女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (23)

 穏やかな午後の光が窓から差し込んでいた。
 慣れた手付きで母親がお茶を入れているのをフィルはぼんやりと眺めていた。
 昨日の襲撃事件以来、ずっと張りつめていた心が次第に平穏を取り戻していく。
 こうして母親と差し向かいでお茶を飲むなど久しぶりだ。
 フィルが近衛騎士になってからは、仕事で顔を合わせることの方が多い。母親から相談したいことがあるから部屋に来るようになどと言われたのは初めてのことだった。
 差し出された器をフィルは礼を言って受け取ると、口に運んだ。
 ああ、これは、父さんが好きだったお茶だ。
 思い出して、フィルは目を細めた。
 猫舌の父親は、いつも少し冷ましてから飲んでいた。
 そんな息子の様子をじっと見ていたイェナはゆっくりと口を開いた。
「ねぇ、フィル、あなたは昔、弟を欲しがっていたわよね?」
 一体、何を言い出すのだろうといぶかしみ、フィルは母親の目を見返した。
「昔の話だよ」
 母親が彼の弟か妹を流産したことで、二度と子供が生めない体になったのだと父親に聞かされて以来、その望みを口にしたことはない。父親は幼かった彼に、母親が悲しむからせがむのはやめるようにとわかりやすい言葉で諭したのだ。
「今はもう欲しくない?」
「えっ……」
 母親の真意を図りかねて、フィルは言葉に詰まった。
 ひょっとして、子持ちの男と再婚したいとでも言うのだろうか。
 仮にそうだとしても、フィルに反対する意志はない。
「アティスとリヴィーを引き取ろうかと思っているの」
 ひょんな縁で、世継ぎの君とともに王宮で育てられている子供達のことだ。母親が、その子供達をかわいがっているのは知っていたので、フィルはそれほど驚かなかった。
 世継ぎの君と一緒に子供達が襲撃されたことによって、決心がついたのだろう。
「一度に弟も妹もできるってことだね」
 なかなか賑やかになりそうだ。
「ええ、そうなるわ。かまわないかしら?」
「勿論。僕の許可を得る必要なんてないよ」
 母親にとっても、これはいいことだろう。世話好きの母親には、誰か面倒をみる相手が必要だ。
「そういうわけにもいかないわ。家族になるのですもの」
 真剣な顔でイェナは言う。しかし、本当は自分の息子がどう答えるかだなんて分かっていたはずだ。そして、万が一、反対したところで、息子の意見に従うこともないだろう。
「でもね、フィル」
 人の悪い笑みを浮かべた母親にフィルは身構えた。
「リヴィーの方は、あなたが誰かと結婚して、引き取ってくれたらいいと思っているのよ」
 できるなら、両親が揃っている方がいいでしょうと続ける母親に内心、フィルは溜息をついた。
 どうして母さんといい、陛下といい、放っておいてくれないんだろう。
「まだ早いよ」
「そうかもしれないけど、恋人の一人もいないんですもの」
 容姿も性格もいい近衛騎士だというのに、おかしなことだわと溜息をつかれる。
「気になっている子とかもいないの?」
「あいにくね」
 気になる「こと」の方がいっぱいで、それどころではない。
「我が息子ながら情けないわ」
「情けなかろうがなんだろうが、母さんや陛下に話題を提供して、さんざんからかわれるより、ずっとましだよ」
 騎士見習いの時代から、皆で言っていたことだ。
 恋人は欲しいけど、できるなら、陛下の目の届かぬところで、出会いたい。
 それが、大多数の騎士見習い達の見解だった。
「いつの間に、こんなに、かわいげがなくなってしまったのかしら」
 わざとらしく嘆く母親の声は聞こえぬふりを決め込んで、フィルは茶を口に運んだ。
 本当にどうしてそんなことが気になるんだろう、孫が欲しいって年でもないくせに。
 仮に、今、孫ができても、絶対、間違いなくお祖母様とは呼ばせぬはずだ。
 まだ手のかかる子供達を引き取ることにより、母親の自分への関心が薄れることを若い近衛騎士は切に願っていた。


 真夜中に流れの騎士達が暴れているとの知らせを受けた王都第三警備隊の騎士達が酒場に到着した時には、すでに騒ぎはあらかた収まっていた。居合わせた、しらふの流れの騎士達が止めに入ったのだ。
「ったく、雇われる気があるんなら、少しは行儀よくしてろって。ただでさえ、陛下に気にいられない御面相だってのに」
 文句をつけながら、アインは酔いが回って倒れた男を引き立てた。
「なあ、ちょっといいか」
 収拾に回った側の、いかにも熟練の傭兵らしい男が声をかけた。少し、東の方の訛りが
ある。敵に回したくはないなと思いながら、アインが男と視線を合わせると、男は強面に茶めっけのある表情を浮かべた。
「ここの女王がすっげぇ面食いだってのは本当か?」
「ああ、御夫君と近衛騎士の顔見れば頷ける」
 やはり女王が面食いだというのは知れ渡っているのかと、アインはひそかに感心した。可能ならば、大陸のどの辺りまで知られているのか調べてみたいものだ。
「そんじゃ、やっぱり、つてなしで雇われるってのは無理があるか」
 仕方ねぇから、やっぱ会いに行ってみるかと、男は不精髭の生えたあごをなでた。本人が自覚しているように、美形とは程遠い顔であるが、女王が明らかに不快をもよおすような顔でもない。すなわち、品性のかけらもない馬鹿面ではないということだ。
「つてがあるのか?」
 下手なつてだと、かえって女王の不興を買うので使わない方がいいぞとアインは忠告した。騒ぎに加担するでなく、収拾に回るようなまっとうな感覚を持つ傭兵なら、顔は関係なしに雇ってもらえるはずだ。何より、傭兵を集めるのに、軍務担当の王妹が女王の好みを考慮するはずがない。
「なんか偉い女神官さんだって話だ。知り合いだっていう傭兵仲間が手紙を届けるのを条件に紹介状書いてくれたんだがな」
 傭兵に知り合いがいるような偉い女神官となると心当たりは一人しかいない。
 関わり合いにならない方が身のためだと言いかけて、アインは止めた。
 あの女神官は顔が広い。しかし、彼女にあてて手紙を出すなどという傭兵はそうそういない。
「その傭兵仲間って、ひょっとするとエセルっていう名の女騎士じゃなかったか?」
「お?あんた、あいつを知ってるのか?」
 奇遇だなあと男は素直に驚いているが、アインは驚かなかった。
 やはり、そうだったか。
 知ってしまった以上、放置する訳にはいくまい。やり方はともかく、王都の治安維持に貢献してる女神官に警備隊は借りがある。
 またアイン自身も、エセルが今どこで何をしているか、聞きたかった。何より、エルードに関して何か手掛かりをつかんでいないかどうか知りたい。
「その女神官ってのも、多分、知り合いだ。名前は聞いてるか?」
「いや。神殿に手紙を持っていけば分かるって言われたんでな」
 これなんだがと厳重に封をされた書簡を懐から引っ張り出して見せた。
 宛て先は聖典に使われる古語でしたためられていたものの、どうにかアインは目的の名前を読み取った。もっと真面目に聖典を習っておくのだったなとちらりと考える。
「騒ぎを収めてくれた礼に、その女神官のところに案内してやるよ。この時間なら、多分、近くにいるはずだからな」
 大体、女神官が行く場所は決まっている。安くてうまい酒を出す店だ。
「近くって、女神官がこんなとこにいるのか?」
 この周辺一帯は、歓楽街にほかならない。
「エセルの知り合い、なんだぞ」
 その言葉で納得できるほどには、エセルと親しかったらしい。傭兵はそれもそうかと頷いた。
 アインは先輩の騎士にこの場を離れることを告げた。
「そーゆー勝手なことをしていいと思ってんのか」
 酔っ払いの相手は面倒だってのにと軽く睨まれる。
「トーヴァ女神官がらみですけど、代わりに行きますか?」
「後は気にせず行ってこい」
 先輩騎士達は快くアインを送り出した。
 その様に、男は多少の不安を覚えたらしい。戸口でためらっている。先に外に出たアインは男を振り返って、釘をさした。
「やっぱり、やめるってのはなしだぞ」
 やめると言われたところで、引きずってでも、女神官のもとに連れて行くだけのことだ。逃げられたとしても、顔は覚えた。王都内にいる限り、捜し出す自信がある。
 そんなアインの思いを悟ってか、男は肩を竦めた。
「いいさ、エセルが信用している人間だ。用が済んだら、ばっさり切られるってのはないだろうからな」
「…あいつを信用してるんだな」
「戦場であいつくらい頼りになる奴はいないぜ。まあ、戦場以外では言わずもがなだが」
 賭に誘っては、金を巻き上げるし、平気な顔で人の酒をかすめとるし、と苦笑する。
 まさしくエセルにほかならない。
 暗い街路をアインは歩き出した。男がすぐ後に続く。
 男はガザンと名乗った。エセルとは森緑王国と珪瑪王国の国境付近で起きた小規模な戦で一緒になり、王都には三日前に入ったという。
「本当はなぁ、この国に雇われるのはちょいと不安だったんだが、あんたらみたいな警備隊がいるんで安心して雇われる気になったんだ」
 誉められて悪い気はしないが、何故、不安だったのだろう。
 率直にアインはそのことを尋ねた。
「不安って、どうしてだ?」
「そら、あれ。賊が王宮に侵入して、世継ぎの君が襲われたんだろ?賊の侵入を許しちまうような騎士が重用される国ってのはどうかと思ってな」
 いくら顔がよくてもよぉ、役に立たない騎士を置くのはどうかって思うぜとガザンは肩を竦めた。「その話、どこで誰から聞いた?」
「ん?さっきの酒場で同じ傭兵の連中からだ」
「そうか」
 傭兵は噂に敏感とはいえ、やはり、今回の噂の広まり方は早すぎる。
 王宮内で口止めがなされた事件だというのに、漏れ出るにしては余りに早い。
 まだ事件から一日しか経っておらず、近衛騎士のルーダルから、この噂の出所を探るよう警備隊に通達が出たのも半日前だ。
 アインはぐしゃぐしゃと髪を手でかきまわした。
「まあ、一応、弁明しておくが、近衛騎士達の誰一人にも俺は勝てないからな。彼らが役に立たないのであれば、俺なんか足手まといだ」
「そうなのか?」
「ああ。ついでに、これから会いに行く女神官も凄腕だ。いくら怖くても、逃げ出すなよ」
 逃げたら追っかけてくるんだ、と真面目な顔でアインは告げた。
 犬じゃあるまいしと笑ったガザンはアインの表情に気づいて笑いを引っ込めた。
「追っかけて来て何するんだ?」
「逃げ出すのは心にやましいことがある証拠とかなんとか言って、無理やり罪を告白させられ、償いをさせられる」
 時には命によって贖わされることもあると教えると、はあ−っとガザンは大きな溜息をついた。
「なんかよ、この国って……エセルのような奴が育っただけあるな」
 なんとなく引っ掛かるものをアインは覚えたが、それで納得してくれるなら、文句を言う筋合はない。
「気合を入れて、対面してくれ」
 女王と対面するのと、女神官に対面するのと一体どちらが疲れるだろうかとらちもないことをアインは考えながら、目的の店を目指して歩き続けた。
 道々、見知った顔に声をかけられて、言葉を返すアインを見ながら、ガザンが感心したように頷く。それに気づいて、アインは眉を軽く上げた。
「なんだ?」
「なめられるでもなく、恐れられるでもない警備隊ってのはいいもんだな」
「そりゃどうも」
「この国に雇われるという俺の選択は間違っていなさそうだ」
 女神官に会った後も、同じことを言ってくれるといいんだがなと思いながら、アインは店の扉に手をのばした。
 薄暗い店内に、予想通り、女神官の姿を見いだしたアインはそのまま回れ右して引き返そうかと思った。それというのも、彼の姿を見るなり、女神官が笑みを浮かべたからだ。
 逃げ出したいのは山々だが、逃げたらどんな目にあわされるか知れたものではない。
 ほほ笑みを浮かべた女神官は人差し指をくいくいと動かして、彼を呼んでいる。
 死の使いというのが目に見えたら、このように見えるのではないのだろうか。
「何でしょうか、トーヴァ様」
 おとなしくアインは女神官に近付いた。死の使いには抗っても無駄だ。
「そこの右奥のテーブルにいる二人を捕えてもらいたい」
 女神官の視線の先をたどると、商人らしい男達がテーブルを囲んで談笑していた。
「腹の出た奴と口髭のある奴だ」
「どうして御自分でなさらないんです?」
 アインは顔をしかめた。男達は騎士能力も、魔法士能力も持たないように見える。女神官なら、すぐに捕えることができるだろう。ましてや女王のように面食いでもないのだから、触るのが厭などということもあるまい。
「私も聖職にある身ならば、いちゃもんつけて絡むわけにはいかんだろう」
 相手が騎士ならば挑発してやってもよいのだがなと女神官は涼しい顔だ。
「俺だって、警備隊の人間ですからね。喧嘩をふっかけるわけにはいきませんよ」
 制服を着用していない時であれば、引き受けることもできるのだがとしぶるアインに、女神官は悪知恵を授けた。
「その警備隊員であることを利用しろ。マーロイとフォートというのが奴らの名前だ。染め物を扱っている。荷物に不審な点があるとでも言って、しょっぴけ」
「荷物の置き場は?」
「南大通り裏の倉庫だ」
「分かりました。彼はあなたの客です。後で改めて紹介します」
 アインは後ろに立つ男に、しばらく待つように頼むと、女神官の標的に近付いた。
「染め物商人のマーロイとフォートというのは誰だ?」
 素知らぬ顔で、同じテーブルを囲んでいる男たちを見渡して尋ねる。
 警戒する様子だったが、二人はすぐに名乗りを上げた。
「わたくしどもに何か?」
「南大通り裏の倉庫に荷を置いているだろう?そこに妙なものが運び込まれるのを見たという奴がいるんだ。念のために、荷を改めさせてもらいたい」
 わずかに二人の緊張がゆるむのをアインは感じ取った。
「わかりました」
「そうか。楽しんでいるところを悪いが、荷改めに立ち会ってもらいたい。何かあった時が面倒だからな」
 促された二人は同席している男たちに断りを入れると立ち上がった。
 アインが戸口に向かった時は女神官の姿もガザンの姿もすでに消えていた。
 外に出ると、夜風が吹き抜けた。
 アインは身震いすると、暗い街路を歩き出した。
 身震いの原因は夜風ではない。「猛獣」が獲物を狙っている気配をひしひしと感じたからだ。
 その獲物である男達は騎士能力保持者でなくて幸いだったと言わざるを得ない。
 余分な恐怖を味あわずに済む。
「御苦労」
 闇の中から声が響いたかと思うと、二人の男は気を失って路上に崩れこんだ。
「何しでかしたんですか、この連中は?」
「例の噂を広めるのに一役買ったらしい」
「こいつらが?」
 もう突き止めたのかとアインは女神官の素早い行動に感心した。
 見ただけでは、何の変哲もない商人達だが、それだからこそ、油断ならぬ連中と言えるだろう。
「これ。何をしている、さっさと運ばんか」
 さも当然という顔で女神官が要求する。
 逆らう気概も武力も持ち合わせていないアインはおとなしく男の一人を担ぎ上げた。
「……俺もか?」
 女神官とアインに視線を向けられたガザンは二人の顔を交互に見ていたが、諦めたようにひょいと肩を竦めると、残りの一人を担いだ。
「なんか人さらいの片棒担いでいるような気がするな」
 女神官の後に続いて歩きながら、ガザンがつぶやいた。
 「ような」ではなく、まさに、その通り。それ以外の何でもないのだが、アインはあえて何も言わなかった。
「どうするんです?責めて吐くような連中じゃないでしょう?」
「シィンがな、新しい薬を試すと言っておる。駄目でもともとなのだから、かまうまい?」
「ああ、それなら、陛下の気も少しは晴れますね」
 女薬師の実験台になるというのは、刑罰に等しい。
「生かしておいても役に立たぬのだから、多少の役には立ってもらわねばな」
 聖職に身をおく人間の言葉ではないが、アインは少しも引っ掛かりを覚えなかった。
 しかし、なにか引っ掛かりを覚えたらしいガザンはさすがはあいつの育った国だぜとしきりに首をふっていた。