女王と騎士

第三部 夢と現-百騎夜行編- (25)

 昼下りの歓楽街というのは静かだ。夜型生活の住民が多いので、王都の他の地区に比べると通りの人影は格段に少ない。
 起き出して間もない花嬢達は風呂に入ったり、髪や爪の手入れなどをしながら、ゆっくりと時を過ごしている。
 宵闇公国の公子はそんな彼女達に請われるままに弦楽器を奏していた。もうしばらくしたら、年若い花嬢に演奏を教える時間になる。今の彼の扱いは客ではなく、住み込みの教師扱いとなっており、それを本人は大いに楽しんでいた。
 女将の一人息子である近衛騎士の若者が部屋に入って来たのを認めると、ジラッドは微笑を浮かべた。彼の周りでくつろいでいた女達が部屋を出ようとするのを、ルーダルは手振りで止めた。今回、他者に聞かれて困る話をするつもりはない。
「大変だったようだな」
 ジラッドはねぎらうよう声をかけた。この公子には騎士見習いを介して王宮での事件のあらましをすでに伝えてあった。
「ええ。あらかたは片付きましたが。御身辺に変わったことは?」
「特にない。暇だったから、用心棒の手伝いをしたことはあるが、私目当てに来た人間はいない」
 気晴らしになるから、たまには刺客に襲われてみてもいいとでも言いたげな口調だ。これでは刺客も襲い甲斐がないだろう。
「それならば、よろしいのですが。王宮に居を移す気はありませんか?」
 ルーダルの唐突な言葉に、ジラッドは軽く眉を上げた。
「私の面倒まで手が回らぬということかな?」
「いえ、面倒を見る気はもとよりありませんが、数日中に公国より使者が到着するはずですので」
 使者の一行が国境を越えたと早馬による知らせが入ったのは今朝のことだ。
「私に用があるならば、ここに案内すればいいだろう。今更、私がどんな場所にいようと驚かれはしない。それにここで接待する方が使者も喜ぶ」
 のんきな顔で弦の調整をする公子を眺めながら、使者の名を告げるべきだろうかとちらりとルーダルは考えた。使者団の代表者は女性だった。この場所で接待されて喜ぶ女性は女王くらいのものではないだろうか。
 ここで名前を告げるか、もしくは使者団の中に女性が含まれていることを教えれば、公子は考えを改めるかもしれない。だが、もしその女性がルーダルの予想通りの人物ならば、公子が逃げ出す可能性もある。逃げたところで、ルーダルとしては痛くもかゆくもないのだが、公子本人のためにはならないだろう。いつかは決着をつけねばなるまい。
 しばし躊躇った末、ルーダルはこの件に関して沈黙を選んだ。
「では、使者が到着したら、知らせに参ります」
「頼んだよ。さて、姫君方、お次は何の曲がよろしいかな?」
 にこやかに花嬢達に話しかける姿は生まれながら音楽を生業としている楽士のようだ。仮に公家から勘当されても、彼が食い扶持に困ることはあるまい。騎士の才能を生かして傭兵稼業をするまでもなく、楽士として食っていける。
 幸せなのか不幸なのかよく分からない人だと考えつつ、ルーダルはどこか浮世離れした空間を後にした。


 酒と料理の匂いと体臭の入りまじった、むっとする空気が狭い店内には立ちこめていた。外部から足を踏みいれた者は顔をしかめるだろうが、そうした空気は中にいる人間には気にならないものだ。
 もし気になるようであれば五感の発達した騎士がその場に居続けることはできないだろう。
 金茶の髪の女騎士は顔なじみの誘いを断り、隅の暗がりに一人身を潜めていた。
 いつもなら、率先して賭事を始める人間だが、たまには物思いにふけることもあるらしいとしつこく誘う者もいない。
 傭兵同士の付き合いは淡泊だが、心地よくもある。
 周囲の騒々しさも気に留めず、エセルは思案にふけっていた。
 ここ数日で集めた情報から判断すると、傭兵を募っている貴族の若君とやらは、どうもあの男のような気がする。一体、何をどうしてそんな地位を手に入れたのかは知らないが、あの男に関して知らないことはいくらでもある。しかし、お互いに性格とやり口だけは知り抜いていた。
 さすがに顔を合わすなり斬り合いになることはないだろうが、素直に手を組むはずもない。邪魔するなとばかりに、南陽王国の人間だとばらして、追っ手をかけるくらいのことは平気でやってのけるだろう。長年、南陽王国にいた人間として警戒されている以上、信用を得るためにも、間違いなくそうするはずだ。
 だから、迂闊に近付くわけにはいかないのだが、一度は話をしたい。
 問答無用でたたっ斬るには実力が拮抗しているし、手を組めるならば組むに越したことのない相手だ。
 何か「手土産」になるものがあれば、事を運びやすいがと考え込むエセルの視界を赤いものが過ぎった。
 夕日を思わせる赤。東にいた頃、いやと言うほど見慣れた色だ。そして、その髪の持主にも見覚えがあった。
 赤い髪の少年はこちらに気付くと破顔した。
「エセル!」
 しっぽを振って飛び付いてくる子犬というには大柄な少年は素早い身のこなしでエセルの前まで来た。
 でかい図体の割に滑らかな動きには、いつも感心する。
「やっと見付けた」
 暁王国の「戦神」の息子をエセルはちらりと見上げた。緑の目の奥底がきらりと光る。
 使える、かな?
 森緑王国の国王は馬鹿ではないし、情報収集もそれなりにしているだろう。
 暁王国の将軍と南陽王家が「親しく」していることは承知しているはずだ。
 よし、使おう。
 一瞬のうちで、それだけ決めるとエセルは笑みを浮かべた。
「久しぶりだね、ファギル。何やってんのさ、こんなとこで。おっさんにしごかれそうになって逃げ出して来たとか?」
 心のうちを、ちらりとも表に出さずエセルは椅子をすすめた。
「エセルを追いかけて来たに決まってるだろ」
 腰掛けながら、赤毛の少年は真剣な顔で応じた。褐色の瞳には偽りなど存在しない。熱のこもった視線をエセルは正面から受け止めた。
 そう言えば、口説かれたこともあったような気がする。
 暁王国の男は、少しでも好みの女と見れば口説かずにはいられない性分のようで、滞在している間、何人もの男に口説かれた。ただ、連中は熱しやすくて冷めやすいので放っておけば飽きて別の女に目を向ける。
 この少年が、まだ自分に惚れているというなら、ますます好都合というものだ。
「へぇ?よほど、暁王国では暇なんだ」
 ファギルは若年とはいえ、暁王国では一人前扱いされる年だ。すでに初陣も済ませ、「戦神」の息子にふさわしいだけの評価も地位も得ている。
「親父が珍しくじっとしているからな」
 国の内外問わずうろつく癖のある男にしては珍しいとエセルは軽く眉を上げた。
「何たくらんでるのさ?」
「さあ?爺さんの病状がかなりやばいらしいってことで、親族連中は王宮から動けないでいるんだ」
 少年の言うところの爺さんとは暁王国の国王だ。
「あのクソ爺がぁ?」
 思い切りエセルは鼻にしわを寄せた。殺しても死なない、冥府の女神に受け入れ拒否をされている人間とはまさにあの爺さんのことだ。エセルは一度、顔を合わせただけで、東の妖怪爺とあだ名を奉った。ちなみに、南の妖怪爺とは陽神殿の神官長のことだ。
「どうせ、また何かするつもりなんだろ」
「そうだろうな。よくわからんけど」
 ファギルはその父親と同じく権力とか地位という類いに興味を持たない。王に気にいられようだなんてみじんも考えないし、それどころか、できれば関係を持ちたくないと思っているくらいだ。実際、必要最低限にしか王宮に顔を出さなかった。
「ふうん。で、ファギルは一人なの?」
 お目付け役でもついていたら、面倒だと思いながらエセルは確認した。「戦神」がそんな過保護な真似をするはずはないが、周囲の人間は違う。何せ「次期国王」の長子だ。
 そんなエセルの考えに気づくはずもなく、ファギルはすぐに答えた。
「なりゆきでオルトが一緒にいる」
 意外な名前にエセルは眉を寄せた。
「オルト殿?のたれ死んではいなかったんだ」
 南陽王国に帰っていないことは知っていたが、まさかこんなところで、こんな人間と知り合いになっているとは思わなかった。
「さっきまで一緒だったんだけどな」
 多分、そのうちここに来るだろうと、ファギルはたいして気にも留めていない様子だ。
 オルト殿なら、大丈夫かな。
 どれくらい親しくなっているかが問題だが、それでも、余程のことがない限り、自分の邪魔をすることはないはずだ。話の振り方によっては、面白がってこっちの味方につくかもしれない。
「ま、とりあえず、再会を祝おうか」
 エセルは少年に疑いを持たせぬ程度に機嫌よく言って、酒と肴を追加注文した。


 草地におりた朝露はまだ完全には消えていなかった。
 ファギルはちょっと顔をしかめながらも、草の上に転がった。
 日差しは季節の移ろいとともに強くなっている。だが、それでも砂漠に照りつける日差しに比べれば、弱々しいくらいだ。
 水気を含んだ空気も草の匂いも故郷とは全く違う。
「もったいないよなぁ」
 なんとはなしに、ファギルはつぶやいた。
 この柔らかな草地を踏み荒らして、戦をするなんて、実にもったいない。
 戦を重ねれば、この土地も赤茶けた荒土となるのだろうか。
 故郷の砂漠は神々の戦場跡と言われていた。太古の昔、神々が流した血を吸ったために砂漠は赤いのだという。
 ごろりと体を回転させるとみずみずしい草の葉が目についた。
 柔らかな繊毛に覆われた緑の葉。
 同じ緑でも、エセルの瞳とは全く違う。あの目は生命の貪欲さを象徴するかのような勢いの強い夏の緑だ。しのぎを削って天を目ざし伸びる樹木の緑、砂漠にはない緑だ。
 だから、惹かれたのだろうか。
 一体、あいつのどこがいいんだよとオルトには心底不思議がられた。
 そんなことは自分自身にも分からない。ただ追いかけてみたくなっただけだと答えたら、深々と溜息をつかれた。さらに物好きだの女の趣味悪いだのさんざんに言われた。
 今回のエセルの頼み事を引き受けるにあたっても、用心しろと忠告された。
 その頼みというのは、単に傭兵の募集に応じてみてくれというものだったのだが。
 今の所、危険を感じさせるものはない。自分と同じように「審査」待ちで、近くにたむろしている傭兵達にも変わった様子はない。
 再び仰向けになって目一杯伸びをしていると名前を呼ばれた。
 起き上がって、小さな建物の入り口近くまで行くと、名前と出身地を確認された。出身地を申告させられるのは、同名の人間がいた場合に区別をつけるためで、特に意図はない。
 しばらく待たされた後、建物の中に通された。部屋を一つ抜けて、奥の間に入る。
 そこにいたのは若い黒髪の男だった。おそらく、自分と二、三歳しか年は違わぬだろう。男は暗緑色の目でファギルの顔を一瞥するなり、「失格」と告げた。
「なんでだよっ!」
 ほぼ反射的にファギルは大声を上げた。男はうるさそうに眉をしかめた。
「顔が悪い」
「はあっ?」
 今、何と言ったとファギルは我が耳を疑った。美男子とは言えないが、それほどひどい造作でもないはずだ。
「恨むなら父親を恨め」
「……ああ、そういうことか。別に顔で選んでるわけじゃないんだな」
 どこかの女王のような選択基準の持ち主ではなかったらしい。顔が悪いというのも、不細工だという意味でなくて、親父と似ているのが悪いという意味だ。安堵して、ファギルは重要な点を見過ごしそうになった。
「……あんたも、親父の知り合いか?」
 今すぐ逃げ出す必要があるだろうかと用心しつつ、ファギルは訊いた。
「知り合いではない。一方的に顔を知っているだけだ。あの男の身内だからといって、今ここでどうこうする気はないが、そんな人間を傭兵に雇うわけにはいかない。あの男が介入するきっかけになってもらっては困る」
 男は察しがよいのか、ファギルが訊きたいこと全てにまとめて答えた。
 一方的に知っているだけという割には、「暁王国の戦神」の行動形態もよく分かっているから、ただ戦場で顔を見たという程度ではないようだ。
「親父は動かないぜ。もし、動くつもりなら、とっくに自分で乗り込んで来ているはずだろ」
 今回は高みの見物だと父親自身が言ったのをファギルは聞いていた。
「それも一理あるな」
「だったら」
 勢い込んだファギルを男は片手を上げて制した。
「『戦神』の息子を雇うほど俺の度量は広くない」
 暗緑の目に見据えられ、ファギルは肩をすくめた。度量が広くないのではなく、用心深いのだ。この手の男には泣き落としも脅しも効かない。
「分かった。諦める。だけど、もし、気が変わったら連絡してくれ」
 しつこく粘っても、妙な疑いを招くだけだとファギルは引き下がった。
 何にせよ、エセルの頼みは果たした。この男と会って話をしたのだから。
 踵を返そうとしたファギルを男が止めた。
「何故、この国に来た」
「惚れた女を追いかけて来たんだよ。傭兵やってる女だ」
 よどみもなくファギルは答えた。馬鹿にされるだろうかと思ったが、男は頷いただけだった。
「この募集に応じたのは、どうしてだ?」
「貴族の若君が自分でわざわざ人を集めるなんて、面白そうだと思ったからさ」
 そうかと言っただけで、男はそれ以上、彼を引き留めようとはしなかった。
 ファギルは建物の外に出ると、順番待ちをしている傭兵達に軽く首を横に振って見せ、すぐ近くにある街道に向かってゆっくりと歩き始めた。
 王都まで歩いてすぐに戻れる場所だが、わざわざあの男が傭兵の選定場所に市門の外を選んだのは、まず魔法による干渉を防ぐためだろう。王都内部では、人が多いように魔法の存在も多く、干渉されたこと自体わかりにくい。
 あの建物の内部にも、魔法の気配はあったが、それはたった一人の人間が操るものだけだった。そして、その魔法士は建物内にはいない。
 ファギルはしばらく歩いたところで、ようやく体から力を抜いた。
 追って来る気配はない。
 とりあえず、言葉通り、あの男は「戦神の息子」を今すぐどうこうしようという気はないらしい。しかし、用心するに越したことはない。
 彼が用心すべき相手は他にいたのだが、それに気づくのはまだ先のことだった。