女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (21)

 銀髪の魔法士は庭に沿った柱廊を足早に歩いていた。
 この年若い魔法士は女王の夫に委託され、王宮全体に渡って魔法の網を張り巡らしている。魔法的な異常が生じればたちどころに感知するはずだった。
 異変と呼ぶほどの「変化」は無かった。しかし、何か妙な感覚を先刻、一瞬だけ受け取ったのだ。
 外部から働きかけを受けたのではない。大使の一行に紛れて王宮に入り込んだ間者が捕らえられて以降、外部からの魔法的な働きかけは全く無かった。
 先ほどの感覚は以前にも覚えがあるような気がした。それが、いつのことだったか、何だったかは思い出せない。
 ノウィンは柱廊から庭に出た。その「感覚」がどの地点から発せられたかは定かではなく、勘を頼りに歩き始めた。どこを目指しているかも分からないが、目指している場所にまっすぐたどり着くことが少ない彼女には、どうでもよいことだった。
 その彼女の姿を、近衛騎士の一人が視界にとらえ、わずかに首を傾げた。さらりとした黒髪がほおに流れる。
 また、迷ったのだろうか。
 それにしては迷いのない足取りだ。
 ルーダルはしばし考えた後、魔法士を追うことにした。今は迷っていなくても、目的を達成した後で迷わぬとも限らないと判断したためだ。
 魔法士は渡り廊下を横切り、奥庭に入ったところで足を止めた。
「どうかしましたか?」
 ルーダルは驚かせぬようにやや離れた地点から声をかけた。
 魔法士はゆっくりと振り返った。戸惑うような表情が浮かんでいる。
「……この先にある棟はどのような目的に使われているのですか?」
 言い回しが固いのはまだ南陽王国の言葉に慣れていないためだ。
「王族の方々のお住まいになりますが」
 魔法士は灰緑色の目でどこか不安げに建物を見上げた。
 つられて、ルーダルが見上げたのは女王の息子がいる部屋の窓だった。


 女王お気に入りの衣装係は難敵に遭遇していた。
 ひょっとしたら、仮縫いに非協力的な王妹よりも手強いかもしれない。なにしろ、「敵」は採寸にすら非協力的なのだ。
「アールディオ様、じっとしてて下さいな」
 世継ぎの君は、きゃあきゃあと騒いでくすぐったがり、なかなか寸法を採らせてくれなかった。鬼ごっこか何かと勘違いしているのか、またも、ミューカの腕から逃げ出してしまった。
「もう、殿下ってば。アティス、その悪ガキを捕まえてちょうだい」
 ミューカは一つため息をつくと、王子の遊び相手であるリヴィーに向き直った。幼い少女は裁縫道具が気になるのか、裁縫箱をのぞきこんでいる。いじってみたいのだろうが、手を出そうとはしない。ユリクの躾が行き届いているからだろう。
「リヴィー、ちょっとじっとしててね。かわいい服を作ってあげるから」
 ちょんとリヴィーは首を傾げた。ミューカは巻き尺を使い、手早く採寸に取りかかった。物珍しそうにリヴィーはミューカが寸法を測っては紙片に書き付けていくのを眺めている。世継ぎの君とは大違いだわとミューカは小さく苦笑した。アールディオは小さな守り役の手から逃げるべく、隣の寝室にまで入り込んで走り回っている。どうも、世継ぎの君は見かけは父親似だが、中身は母親似のような気がする。
 クルス・アディン様も子供の頃はやんちゃだったのかしら、などと考えるミューカの耳に扉を叩く音が届いた。
「布をお届けに参りました」
「こちらではなく、裁縫室に届けてもらうように言ったはずですけど…」
 助手の少女が首を傾げながら扉に向かう。
「行き違いがあったのかもしれないわね」
 わずかな違和感に振り返ると透かし彫りの衝立越しに、少女が床に倒れるのが見えた。侍従の制服をまとった男が三人いた。しかし、侍従が「本職」でないことは明らかだ。ミューカは咄嗟にリヴィーを抱き上げた。
「アティス、逃げなさい!」
 隣の部屋にいる少年に向かって言うや、力一杯悲鳴を上げて、ミューカは窓に走り寄った。飛び降りるには高さがある。自分一人なら、それでも試みただろうが、幼い子供を連れては決心がつきかねた。もし、この腕の中にいる子供に万が一のことがあれば、自分は自分を許せない。
「世継ぎの君をこちらによこせ。おとなしく渡せば、命は助けてやる」
 ミューカは子供を抱く力をわずかに強めた。彼らは、リヴィーのことを世継ぎと思っている。
「…本当に?」
 肩越しに振り返り、震える声で尋ねる。
 リヴィーが、アールディオでないと知れれば、すぐにも殺されるだろう。
「ああ。さあ、早く」 
わざと躊躇う素振りをミューカは見せた。
相手が苛立つのが、手に取るように分かる。男が行動に移ろうとしたその時、ミューカの耳は待っていたものをとらえた。
「ミューカ!」
 今、この状況において、最適な人物の声だ。ミューカは勢いよく窓の外に身を躍らせた。
 瞬間、落下以外の、すさまじい空気の動きを感じた。
 反射的に目はつぶってしまったが、落下した体は予想通り近衛騎士の腕に抱き留められていた。
「…無茶しやがる」
 舌打ちとともにルーダルが言った次の瞬間にはミューカは地面に立っていた。ルーダルの姿はすでにない。跳躍して二階の部屋に突入していたのだ。
「大丈夫ですか?」
 気遣わしげに声をかけたのは銀髪の魔法士だった。
 ミューカは驚きで硬直しているリヴィーを抱き直してから答えた。
「私は、ね。でも」
「王子は御無事です」
「分かるの?」
「あの部屋には『目』を置いてますから」
 目?ミューカが首を傾げていると、すぐさま警備の騎士見習い達が駆けつけて来た。
「すぐに薬師殿をお呼びして下さい。廊下にいる見張りは毒を盛られたようです。この場に運び出して下さい」
 魔法士の言葉に騎士見習い達は即座に反応した。薬師を呼びに行く者、上官へ連絡に行く者、救護に向かう者、まるですでに打ち合わせてあったかのように、行動に移った。
「王子達は寝室横の隠し小部屋のなかにいるとルーダル殿に伝えて下さい。間もなくクルサーディン殿が来られます」
 この場に残った騎士見習いの一人がその言葉を受け、二階まで跳躍した。
 ミューカは魔法士の目が銀色の輝きを帯びていることに気づいた。いつもは柔らかな印象を与える瞳が刃のように鋭く感じられる。
 魔法士は仲間達の手によって運ばれてきた少年達に歩み寄った。ぴくりとも動かず、すでに死んでいるように見える。
「少し離れてください」
 魔法士は片膝をついてしゃがみこむと目を閉じた。
 ざわりと何かが体の中で動くのをミューカは感じた。横たえられた少年達の体がびくんと動いた。
 何かが行われたのだということは確かだが、それが何なのかミューカには分からなかった。ただ、本能的な恐怖感を覚えた。それは、他の騎士見習い達も同じだったらしく、強張った表情で立ちつくしている。
 その時、ようやく体の自由を取り戻したかのようにリヴィーが泣き出し、ミューカも我に返った。
「薬師殿には一時的に抵抗力を強めたと伝えて下さい。私は上の様子を見に行きます」
 魔法士の言葉に、ミューカは納得した。自分の体に、他者がなんらかの力を及ぼしたのであれば、恐怖を感じるはずだ。
 ミューカは幼い子供をあやし始めた。子供をなだめているうちに自分の気持ちも落ち着いてきた。
 侵入者達は騎士でも魔法士でもなかった。もし、能力保持者であれば、たちどころに捕らえられただろう。いや、それ以前に侵入を許されなかったはずだ。だからこそ、何も能力を持たぬ人間達が送り込まれた。
 決して生きて帰れぬことが分かっていたはずなのに。彼らは見返りに何を得るというのだろう。
 やがて薬師が騎士見習いに抱きかかえられて到着し、すぐに手当を始めた。

 部屋中に血が飛び散っていた。
 男達の死体が、床には転がっている。
 女王の夫とともに世継ぎの部屋へ駆け付けた王妹はわずかに眉をひそめた。その凄惨さゆえではなく、死体に残された傷が剣によるものでは無かったからだ。
「ルーダルではないな?」
 その言葉に、美貌の近衛騎士は頷いた。
「ノウィンです」
「見事だ」
 魔法士でもこれほど正確に攻撃するのは難しい。男達は喉笛と手足の腱を切られていた。おそらく風刃と同じような魔法を使ったのだろうが、調度類には一切傷がついていない。
「彼らが能力保持者でなかったから、可能だっただけです」
 銀髪の魔法士は静かな声で言った。
 騎士能力者ならば、魔法攻撃を避けることも可能ではある。
「アティス、出ておいで」
 隣の部屋から、クルス・アディンの声が聞こえた。隠し部屋に逃げ込んだ子供達に呼びかけているのだ。その隠し部屋の出入り口は狭く、子供しか通ることができない。何かあった場合、そこに入って女王かクルス・アディンが呼ぶまで出て来てはいけないと世継ぎの「守役」であるアティスは教えられているのだ。
 女王自身も、何度か幼い頃に逃げ込んだことがあると言っていた。王家の子供が真っ先に教えられる身の守り方だそうだ。
「陛下が来る前に片付けろ」
 アシュリーズはちらりと死体に目を向けて言った。女王は見苦しいものを視界に入れたがらない。
 騎士見習い達は即座に命令に従った。
「見張りは毒を盛られたというが、方法は?」
「風上から煙を使ったのではないかと」
 アシュリーズは魔法士に視線を向けた。
「騎士が異臭に気付かなかったのか?」
「気付いたとしても、一瞬のことかと。嗅覚を麻痺させるものが含まれていたはずです」
「そうか。…騎士に効果のあるような代物がそうそう出回っているとも思えないが」
 シィンのような人間が他にもいたということだろうか。
「…古代の文献には騎士能力保持者に効くとされる薬物について書かれたものがあります」
「なるほど。やはり、森緑王国関係と見てよいわけだ」
 あの国の王が古代の知識を得ていることは、すでに調べがついている。
「ノウィンはどうして襲撃に気づいた?」
「奇妙な感覚がしたもので…。多分、騎士見習いの方々が倒れる寸前に無意識に発動させた魔法力を感知したからではないかと」
 幾分、自信なさげな口調だが、アシュリーズは追及しなかった。ウェイと同じ血をひいていると思われる魔法士が、多少、変わった能力を持っていてもおかしくはない。
 それにしても、能力を持たぬ者を送り込んで来るとはな。
 アシュリーズは顔をしかめた。
 ある意味、盲点を突いたうまい方法なのかもしれないが、人間を捨て駒にするやり口が気に食わない。何より、失敗を見越して送り込んできたのではないかとアシュリーズには思えた。
 理由は分からぬが、森緑王国の王は戦を望み、その相手を南陽王国に定めている。
 勢いのよい足音が近づいてきた。女王とイェナだ。どちらも、当然といえば当然だが、かなり腹を立てているようだ。
 姿を現した女王は双子の妹に軽く頷き、すぐに息子のいる寝室に入った。
「アティス、お手柄だったな」
 何が起きたのか分からずに、父親に抱かれている息子よりも先に女王は小さな守り役に声をかけた。緊張に強張ったままの子供の表情がわずかにゆるむ。
「感謝する。そなたには褒美を与えねばならぬな」
 何がよい?と自分の前にかがみ込んだ女王を子供はちょっと困ったような顔で見上げた。それから、助けを求めるように女王のすぐ後ろに控えるイェナに視線を移した。
「今は保留になさればよろしいのでは?お願いが決まったら改めて陛下に申し上げるということにしておけばよろしいのではありません?」
「ふむ、そうするか」
 決まったら遠慮無く申すのだぞと言ってから女王は夫に向き直った。クルス・アディンは微笑んで、息子を女王の腕に渡した。女王が小さな息子をぎゅっと抱きしめると、子供は喜んで甲高い声を上げた。
「そなた、なーんにも分かっておらぬな、ディオ。それとも、もう怖かったことを忘れたのか?そのように忘れっぽいと、いずれオルトのようになるぞ」
 それこそ、理解できぬことを女王は息子に語っている。
「ラーナ、部屋を移した方がよいのではないか」
 平静に見えるが、その実、動転しているのであろうクルス・アディンに代わってアシュリーズは声をかけた。クルス・アディンが微かに苦笑をこぼす。自分の動揺ぶりを自覚したらしい。
「そうだな、クルス・アディンの部屋を使うか」
「陛下」
 笑顔でクルス・アディンが女王に向かって腕をのばす。
「謁見の途中であらせられましたね」
 仕事に戻れ、と言っているのだ。舌打ちしそうな顔で女王は息子を夫に渡した。アティスを抱き寄せ、頭を優しく撫でていたイェナがくすくすと笑う。
 けちだのなんだのぶつぶつと呟きつつも女王はおとなしく謁見室に戻ることに決めたらしい。
「ノウィンも御苦労だったな。報告は後でよいから、休んだらどうだ?顔色が悪いぞ」
 女王の言葉に魔法士ははっとしたように顔を上げた。
「ありがとうございます。しかし、まだ薬師殿の手助けをせねばなりませんので」
「そうか。無理はするのでないぞ。貴重な魔法士に倒れられては困る」
 ノウィンは返事の代わりに礼をとった。女王が来た時とは逆にゆったりした足取りで歩き出し、イェナがその後ろについた。どちらも子供達の無事を確認して落ち着いたらしいが、怒りはおさまっていないだろう。これから謁見する人々にアシュリーズは多少の同情を覚えた。
「アシュリーズ様、ウェイはどちらに?」
 幼い息子を抱き、アティスの手を引いて部屋を移動しようとしていたクルス・アディンがふと足を止めて尋ねた。
「王宮の外に。暗殺の成否を確認する人間が近くにいるはず。例の魔道具を使い、本国に報告すれば、たちどころに居場所は分かる」
「素早いですね」
「慣れているからな」
 アシュリーズは簡潔に答えた。
 雇い主を消さない限りは何度でも暗殺者は送り込まれて来る。だから、雇い主を突き止めて始末するのが、面倒なようで、その実、手っ取り早い。
「王の首を取りに行けというのであれば、いつでも応じるが?」
「そうしたいのは山々なのですが」
 国の体裁というものがある。後は頼みますと言い置いて、クルス・アディンは立ち去った。相変わらず血は苦手なようで、飛び散った血痕からそれとなく視線をそらしている。
「ノウィン、何か他に気づいたことはあるか?」
 侍従達に掃除を頼まねばなと思いながら、アシュリーズは魔法士に尋ねた。
「いえ、今は特に」
「では、シィンの手伝いに行ってくれ。ルーダルも一緒に行って、クルス・アディン殿に容態の報告を頼む」
「はい」
 近衛騎士に続いて歩き始めた魔法士に、アシュリーズは声をかけた。
「気に病むな」
 人の命を奪ったことも、襲撃を未然に防ぐことができなかったことも。
 氷晶王国の魔法士は神官だ。かの国で神官が人に対して魔法力を行使することを禁じらている。神殿で育った人間にとって、人の生命を奪うことは忌むべき行為に他ならない。
魔法士はほんのわずかに目を見開いて、一瞬、泣きそうな顔になった。ほんの子供の顔だった。
「耐え切れぬのであれば、神殿を出るな」
 余計なことをと思いながらも、そう口に出していた。
 間もなく、この魔法士が成人し、身の振り方を定めることをアシュリーズは知っていた。神殿を出た場合、真っ先に戦場に身を置くことになるだろうことも。
 はい、と小さな声で返事をして銀髪の魔法士は部屋を出て行った。
 まったく、あの男さえ余計な手出しをしてこなければ、一生、手を汚さずに済んだかもしれぬものを。
 南陽王国の何が気に食わないかは知らないが、気に食わないのはこちらとて同じだ。
 間違いなく、女王は戦場で遭遇したら首を取って来いというだろうが、果たして実際にそうしてよいものなのか、ヴェルシュに確かめておかねばなるまい。
 アシュリーズのなかで、森緑王国の王を討ち取るということは、ほぼ確定事項となっていた。
 アシュリーズは頭を巡らして控えている騎士見習い達に琥珀の目を向けた。何やら不穏な気配を感じていたらしい少年達がびくりと身を震わせる。
「商人を中心に王宮に出入りした人間をあたれ。途中、入れ替わったのだとすれば、行方不明者が出ているやもしれない。それから侍従長に侍従の数が揃っているか、確かめさせろ。私はヴェルシュのところへ行く」
 彼も余計な仕事を増やしたと腹を立てていることだろう。
 今後も悪影響を及ぼすであろう人間を取り除くことにはヴェルシュも賛成するはずだから、何か手だてを考えてくれるに違いない。
 アシュリーズがいつものように早足で立ち去る背後で騎士見習い達は顔を見合わせた。
 王妹に、特に変わった様子はないのだが、本能が何か危険を告げている。
 今、敵として王妹の前にだけは立ちたくない。
 少年達は無言のまま、それぞれの任務を遂行すべく行動に移った。