女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (24)

 日増しに春らしくなってはいるが、建物の中はまだひんやりとして肌寒い。
 むしろ、戸外にいる方が暖かいだろう。
 この城で冬を越すのは御免だと南陽王国の温暖な気候になれたエルードは考えながら人気のない廊下を通り、目的の部屋の前まで来た。
 すでに何度か来たことのある、森緑王国国王その人の部屋だ。
 先客がいるのか、王以外の騎士の気配がする。
 二人、だろうか。
 扉が開き、エルードが中に足を踏み入れると、女がいた。
 この国では比較的珍しい赤毛だった。騎士であることは間違いない。
 だが、騎士というのは、常人よりも強い生気を放つというのに、この女には生気というものが感じられず、まるで人形のように思えた。
 整った顔立ちをしているが、美しいというより凛々しいという形容が似合う。年齢は三十前後。
 褐色の瞳は自分の存在を含めて、周囲の存在を一切、認めていないように見えた。
 見えていないわけではないのだろうが、視界にあるものを意味あるものとしてとらえていないのではなかろうか。
 薄気味悪い。
 エルードは眉をわずかに寄せた。
 専門の暗殺者なども感情を持たないかのように見えるが、それとはまた違った感じがする。
 次にエルードは王と話をしている男に注意を向けた。この男もまた騎士だった。
 この国の貴族に多い、金茶の髪を持つ。今までこの城で出会った騎士の中では、王の次に強いのではないだろうか。
 男が振り返り、目があった瞬間、エルードは反射的に身構えた。強い騎士に対するそれとはまた別のものが、エルードを動かした。
 以前、出会ったことのある賞金首がちょうどこの男と同じような目をしていた。
 その男は輝珠王国の騎士だったが、ある時、主一家を惨殺し、逃走したという。その後も、事あるごとに凶刃を振るい続けた。世界のすべてを呪っているかのように。
 南陽王国の王都で警備隊の騎士達に追い詰められた時、男は哄笑を上げながら、己の喉をかっきった。
 その姿は脳裏に刻まれ、自分も含めて警備隊の騎士達はしばらくの間、悪夢にうなされた。騎士ならば、誰でも不安に思うのだ。いつか、自分も同じように狂気に陥るのではないかと。
 その狂気におかされた男が、今、自分の前にいる。深い緑の瞳の奥底に、ひそやかだが確かに狂気が存在していた。
「紹介しておこう。お前と同じく傭兵部隊を指揮する、ダルフォンだ」
 王の声に、緊縛が解けた。
 挨拶がわりに軽く頷いてみせると、男はわずかに目を細め、同じようにわずかにあごを引いた。
「それでは、私はこれで」
 王に向き直ると、男は優雅な動きで敬礼した。それから踵を返すと、女に声をかけた。
「リヴィー、行こう」
 打って変わった甘やかな声に、エルードは自分の腕をさすった。
 趣味が悪い。
 男が女に向ける感情をくみとったエルードは心のなかで呟いた。
 女の腰に手を回し、男が部屋を出て行く。女の表情は、あいかわらず、ぴくりとも動かなかった。
 扉が閉まると、エルードは国王に視線を戻した。
「あんな男を飼っているとは、随分、悪趣味だな」
 王は喉の奥で笑った。
「お前は気に食わぬかもしれぬが、ああいう男にも使い道はあるのだ」
 どうせ、ろくでもないことに使うのだろう。
 あの男とはまた別種の狂気を王からは感じる。
「それで、今日は何の用だ?」
 エルードは王の前に書類を放り投げた。
 そこには数人分の名前が記されていた。
「監視をよこすなら、もっと腕利きをよこしてもらいたい」
「ほう?……これは違うぞ。どちらかの王子の手の者ではないか?」
 一人の名前を指さし、わずかに王は笑みを浮かべる。
 それ以外の人間は、全て、この男が差し向けたらしい。
 どちらかの王子、か。とりわけ第二王子がエルードのことを快く思っていないのは承知しているらしい。
 それは当然のことだ。王に近づく得体の知れぬ人間を警戒せぬ方がおかしい。
「名前がそこに挙がっていない監視なら、そのまま置いていてかまわない。邪魔にはならないからな」
「監視が気にならぬか」
「こちらが存在に気づかない監視なら、気になるはずもないだろう」
 隠すことはないとばかりにエルードは告げる。
「ふむ……。優秀な協力者がいるようだな」
 王は目を細めた。
 送り込まれた監視のなかには魔法士がいた。魔法士能力を持たぬエルードが自身でその存在に気づくはずはなかった。
 エルードは否定も肯定もしなかった。これから、しばらく、王は彼の協力者を探るために動くだろう。
「傭兵集めは順調か?」
「いや。ろくなものがいない。才気のある連中は南に流れたらしいな」
 嫌味は聞き流された。もとより、エルードもこのくらいの嫌味に王が目くじら立てるとは思っていない。
 このようなところは、南陽王国の女王と対照的だが、この王の場合、心が広いというより、彼にとってはそれがどうでもいいことだからだ。
 用事はもう何もなく、互いに無駄口をたたき合う性格でもなかったので、エルードは王の部屋を辞した。
 さて、これから「協力者」に礼を言いに行くべきかどうか。
 今の今まで、この「協力者」がもたらした情報にエルードは疑いを持っていた。
 逡巡しながらエルードはゆっくりと歩き出した。


 わずかな空気の流れに合わせて、ゆらりと蝋燭の炎が揺らめいた。
 女神官はその光の下で読んでいた書簡から目を上げると、音もなく部屋に入って来た人物を見遣った。
「血の匂いがする」
 わずかに顔をしかめて見せると、鼻がきくねと男は肩を竦めた。
「途中で酔っ払いにからまれたから、ちょっと痛め付けてやっただけだよ」
 この男のいう「ちょっと」がどの程度のものかは測りかねたが、トーヴァは気にしなかった。カリュートは性格の悪い男だが、罪のない人間を手にかけることはない。
「おぬし、古語は読めるか?」
「聖典を読むくらいなら」
 トーヴァは書簡を差し出した。
 書簡の文には神殿用語が使われていないから、神官でなくとも古語を学んだ人間になら読めるだろう。
 恋文なら嬉しいけどとふざけたことを言いつつ、カリュートは素早く目を通した。読み終えたカリュートの顔に苦笑とも微笑とも判断つきかねる表情が浮かぶ。
「はっきり言えるのは、我々の管轄ではないということだね。クルス・アディン殿に渡すべきだろう」
「そのつもりだ。おぬしは人を操る術なぞが実存すると思うか?」
 書簡に書かれていたことについてトーヴァは尋ねた。
「陽術は精神に作用する。もっと強いものが、あったとしても、おかしくはない。それより、彼女の推測は信用に値するものかい?」
 正規の騎士団さえこうはいくまいという程に一糸乱れぬ動きを見せた傭兵部隊と人格が変わったとしか思えぬ死んだはずの女傭兵。たった二つの事実でエセルは何か人を操る術のようなものが存在するのではないかと推測した。記憶を操作するものか、意思を操るものか。
「これが他の人間であれが、多分に疑わしいが、エセルという娘はおそろしく勘がいい」
「勘、ね。君が言うのなら信じよう」
 カリュートは書簡を女神官に返した。
「指揮官が思うままに操れる軍隊というのは厄介だ。だが、逆を言えば、頭さえ潰せばいいということになる」
「問題は、その術をかけるのにどれほどの手間がいるかであろうな」
「簡単ではないだろう。容易に扱える術ならば、失われずに今も残っているはずだ」
 言って、カリュートは薄く笑った。
「もし、君がそんな術をかけられたら、私が責任をもって殺してあげるよ」
 おぬしに責任を取られたくはない。
 喉まで出かかった言葉をトーヴァは飲み込んだ。
 この男は昔からこの調子だ。
 言い返そうものなら、どこまでも果てしなく話が脱線して行く。
「シェイド殿からは何か?」
「南部貴族の連中は、やはり洸王国の貴族と手を組んでいるらしい。向こうの大使殿からも連絡があったそうだよ。全面的に協力するから、こちらで押えた人物は勝手に処分してもいい、と」
「古狸が面倒臭がりおって」
 柔和そうな大使の顔を思い出しながら、トーヴァは呟いた。この大使とは、イェナのところで、何度か、お茶を一緒に飲んだことがある。
「年だからね」
「都合のいい時だけ年よりぶるのは白狸と同じだ」
 違う違うとカリュートは手を振った。
「私が言いたいのは、年だから面の皮も厚みが増してるってことだよ」
 年齢に関係なく面の皮が分厚い男に言われるのだから、洸王国の大使もたいしたものだ。
「そうそう、リシュテ女神官とは話をしたのかい?」
「ああ。馬鹿男がうっとうしいから早く始末してくれと頼まれたのだが、しばらく泳がせて、もっと話を聞き出すように頼んでおいた」
「君も気が長くなったものだね。年のせいかな」
 他の男が言ったならば、首が飛びかねないことをさらりと口にしたカリュートをトーヴァはじろりと睨め付けた。
「一言、言ってもよいか?」
「駄目だと言っても言うのだろうに。さあ、どうぞ」
「おぬしはそんなだから嫁が貰えぬのだぞ」
 カリュートは肩を震わせて笑った。
「心外だな。私には心に決めた人がいると言っているのに。誰も信じてはくれない」
「自業自得というものだ。他に何か情報はないのか?」
 その後、二人の密談は多少、横道にそれながらも、夜明けまで続いた。

 沈黙がその場を支配していた。
 女王に呼ばれて、小部屋に集められたのは、近衛騎士の二人、王妹アシュリーズとウェイ、そして、魔法士のノウィンだった。
 お茶を出しに来た侍女にはその沈黙が重かったが、もともと口数の多くない三人の人物は気詰まりを感じていなかった。
 彼らを呼んだ女王は別室で女神官と談話しているはずだった。呼ばれたのは女神官の到着後だったから、彼女の提言で彼らは集められたのだろう。
 侍女が息苦しさを感じ始めた頃になって、ようやく女王がその夫と女神官を伴って姿を現した。侍女はすぐにお茶の用意を済ませると、そそくさと退室していった。
「ウェイ、ノウィン、人の心や記憶を操る術に心当たりはあるか?」
 お茶を一口飲むなり、女王は質問を発した。
「記憶を消す術ならば、知っています。そして、人の意志を奪い、命じられたことにのみ忠実に従わせる術が存在したことも、聞いたことはあります」
 まず、ウェイが答えた。
 知っているということは、それを彼が使えるということだ。
 アシュリーズはちらりとウェイの顔を見遣った。いつものごとく、動きはない。
「ふむ。ノウィンはどうだ?」
「私も、存在したということだけは知っております」
 女王の眉が動いた。
「元に戻す方法は?」
「ありません。傀儡の術は……言わば、魂を身体から引きはがし、肉体のみ生かしておく術なので。死者を蘇らせることができないのと同じことだと聞いております」
 ノウィンの言葉にウェイも頷いた。
 女王は息を吐き、しばらく目を閉じていた。やがて、その唇が動き、言葉を紡いだ。
「馬鹿男め、絶対に許さぬぞ」
 女王のこうした言葉に慣れていないノウィンが瞬きした。
 瞼が開かれた時、女王の瞳は炯々たる光を放っていた。
「エセルからの情報だ。森緑王国で、そうした術が使われている恐れがある」
 アシュリーズもノウィンも嫌悪の情をあらわにした。人間として、当然の反応だろう。
「本当にろくなことをしない男だな」
 アシュリーズの言葉に、女神官が小さく笑った。
「さすがは双子であらせられる。陛下も全く同じことをおっしゃいましたよ」
「双子でなくても、たいていの人間がそう思うのではないか?」
「確かにそうですね」
 クルス・アディンが苦笑まじりに同意したところを見ると、彼も同じことを思ったらしい。多分、女王よりも、クルス・アディンやヴェルシュの方が隣国の王に対する嫌悪の念は根深いだろう。
「その術はかけるのにどれくらい手間がいるものなのだ?一部隊分は、すでにその術を使っているらしいのだが」
「かける相手の精神状態によって、差が生じるそうです。正常な精神状態にある人間に術をかけようとすれば、一日以上の時間を要するので、まずは薬漬けにしてから術をかけていたと聞きました」
 アシュリーズはその言葉に引っ掛かりを覚え、ウェイに目を向けた。ウェイは微かに頷いた。
 やはり、ノウィンには、養母と同じ種類の人間となじみがあるらしい。
 ウェイが氷晶王国で会ったという、養母の「古い知り合い」がそうなのだろうか。
「その薬を与える期間は?」
「半月以上です」
「よし。リーズ、開戦したら、半月以内に決着をつけるぞ。我国の騎士を捕虜にされて、そんな術をかけられてはたまらんからな」
 半月で決着をつけろという無体な注文に王妹は逆らわなかった。
「わかった。……それで、本当に、王の首を土産に欲しいのか?切って数日経った生首なぞ、見れたものではないぞ」
 戦場で機会があり次第、王を冥府に送ってもよいという許可をクルス・アディンとヴェルシュの二人から得ているアシュリーズは姉の意志を確認してみた。
「そんなにひどいのか?」
「いくら塩漬けにしても、保存には限度がある」
「うーむ。いくら造作がよくとも水気が抜けてはな」
 この姉妹の会話に女王の夫はこめかみを手で押えた。王族でなくとも、若い娘がお茶を飲みながら話すことではない。
「氷漬けはどうです?」
 女王にしてみれば画期的な、女王の夫にしてみれば余計な意見を述べたのは女神官だ。
「魔法士でなくとも、氷術の使える魔法騎士ならば、氷を維持しての運搬が可能であろうかと思うのですが。氷晶王国では冬の間、肉は凍らせて保存するそうですね」
 楽しげに言う女神官にクルス・アディンが非難がましい表情を見せた。
「そうなのか、クルス・アディン?」
  いいことを聞いたとばかりに女王が目を輝かせる。
「確かにそうですが、生首の件は却下です。いくら気に食わぬとはいえ、一国の王にそのような辱めを与えるべきではありません」
「いいじゃないか、死人に口なしだ」
「死人は文句を言わなくとも、残された人間が問題になるんです。余計な波風を立てるわけにはいきません」
 この様子だと、首を取ってはいけないようだ。
 ラーナに確認する前に、クルス・アディン殿に確認しとくのだったなとアシュリーズは少しばかり後悔した。
 ノウィンは驚いているのか、お茶も飲まずに黙って女王夫妻のやり取りを見ている。
「大丈夫か、ノウィン?氷晶王国に帰りたくなったのではないか?」
 にやにやと笑いながらのトーヴァの問いにノウィンはゆっくりと首を横に振った。
「いいえ。ただ、噂というのは本当にあてにならぬものだと実感していたところです」
「ほう?陛下の噂なら、その通りだと思うのだが」
「いえ、陛下ではなく、クルサーディン様のお噂の方なのですが……」
 ノウィンは礼儀正しく、その先は言わなかった。思い出したように、お茶を口に運んで何か考え事をしている。
 その姿に、クルス・アディンが氷晶王国では猫を被り通していたというのはそれこそ事実だったらしいとアシュリーズは頷いた。
 そんな彼らのやりとりは目に入っていないようで、女王夫妻の言い合いはまだ続いている。
 ラーナが言い負かされるまで、しばらくかかりそうだ。
 そう判断した王妹は対森緑王国戦に思いをめぐらすことにした。