。王は自分の手足のごとく複数の部隊を同時に操るだろう。彼の作り出した魔道具と忠誠心がそれを可能とするのだ。
 王は薄く笑った。エルードがそれを理解していることを楽しんでいるのだろう。
「南はいかに対処するであろうな?」
「可能性のひとつとして、手っ取り早く、頭を狙う」
 つまりは国王その人を倒すということだ。全軍の指揮を任されるのが王妹であり、その王妹の側にウェイ・ラトゥールがいるのであれば、まず間違いなくそうするだろう。伝統的な戦の様式にこだわらぬ王妹は一番迅速かつ確実な戦法を採る。
「もうひとつ、魔道具そのものを使えなくするというのもあるな」
「どうやって?」
「俺は魔法士でないから、わからん」
「南に魔法士はいかほどばかりいる?」
「俺が知っている、宮廷に関わりのある魔法士は3人だ。女王の夫、神官長、神官見習い。他にも神殿には最低4人の魔法士がいるが、戦場に出せるのは一人くらいだと聞いている」 まだ「魔法士」として通用する人間がいることをエルードは知っていたが、それをわざわざ教えてやろうとは思わなかった。聞かれたのは「魔法士」の数だ。
「多少は強化しておくか」
 あまりにもあっけなく敗れてはつまらぬからなとさほど乗り気ではない口調で言う。
「…何故、南陽王国なんだ?」
 この男の目的のために戦をするのであれば、相手は南陽王国でなくともよいはずだった。
「国力にさほど開きがない、手頃な相手とは思わぬか?」
「それを言うならば、梢耀王国も同じだろう。むしろ、軍事力の点では南陽王国よりも釣り合いが取れている」
 梢耀王国は、多少、国力では劣るが、軍の構成は森緑王国と同じで魔法騎士と魔法士から成り立つ。さらに戦ともなれば、古くからの友好国である鷲達国が援軍を出すことは間違いない。両国の友好関係は曠原王国が鷲達国に侵攻した際にも証明されている。
 王はうっすらと笑いを浮かべた。
「女王が気に食わぬからだ」
 また戯れ言かと、一瞬、エルードは思ったが、その声音には単なる戯れ言と片づけられぬ何かが含まれていた。
「いや、むしろ気に食わぬのは妹の方やもしれぬな」
 自分自身の心の動きを分析するかのように王は続けた。
 敵を作りやすい性格の女王が気に食わぬというのはまだ分かるが、王妹が気にくわないというのは少々意外だ。
「いずれにせよ、あの姉妹が気に食わぬことは確かだ」
 エルードは、それ以上、この件について問おうとは思わなかった。
 やはり、この男は人間として最低の部類にはいると再確認しただけで彼には十分だった。問うたのは、答えを得るためより、むしろ、王がどう答えるか、知りたかったからだ。
「それで、結局、資金は出してもらえるのか?」
「好きにするといいと言っただろう?」
 エルードは承諾のしるしに軽く頷いた。
 王の執務室を辞するとエルードは真っ直ぐに城の外に向かった。
 途中、幾人かの人物に不審の念をこめた目を向けられたが、彼は行きと同様にそれらを無視した。
 紛れもなく不審人物である自分を不審に思うだけの判断能力のある人間がこの城にもまだいたらしいと皮肉たっぷりに考えながら、中庭を横切っていると声をかけられた。
「カーデュラス・アウル・ゼアン」
 その呼びかけが自分に向けられたものだとエルードが認識するまで、一瞬の間が空いた。短い人生の半分以上の間、その名で呼ばれていたはずなのに、著しく違和感がある。
 声の主にちらりと興味なさそうな一瞥をくれると、エルードはそのまま通り過ぎようとした。
「貴様、王の息子を無視するか!」
 怒りも露わな声にわざとゆっくり足を止め、エルードは王子に向き直った。
「これは御無礼を。新参者ゆえ、お顔を存じ上げておりませんでした」
 事実、顔を見たのは初めてだったが、王とよく似た面差しであったため、エルードには一目で何者か見当がついていた。その上で、敢えて無視したのは、勿論、相手の神経を逆撫でるためだ。
「私に何か御用がおありでしょうか」
 慇懃無礼な態度に、青年は忌々しげにエルードを睨みつけた。
「…何を王に命じられた」
「何も」
 王には息子が二人いるはずだが、これはどちらだろうかと考えながら、エルードは平然と応えた。
「嘘をつくな!」
 激する青年に、父王と異なり、感情を隠すことはできないらしいとエルードは皮肉な笑みを口の端に浮かべた。
「仮に、陛下より密命が下されたとして、それを他者に漏らすような人間に陛下が信を置くとお考えですか?」
 そんな馬鹿ではなかろうにと冷ややかにエルードは青年を見据えた。
 森緑王国の貴族の典型である髪と瞳を抜きにしても、切れ上がった目など王とよく似ている。それは、すなわち、彼のよく知る女騎士とも似ているということであるが、似ているのは外見だけのようだ。あの女騎士はこれくらいのことで言葉に詰まったりしない。減らず口の見本になれるような人間だ。
「では私はこれで失礼いたします」
 エルードは恭しく一礼した。
「待て」
 低く絞り出すように王子が言った。
「しゃべらぬというのならば、しゃべらせるまでだ」
 剣の柄にかけられた手を見て、エルードは目を細めた。
「できもせぬことをおっしゃるものではない」
「何をっ」
 青年が剣を抜こうとした時にはエルードにその手首を押さえられていた。
「だから、できないと言ったでしょう?」
 相手の力量も見抜けぬままに剣を抜くと死にますよとエルードはわざと穏やかに告げる。
 明らかに青年は自分よりも年下の騎士に気圧され、身動き一つできずにいた。
「何をしているんだ、リークェス」
 やわらかな男の声が響く。
 第三者の登場にエルードはすっと身をひいた。
「…兄上」
 安堵と苛立ちのまざりあった声音で青年が呟く。
 「兄」ということは、こっちが第二王子で向こうが第一王子か、とエルードは二人の青年を見比べた。
 やや細身の背格好は似ているが、顔はあまり似ていない。兄王子の方は、母親似なのだろう。また、弟とは違い、魔法士のようだ。
 弟王子は何か言いかけたが、途中で止め、不機嫌そうな顔で踵を返すと足早に立ち去った。その後ろ姿を兄王子は心配そうに目で追っていたが、その姿が見えなくなると鮮やかな緑の目をエルードに向けた。
「…君は?」
「カーデュラス・アウル・ゼアンと申します」
「ああ、君がゼアン伯の…。弟がなにか無礼を働いたようだな、すまない」
 噂は耳に入っていたのだろう、落ち着いた声で王子は言う。
「いえ、お気になさらずに」
 無礼を働いたのは自分の方だと心のなかで呟きつつ、エルードは応じた。
 しばしの沈黙の後、おもむろに王子は口を開いた。
「君は…国王陛下が何を考えておられるか、わかるか?」
「いいえ」
「では、何をなさるおつもりなのかは?」
「新参者の私などよりも、殿下の方がご存じなのでは」
 知らねばならぬのは息子であり、世継ぎであるお前の方だろうにというエルードの思いが伝わったのか、王子は苦笑を浮かべた。
「そうだな…」
「では、失礼いたします」
 エルードは軽く礼をすると歩き出した。
 あの兄弟は悪い人間ではないが、強い人間でもないようだ。
 王を止めたいと思っていても、それができない。それも、王を信じたいと思っているのだろうか?王がこの国を悪い方向へ導くはずがない、と。
 この国で王に忠誠を誓う者は多い。盲従と言ってもよいほどに。
 王が決めたことだから正しいのだと従うことは楽だろう。
 確かに、王は今まで優れた治世を行ってきたが、これからもそうであるという保証はどこにもない。
 「先見」達は戦を、暗い未来を予見した。それが本当に戦のことなのか、何故、それが起きるのか考えたことがある者はいるだろうか?
 遠くばかり見ている人間は足下の危険に気づかないとはまさにこのことだ。
 先見の能力は、森神が与えた祝福ではなく呪いなのかもしれない。
 しかし、ユリクなどに言わせれば、悪いのは神々に与えられた「道具」の用途を誤った人間の方だということになるだろう。神々にばかり責任を押しつけるなというのが彼らの言い分だ。エルード自身、神に頼るつもりはない。あてにならないことでは、予見も神も変わりない。
 あの兄弟は、とエルードはまだ立ち止まったままの王子に意識を向けた。
 なんらかの行動に出ることができるだろうか。
 それによって、確実に森緑王国の未来は変わるだろう。彼らがそれを知っているとは思えないが。
 しかし、所詮、エルードにとって森緑王国は「よその国」だった。
 なんの愛着も郷愁もわかない。
 王子達に積極的に働きかけてやる気にもなれない。少なくとも、まだ。
 背後では、日差しに目を細めながら、王の息子が歩み去るエルードを見送っていた。